月別アーカイブ: 2004年11月

ブラック・ジャック

■スクールバスの添乗で往復100キロを立ちっぱなしで乗ってまた椎間板ヘルニアがおかしくなりました。この仕事はハードです。ひとりで十数人のお子さんのサポートをするのも責任が重い。今日添乗したのは山間部のコースで、色づき始めた木々の葉が晩秋のやわらかな陽にキラキラと光る車窓の風景はとてもきれいでした。
■昼休みに音楽を聴くのが好きなお子さんがクラスにいます。今日は初めて鍵盤ハーモニカを吹いてみました。近くにあった楽譜は横須賀に単身赴任していたとき東京銀座のヤマハで買った思い出の『アドリブ・メロデイー付きB.G.M.のすべてベスト348』(全音)で、その中から、「魔女の宅急便」から「晴れた日に」、リード楽器なので「パリの空の下」、ヴァイオリンの「タイスの瞑想曲」、山下達郎の「クリスマス・イヴ」、ドリカムの「LOVELOVELOVE」、松田聖子の「瑠璃色の地球」と、なんでもありのミニコンサートです。鍵盤ハーモニカは息で吹く楽器なのでアーティキュレーションが表現しやすくて意外にダイナミックな音楽になります。そのお子さんは私の鍵盤ハーモニカに気づくと少しずつ寄ってきてくれて、鍵盤ハーモニカに手を添えて、頬もすり寄せて、私が楽譜をめくって次の曲を探していると「早く弾いて!」と私の手を鍵盤に持っていきます。私はその積極さに驚きました。CDやキーボードのデモを聴くときとはちがう姿です。生の音楽はやっぱりすごいものだとあらためて実感しました。
■「瑠璃色の地球」はレコード全盛期に買ったアルバム「SEIKO MATSUDA SUPREME Sound Portrait」(1986 CD:SBS/SONY32DH518)で知りました。平井夏美の曲も三枝成彰のアレンジもすばらしい。これはただ事ではないと、松田聖子の歌を聴きました。松本隆のリリックもすごくいい。その後CDで買い直してずっと聴き続けています。
■新聞のテレビ番組のページを見ていたら「ブラック・ジャック」を見つけました。あわててチャンネルを換えたけどエンディング曲でした。「ブラック・ジャック」は私の好きなアニメのひとつで、このコミックを読みたいがために漫画喫茶に通いました。彼の生き方は胸のすく思いがします。彼は“孤高の人”だけどピノ子と暮らしています。そのいきさつはさておき、と思いながらも、そのわけありのいきさつはこのアニメの文脈のひとつとなっているように思います。手塚治虫はなぜこのシチュエーションにしたのだろうと思い巡らすことがあります。テレビのエンディングもピノ子が主役です。心理学的考察をしてしまいます。

冬支度

■土曜日、松阪大学短期大学部開学40周年記念の講演会とフォーラムに行きました。講演は香山リカさんの「心を伝え合うということ~精神科医の現代コミュニケーション考~」で、キーワードは「自己肯定」でした。障害児教育の現場で私が今いちばん価値ある概念ととらえているのがセルフエスティームで、セルフエスティームとは自分が価値ある存在であると感じていること、自分自身に対して肯定的な感情をもつことです。香山さんも精神科医療の臨床で同じ問題意識を感じていました。言葉で伝えることの意味と難しさに対するとらえも共感するところでした。
■続いて卒業生がパネリストのフォーラムでした。テーマは「地域とともに明日を拓く」でした。パネリストは各方面の第一線で活躍しているだけあって言葉にパワーがありました。学生たちはそのパワーをしっかり受け止めているようでたいへん価値ある企画と思いました。地域とともに…ポコ・ア・ポコも学校という枠組みの外で地域の資源となるべく歩んでいます。音楽療法で地元の大学と協働したいとあらためて思いました。
■少し前にお気に入りの革ジャンが裂けて着れなくなったので替わりを買いに行きました。やはり黒の、でも、今回はポリエステルの表地にフリースのライナーという組み合わせのジャケットにしました。一見ハーフコートですがフードにフェイクファーが付いていてこれが気に入りました。靴は黒のワークブーツの手入れをして明日から冬の装いです。ジーンズは年中同じ(^_^);
■コニカ・ミノルタ初のSLRデジタルカメラが発売です。老舗カメラメーカーで最後発といえるカメラです。それだけに魅力的な仕上がりです。ボディにアンチシェイク(コニカミノルタの手振れ補正システム)を組み込んですべてのレンズに手振れ補正が効くようにしたところがすごい。APSサイズの600万クラスですが手振れの影響が極めて少ないのでそのクオリティは抜群に高い。35mmf1.4などの名レンズが大型三脚なしで実力を発揮できるこのと価値はすごく大きい。これは売れるだろうな…αレンズの充実がカギを握っているのだけど!

音楽と哲学

■日曜日に近くの小学校の文化祭に行ってきました。3年生が「A Whole New World」を歌うのも関心がありました。この曲はニューヨーク大学のノードフ&ロビンズ音楽療法センターのセッションでもよく使われるとのことです。フレーズの終わりがなかなか来そうにない旋律の上がったり下がったりという繰り返しが発達障害がある子どもたちの心情に共感をもたせるのではないかとのこと。(船橋音楽療法研究室主宰の濱谷紀子さん談) 文化祭で子どもたちは日本語で歌っていました。伴奏の生ピアノの音楽性も高く、私は聴き入ってしまいました。
■名古屋の弦楽器店シャコンヌから展示会のダイレクトメールが届きました。夜、ふと、ヴァイオリンが聴きたくなってCDの棚を探りました。ヴァイオリンは学生オーケストラから弾いてきたので思い出も思い入れもたくさんある楽器です。今夜はちょっとノスタルジーに浸ってしまいました。
■京都教育大学管弦楽団でヴァイオリンを弾いていた頃、大学の先輩で大阪フィルの長尾正さんが演奏会などでいっしょに弾いてくれました。彼のヴァイオリンはオーダーメイドの“ニュー”で、ボディは薄く、彼の指に合わせてネックは細く作られていました。明るい色のヴァイオリンでした。チャイコフスキーの交響曲第5番を練習していたときそのヴァイオリンの音はつむじ風のように私を巻き込みました。音が空間に波を起こしていました。音が空気の振動で伝わることが目に見えるような圧倒的なパワーを感じました。彼の十八番はパガニーニです。演奏会後に酒を飲みながらヴァイオリンの話をしていて、「哲学が合う」という話がありました。ヘンリク・シェリングはバッハと「哲学が合う」、僕はパガニーニと「哲学が合う」というのです。弾いてみて初めてわかることだと思いました。哲学専攻の友人は「哲学とは思い切る原理」と私に話しました。哲学は自分自身の存在の理由といえるでしょう。楽器を奏さなくても音楽は哲学として私たちに生き方を問うものだと思います。
■急に寒くなって野球のスタジアムジャンパー?を着ています。肩周りがとてもゆったりしていて思わずピッチ&キャッチのモーションをしてしまいます。マラソンのアップにも使える。快適そのもの! でも、暑い!

スヌーズレン

■勤務先の養護学校の文化祭でブラック・シアターとスヌーズレンの空間をクラスの企画として作りました。準備が慌ただしい前日の夕方、スヌーズレンの道具をすべて点灯したとき、教室は私にとってこの上なくやさしく安心できる空間になりました。人工の環境なのにどうしてこんなにも落ち着けるのだろうと、スヌーズレンを体験するたびに思います。「スヌーズレンは、治療方法や教育プログラムではありません。障害を持つ人が感じ取りやすく、楽しみやすいように、光、音や音楽、いろいろな素材の触れるもの、香りなどの刺激を揃えた環境を作り、提供します。障害を持つ人との活動で、介護者は治療効果や発達を一方的に求めず、障害を持つ人の人や物への対 応の仕方をありのままに受け入れ、共にその場を楽しみます。」(日本スヌーズレン協会) スヌーズレンは障害がある人のためだけのものではないと思います。そこはがんばらなくていいところ、自分の感じ方を確かめられるところ、美しいものを美しいとストレートに感じ合えるところ、誰にとっても大切な空間ではないでしょうか。セルフエスティームを育み支える空間です。
■文化祭では音と音楽の持つ力の大きさと意味についてあらためて考えました。障害がある子どもたちにとって環境を整えることはとても大切です。音もそのファクターのひとつです。体育館などの音響システムに発達障害の子どもたちが認知しやすい音と映像の環境を構築し、子どもたちの感覚の統合を効果的に支援するための機能をもたせたいと考えています。その第一歩は視覚的に注意すべき方向から注意すべき聴覚情報が聞こえてくること、そして、その質を高めることです。そうして環境を認知する力を高めることは自分自身の存在を確かめ、認め、セルフエスティームの育ちをバックアップすることにつながります。
■音というとNHKのかつての効果部主任、織田晃之助さん抜きには語れません。1980年頃のNHK特集の効果音はとても印象的でした。ひとつの音で映像が語り出すのです。ときには悲惨な場面もありました。ときには幸せな場面もありました。私は幸せを感じる音が欲しい。誰もが幸せを感じる音が欲しい。昨日、同僚から「音楽の時間に使う、ぎゅーっと子どもたちを包み込むような音楽が欲しい」と相談がありました。私の提案はシルヴァ・マクネアー&ダニエル・コビアンカの「アンチェインド・メロディ」です。至高の空間を感じます。

音楽運動療法で医学博士号

■音楽運動療法開発の野田燎さんが医学博士号を授与されることになりました。野田燎さんは大阪芸術大学教授で音楽家です。音楽家への医学博士号授与は珍しく、音楽運動療法での医学博士号も初めてです。これは画期的なことです。トランポリンでクライエントの体を揺さぶりながら生演奏を奏でて脳を刺激する治療、その音楽運動療法がEBM(Evidence Based Medecine)と認められたということととらえています。私は野田燎さんの模擬セッションを体験してそのパワーを実感しています。トランポリンの上下動に音楽が組み合わさったとき世界が一変しました。音楽のパワーはすごいものがあります。音楽にできることはもっともっとある、そう思います。私が音楽療法に一歩を踏み出したのは野田燎さんの音楽療法を取り上げたNHKの番組「トモくんがしゃべった~音楽運動療法の挑戦~」が大きなはずみでした。
■月曜日は海辺の小学校に1日出張をしていました。時ならぬ雷鳴と俄雨に灰色の空を見上げました。曇り空でしたが空は広くてすがすがしい気持ちになりました。そこに毎日がある子どもたちのなんと生き生きとした笑顔! なんとしても守りたいものがそこにもありました。
■勤務校の文化祭(11月13日土曜日)で私のクラスはブラックシアターをすることになりました。ナレーションと音楽の編集はやっぱりパソコン頼みです。録音はMDです。テープの編集で悪戦苦闘していた頃がうそのようです。デジタルのパラダイムは画像と音響に文字通り革新的な変化をもたらしています。ポコ・ア・ポコの音楽もデジタルプレーヤーを使おうかとあれこれ品定めをしています。
■夜、探し物をしていて見つけたMDを聴いてみたらプロコフィエフの「ロミオとジュリエット」でした。これも秋の音楽と思いました。

秋の音楽

■11月の日曜日のポコ・ア・ポコは19家族のみなさんに来ていただきました。雲ひとつない秋晴れの暖かい中、ポコ・ア・ポコに来ていただいて感謝しています。今日は小さなお子さんたちが多くて私の目線も低くなりがちでした。フラップバルーンも低いところで波打ってふたつのボールはずっと仲良く散歩をしていました。
■日曜日のポコ・ア・ポコを始めて1年と半年が過ぎました。ミュージック・ケアのエッセンスをわかりやすく説明するポコ・ア・ポコのパンフレットを制作する時がきています。本質は変わらなくても情報発信を常に更新しなければ輝きを失ってしまうように思います。
■朝日新聞夕刊に「デジタルカメラ最前線」の連載が始まりました。1回目は「パノラマの達人 高度な合成で『新世界』」です。新聞の印刷でも目を引く精緻な画像です。EOS D30のデータ不足を合成で補うためのソフトはD30に同梱されていて合成そのものは今更というものですが、ここまできれいにまとめられると目が釘付けになります。作者のPECこと杉浦さんのサイトを見ると圧巻です。カメラはCanon EOS D60とのこと。ディストーションや色調をどうやって調整するのか興味津々です。
■ディストーション(歪曲)の修正は私もフリーソフト“ImageFilter”であれこれ試しています。前回アップの天井の写真はFinePix 4800Zで撮りました。ディストーションがすごい! 少しでも直らないかと試してみましたがここを立てればあちらが立たずという具合で無難なところがこれ…ソフトの使い方のコツがいまひとつわからない。それともコンパクトカメラの限界なのか? D30で撮った写真のディストーションの修正はけっこううまくいきます。うまくいかないときは写真を撮ったときの被写体とカメラの位置関係に問題があったときです。いちばんむずかしいのはフラットな壁を真正面から撮ることです。写真はシャッターを切る瞬間がいちばん大事なことはデジタルでも同じです。
■この頃またいろんな音楽を浴びるように聴いています。先日、ベートーヴェンのピアノリサイタルに行きましたが、休憩中にプログラムといっしょにもらったチラシを見ていて小澤征爾が振るラフマニノフのピアノ協奏曲3番のコンサートを見つけて頭の中はホロヴィッツが弾くライブが鳴っていました。秋から冬にかけてラフマニノフやチャイコフスキーをよく聴くようになります。

白い天井の青い光

■新しく開院する病院の内覧会に行く機会がありました。そこは心臓病専門の病院で検査機器などは最新のものをそろえています。検査や治療のようすは別室に中継されて家族は説明を受けながら見守ることができます。建物はピンクにハートのマーク、内装は白と明るいオークの壁と床、手術室は淡いグリーン、どのベッドにも外の光が届き、ナースステーションの天窓は不思議なブルーでした。白い格子の向こうには空が見えるだけ…どうしてこんな色になるのだろう…
■今夜はギドン・クレーメルのバイオリンでバッハの無伴奏パルティータを聴いています。静かな夜です。