月別アーカイブ: 2004年6月

「がんばる」ということ

■クラスの子が病院のICUでがんばっています。明日で1週間になります。

だまされるな

人は何か一つくらい誇れるものをもっている
何でもいい、それを見つけなさい
勉強が駄目だったら、運動がある
両方駄目だったら、君には優しさがある
夢を持て、目的をもて、やればできる
そんな言葉にだまされるな
何もなくていいんだ
人は、生まれて生きて、いつか死ぬ
人間、それだけでもえらいんだ

 ビートたけしの詩です。がんばらなくていいんだよ…がんばって…がんばっちゃだめだよ…でもがんばって…「がんばる」という言葉は日本語にだけにあるものなのだろうか…
■ここしばらく夜な夜な万年筆のサイトを渡り歩いています。2000年の国立特殊教育総合研究所の研修では大阪心斎橋の東急ハンズで800円で買ったアルミの万年筆にモンブランのロイヤルブルーを入れて書きに書きまくった毎日でした。その万年筆を失くしてしまって今は1本も使っていません。でも、また使いたくてあれこれ探しています。そんな中で知ったウォーターマンのサウスシーブルーというインクはPCのモニタで見るだけですが惹かれる色です。

障害者支援費不足

■今日の朝日新聞夕刊のトップは「障害者支援費170億円不足」でした。支援費制度はWHOのIFC、厚生労働省の障害者基本計画に基づく障害者本人の選択と決定で必要なサービスを利用するという理念によって整備されたものだ。それが始まって2年目で「制度存続の危機」とは、朝日新聞の署名記事のようにリサーチが適切に行われていなかったことがいちばんの原因だと考える。民間企業ならすでに倒産している。「国が本気で脱施設に取り組む気があるのか。支援費の不足問題は、国にその答えを突きつけている。」(朝日新聞040622夕刊) 更に言いたいことは、在宅は理想だがその理想の在宅を実現するためにはハードもソフトも不足しているということだ。社会資源があまりに足りない。残念なことに心も余裕がなくなってきているのではないか。不況が続き、命があまりにも軽く失われる事件が続く中、ヒューマニズムなくして人はどうして生きていくことができるというのだ。そして、在宅の現状はきびしいものがあるということをわかってほしい。学校の先生たちもそのことを理解して必要なサポートを考えていくべきではないのか。
■昨日は台風6号の影響で勤務先の養護学校は臨時休校でした。職員は休みではありませんからフルタイムでたまっている仕事を片付けていました。ところが給食がなくて、昼頃は雨も風も強くてとても買い物に出られたものではなかったので昼抜きになってしまいました。休憩時間もなく9時間よく働きました。おかげで今日はジーンズがゴソゴソでフラフラしていました。
■6月の日曜日のポコ・ア・ポコは21家族のみなさんに来ていただきました。ブラームスの「ハンガリー舞曲第5番」を初めて使いました。両手で大きな輪をゆっくり描くコントロール=静のなんと素敵なことか。

脳の認知処理

■木曜日に済生会明和病院発達支援センター「なでしこ」指導室長大友正明先生の講演を聴く機会がありました。「K-ABCの活用について~心理・教育アセスメントバッテリー~」です。子どもの認知処理を継次処理と同時処理に分けてとらえ、習得度と照らし合わせてサポートの方針を決める考え方です。この考え方は心理セッションや授業だけでなく生活のあらゆる場面でのサポートに役立ちます。しかし、脳の認知処理の仕方を把握しながらのサポートだけにサポーターのセンスが何よりも求められます。子育てはもともとそうなんですねどね…
■ドコモショップでFOMAとPCを接続するUSBコードを注文してきました。ソフトは端末に同梱されていてコードを購入するだけでデータのバックアップとパケット通信ができるというシステムは良心的です。
■台風6号が近づいています。明日のポコ・ア・ポコは荒天かも知れません。

I NEED TO BE IN LOVE

■ここのところ車でよくカーペンターズの「青春の輝き」を聴きます。今日はこの1曲ばかり聴く通勤ドライブでした。この曲の原題は「I NEED TO BE IN LOVE」です。この原題がどうして「青春の輝き」となったのか、私は疑問でならない。英語のオリジナルはもちろん、CDのカードの邦訳からも「青春の輝き」が邦題になるとは思えない。この歌にこめられた想いはちがう。愛を求めるひとりの女性の切ない想いだと思う。私はカーペンターズの歌の中でこの歌がいちばん好きです。歌詞はあまりに切ないけれど…。サビをなぞるホルンがその切なさを私の心にたまらなく響かせるアレンジも泣かせる。誰だって…I NEED TO BE IN LOVE!
■通勤路の合歓の木の花が咲きました。夜になると閉じる葉はやわらかな楕円で、花は繊細なピンクの花です。私はその花が風に揺れるシーンを写真に撮りたい。風はおだやかな南の風であってほしいけど嵐の日もあるかも知れない。咲いたのはまだ1本だけですがどうして今日1本だけ早く咲いたのでしょう…

『コレリ大尉のマンドリン』

■勤務先の養護学校のスクールバスの介助の代替添乗をしました。片道1時間40分、5市町を走ります。椎間板ヘルニアは今日はおとなしくて支障なく仕事を終えることができましたが、脚はずっとしびれがあってこの仕事をいつまで続けられるかなと思っています。いつかは車いすの生活になるかも知れません。それならと新しいページをめくるようにわくわくしたいけど、できるかな?
■ルイ・ド・ベルニエールの『コレリ大尉のマンドリン』(太田良子訳 東京創元社 2001)を読み始めました。これは長大な物語。ストーリーでありナラティヴである。ひとりひとりが語っている。読み手も語り始める。この深い物語の渦の中に身も心もゆだねる感覚が好きだ。

郵政互助会の助成

■今日、松阪郵便局の局長室で郵政互助会からの助成の贈呈式がありました。ポコ・ア・ポコ音楽療法の会への助成です。フラップバルーン4m×4m、鈴30個、タマゴマラカス40個をいただきました。感謝しています。フラップバルーンは勤務先の養護学校でも使わせていただきます。
■ポコ・ア・ポコは第1回から書面でのご案内を続けています。水色のポコ・ア・ポコのロゴとスクエアのデザインとダイレクトメールは私のこだわり。学校から配布していただくこともありますが郵送がベースです。お金もかかりますが郵送にこだわってきて郵送互助会から助成をいただくのも何かのご縁かと思っています。
■出張で言語聴覚士、理学療法士、作業療法士から直接話を聴く機会がありました。こうした専門職の方と話をすると学校の先生の専門性とは何?というアイデンティティーをふと考えてしまいます。長い時間子どもたちといっしょにいるからこそできることがある。それは確かな関係性の中で育つ子どもの心を見守ること。見守るだけではないのだけどこう書きたい時間の共有の感覚がある。
■毎日新聞の「治療成績格差 信頼のものさしは」の記事は衝撃的でした。例えば、肺がんの早期がん(1B期)の手術後5年の生存率が病院によって約4割~約9割という倍以上の格差があるというのだ。助かるものも助からないことがあるというわけだ。ただ、こうした調査結果をかなりの病院が実名で公開することに了承していることは評価できる。
■椎間板ヘルニアの古傷が疼いておとなしくしていましたが、今日は軽めのダンベルを買ってきて積極策に出ました。思えばトライアスロンのレースを休止してから体調が変わってしまった。体力は+αの使い方でキープされるものだと思う。

風車

■ミュージック・ケア初級総合研修三重会場が終わりました。野中先生のレクチャーと受講生のみなさんの真摯な姿勢にサポーターの私も初心に返って学ばせていただきました。昨日は野中先生の実践=セッションがあってまたとない研修となりました。私は音出し(音楽をかける担当)をさせていただいて緊張感も実感です。
■ミュージック・ケアの研修の会場に向かうとき、晴れていると遠く青山高原の稜線に風力発電の大きな風車が見えます。ゆったりと回っていて、大らかで、ちょっとのことでは動じない信念のようなものを感じます。ただの風車なのにおもしろいことです。
■古本屋でルイ・ド・ベルニエールの『コレリ大尉のマンドリン』(太田良子訳 東京創元社 2001)を見つけました。500ページを超えるハードカバーで読み応えは十分です。戦争は肯定できない。でも、戦乱の真っ只中にいる人たちの選択と決断のドラマに私は惹かれるものがあります。そこに音楽がからんでいると私はただならぬ気配を感じます。コレリ大尉のように自ら音楽を奏する人が登場すると尚更です。
■今夜、NHK-TVで「ヨーロッパピクニック計画~こうしてベルリンの壁は崩壊した」の再放送があります。1993年の制作ですから10年も前の番組です。東ドイツ人を西側に逃すことにハンガリー首相が見返りを望まないばかりか当然のことと言ったとき、西ドイツのコール首相は涙したとのことです。ビデオを見る度にここで私も泣いてしまう。ヒューマニズムの重さを感じるのだ。

理論

■三重大学附属養護学校の学校見学会に行って来ました。講師は大学の先生たちで、developmentの語源やempowerment、secure base、マスローの欲求の5段階など、久しぶりに聴く研究機関の講義に惹きつけられました。こんな理論は頭の中を整理してくれるし胸のすく思いがします。会場もすごくいい環境でした。生活訓練棟の「ひまわり」のホールの壁は目にやさしい木材で、レースのカーテンがさわやかな風にゆっくりふくらんでは何事もなかったかのように静かに戻り、それはそれは心地よい空間でした。いつもpoco a pocoに来ていただいている1歳の女の子もお母さんと来ていて心も和む一日でした。
■理論といえば京都大学教授鯨岡峻先生の関係発達論をしっかり勉強したいと著書を5冊取り寄せました。今日の学校見学会で会った1歳の子と私とのやりとりのすべてに意味と価値を見出すためにも関係発達論は心強い見通しをもたせてくれます。

合歓の木

■通勤路沿いに合歓の木があるのを教えてもらって花が咲くのを楽しみにしています。花が咲いたら写真に撮ります。合歓の木の花は細い細い淡いピンクの花弁たちの花。風に揺れる合歓の木の花を写真に撮りたいと毎日の通勤路は気もそぞろです。木の時間の流れはゆっくりです。そのゆっくりさがうらやましいと思うことがあります。
■朝日新聞の文化欄に舘野泉ピアノリサイタルのことが載っていた。「2年前に脳溢血で倒れた…この復帰リサイタルの曲目はすべて左手のためのもの。右手は今でも後遺症で使えないという。…ピアニストにとって致命的とも言える逆境にあってなお、それを逆手にとって新しいプログラムを開拓していこうとするその好奇心の旺盛さには、ただひたすら頭が下がる。」(岡田暁生 音楽学者 2004.6.2 朝日新聞夕刊)
■そうそうと探した楽譜は萩原英彦の『エチュード・アルモニーク~こどものためのピアノ曲集』(カワイ出版 1983)です。この中の「左手のための三つの小品」の「狂詩曲(ラプソディー)」が聴きたくなりました。でもCDはすでに廃盤。レコードはあってもプレーヤーがなくては聴けません。楽譜を見て音を思い浮かべるだけ。それでも萩原英彦の立体感のある色彩感はよみがえる。