月別アーカイブ: 2020年5月

新聞の切り抜きのスクラップ

新型コロナウィルスの感染拡大の兆しが感じられるようになってしばらくぶりに新聞記事の切り抜きとスクラップを始めました。今回のそもそものきっかけは2月19日、千葉県で虐待で命を落とした当時10歳の小学生の手書きの「自分への手紙」の写真を残しておきたかったことにあります。「未来のあなたを見たいです。あきらめないでください。」という最後の一行は「未来のあなた」という他者に希望を託したい今の自分のつらさが投影されているように思われて目が留まりました。そして、次第に新型コロナウィルスの感染が拡大して様々な記事をスクラップしてきています。ウィルスそのものの記事はほとんどなく、社会系と人文系がほとんどです。目に留まった記事を切り抜いてたまった記事を順に見ていくと自分の目の付け所が浮かんでくるように思います。キーワードのひとつと思うのは「言葉」という言葉です。いくつかの記事の複数の筆者が直接そのことに言及しています。「肝心なのは、私たちは新しい状況に直面しているということだ。それゆえ、言葉を吟味し、ときに新しい言葉を学ぶ必要も出てくる。」(古田徹也記「にじいろの議」朝日新聞20200520朝刊)など。また、「言語化」や「ネガティヴ・ケイパビリティ」も然りです。政治家の「言葉」はわざわざ何をか況やである。私は、コロナ禍だけでなく学校教育分野でも「新しい言葉」が必要ではないかと考えています。教育の最前線の子どもたちと先生の様々な営みで絶えず生成される意味を表す言葉です。確かな言葉を見つけることは困難ですが、そのことを語る言葉はもっと豊かになってほしいと思っています。不寛容な出来事を伝えるニュースやそうした話を聞くたびに言葉の貧困を思います。新聞をしっかり読むことは私にとって言葉のレッスンです。しばらく切り抜きとスクラップは終わらないでしょう。

立花隆『宇宙からの帰還』

この本は就職して間もない頃文庫本で読みました。すごく面白くて夢中で読んで部分的に何度か読み返しました。この本が退職後また気になってきて今年に入って単行本を買い求めました。1983年初版なので37年も前の本です。なぜこの本が気になってきたかというと、肢体不自由の子どもの教育のポイントをスライドにまとめていて「姿勢」と「抗重力」という言葉をキーワードとして入れるとき、なぜ重力なのかと疑問に思ってのことです。映画「ゼログラビティ―」のシーンも思い浮かびました。『宇宙からの帰還』を読んだ時も無重力の不思議さを考えました。この本だけでなく高橋隆著『磁力と重力の発見』(みすず書房 2003)や大栗博司著『重力とは何か アインシュタインから超弦理論へ、宇宙の謎に迫る』(幻冬舎新書 2012)も買い求めました。地球上の何者も何物もが重力なしではこうしてあることはできない。普段は意識しない。でも、普段とは違うことをやろうとするとき、動きをとろうとするとき、重力は曲者となる。体調がよくないときやケガをしたときの動きづらさの黒幕は重力である。同時に助けられてはいるのだがこちらは意識されることはほぼない。さて、肢体不自由やASDの子どもはどうであろうかと考えたとき、重力はあまり味方になってくれているとは思えない。荒唐無稽な考え方かもしれないがそういう発想は彼ら彼女らが経験している世界に思いを馳せるとき何かしらの気づきにつながるように思うのです。抗重力を念頭において姿勢を整える補助を行うことで子どもの表情が変わったり手の操作性が上がるのは経験上認識していることです。『宇宙からの帰還』に登場する宇宙飛行士たちはまさに選ばれた人たちであって障害がある子どもたちとは「ちがう」のですが、宇宙を経験することが宇宙飛行士たちに与えたインパクトは無重力という要因なしではあり得なかったのではないかと仮定するとき、重力とうまく付き合えないようにも見える障害がある子どもたちの経験はどこかしら共通するものがあるように思います。肢体不自由の子どもたちといっしょにいるとき、この子は宇宙を飛んでいるのかもしれないなとその経験構造に思いを馳せてしまいます。