月別アーカイブ: 2004年7月

手話の文化

■三重県立盲・聾・養護学校教育実践研究大会で有限会社手話文化村代表取締役米内山明宏さんの講演を聴いて胸のすく思いがしました。ぼやっとしていたことがすっきりした感があります。演題は「理想の教育とは?~現実とのギャップをどう考えているのか~」です。
■2月にシンボルコミュニケーションのブックを作っていて、シンボルの選択と配置に文法のちがいを感じました。日本語の文法とはちがう文法があるのではないかということです。やはり視覚によるコミュニケーションである手話はどうなのだろうと考えてしまい、インターネットで検索して龍の子学園を知りました。そう、龍の子学園は米内山さんが設立したフリースクールだったのです。
■文法がちがうということは意思決定のプロセスと背景、文脈がちがうということです。文化がちがうのです。文化のちがいを知ることは自分の文化を知るということ。自分の文化を知って愛することはちがいを認めることにつながる。セルフ・エスティームの育ちが大切なのだ。聴者の文化を自ら愛する者が聾の人の文化も尊厳も認め得るのではないだろうか。自閉症スペクトラム障害も同じです。
■米内山さんが描く「理想の教育」へのプロセスは「教育はみんなのもの、オープンにみんなで語り合えるものであってほしい」ということ。学校は壁を作っている…そのことをまた指摘された。
■障害児の松阪サマースクールでピアノを使って私の指が昂ってくるのがわかりました。ピアノといっても電子ピアノですがアクションはハンマーアクションです。ピアノはいいなぁと思いました。

ユニバーサル・デザインの音楽

■昨日から夏休みのポコちゃんが始まりました。午前は松阪市療育センターのお子さんたち、午後はいつものポコちゃんです。親子でいっしょに楽しんでいただけるひとときになればと思っています。午後は11家族26人のみなさんに来ていただきました。
■勤務先の養護学校の運動会で使う音楽の選曲をしています。集ったみんながひとつにつながれる音楽…アバやクイーン、そしてハワイアンなども聴いています。SMAPや槇原敬之、往年のヒット曲からも探しています。ユニバーサル・デザインの音楽を探しています。鼓舞してがんばれ!とは言わない。あなたの気持ちわかるよ、そうだね、そんなこともあるね、私でよかったらいっしょに考えさせてくれない? あなたはひとりじゃないよ。そんなメッセージのある曲です。シチュエーションは何でもいい。いっしょに歩いて行こうというプラス思考のメッセージが感じられることが大事。そして、その音楽をどんな場面でどのように使うのか、その場面設定と演出が私の責務。
■私が長生きして音楽療法のキュアとケアを受ける時が来たとき、私はどんな音楽を求めるだろうと考えるときがあります。私はありきたりの童謡や演歌で癒されはしない。クラシックやロック、ジャズでアイデンティティーを感じる。それがわかる音楽療法士が育ってほしいと思っています。童謡や演歌を否定はしない。音楽の機能を理解して使ってほしいと思うのだ。音楽を聴いて癒される前にドキドキわくわくしたい。私は扱いにくいやっかいな年寄りになりそうだ。ロックバンドはどの年代でもやっかい者だろうね(^_^);;;

夏休み!

■ほとんどの学校が夏休みに入りましたが私の勤務校は昨日24日土曜日から夏休みに入りました。夏休みのポコ・ア・ポコは明日からのスタートとなります。年々忙しくなって今年は5回だけになってしまいました。夏休みのポコちゃんは3年目です。1年目はクラスの子に頼んで来てもらって2家族でスタートしました。翌年の5月から日曜日のポコちゃんを始めました。いつまで続けられるかわかりませんがポコ・ア・ポコは私の文脈の中にしっかり根を下ろしています。来ていただいているみなさんにとってもそうであってほしいと思っています。
■昨日は三重県いなば園第4回音楽療法セミナーに行ってきました。土田玲子先生の「感覚統合と音楽療法」です。視覚と前庭覚との関係や自閉症の人たちのものの感じ方などたいへん共感する内容でした。アメリカの自閉症の子が14歳でタイプライターを打つようになって書いた詩が紹介されました。「生きたまま墓石の下にいるようなもの 叫んでも声にならない」 これが発達検査でIQが20台という最重度の子の言葉である。自閉症の子がいかに低く評価されているか、理解されないでいるかということを思い知るべきだ。自閉症の子の心の声に心を傾けるべきだ。
■障害がある人との関係のいちばんの課題はコミュニケーションだと考えます。「言いたいこと言っていいんだよ」「言えば伝わるよ」というメッセージを伝えることが障害児教育に携わる者の責務である。もちろん「言う」といっても音声発語だけでなく身振り手振りやシンボル、VOCAなどを含めたAAC(拡大代替コミュニケーション)、伝えるための手段をきちんと提供してのこと。ニーズに応じた適切なコミュニケーションの手段を提供することはコミュニケーションに自信をもたせてあげること、伝えてなんぼの結果をきちんとわかってもらって言いたいことを言おうと思ってもらえること。そのためにはその人のものの感じ方を理解することがはじめの一歩だ。一方的な思いやりや先入観ではなくいっしょに感じ合うこと。いっしょに何かを探すこと。それがひとりひとりが生きるということではないのだろうか。
■講演を聴いているうちにサックスが吹きたくなってきました。家に帰って久しぶりにサックスをケースから出しました。
■『ライカ通信№11』(枻出版社2003)を見ていていいなぁと思って買ってしまいました。カメラそのものよりもライカで撮った写真に惹かれた。モノクロは滑らかなグラデーションが、カラーはコダクロームのようなコクと透明感が写真に深い陰影を与えています。

夕焼けに幸せを感じて

■7月の日曜日のポコ・ア・ポコは19家族のみなさんに来ていただきました。大勢でしたがとても落ち着いた空間で、いつもよりゆったりと長めのセッションとなりました。子どもたちもみなさんも参加のかたちはそれぞれでポコ・ア・ポコの空間にいっしょにいてくれることを嬉しく思っています。でも、みんな、こんなにいい子でいいの? がんばり過ぎてないの? そんなこともふと思いました。
■金曜日、日曜日のポコ・ア・ポコを前にグッズの点検をしようと車から全部降ろしました。そもそもFFのワゴンのリアオーバーハングに荷重がかかる使い方は酷なものだ。荷室がからっぽになったらなんと軽く走ることか! 加速は速いしブレーキもよく効く。コーナリングは車との一体感があります。ミッションも2-3は手動でシフトして引っ張る。4,000~5,000rpmオーバーのエンジンの音が心地いい。フィールダー購入のときディーラーでマネージャーをしている友人からMTにしないのか?と言われた。そうしておけばよかったと今頃しみじみ思うのだ。次の車は操って楽しいスポーツカーにしたいもの。NHKの「プロジェクトX」でマツダのル・マン総合優勝のときのメカニックがマシンのエクゾーストノイズを「ミュージック」と言っていたことを時々思い出します。
■土曜日にNHK-ETVで「土曜フォーラム」「ともに学びともに育つ~『軽度発達障害』の子どもたちの教育~」が放送されました。文部科学省特別支援教育課柘植雅義さんは国立特殊教育総合研究所の研修で指導してもらって懐かしく思いました。彼が最後に言った言葉は私がいつも話していることで意を得たりの感があります。「いよいよ特別支援教育が全国で始動していきます。それを期待して待っているだけでなく、外野から見ているのではなくて、みなさんにできることは何かということを考えていただいて、できるところから具体的に行動していただくと、みなさんのお住まいの地域の特別支援教育はより早くより質の高いステージに達するのではないかな、と思います。」地方分権ではなく地方主権という発想、ひとりひとりが動かなければ道は切り開けないと思うのだ。新宿区柏木小学校教諭井上薫さんの言葉も現場の声として共感するものがたくさんありました。
■夕焼けを久しぶりに見ました。綿菓子をちぎったような雲が夕陽にあかく染まって、でも、空は青くて、鮮やかなきれいな空の色でした。見ているとなぜか幸せな気持ちになっていました。

夏の準備

■曽根富美子・森口奈緒美『この星のぬくもり 自閉症児のみつめる世界』が8月に復刊されるようです。出版社はぶんか社とのこと。(復刊ドットコム『この星のぬくもり』のページ) この本についてネットで調べたのは副題の「自閉症児のみつめる世界」という言葉を思い出したからです。みなさんどんな読み方をしているのだろうと…。この本は自閉症の子たちのものの感じ方を視覚的に教えてくれます。
■仕事で子どもたちの写真を撮っています。学校生活のアルバム用です。自閉症や感覚の入力と処理に課題のある子たちは視線が合わないことがよくありますが、私は子どもたちの視線の行方を追って、何を見ているんだろう、何が好きなのだろうとよく思い巡らします。それは、たぶん、キラキラするもの、すき間から差し込む光、薄暗い廊下の天窓から漏れる光、紙に反射する光、小さなやさしい光、物理的角度では測れない視野の狭さ…私が撮る写真もいつしかそんなシーンが多くなってきました。ピントがバシッと合って解像度が高くてカリカリしていてコントラストも高くて鮮やかな色彩、そんなレンズの優等生みたいな写真は刺激が強過ぎると思うことがあります。
■レンズにはそれぞれ個性があって好みで使われるものです。ロシアのLOMOやライカのレンズで撮った写真にノスタルジーを感じるとき、もしかしたら自閉症の子の感じ方になっているのかも知れません。私は今キャノン使いなので、そうですね、EF50mmF1.4をF1.4~F2で撮るとそんな感じかな? 危ういくらいボケがきれい。D30で撮るとなおさらです。
■視覚的色彩ははっきりしないのがいいのですが、音楽の授業ではビートがはっきりした音楽を使います。ピアノもリズムのゆらぎを大事にしながらビート感をはっきりさせて弾きます。もちろん音色はやわらかなものを選びますが、音楽の三要素のリズム、メロディー、ハーモニーではリズムがいちばん大事です。リズムは心臓の鼓動であり脳のパルスです。
■古いのを騙し騙し使っていたメガネをやっと買いました。イタリアのデザインだと思う。買い物で迷っているときちょっと背中を押してくれる人がいると心強い。真っ白のナイキのスニーカーも調達してこの夏の準備ができたような気になっています。POCO A POCOというロゴのプリントのTシャツを見つけました。これも白!

サハラ砂漠の砂

■朝からウォーターマンの万年筆、エキスパートCTが届いて早速サウスシーブルーを入れてみました。あれ?色がちがうではないか。タクトゥールはやっぱりフロリダブルーがペン内に残っていて混ざっていたのだ。エキスパートで書くサウスシーブルーは鮮やかだ! 南の海の色だ。エキスパートのニブのサイズはM=中字で日本語を書くにはかなりの太めといわれますが漢字もおおらかに書けていい。フランクリン・コヴィーの紙質はサウスシーブルーとの相性もよくてすらすら書けてすっと吸うけど滲まない。これを文化というのだと思う。和紙と墨との関係と同じだ。そして、ブラスベースのずっしりと重いエキスパートはどんな字をどんなふうに書いてきた人たちを想定してデザインされたものだろうかと思うのだ。ネットショップに「砂漠の砂紋をボディに書き出したようなモダンなデザインは、神秘的な光沢を放つメタリックラッカー仕上げ。」とある。砂漠の砂紋のボディから南の海の色のインクがさらさらと流れるのはミスマッチかも知れない。でも、砂漠のイメージは嫌いではありません。
■東京の書店でサハラ砂漠の砂を買ったことがあります。赤っぽい細かなさらさらとした砂が5センチくらいの試験管みたいなガラスの容器に入っていてコルクの栓がしてあります。鞄に入れてずっと持ち歩いていた時期がありました。エキスパートはブルーです。夜の砂漠はこんなこんな感じなのだろうか…。「アラビアのロレンス」やインディー・ジョーンズのシリーズに代表される「第三世界」への欧米のベクトルは心理的にどう説明されるべきものなのだろうと考えるときがあります。
■木曜日の帰りに書店に寄ってサーフィンとオートバイの雑誌を買いました。先週には自転車の雑誌を買って、昨夜はクラプトンのCDを買いました。これまで、これをしないと、人生、後悔をするだろうなといろいろしてきました。オートバイもトライアスロンも音楽療法もそうですが、サーフィンはまだしたことがありません。椎間板ヘルニアがあるのでちょっとむずかしいかも知れません。
■三菱自動車のCMで「愛しのレイラ」の冒頭を聴いて、なぜかこれはエリック・クラプトンだと思いました。ところが私はクラプトンをよく知らない。CDで全曲を聴いて後半のピアノの部分があることも初めて知ったくらい。でも、そう思った。これはエリック・クラプトンだと。

サウスシーブルー

■私が使っているフランクリン・コヴィーは7月始まりで、今回はモンティチェロのデザインにしました。ネイビーのマーブル模様がブルー系インクにマッチするように思ったからです。リフィルの日付文字とページ内側のラインがゴールドで、バインダーの金具のゴールドとよくマッチします。
■そのインク、サウスシーブルーが今日届きました。私の手持ちのウォーターマンはタクトゥール・ライト・ソフトのブルーです。2000年の8月に買ってフロリダブルーを入れていましたがインクが固まりやすくてほとんど使いませんでした。ペンからフロリダブルーを完全に抜こうと白い陶器に水を入れてペン先を入れておくと濃いフロリダーブルーがゆっくり流れ出します。何回水を換えても底に濃いブルーの層ができます。10回目くらいにやっと水がきれいなままとなってサウスシーブルーを入れました。色はブルーというよりターコイズかな…でも好きになれそうな色で、しばらくこのまま使います。
■私が万年筆を使うのは書きやすいからです。そして、万年筆で書いているとちょっと深い想いで時間が過ぎてゆくように感じるから…
■今日の朝日新聞朝刊の一面の真ん中に青いバラの写真がありました。サントリーが遺伝子技術で開発したとか。ブルームーンに似た色合いですがもっと濃い印象です。「丹精の薔薇を切る園丁の瞳を」(村松英子「欲しい」より)私も欲しいものだ。