月別アーカイブ: 2000年6月

久里浜だより29

■レポートの印刷もあと表紙を残すだけ、座学も今日で終わるなど、ある程度メドがついてきたはずなのにチマチマと忙しいことに変わりはないという毎日です。そういえば今週は文集作りもけっこういろいろありました。文集のカラーページは保存性を考えてカラーコピーにしたので、コンビニで延々とコピーして帰ったら午前様という日もありました。でもみんなとワイワイとやってるのは楽しいものです。あと、近くのロシア料理店「火の鳥」にも行きました。ものすごい風の中、野比の海岸沿いの道を歩いて行ったら、潮風で顔もメガネもみーんな塩辛くなってしまいました。
■28日は研究協議と体育・健康でした。体育・健康はレポートの最終チェックと印刷に使ってしまって、嵐のような天気ということもあってジョギングはしませんでした。
■29日は、昨年まで千葉大学附属養護学校教諭だった水戸正衛先生の『遊びの指導』と東京都立保健科学大学助教授の野村みどり先生の『バリアフリー生活環境論』でした。
■『バリアフリー生活環境論』では欧米のようすを100枚以上のスライドで見せてもらって、これはカルチャーショックでした。
■個人主義の社会で障害のある人たちが生き抜くためにはそれなりのスキルが必要で、「自己主張訓練」というプログラムがあると先週の講義で聞きました。でも、今日は、誰かが「これをしたい」と表明したらそれをどうかして実現できるようにしようという支援が「システムとして」素早く組まれるように感じました。事実そうなのでしょう。
■アメリカ、カルフォルニアのバークレーの大学で学ぶ日本人の話です。彼は電動車いすを使っています。手にも障害があります。「日本には戻りたくない。日本では私は不具者だ。」野村先生にそう言ったとのこと。日本ではどこの大学にも受け入れてもらえなかったとか。これは一つのエピソードです。すべてではありません。でも、彼が20年生きてきてそう感じたことは事実として受け止めなくてはならないと思います。
■プレイセラピーの紹介もありました。1977年、スエーデンでプレイセラピーが制度化され、病院はプレイセラピーの提供が義務となりました。プレイセラピー科です。病院の待合室もおもちゃや大型の遊具があります。そして子どもへのインフォームド・コンセントも行われて、子どもが治療の意味を彼らなりに理解すると大人よりも辛抱強いことがわかっているとのこと。野村先生が脚本を担当された映画のビデオを注文したのでぜひ見てください。(少子化と医学の発達で病院に入院する子どもが減ってきている中、各地で子どものための病棟の閉鎖が聞かれるのはどこの国か! 土野先生の病弱の養護学校のとなりの子ども病棟も今年度いっぱいで閉鎖されるかも知れないとのことです。)
■そうして子どもたちが大切にされるのと同時に、職員の健康も同じくらい大切に考えられています。子どものいすと机は台に乗ったりして高くなっています。先生が中腰や前かがみにならなくてもいいようになっているわけです。天井のリフターのレールもそうです。
■スライドを見ているうちに、画面の中になんとなくのんびりした印象をもちました。時間の流れがちがうように思えてきました。たぶん私は貧乏性でゆとりがなくなっているのでしょう。早く職場に戻って子どもたちと過ごしたいと思っています。講義も演習を2つを残すだけとなりました。
■「ゆとり」でふと気づきました。小出進先生を頂点する「生活を中心とした教育」は一体なんなのだろう。千葉大学附属養護学校小学部の「遊びの指導」はわかる部分が多い。中学部の生単も。でも中学部と高等部の作業ばかりの、作業ばかりではないというが、あのがむしゃらな毎日は一体何? この目で確かめてみたい気もします。
■今日は、愛知県立一宮東養護学校教諭の堺和之先生の『算数・数学の指導』と埼玉大学附属養護学校副校長の桜井康博先生の『国語の指導』でした。「生きる力」がキーワードでした。
■さて、明日からは最後の土日です。本屋めぐりをして仕事の本を買い集めてきます。手に入りにくい本は直接出版社に行って見せてもらえるように電話して頼みました。めいわくな客です。

久里浜だより28

■こちらでは三宅島が噴火しそうで、朝からヘリが飛び交って臨場感がありました。
■みなさんお元気ですか? 私は先週夜更かしが続いて疲労困憊、土曜日は昼の2時まで寝たり起きたりで、あとは本を読んで過ごしました。日曜日はちょっと元気が戻ったので銀座のアンティークカメラ店を回ったり、楽器店で楽器やCDを見たりしました。お昼は贅沢をして、クレヨンハウスの有機野菜たっぷりのバイキングを山盛り2皿食べて大満足でした。クレヨンハウスでは、町田市のすみれ会館の音楽療法のセッションで使っていた鐘(タンバリンについている小さな円盤状の鐘)を見つけました。ドイツ製、2枚で1セット、なんと4800円! ボーナスが出たら買って帰ります。勤務校の授業で使えるかな、と思います。
■さて、講義は昨日今日で4コマありました。昨日は筑波大学教授池田由紀江先生の『ダウン症の特性と対応』、奈良県立西の京養護学校教頭小原信先生の『養護学校における教育相談の役割』、今日は千葉大学附属養護学校副校長三田一夫先生の『日常生活の指導』、そして午後は埼玉県立寄居養護学校教諭土野研治先生の『演習:音楽の指導』でした。(土野先生の「土」はJISに入ってない字で、「土」の右上に点を一つつけた字です)
■いろいろ思うことがありました。が、今日の午後、土野先生の音楽の講義は私にとって最高の時間でした。こんな講義は丸々1日とってほしいものです。
■ノートは…36ページ取りましたが、そのままだとわかりにくいので私の感想をお伝えします。
■使った曲は『大きなくりの木の下で』、『小さな世界』(ディズニーの『It’s a Smoll World』)、『きらきら星』の3曲と、ペンタトニックの即興とリズム伴奏的な即興でした。もっといろいろな曲が出るかな、と思っていたのですがこれだけでした。養護学校でのマン・ツー・マンの授業(音楽療法のセッション)では、やはりピアノの即興と『大きな古時計』でした。特別な曲はありませんでした。
■しかし、子どもたちと土野先生とのやりとりは、ビデオですが、これはすごかったです。音楽で子どもたちとこんなにコミュニケーションができるものかと…音楽がきちんと土野先生の言葉になっているのです。子どもの動きを引き出したり、誘ったり、フェイントをかけたり、元気づけたり…。
■土野先生のピアノの演奏技術はもちろんすごいものです。今日の講義でも『大きなくりの木の下で』の前奏で呆気にとられてみんなの歌いだしが遅れたくらいです。どう「すごい」かというと、シンプルだけど雄弁で色彩感があるのです。右手は主にメロディーを弾いていますが、左手は複雑に動いて、右手と左手のたった2音の組み合わせにもかかわらず、曲の流れの中で一つ一つの場面を見せてくれるのです。これは和声進行の理論的な要素が半分です。
■でも、その前に、土野先生と子どもたちとのかかわり方が大事です。その上でテンポや音の大きさを自在に揺らすことによって子どもたちへの働きかけを音で表現する土野先生のセンスが生きるのです。センスとは音楽の感じ方の幅の広さと柔軟さです。セッションのビデオでは一瞬一瞬が勝負でした。子どもの動きに応じてテンポや音の大きさはもちろんのこと、使う楽器や空間の使い方をどんどん変えていきます。
■ビデオ(知的障害養護学校小学部)の自傷の場面はショッキングでした。でも、音楽室でセッションが始まると、その子の自傷行為がなくなるどころか、音楽を媒体として土野先生といろんなやりとりができるのです。それは彼の主体的な動きだったと感じました。
■土野先生は音楽大学の声楽科を卒業。肢体不自由の養護学校で11年、宇佐川先生のもとで音楽療法など長期研修をされて、その後知的障害の養護学校で10年、そして今は病弱の養護学校に勤務されています。ビデオは知的障害の養護学校の記録でしたが、子どもたちの体の使い方を重力との関係でとらえるなど、知的障害の養護学校の子どもはよく体が動くけど決してうまく使っているわけではないと、肢体不自由の子どもたちのとらえ方から何度か指摘をされました。私らは知的障害教育コースですから土野先生もそのあたりを意識されてのことでしょう。
■文献紹介のプリントでは私が好きな本も何冊か上がっていたのでちょとうれしくなりました。直接音楽療法の本ではありません。井上直幸の『ピアノ演奏法』(久里浜に来るとき私も持って来た)、畑中良輔の『演奏家的演奏家論』(学生の頃読んだなつかしい本)、長田弘の『黙されたことば』(詩集)、そしてグレン・グールドやジャクリーヌ・デュ・プレの演奏です。
■土野先生は7月8日に神奈川県藤沢市で講演をされるとのことですが、この日は淑徳大学の宇佐川先生の音楽療法のセッションを見せてもらうことになったので行けません。土野先生は、あと、8月29日に広島で講演されるとのことです。これは広島大学の若尾先生の音楽療法の研究会かも知れません。
■最後に、土野先生の著書を持ってきているのでサインをしていただきました。がんばろう、と思いました。
■土野先生の講義の内容はきちんとまとめたいと思います。時間がかかりますが、ほしい方は連絡してください。夏休みになるかも知れませんが。

久里浜だより27

■今朝は5時前から起きていて一日中どーも頭がすっきりしませんでした。時間切れなので朝5時からレポートの原稿をまとめました。空は曇っていました。なんとか原稿が形となって、午後の研究協議で検討も終わりました。この土日で仕上げて月曜日から最終チェックです。
■夕方はブック・セラピーと称して本屋で立ち読みをしました。ずーっと立ち読みをしているとだんだん頭が冴えてきます。単に血が下がって頭が軽くなっただけなんですけど、そんなときにけっこうおもしろい本と出会います。今日はオリヴァー・サックスの『レナードの朝』(ハヤカワ文庫 2000.4 \980)です。映画では知っていましたが原作を手にするのは初めてです。(この文庫版は新約版です。)普通、映画は原作のごく一部しか映画化されません。『レナードの朝』も例外ではなく、その文庫本は厚さ2.5cm、解説も入れると661ページもあります。映画はレナードという患者一人のストーリーでしたが、原作は20もの症例の記述があり、前後にくわしい医学的な考察があります。
■この忙しいときになんでこんな分厚い本を買ったのかというと、パラパラと見ていて「カオス」という言葉があったこと、目覚めたときの患者の言葉が興味深かったこと、そして患者についての叙述に心を打たれたからです。
■患者は嗜眠性脳炎という病気のために何十年も眠り続けて、1969年、ある薬によって目覚めて徐々に生活を取り戻していきます。眠り続けるといっても同じ姿勢をとり続けることで、その薬には副作用があります。
■作者のオリヴァー・サックスは精神科医です。彼が患者を見つめるまなざしに深い感銘を感じます。読んでいると活字の中から患者が目に見えるようであり、また、一人一人の患者と共感しあう何かを感じます。深い愛情といえるかも知れませんがそれはものたりない表現です。
■そんな本と出会って心を打たれた今日の自分は、午前中の講義で同じような感覚を味わったからだと思います。
■吉備国際大学教授の小林重雄先生の『自閉症児の特性と対応』の講義で、私は、自閉症の人たちの感じ方を実感した思いがしました。内容は行動療法なので「うーん」と感じる方もあろうかと思いますが、小林先生の自閉症の感じ方の話はたいへんわかりやすいものでした。
■自閉症だから視線が合わないのではない。見たいものはちゃんと見る。視線を合わせたくないから合わさない。誰かと視線を合わすことは強すぎる刺激だから避ける。赤ちゃんはお腹がすくとかオムツが濡れて気持ち悪いという生理的な要求から泣いたり、また、相手してほしいと泣く。ところが自閉症の赤ちゃんは生理的要求では泣くが、余分な刺激はいらないからそれ以外のときは泣かない。誰かの顔が近づくなんておそろしい刺激だから誰かが近づくようなことはしない。(中には縦揺れを好む自閉症の子もいて抱いて揺すってほしいと泣く子もいるようです。)自分を守るために刺激を避ける。そのために人とのかかわりが少なくなって社会性の発達にマイナスになる。
■こんな話をまるで自閉症の人の心の声のように話をされるものだから聴き入ってしまいました。誰かのことがわかるとか理解するとか、一体どういうことなのだろうと考えてしまいました。障害を言葉や理論でとらえることは大事です。でも、どこまで障害がある身の上(どうもへんな表現だな…)に近づけるというのだろう。
■『レナードの朝』の「付録7《レナードの朝》の演劇と映画」はそのあたりのことについてたいへん示唆に富むエピソードをいくつか取り上げています。レナードを演じたロバート・デ・ニーロはもちろんのこと、『レインマン』で自閉症患者を演じたダスティン・ホフマンも次のようなエピソードで取り上げられています。
■「何年か前、ダスティン・ホフマンが私を訪ねてきた。彼はそのとき、映画《レインマン》のために調べ物をしていたのだ。そこで私が担当していた自閉症患者を訪ね、その後植物園を散歩した。私は映画監督と話をしながら歩き、ダスティンは数ヤード後ろを一人で歩いていた。突然、私は患者の声を聞いたような気がした。びっくりして振り返ると、そこにいたのはダスティンだった。彼は先ほど会った若い自閉症の男のことを、体を使いながら考えていたのだった。」(『レナードの朝』P.636)
■「体を使いながら考えていた」というくだりは、私たちのグループが進めている研究協議の「体が動けば心も開く」という考え方に通じるところがあります。通じるというよりそのものかな。
■ロッキングをしている自閉症の子どものロッキングのリズムに合わせて自分もロッキングをしてアプローチしていくという小林先生の話は、音楽療法も似た手法なんですけど、俳優が役になりきるときの手法そのものだと思いました。自閉症の子どもへのアプローチは他の方法もありますが、これも「人間存在の根源をなすものについての示唆を与えてくれる興味深い障害」(石川知子2000)だということを目に見える形として教えてくれるエピソードだと思いました。
■ウイスキーのロックを飲みながらこんなこと書いていると頭はカオスそのものです。シラフで読んでくださったあなた、ごめんなさい。

久里浜だより26

■夕方から雨が降りだしました。沖縄は20日に梅雨が明けたそうですね。久里浜は暑かったり肌寒かったりで、風邪気味の人もいます。みなさん、体調はいかがですか?
■今週もあと1日で終わりです。明日の研究協議の原稿書きと検討をしたり文集の仕事をしたりと、あっという間の1週間でした。今夜、レポートの原稿を書いたらこの土日はちょっとゆっくりできそうです。
■今日の午前中は東京都立七生養護学校教諭、石丸良成先生の『演習:図工・美術の指導』でした。「自由な表現活動は心の解放につながる」「感覚的なものを全部出して表現に結びつける」と、結果として作品はできるが、そのプロセスを大事にした表現活動について実践紹介をされました。
■ビデオで実際の美術の時間のようす、そして子どもたちの作品を見ることができました。子どもたちは自分の活動に集中していました。「障害が重い子の方がつくるものがおもしろい」…たしかにそう感じました。「型にはまっていないから」…たしかにそうでした。現代美術に通じるところがあるということで、現代作家の作品も見せてもらいました。大きな大きなカンバスに絵の具をバケツでぶちまけたポロックの絵、足で描いた白髪一雄の絵、ベニヤ板をくりぬいて組み合わせた斎藤義重の作品…「ほとんど障害児美術」というコメントに笑い声、それが何百万もすると聞いて「おーっ!」と驚きの声です。
■久里浜に来て小串里子先生と出会い、軽井沢で美術館に行ったりして、それでなくとも街には絵などがたくさん飾ってあり、むしろ街そのもの、人の動きやスタイルそのものがアートに思えてきているこの頃です。石丸先生のビデオにも音作りや体の動きの表現活動がありました。今研究協議でまとめようとしている表現活動は同じ方向性をもっています。
■後半はスチレン版画の演習です。私は久しぶりの「美術」でなんだか緊張してしまいました。初めての素材なのでどうするとどうなるのか、という見通しがもてなかったからでしょうか。素材を楽しむなんて余裕はありませんでしたが、そうして新しい素材にドキドキすることが素材を楽しんだことなのかも知れません。どうにかできて、69人の研修員の作品、A5くらいの小さな作品ですが、みんなの版画を正面のホワイトボードに貼ったらこれがなんと、とてもすてきでした。
■生活単元学習や作業学習に力を入れている養護学校の日課表には、教科としての美術がない学校があることがわかってきました。逆に、日課表は音楽・美術・体育ばかり、という学校もあるのです。同じ知的障害の養護学校なら私は美術がほしいと思っています。技法を追うばかり、作品の出来栄えを追うばかりでない表現の時間の確保として。音楽も体育もそうです。
■それにしても石丸先生の頭はずいぶん柔軟だと思いました。美術も音楽も体の動きも、みんなアートとして取り込んでしまう。子どもたち一人一人の今の幅を広げる活動としの表現を追求されています。理論もきちんとまとめてみえます。
■午後は安田生命社会事業団子ども療育相談センターの主任相談員、新井利明先生の『社会性の発達と障害』でした。レジメがあまりに細かくていねいにもれなく作っていただいてあったのでノートは少し取っただけでした。何を社会性としてそれがどう身に付くのか、考えてしまいました。

久里浜だより25

■今日は千葉県立野田養護学校長の中坪晃一先生の『作業学習の指導』と淑徳大学教授の宇佐川浩先生の『認知の発達と障害』でした。千葉県を二分する…という組み合わせなんだそうですが、研修員たちは「いいとこ取りをしたらいい」と、いたって冷静です。
■宇佐川先生の講義はすばらしかったです。レジメの冒頭を引用します。
■「淑徳大学発達臨床研究センターの障害幼児にたいする長年の臨床活動からは、発達障害児の認知発達そのものを中核にすえて発達臨床を展開していくことが、もっとも本質的な発達支援活動になりうると捉えられている。ここではこれまでの臨床的研究をもとに、認知発達とその臨床方法論について考えてみよう。」
■宇佐川先生の講義は前々から楽しみにしていました。ビデオもたくさん見せていただいて、3時間があっという間もないくらいすぐに過ぎてしまいました。そして、レジメが自分の言葉で書かれていることに感銘を受けました。
■夏に淑徳大学発達臨床研修セミナーが開かれます。6月中なら参加できそうとのことです。案内は届いているかと思いますが、もしまだでしたらお送りします。同セミナーの概要をお知らせします。
■第25回淑徳大学臨床研修セミナー
期 日:2000年8月4日(金)~5日(土)
テーマ:障害児の発達臨床における対人関係論の再考
会 場:淑徳大学(千葉市)
定 員:500名
参加費:3000円
内 容:
8月4日(金)
事例研究1「初期段階の子どもの発達過程~臨床像の異なる2事例の検討~」
(淑徳大学大学院:池畑 美恵子)
事例研究2「発達障害児の音楽療法における対人関係の変化について」
(日本臨床心理研究所:薬師神 彩)
講演「太田ステージの視点からみた対人関係」
(東京大学医学部付属病院精神神経科:染谷利一)
講演「感覚と運動の高次化の視点からみた対人関係」
(淑徳大学発達臨床研究センター:宇佐川 浩)
8月5日(土)
事例研究3「自閉傾向幼児の対人関係とコミュニケーションの発達過程」
(淑徳大学発達臨床研究センター:阿部 秀樹・小倉美紀)
講演「動作法の視点からみた対人関係」
(文京大学:今野義孝)
シンポジウム「障害児の発達臨床における対人関係論の再考」
(パネラー:染谷利一・今野 義孝・宇佐川 浩 /司会:金子保)
■開催案内(申し込み用紙)がご入用の方はお知らせください。ディズニーランドも近いよ!

久里浜だより24

■先週からあっという間に火曜日の夜になってしまいました。土曜日はレポート書き、日曜日はピアノの演奏会、昨日月曜日は町田市への研修、そして今日火曜日は2コマの講義でした。
■ピアノの演奏会は映画『シャイン』のモデルとなったデビッド・ヘルフゴット本人の演奏をきくことができました。場所は渋谷・文化村のオーチャード・ホールです。
■デビッド・ヘルフゴットは駆け足でステージに登場。膝を折って何度も何度も嬉しそうに客席を見ました。プログラムです。
ショパン/『雨だれ』『ノクターン変ホ長調』『幻想即興曲』
ラヴェル/『道化師の朝の歌』
ドビュッシー/『亜麻色の髪の乙女』『月の光』
ミリー・バラキレフ/『イスメライ』
リスト/ピアノソナタ ロ短調
■『雨だれ』のなんときれいな音か。限りなく静かで透明感があって、ひとつひとつの音がていねいにていねいに紡がれていきます。戦慄が走り、全身の感覚が彼のピアノに集中します。
■ピアノを弾きながら、彼は絶えず何かしゃべり続けます。片手が休みのときは大きく腕を動かしてまるで指揮をしているかのようです。グレン・グールドと似ている。でも、デビッド・ヘルフゴットは客席に顔を何度も何度も向けながら「どう?、そうだろ、そうなんだよ、そしてこうなんだよ」と言っているかのように口も動かせてピアノを引き続けます。すべてのコンサート活動をやめてレコーディング・スタジオでピアノを引き続けたグールドとそこがちがいます。
■ショパンの前奏曲もノクターンも即興曲も、みんなテンポを自在に揺らして、強弱のつけ方も好きなようにして、でもそれが何の不自然さもないのです。すてきでした。よーくきくと、あれ?…ここはこんな和音じゃなかったはずだよ、ここの装飾音のつけ方がちがう、など、音までも変えてしまっているのですけどごく自然に流れる。音楽が彼の表現そのものなんだと思いました。
■彼の病理はくわしくは知りません。1997年5月4日の中日新聞の『中日春秋』には「精神を病んで入院生活をしたことがある」とあります。彼は今も常動行動があり、精神状態は完全には治っていないのでしょう。音楽が彼の支えの1つになっているのだと思います。http://www.chunichi.co.jp/news2/chu/shunju/9705/970504sj.htm
■翌19日月曜日は、町田市のすみれ会館で音楽療法のセッションをいくつか見せていただきました。すみれ会館は就学前の発達が気がかりな子どもたちの療育を進めています。
■午前中は肢体不自由と知的の重度重複の子どもたちのセッションでした。直径5センチくらいの小さなシンバル型の鐘をやっと動く手でチリンと鳴らしてすごく嬉しそうな笑顔を見せてくれた子、音楽療法士の歌いかけでタンバリンに手を伸ばす子、音楽の力はなんと大きいのだろうとあらためて思いました。療法士の方は特別なことはしませんでした。歌いかけて、待って、子どもからの働きかけを受けてまた笑顔と歌で語りかける…。保育士も子どもの動きを必要最小限支援するだけでした。防音設備が施された静かな部屋で子どもと療法士の対話が続きました。
■子どもがたたく太鼓や体の動きに、療法士がピアノを即興で弾いてやりとりをするセッションもあるとのことです。午後のダウン症の子どもたちのグループ・セッションのリトミックで、そんなやりとりの片鱗を見せてくれました。ピアノの弾き方一つで子どもと豊かなやりとりができるものです。でもピアノを弾く技術以前に療法士の方が子どものことをよくわかっていて音楽の楽しさを共有していることを強く感じました。
■今日20日火曜日は実践女子大教授の中根晃先生の『自閉症の病理』と植草学園短期大学講師の名古屋恒彦先生の『生活単元学習の指導』でした。
■『自閉症の病理』の中根晃先生は医学博士です。医学博士ならではの緻密な医学的分析と教育プログラムの有効性がどう結びつくのか、という未知の部分について先生ご自身の推論を加えるという、私の頭ではちょっと理解し難いところもありました。カオス理論をご存知ですか? 「カオス」「ゆらぎ」「ノイズ」…うーん、勉強しないとわからない。
■午後の『生活単元学習の指導』は学習指導要領の呪縛?から離れたところで、生活中心主義とイデオロギーっぽく言ってしまうと誤解があるかも知れませんが、子どもの生活を大事にするという点でたいへん共感するところがありました。
■今日の講義はくわしい資料がありません。ノートは49ページ取りましたが書いた本人さえも解読困難!
■ところで水越けいこさんをご存知ですか? ♪ほほにキスして そしてさよなら 今度会う時は笑顔で…と歌ってヒットした歌手です。20年前のことです。デビュー前は朝の天気番組のレギュラーで、私はこの頃から知っていてファンでした。彼女の子どもがダウン症で、夫が家を出て行き、車を売って生活費にするような日々もあったとのことです。朝日新聞東京版6月19日(日)で大きく取り上げられていて初めて知りました。今彼女は「コンサートを開いたり、インターネットを通してアルバムを発売したり、徐々にだが活動の場が広がってきた」(朝日新聞)とのことです。検索エンジンで「水越けいこ」でサーチすると100件以上ヒットします。よかったら一度アクセスしてみてください。

久里浜だより23

■今日は2コマの座学でした。午前中の講義でかなりエネルギーを使ってしまったので、午後の講義は半分くらい機械的にペンを走らせているような感覚に陥ってしまいました。終わったらヘトヘトで、部屋に帰ったらいすに座ったまま眠ってしまいました。右手の親指は腱鞘炎なのか、慢性的な痛みがあります。こういう経験はちょっとできない貴重なものなんでしょうね…(-_-)…
■午前中はNISEの重複障害教育第一研究室長の土谷良巳先生の『重度・重複障害児の指導』でした。盲・聾・肢体不自由・知的・自閉などの障害がいくつかある子どもたちの話で、これは自分の勤務校の子どもたちの姿です。
■主体性、自己実現、自己決定、生きる力はスキルとして教えられるのか。スキルならアメリカやカナダの考え方でいくとプログラム化される。でも生きる力ってIEPの長期目標や短期目標にどうやってのっけられるのか。
■困ったときは逆転の発想で、どんな状況におかれたときに主体性が損なわれているのか、と考える。それは、わかりにくい状況、できないことを求められるとき、常に先取りされた状況、共有できない状況で、そんなとき不安と緊張を与え、子どもは受け身の生活となる。こんなときは、制約となっている項目をあげて1つ1つつぶして子どもがどう変わっていくかみる。これは指導の前にやること。(学習以前の問題ということですね)
■ここでアメリカのビデオを見ました。『Getting in Touch ~Communicationwith a Child who is Deaf-Blind~』(盲・聾の子どもと接するためのタッチ・コミュニケーション)です。盲・聾の子どもと接するお母さんや先生のためのビデオとのこと。子どもたちがまわりの状況がわからなくて不安になったり緊張したりしないために、子どもたちに提供しなければならない情報をどうやって伝えるか、というスキルをまとめたものです。(土谷先生は同時通訳+画面を止めての解説付きで私は唖然としてしまいました。)障害がある子どもたちとかかわるときにいちばん大事なことは「個別性」で、ここから考えていく。(例えば「知的障害の子どもたちは…」という発想はない。)そのスキルは自分の勤務校では日常的にしていることでしたが、もっとていねいに子どもたちとかかわらなくてはならないな、と反省しました。
■土谷先生は、カレンダーボックスやオブジェクト・キュー、カードなどの小道具を使って、ネゴシエーションという考えで子どもの主体性を育てる研究を続けてみえます。ネゴシエーションは交渉です。コミュニケーションがうまくいくからといって両者が完全に納得することは限りません。しぶしぶ妥協する、主張しながらも妥協することが多いですね。そんな交渉、対話、やりとり、かかわりが大事で、それを助ける小道具の工夫が必要です。オブジェクト・キューやサインに一貫性をもたせること、選択肢を設けることなどたくさんの内容でした。
■肢体不自由の養護学校の鎌倉養護学校のビデオも見せていただきました。子どもと先生とのあーでもないこーでもないというやりとりは度会養護学校の子どもたちを思い出してしまってテレビの画面に見入ってしまいました。
■土谷先生は障害がどんなに重くても自分の意志を表すことの大事さを最後に強調してみえました。
■午後の講義は立命館大学の望月昭先生の『ニーズのアセスメントと対応~障害観の変遷~』でした。午前中の講義の「選択肢」に「他の選択肢」が選べるものを加えたときの子どもの反応などについて話がありました。「AかBか、もっと他のもの」という具合です。
■『煉獄のクリスマス』が最近日本にあったという話はショッキングでした。乱暴な言い方ですが、問題行動は周囲の人間が事態を難しいものにしていくという実話でした。
■そんな講義の休憩に研修棟の2階のベランダから海を見ていて、ふと久里浜養護学校を見ると、先生が「公開授業」という縦看を門にくくりつけていました。明日は授業参観みたいです。おとなりの研究所には案内も何も来ないのかな? 行けるのかな? 行けたら行きたいのですが、保護者を対象にした参観かも知れません。
■では、また。

久里浜だより22

■久しぶりに晴れました。午後はちょうど体育健康です。もう走るしかありません。
■午前中は東京学芸大学附属養護学校教諭の井上美園先生の『障害児と性教育』の講義でした。
■はじめに話をされたケースが、今の障害観の象徴のように思いました。生活寮で暮らすある女性が勤務先の男性と恋愛関係になりました。ところがその男性には妻子がありました。生活寮では職員がたいへん心配して本人から話を聞き、相手の男性からも話を聞きました。その結果、純粋な気持ちで好きになって不倫していることがわかって、本当だったらやめさせたいが、そうして恋をするのも権利だし、結末で傷つくのはあなたですよ、と話して支援することにしました。不倫を支援する? 応援することではないが、見守っていくことにしたんだそうです。
■午前中の講義が終わったらすぐ洗濯機を回して、その間に食事です。洗濯物を干してちょっと休んでジョギングに出発!今日は横須賀まで行こうと裏山にあるという近道を探したけど見つからずに時間ばかり過ぎてしまって、近場の「くりはま花の国」に行くことにしました。近いので遠回りしました。ずっと上っていくとハーブガーデンがあったので入ることにしました。500円。私はメッシュのランシャツにサイドが開いたランパン、そしてスポーツ・グラスというスタイルだったのでチケット売り場の人にジロジロ見られてしまいました。
■ハーブガーデンに入るとハーブの香に包まれてなんと気持ちのいいことか。サントリーナの白い葉っぱがきれいです。そして「うさぎのしっぽ」というギリシャ語のラグルス。そういえば今はちょうど麦秋だなぁと、明和町あたりの金色に輝く麦畑を思い出しました。おかしかったのはラムズイヤーが「ラムズイヤーズ」と複数形になっていたことです。英語ではそういうのかな? ラベンダーソフトクリームがあったので食べる。300円。淡い紫色のソフトクリームだよ。おいしかった。
■花の国のハーブガーデンはとてもよかったです。ハーブガーデンにありがちな生え放題で荒れた感じはまったくなくて、雑誌の写真のようでした。
■帰ってシャワーを浴びて、宿泊棟のグレ電で障害児教育関係のサイトからデータをHDDにため込んでいたのですが、これがすごい量です。これをプリントするのかと思うと時間とインクがバカにならない。モノクロ専用プリンタしか持ってきてないし…と考えていて、ふと気がつきました。モノクロのプリントといえば研究所のレーザープリンタです。これなら通信もプリントもお金がいらないではないか。なんだ、どうしてもっと早く気がつかなかったんだ、と5時過ぎに研究所へ。
■さあ、プリントしよう…?…プリンタが動かない。プリンタのウインドウで確かめると、だれや、日本ハムファイターズの公式ホームページをプリントしようとしたのは! 障害児教育とどう関係があるんや! そこでプリンタ・エラーになって止まっているではないか。仕方なく別の端末コーナーに行くはめになりました。
■そこで150枚くらいプリントしました。今日はTEACCHを中心に情報を集めました。自閉症のための教育プログラムですね。外国の情報、民間団体での実践、学校での実践、家庭の声、などほんとにたくさんの情報です。インターネットをうまく使えばどこにいても勉強ができるのだ。
■『久里浜だより』購読の方から「構造化」について質問をいただきました。構造化といえばTEACCH、TEACCHについて次のサイトをご覧いただいてはどうでしょうか。
■日本自閉症協会京都支部
http://web.kyoto-inet.or.jp/org/atoz3/ask/index.html
■京都府立向日が丘養護学校の自閉症児の療育アイデア集
http://www.asahi-net.or.jp/~qc3t-msn/zihei.htm
■能代知的障害研究会
http://www.shirakami.or.jp/~sakurada/top.html
■TEACCH:家庭内の構造化の試み
http://www.synapse.ne.jp/~shinji/jyajya/wadai/teacch1.html
(このページをご覧になったらページ下の「表紙にもどる」をクリックしてみてください。自閉症のデータ・ベースです。)
■自閉症関連のリンクのページ
http://www.geocities.co.jp/Beautycare/2812/link.html
■障害児教育用語解説ならこれはどうだろう
http://www.edu-ctr.pref.kanagawa.jp/daini/FAQ/start.htm
■では、また。

久里浜だより21

■やっと雨があがりました。窓を開けて久しぶりに潮騒をききながら部屋で過ごしています。
■昨日は1日中検査検査でした。検査といってもドッグじゃなくて、『発達障害のアセスメント2:演習』で、K-ABC、田中ビネー、WISC-Ⅲ、遠城寺式・乳幼児分析的発達検査、CLAC-Ⅱ、PRS、SM社会生活能力検査、自然観察法、を延々とやりました。その他、紹介だけの検査も含めるとすごい数の検査の研修をしたわけで、1日があっという間に終わってしまいました。
■最後に話があった「AAMRによる診断、分類、サポートシステム」がたいへん興味深いものでした。AAMRとはAmerican Association of MentalRetardation(アメリカ精神遅滞学会)で、またまたアメリカです。
■第1段階として「精神遅滞の診断」をします。1)知的機能がIQでいうと70~75以下、2)2つ以上の適応スキルにおける問題、3)発症年齢が18歳以下、という3つを満たす場合に精神遅滞と診断します。
■第2段階は「分類と記述」です。「知的機能と適応スキル」「心理・情緒」「健康・身体・病因」そして「環境」の諸要素についての「分類と記述」です。コミュニケーション、身辺処理などの項目についてそれぞれ「力(strength)」と「力
の弱さ(weakness)」を記述します。「環境」の項目は「生活環境」「職場環境」「教育環境」そして「最適環境」(自立と相互依存を助け、生産性を高めて、コミュニティへの統合を進める最適環境を記す)です。散文的な記述となるのでしょうか。
■第3段階は「必要なサポートとプロフィールのレベル」で、「知的機能と適応スキル」「心理・情緒」「健康・身体・病因」そして「環境」の各項目について「サポートの機能」「活動」「サポートのレベル」を記入します。「サポートのレベル」とは「一時的intermittent」「限定的limited」「長期的extensive」「全面的pervasive」で、それぞれにくわしい内容が例示されています。
■この「AAMRによる診断、分類、サポートシステム」は、障害の程度を「軽度・中度・重度」などと分類していません。その人の「力(strength)」と「力の弱さ(weakness)」をコミュニケーションや身辺処理などについて記述して、それぞれに必要なサポートをしていこうというものです。根底にはインクルージョンの思想があります。「重度だからここでこれ」というような割り振りとも受け取られかねない考え方とは根本的にちがう、と私は思います。
■今日は午前中が研究討議、午後は講義、夕方は研究討議の続き、夜は文集の編集でした。なんと忙しいことか!午後の講義は筑波大学講師の宮崎信明先生の『脳のはたらきと障害』でした。これは明解な話でした。たくさんたくさん、これでもか、というくらいの情報量でした。話は、新生児、脳性麻痺の仕組み、てんかんの仕組みと薬の知識、ADHDと自閉症についてでした。
■超未熟児(700~800g)のスライドはかわいそうでした。髪の毛くらいの太さしかない腕の血管に点滴の針を入れられて、体には心電図や二酸化炭素などのセンサーが付けられていました。その子が成長したときの写真を見るとホッとしました。でも、反対に小学校6年生で髄膜炎になって重い障害が残ってしまった例もありました。
■脳性麻痺はかつて脚にくる場合が多かったのですが、それはちょうど脚の動きを司るところの脳が発達するときにトラブルがあったからだとのことです。34週、1500gで生まれてくる子どもに多いそうです。しかし今は医学が進歩して34週くらいで生まれてもうまく育ち、脚に麻痺がくることも少なくなって、脳性麻痺もどんどん減って、体全身に重い麻痺がある子どもが残り、また、増えてきているのです。
■脳の発達期のある時期のある場所のトラブルが障害を起こしている。障害は脳が完成する前にこわれて、発達の過程で他の部分が影響を受けて起こるのではないかということです。自閉症は脳の右と左の機能分離が発達の過程でうまくいかなかったことで情緒不安定になっているのではないか、ということも言われてきているそうです。
■てんかんはいろんなタイプがありますね。薬の特徴を知っておくべきだとその説明がありました。また主治医と学校の連絡で使っている例をコピーさせていただきました。
■てんかんの子どもはプール水泳をさせない、するんだったら親がプールサイドで見ていること、としている学校があります。でも、プール水泳の途中は大きな心配はないとのことです。脳の働きを抑制するシステムは興奮しているときに強く働くので、脳の勝手な暴走(てんかん)を起こさせにくくするからなんだそうです。そうでない場合、興奮していときに発作が起こりやすい場合もありますからプール水泳は医師の判断によります。
■てんかん発作がこわくて学校行事に参加しないことは子どもの発達にとってマイナスになるので、プール水泳に限らず、修学旅行などへの参加も、投薬の指示をきちんと守っているか、家族が参加を強く希望しているか、などの条件を整えている病院もあります。
■ADHDがリタリンという薬で改善されるという話は前に書いたように思います。でも薬に頼るだけでなく、刺激を少なくする、友だちとうまくいくように配慮するなど教育的アプローチも合わせて行って医療と教育が融合してうまく乗り越えさせることが大事。
■では、自閉症はどうかというと、今のところうまくいってない、つまりいい薬がないんだそうです。TEACCHプログラムなど教育プログラムしかうまくいかない、という医師もいるようです。
■宮崎先生はずーっと喋りっぱなしでしたがまだまだ話し足りないと言ってみえました。もっともっと教えてほしかったけど半日3時間ではこれが限界か、残念!

久里浜だより20

■金曜日から日曜日にかけて自宅に帰っていましたのでご無沙汰してしまいました。
■家に帰ったらハッピー(猫)のお腹が大きくなっていて、なんと、日曜日の朝、4匹の子猫を産みました。子どもは大喜び。ハッピーはぐったり疲れていました。ハッピーはグレーのトラです。子猫もみんなグレーっぽい。養子先募集しまーす!
■9日金曜日の午前中の講義は大阪工業大学教授角田禮三(かくた…)先生の『交流による教育』でした。角田先生は養護学校の校長で定年まで3年を残して退職されたとのこと。したいことがあったから。それはボランティアです。ちょうど阪神大震災が起こって馳せ参じた。そうしてボランティア三昧の人生を楽しんでいたら大阪工業大学から声がかかって、若い人たちに自分の考えや体験を伝えたいと大学の先生になる。奥さんと娘さんからは「おとうちゃん、すじがとおらん!」と大反対されたそうな。講義にだんだん熱が入ってくると大阪弁でえらい勢いでしゃべるのでおもしろい。吉本や!(ご本人がそういうとる) 講義そのものの内容もよかったです。最後に涙が出ました。
■角田先生は「生きる力」とグローバル(地球規模)な考え、そして子どもも先生も自分で動いて体験することの大事さを強調してみえました。
■角田先生がスコットランドの養護学校に行かれたときのことです。子どもたちが電卓を持ってスーパーに買い物に行きます。「これは安いけど傷みが激しい。賞味期限をよく見なさいよ…」と消費者教育を実地でして、子どもたちは欲しい物の金額を電卓に入れて買えるかどうか確かめてからレジで支払う。さすが生協発祥の地や、と感心。しかし、「電卓つこたら計算することおぼえやへんのとちがいまっか」と聞いたら、その学校の先生が「ちょっとちょっとみてみ、あの子、そろそろ計算できそうや。こんど来るとき電卓にカラの電池入れとくんや。それで、さあ、買い物やいうときに、あっ、電卓が使えん! そんなこともあるやろ、だから紙の上で計算もできやなあかんのや、と勉強するんや」と言ったそうな。大笑いしてしまいましたが、日本はどうや? 1対1で一生懸命九九覚えた、けど使えん…69人の研修員はシーンとしてしまいました。
■角田先生は知的障害の養護学校と通常の学校との交流に関わってみえます。交流にポランティアを組み込んでいます。養護学校と通常の学校の子どもたちが力を合わせて計画と準備をして老人ホームに行き、障害がある子もない子もともにボランティアをします。このあたりの話は細かいので省略!(角田禮三編著の『ランティア教育のすすめ』明治図書\2060にくわしい)
■OECD(経済社会改革機構)の「21世紀に向けて求められる教師の資質能力」をご存知ですか? 私は知らなかったんですが、7つの資質能力の4番目に「障害児を指導する力量をもつこと」とあるとのことです。世界中のすべての教師にその力量が求められています。言われてみれば当然なことですけどね。あとの6つの資質は「先生たちよ、自分の言葉で語れるか?」というようなもの、だと私は受け取っています。
■この講義のノートを読み返すと話があちこち飛んで字が乱れ切って読みづらい。そういえば話がよくあちこちした講義でした。
■最後に知的障害の養護学校の子どもたちが坂本九さんの『見上げてごらん夜空の星を』を手話入りで歌って交流相手校の子どもたちがびっくりしたというエピソードを紹介していただきました。私たちも手話入りで歌いました。ふだんボランティアを受ける側になりがちな子どもたちが、ちがう障害をもつ人とのコミュニケーションの手段である手話で歌う、というその「文脈」に、そして坂本九さんのあったかい歌声に、ホロッとしてしまいました。とてもよかったです。詞も曲もいいですね。(よくできている曲なので私は「クリシェ」という伴奏パターンの練習に使っていました。だからなつかしい。)みなさん、子どもたちと手話で歌いませんか!
■金曜日の午後は東京学芸大学名誉教授の山口薫先生の『発達障害児と学校教育』という講義でした。山口先生はまた「文部省学習障害及びこれに類似する学習上の困難を有する児童生徒の指導方法に関する調査研究協力者会議主査」という肩書きももってみえます。これってずいぶん長ーい名前です。この会議は結果発表までになんと7年もかかっています。「名は体を表す」といって笑ってはすませられない時間のかかりようです。
■講義はLDの子どものセッションの記録ビデオやイタリアのインクルージョン教育のスライドも見せていただいて、また、ポーテージプログラムの紹介もあって3時間があっという間に過ぎてしまいました。山口先生は日本ポーテージ協会の会長でもあります。ビデオのセッションはうまくいった例とはいえ子どもは劇的な変わりようでした。
■金曜日の2人の講師の先生もイギリスやアメリカ、イタリアなどで障害児教育のようすを実際に見てたいへんよかったと話をされていました。またある講師の先生は「自分の子どもが障害もっていたらアメリカに住まわせたい」と言ってみえました。私のノートにはその前後に「これは教育の問題だけではない。文化etc…」「アメリカでできることは日本でもできるんじゃないかな」というメモが残っています。がんばろう!
■今日12日月曜日の午前中は京都市立西養護学校教頭の朝比奈覚順(あさひな・がくじゅん)先生の『高等部教育と進路指導』でした。朝比奈先生も話に熱が入ってくると関西弁でまるでケンカ腰の講義となってきます。事実、学校でも教委でもよくケンカなさったとか…。お名前からしてどこかお寺のご住職かな、左手首には念珠もある…がっちりした体格だし昔なら僧兵だな、とここだけの話だよ(^_^)
■朝比奈先生は「養護学校生徒の進路開拓をめざす・巣立ちのネットWORK」を創設された方です。朝比奈先生に限らず、進路関係の講義の先生方は「みなさんは卒業生がどうしているか、どんなところで働いているか、知ってますか?」と必ず問いかけをされます。高等部だけではない、小学部も中学部も子どもたちの進路を知っていなければ今どうあるべきかわからない。私にとってこれは課題です。
■午後は旭出学園教育研究所研究員の服部美佳子先生の『発達障害のアセスメント1:理論』という講義でした。明日は実際にさまざまな検査の演習です。
■この日曜日にインターネットで障害児教育や障害がある子どもの親のホームページをたくさん見ていました。目の前の子どもがいちばん大事なんですけど、ときにはホームページの親の声に触れることも大事かな、と思いました。
■『久里浜だより』にたくさんメールをいただいてありがとうございます。お返事が書けなくてごめんなさい。今夜もごめんなさい。