月別アーカイブ: 2004年9月

NPO(04/9/27)

■伊勢市役所に内閣府国民生活局制作の小冊子「暮らしの課題とNPO~地域の一員となるNPO~」があって1部もらってきました。学校というパラダイムだけではなくポコ・ア・ポコを始めて私の何かが変わりました。「風の花束」の歌詞「いいこと ありそう/なにかが できそう/だれかにおしえたい/みんなにわけてあげたい」(作詞:中田有博)に惹かれるのはそれが今の私の気持ちだから。「風の花束」みたいに世界で一番早起きしたら…もちろん比喩だけど何かが生まれそうな気がする。それは何なのだろうと思っています。NPOもひとつの選択肢と思う。この冊子のネーミングがまた私の興味をくすぐる。
■今日は振替休日で昼は伊勢の“まめや”で食べました。伊勢うどんの老舗です。80年前からずっと今のところでうどん一筋です。伊勢うどんといえば私は“まめや”です。その太くてやわらかいうどんは麺とはよべない。すごい存在感で“うどん”そのものとしかいいようがありません。汁もほどよく濃厚でネギと一味を入れると伊勢育ちの私はノスタルジーに浸ってしまいます。
■FinePix4800ZのバッテリーチャージャーをYahooのオークションで調達しました。送料や手数料を入れても市価の1/3程度です。予備バッテリーはバッテリー専門店のウェブサイトで購入しました。NP-80系のバッテリーはコダックや京セラのデジカメでも採用されていて、また、バッテリーの容量も何種類かあって裾野の広さに驚きました。

FinePix再び

■インターネットで見つけて注文したデジタルカメラが届きました。フジフィルムのFinePix4800Zです。フジフィルムの縦型デジタルカメラのラスト・バット・ワンのモデルで、新品が残っているとはにわかには信じられなかったのですがとりあえず注文しました。なにせCCDは1/1.7インチでコンパクトデジタルカメラでは今や考えられない大きさです。432万画素という記録画素数よりもこのサイズのCCDで240万画素というのがすごい。値段もいいけど贅沢でバランスのとれたアセンブルです。デジタルカメラのデータのクオリティは1画素当たりの面積で決まるところが大きい。上位機種の6800Zより評判もよかった。私はひとつ前のFinePix4700Zを使っていてそのスーパーCCDハニカムのクオリティの高さは今も魅力ですが、バッテリー管理に問題があって中古で買ったこともあって修理には出さずに使わなくなってしまいました。4800Zは4700ZゆずりのEBCフジノンレンズとスーパーCCDハニカムで使い勝手は同じです。問題のあったバッテリー管理は一新されてデザインはポルシェになりました。色はチタンカラーでアルミボディです。(これで99,800円+taxが16,800円!) 宝物のようなカメラで仕事には使いません。普段使いはタフなEOS D30です。
■音楽療法に使うバチに毛糸のカバーをつけようと考えています。板張りで叩いてもやさしい音になるようにです。毛糸の色をあれこれ考えています。暖かい色にしたい。

いろんな色の風の花束

■音楽療法ネットワーク三重の講演会と総会、懇親会が三重大学でありました。今回の講師は二人とも音楽大学と医学部の二つの大学を卒業というキャリアの持ち主で、医療と音楽療法のふたつの枠組みが交錯する場面があってたいへん興味深い内容でした。
■パーキンソン病患者に特徴的なパーキンソン歩行の「すくみ」や「突進」の原因は脳の線条体の機能の不具合で、ペーシング、歩行リズムを保持することが難しくなるとのことです。そういえば同様の症状は自閉症スペクトラム障害のお子さんにも見受けられます。机などを一定のリズムと強さで叩く子もいればテンポも強さも急にアップしてパタリと叩くのをやめる子もいます。それは脳がその刺激を求めているからであり、自己調整をしているからです。そして、そこに何らかのケアやサポートのニーズがある。多くのお子さんは認知にも課題があるので音楽のリズムだけに頼る療育は難しい。しかし、ターゲットとなる症状と原因となっている脳の部位との関連が療育の仮説となり得る裏付けをもらったように思いました。
■大学の構内を歩くのは昨年夏の千葉淑徳大学以来です。休日も学生があちこちで何かしていました。掲示板にひしめく掲示物は大学の活気を象徴しているかのようでした。そんな中で研究職の人の話を聴くことは混沌とした私の頭の中を整理してくれます。大事なことは何かと見抜く力を教えてくれるように思っています。
■保育園から“健常”の5歳のお子さんたちへの音楽療法のセッションのリクエストがありました。セッションのあとでお母さんたちと話し合いの時間があってその資料を作っています。資料のいちばんはじめのキーワードは「セルフ・エスティーム」です。自尊感情、自分を大切にすることです。自分を愛することで誰かを愛することができる自分がある。そして、関係発達の中で子どもの心は育つ…子どもの育ちに大切なことは発達障害のあるなしにかかわらずどの子にも同じです。障害児教育の理念と考え方、そしてサポートのノウハウはどの子の育ちにもたいへん大切なはずです。
■先週は車で「風の花束」ばかり聴いていました。聴いているうちにこの歌声は杉並児童合唱団だと気づきました。私が好きな児童合唱の歌声は東京少年少女合唱隊です。まるで話し言葉のような自然な印象の歌声です。杉並児童合唱団はその対極にあるものと思っていました。でも、「風の花束」の少し荒削りな歌声を聴いて魅力を感じています。「風の花束」の頃のポンキッキ、90年代前半のポンキッキは音楽的にとても充実していたと思います。92年のクリスマス特集はビデオに録画してあって今もときどきみます。今週は映画「SWING GIRLS」にはまっています。
■ポコ・ア・ポコのブルーの花を教えてもらいました。私のイメージ通りのブルーの花です。今のポコ・ア・ポコのロゴのブルーはプリンタによって濃くなってしまうので今月新しく作ったロゴのブルーでした。同じ色が好きな人がいるんだと思うと幸せを感じます。感性の響き合い、共感はそんなものですね! 同じ空間にいるという感覚です。空間は風だと思うことがあります。いろんな色の風を花束にできたらすごく素敵です。そんな音楽空間を作りたい。

Burn Out

■帰りに寄ったスーパーで夏物処分のTシャツを買いました。紺とベージュのシックな色遣いが気に入りました。でも、車に乗ってふと気になりました。胸のロゴが「Burn Out」だったような…信号待ちでライトを点けて確かめると、やっぱり「Burn Out」でした。「Burn Out」とは「燃え尽きる」ということ。「Syndrome」が付くと「燃え尽き症候群」です。自分の性格を思うといつか燃え尽きてしまうような気がします。それでいいと思うのだけどこの頃は燃え尽き方も考えてしまいます。
■教室にあったCDを聴いていて『風の花束』という歌に釘付けになりました。詩とメロディーが不思議なアンバランスで構成されています。楽曲としてとくに斬新なフレーズはないけどフレーズの組み合わせがおもしろい。この歌は1992年の作品で「ポンキッキ」のエンディングです。誰が聴いてもわくわくしてしまう…そんな歌、ユニバーサルデザインの音楽だと思う。
■来月、第42回中部地区肢体不自由教育研究大会三重県大会が開催されます。私は分科会の司会です。昨日、実施要項が届いて、分科会がワークショップの形態をとることを知って心地よいカウンターを食らった気分です。ワークショップなら司会は司会ではありません。折りしも、夜、NHK-ETVの「福祉ネットワーク」で「パッチ・アダムスと若者たち」を観て心が揺さぶられました。パッチ・アダムスはワークショップで日本の若者たちひとりひとりが自分のエンパワメントに気づくワーキングに、そっと、でも、大胆に導きます。今、ほんとに大事なことは何なのかと考えさせられました。ひとりひとりの感性や思いの重さをまた思うのです。
■ススキの穂はいつ頃見頃なのでしょう。ススキの穂も風の花束にしたいもの…

『愛と同じくらい孤独』

■名古屋に行って一太郎とバッグを調達してきました。今になって一太郎を使うことになるとは想像もしませんでしたが仕事のファイルが一太郎で送られてくることが少なくありません。スプレッドシートはエクセルなのにワープロはどうして一太郎なのか!? 一太郎をインストールしたらATOKが優先されてしまってまたややこしい。だけどこの際どちらも使えるようになっておくこともいいかと、今、ATOKで打っています。使い心地はなかなかのもの! 一太郎は“12”のキャンペーン版が半額以下でした。オンライン登録のとき思い出した。私はジャストシステムのIDを持っていた! IBMのAptivaのプレインストールソフトが一太郎でした。そのIDはジャストシステムにキープされていて、これは当たり前だけど感心してしまいました。
■バッグはまたノーマディックのWISE-WALKERにしました。色は黒です。サイズはA4からB4とひとまわり大きなもの(WW14)にしました。これだとカメラも入る! このバッグは縦長のトートだけど2段に使うことができるので物が底に“堆積”することもなくて使いやすいのです。500ccのペットボトルポケットも便利。素材は強くて3年間毎日使っても擦り傷ひとつない。縫い目もまったく破綻なし。それだけにファスナーのへたりは残念でなりません。今回はファスナーのタブを別に買ってポイントにしました。ショルダーストラップも肩に負担の少ないパッドのモンベルを調達…これが意外に長くて考えものですがすごく楽です。
■名古屋に行ってホームレスの人たちと会うとフランソワーズ・サガンの『愛と同じくらい孤独』を思い出します。「毎週金曜日の朝七時のミサに行く途中で夜遊びの人たち、ベリ街とポンチュ街の飲みさわぐ人たちに出会うわけです。皆ごみ箱の上に半分のっかっていて、シャンペンの壜を抱えてタキシードを着ていて、スコット・フィッツジェラルド風で、わたしは《ああ、この人たちは皆わたしよりも楽しい思いをしているわ!》と思ったものです。彼らは大声で笑っていて、翌日の計画、競馬などについて話しているのに、わたしはこれから四時間の宗教の授業に出るところでしたから! 《不公平だわ》と思っていました。」(サガン『愛と同じくらい孤独』 新潮文庫 朝吹由紀子訳) 価値観のひとつがたぶん180度ちがうであろう人たちとの出会いは私の価値観へのアンチテーゼです。
■反語的だけど大都市であればあるほどマイノリティー(少数派)がひとつのマジョリティー(多数派)に成り得ると思う。絶対的な人口が多いから。では地方都市ではどうなのか!? “地域”というパラダイム(枠組み)も大事だけど世界というパラダイムのないパラダイムを見据えて自分たちの価値観を問うべきではないのだろうか…

ボールのやりとり

■今日は病院の外来療育で音楽療法のセッションをさせていただきました。初めてのお子さんがボールを返してくれるときにすごくがんばっていることがストレートに伝わってきて私は胸がキュンとなりました。ボールのやりとりは子どもにとってすごく重いもの。子どもが秘めている力はほんとにすごいと思う。
■そして、子どもたちひとりひとりがしあわせでいたいというねがいに大人たちは真摯に応えるべきだと思う。子どもたちのしあわせのためのサポートが社会システムとして位置づけられることを願って私は私にできることを続けていきたい。
■ふだん使っているバッグのファスナーが傷んできて、それならユニクロのはどう?と教えてもらってユニクロに行って来ました。だけど店によって品揃えがちがうようでお目当てのバッグがない店に行ってしまいました。せっかくだからといろいろ見ていくうちにお気に入りのボタンダウンのシャツとノータックのチノパンツを見つけて買いました。どちらもコストパフォーマンスの高いクオリティとデザインで満足度は高い!

音楽の自立

■朝、西の空に虹が出ていてとてもきれいでした。今日は一日休暇をとって県内の養護学校の体験入学に行って来ました。真摯な対応で気持ちのいいものでした。
■帰りに鈴鹿のイオン・ベルシティに行きました。1階でクラリネットとピアノのデュオの生演奏をしていました。クラリネットのアーティキュレーションがすばらしくて聴き入ってしまいました。ひとつひとつの音たちが歌っているようでした。曲は聞き覚えがある…ドラマ「冬のソナタ」の「はじめから今まで」でした。でも、ドラマの影を引きずっていないドライな演奏です。私は2階の島村楽器で楽譜を探しました。譜面で選んだのはヤマハのCD付楽譜です。車に戻ってすぐそのCDを聴きました。イメージ通りのアレンジというだけでなくドライかつ音楽的に腑に落ちる演奏にまたまた聴き入ってしまいました。ピアノ演奏は西本梨江です。譜面はジョージ・ウィンストンのそれと似た印象です。音楽はそれだけでなくいろんな背景といっしょに記憶されるものだけど、「冬のソナタ」の音楽もドラマから離れて演奏されて、そう、“自立”させることも大事ではないのだろうか。このところカヴァーが多い「冬のソナタ」の音楽だから余計にそう思うのだ。楽曲は作曲家から離れて旅立ち、演奏家は自分の言葉として演奏し、聴く人は自分の聴き方で聴くものではないのだろうか。
■ロシアの学校を狙ったテロはターゲットが学校の入学式の子どもたちというあまりに非人間的な行為で理由は何であれ決して許されるものではない。私は強く抗議する。

夏の終わりに

■9月のポコ・ア・ポコは17家族のみなさんに来ていただきました。降水確率は低くはなかったのですがポコちゃんが終わるまでは雨は降りませんでした。今日はセッションが終わってもみなさんすぐには帰らないでその場に座って近くの人と話をしてみえました。あと、何かプラスαがほしいのは私だけではないのでしょうね。私自身のスキルアップを思うこの頃です。
■『PHaTO PHOTO』(シー・エム・エス)9-10月号に目が釘付けになるモノクロの特集があります。上田義彦の作品です。家族の写真ですが彼が撮ると“作品”に見えます。どんなカメラで撮ったのだろう…ライカかも知れません。彼は2001年の『コマーシャルフォト』(玄光社)の表紙の撮影にライカM4と60mmを使っています。今回は広角も使っています。私の関心事はライカというブランドではなくレンジファインダーかどうかということ!
■9月に入って朝夕めっきり冷えるようになってきました。夏も終わりです。この頃よく考えること…自分からアクションを起こさなければ何事も起こらないし現実は変わらないということです。閉塞感に立ち止まっていては何も変わらない。この頃ほんとによく考えます。夏はいつも私に力を分けてくれるようです。この秋のススキの穂と紅葉はいつになく輝いて見えるかも知れません。

風車再び

■昨日、勤務校で2学期が始まりました。出勤前に今日から9月なんだと気づいてミッフィーのサイトから9月のカレンダーをダウンロードしました。今月は三日月にちょこんと乗ったミッフィーの絵を選びました。ミッフィーといえばお盆前にクリーニングに出したミッフィーのネクタイをまだ受け取りに行ってないことを思い出しました。
■風力発電の風車のことを話すとたくさんの人が風車とのエピソードを話してくれます。間近で見て大きさに驚いたこと、見に行ったときの季節や風景のこと、羽根が道路わきに横たえてあってその大きさに圧倒されたこと、生まれ育った所から見えること、犬の散歩をしていると見えること、などなど。中にはあの巨大な羽根を深夜交通規制して運搬するようすを見に行ったという人までいてびっくりしました。おもしろいことにみんなうれしそうに話してくれます。風車に魅力を感じる人が多いことがわかりました。風力発電の風車は空力学に適う形を追求するとあの形になってしまうだけのことだと思いますがインパクトは大きい。ゆっくり回るあの悠々とした姿もいい。見ているとおおらかな気持ちになります。
■先週、校内研修会の準備にTEACCHのビデオをまとめて見ました。アメリカ・ノースカロライナのTEACCHのサポートのビデオです。日本もどこかにこんな資源があるのかも知れませんが私は知りません。松阪を日本のノースカロライナにしたい!と夢は大きく持とう!