月別アーカイブ: 2007年2月

夜、台所でオリーブオイルとニンニクを入れたフライパンを落として床にオリーブオイルを撒いてしまいました。キッチンペーパーでは拭き切れず、タオルを固く絞って拭く、拭く・・・それでも床の滑りやすさは残っています。どうしたものだろう。ワックスをかけたみたいにちょっと光っています。滑ってこけないように慎重に歩く、歩く・・・

養護学校教諭免許の申請をしました。養護学校教諭免許はこの4月から特別支援学校教諭免許と読み替えられますが、免許取得に必要な単位が増えるので今年度中に取得です。国立特殊教育総合研究所の認定講習で単位を取得したのが2000年でした。あの2か月がなかったら今の私はなかったと思います。私に研修を勧めてくれた先輩に感謝しています。

鮫は泳ぐことをやめて止まると呼吸ができなくなって死んでしまうといいます。生きるためには止まれない、休めない、というエピソードです。ミュージック・ケア総合研修のスタッフで話をしていて自分たちをサメになぞらえていました。ただただ前に進むしかない、休んだらそこまで、ということです。さすがにセーブすることを覚えてバーンアウトするようなことはないと思いますが、私はそんな性分です。休めない。

トランスといわれる音楽のカテゴリーがあります。打ち込みによるゆらぎ感のないリズムの刻みにフレーズ感の少ない音が重なって終わりのない旅をしているかのような音楽、というと怒られるかな? iTunes STOREではダンスのカテゴリーに入っていて、2006年のトランスのベストを見つけたので、先日、“勉強”のために購入しました。聴いていると20年も前にレコードで聴いたジャン・ミシェル・ジャールを思い出しました。アルバム「Equinoxe」は昨年CDで買い直しました。こちらはドラマとストーリーを感じますが、トランスという音楽はその文脈がわからない。でも、何を考えるともなく考え事をするときのBGMにはいいみたいです。

映画「マリー・アントワネット」

録画したNHK-TVの「プロフェッショナル」でスーパーナースの特集番組を観ました。クリティカルケアの専門看護師です。大学院で学び直した高度な専門性と、自分と語り合う姿勢にただならぬ感動を覚えました。彼女のいちばんの“強み”はベッドサイド、臨床です。これは特別支援学校に求められる文脈でもあると思います。テロップは断片でもあり、切り口でもあり、核心でもある。「ベッドサイドに答えがある」「希望をつなぐ」「迷わず走れ、そして飛び込め」「患者と向き合う」等々。これらは教育の言葉でもあるはずだ。「『弱さ』が持っている『強さ』がある」(茂木健一郎)という人の「詩と真実」もそうだ。医療も教育も最前線の人と人との営みが大切だ。

夜、映画「マリー・アントワネット」のレイトショーを観に行きました。ハリウッド映画以外の何ものでもない映画ですが、音楽好きの私には十分に楽しめるしあれこれ考えてしまう作品でした。まず、21世紀のロックと18世紀の舞踏会とが違和感なく映画のシーンになることが新鮮でした。ヴィヴィッドなマリー・アントワネットが鮮明になっていました。革命が起こったとき現実と真正面から対峙する彼女の強さが予感されます。でも、神格化ではありません。ありのまま、そのまんまのマリー・アントワネットはこんなんだったかな!?と描いている。そして、そのことで絶対君主制の愚かさを露にしている。マリー・アントワネットが悲劇のヒロインに…ということにつなげたくないのはどうしてだろう。この映画はSONYの資本によるものでした。SONYの創立者もこんな映画を制作することにつながるとはこれっぽちも思わなかったはずです。DVDの発売が待ち遠しい映画でした。

マリー・アントワネット

先週から今週にかけて、休暇を取っては法務局や地方税管理回収機構、市役所など官公庁を回っていました。ようやく一段落してお役目ご免といきたいところですがそれまであとしばらくです。多くの人たちとの出会いがあって、それはそれで私にとっていい意味での刺激となっています。

でも、3夜連続の会合で体が冷えたのか、昨日は熱が出て早退しました。夕飯を作っていたらNHK-ETVでマリー・アントワネットの特集番組をしていました。映画が話題になっているからでしょうか。マリー・アントワネットといえば、学生の頃読んだシュテファン・ツヴァイクの同名の本を思い出します。その本はマリー・アントワネットに同情的とされながらも、革命後、王妃として、母として果敢に生き抜く姿は魅力的と思ったように覚えています。そして、今、彼女を描く映画が生まれた背景は何なのだろう。私は映画は観ていませんが、サウンドトラックの音楽が興味深くて全曲をiTunes STOREで購入しました。マリー・アントワネットと直接何の関係もない音楽です。でも、誰かが結びつけるに至ったのにはそれなりの文脈があるはずで、そこが興味津々です。映画は観たい。これは、夜、ひとりでドライブするときにきく音楽ですね! 今回のアルバム購入で私のiPodの音楽は4000曲を超えました。30GのHDDはちょうど半分が埋まりました。

+αの空間

昨日は松阪市教育委員会他主催の「障害児教育を考えるつどい」の保育を担当してポコ・ア・ポコのプログラムをしました。“体育会系”の音楽遊びになりましたが、“これもあり”です。“そのまんま”が何よりも大事!

今日は絵画の寄贈があり、朝から勤務先に行きました。油絵です。絵はいいものです。筆の跡のひとつひとつに描いた人の刹那が在るように感じられます。その方は童話も書いてみえるとのことでした。

四日市から名古屋はすぐです。東急ハンズでフランコリン・コヴィーのコンパクトサイズのバインダーを調達しました。アンティークカーフの40mm、色は“チョコ”です。アンティークカーフは抜群の風合いで軽いのです。実物を見た瞬間に「ああ、これだ!」と思いました。40mmのリングは手帳の域を超えたスケールがあります。いくつかのことを同時進行することで+αを求める私にはこれが拠り所かも知れないという選択です。投資かな!? “バイブル”になるかも知れません。その使い勝手を教えてくれたのはクラシックサイズなんですけどね… 私が本革を好きな理由はエイジングの妙にあります。手になじむこと、使い勝手に合わせて質感が変わること、キズができても目立たなくして“勲章”としてしまうこと、等々です。そして、それを手にしているだけで気持ちを落ち着かせてくれます。自分の肌に似てくるのかも知れません。もちろん、それなりの手入れが必要ですが、だからこそ愛おしさがつのります。本革は命の証です。

Windows Vistaのチェックにパソコンショップに寄りました。ところが、Windowsの売り場は閑散としていて意外でした。Macの売り場はというと、人・人・人でした。そこで15インチのMacBook Proに触れて、これだな、と思いました。12インチがなくなった理由がわかったように思いました。+αの空間が+αの価値を生み出すのだ。

海の色

先日、宮崎県沖でマグロ漁船が大型フェリーと衝突して沈没、乗っていた3人が救助されるという事故がありました。切断された船体が浮き沈みするシーンをニュースで見たとき、海の色がすごくきれいだと思いました。乗っていた人が全員救助されてからそのニュースを録画して何度も見ています。あの海の色は黒潮の色なのだろうか。私がこれまで見たことがない色です。強いていえばインクのブルーブラックか。海に吸い込まれそうな色です。トライアスロンでは各地のレースでいろんな海を泳ぎましたがそんな色の海はありませんでした。その海に入ってみたいと思うのです。あの海の色は抗し難い魅力があります。

ブルー系のスーツを着るようになって深い青によく目が行きます。ところが、スーツは今や無彩色のブラック系が主流で紺系のスーツは数えるほどしかありません。どうしてそうなってしまったのだろう・・・もっとも、私は“あまのじゃく”だからそもそも傍系指向なんですけどね。万年筆などの筆記具のインクもブルーブラックが好きです。アクセラとアテンザのブルーもすごくきれいです。RX-8の特別色の紺は一度しか見たことがありませんがもっといいですね。このブログもブルー系になりそう!

発達障害の子どもたちもブルーが好きな子が多いように思います。どうしてでしょうね。

音楽療法の言葉

ミュージック・ケア初級総合研修三重会場の3回目が三重県いなば園でありました。今日の講師は京都の認定指導者伊藤美恵さんで、音楽療法の周辺にわたる話をたくさん聴くことができました。音楽について、音楽療法について、そうした周辺にわたる言葉のニーズは大きなものがあります。私もそうした言葉を探しています。そして、次はどんな言葉が求められるのか。私は音楽そのものの言葉だと思います。楽曲分析を“アナリーゼ”と云うパラダイムです。あと5年、いや、3年で音楽療法を語る言葉は大きく変わるように思います。でも、音楽療法が音楽療法の言葉を獲得するにはもうしばらくかかるでしょうか。

このgoogleのblogspotが携帯から読みづらいなどの理由で他のサービスへの引越を考えています。読めなくはないのですけどね、ずっとずっとスクロールしないと読めません。使い勝手は日本のサービスが一枚上手なんでしょうね。

2月のポコ・ア・ポコ

2月のポコ・ア・ポコは10家族のみなさんに来ていただきました。みんなみんな常連さんでなんと見事なことか! 私の方が却ってあれこれ考え事をしてしまってカウントをまちがえてしまいました。私自身のスキルを磨かないといけません! 「典子は今」の最後のピアノの音が減衰して消えて、追うように音もなくシャボン玉が割れて消えたとき、ポコ・ア・ポコの空間は息を呑むような静けさに包まれました。みんなみんな素敵でした。

セッションの後で本屋を3軒回りました。1軒は古本屋です。寒くて着ていたダウンが温かくて立ち読みもまた愉しみでした。『トライアスロン』3月号(ランナーズ)と金子郁容『コミュニティ・スクール構想 学校を変革するために』(岩波書店 2000)を買いました。金子郁容さんのことを木曜日のブログに書いたばかりで、古本屋でこの本の帯の彼の名前が目に留まるとはなんという奇遇! 自分がするべきことをまた考えてしまう。

PowerBook用にインーナーイヤー型のヘッドホンを調達しました。オーディオテクニカの廉価版ですが、これがなかなかメリハリが効いて低音もよく再生します。高音はちょっとうるさい。iPodに付属のヘッドホンはもっとソフトな音ですが、どちらも比べてどうのこうのという音ではありません。楽器や歌が“そこにある”という臨場感、空間の解析感がない。もっといいヘッドホンが欲しくなりますが、そもそもiPodのACCはMP3より高音質とはいえ多くは期待できません。“幸せを感じる音”はコンポを組まないと聴けませんね

タンジブル

木曜日放送のNHK「プロフェッショナル」は知る人ぞ知るところで大きな話題になっているようです。Macファンはもうぞっこんです。そして、私はもうひとつ、「タンジブル」の概念に意を得たりです。「身体で聴く音楽」をキーワードとする私のライフワークに+++です。先日買った『Mac People』3月号(ASCII)に石井裕はこう書いている。「『モノをつかみ、それを身体空間の中で操作する」ーこのプロセスを通じ、人間の頭脳と身体を使って現実を理解する。さらにそのプロセスを周囲の同僚と共有することにより、お互いの理解を確かめ合ったり、教え合ったりも自然にできる。これは私の研究テーマ「タンジブル」の根本的なアイデアである。」子どもの発達、成長における関係性の発達のモデルがまさにそれではないか! 子どもは身体で考えるのだ。音楽も身体で聴くものなのだ。話が飛躍するようですが、またスポーツをしなければと思っています。

フランクリン・コヴィーのユニバーサルは予想以上の“極薄”紙で少なからずがっかりでした。そして、バイブルサイズ+1cmのコンパクトサイズはこれもちょっと考えもので、このサイズで何をしようっていうの!?という感じです。でも、携帯性は無視できない。4cmリングのコンパクトサイズ、そして、オリジナルの紙質という組み合わせはどうだろうなどと悩む。視野の絶対サイズは思考を規制するように思えてならない。やっぱりクラシックサイズかも知れません。欧米の“エグゼクティヴ”が“大きなサイズのノート”を使って、そして、到達するゴールが“ちがう”のも当然だと思う。またまた話が飛躍しますが、PowerBookG4も15インチにしておけばよかったと、これはMacを使っての実感です。話は戻って、私のフランクリン・コヴィーのイタリアン・カーフは2年近く使って絶妙の感触です。光沢のあるレザーは車の塗装のようです。今更手放せないというのが率直なところです。30cmのクラシックサイズを使いこなす術を見つけなければ!

先週から携帯メールマガジン「黛まどかの俳句でエール」の配信を受けています。わずか17文字ですが、毎日、“詩と真実”に触れる大切なメルマガです。俳句を「第二芸術」と言ったのは桑原武夫です。大学1年生の私は桑原武夫の「第二芸術論」に傾倒していました。私は過激なレポートを提出して過激な評価をもらったりしました。今は、俳句も桑原武夫も、それぞれの文脈を理解しているつもりです。

「クレアおばさんのシチュー」

昨夜、冷蔵庫のシチュー用の肉がなんだかあやしくなっているのを見つけて、これはたいへん!と深夜にビーフシチューを作りました。「クレアおばさん」シリーズのシチューです。水を1500ccも使って1箱分です。私は野菜をたくさん入れて、昨夜は1300ccくらいの水でした。クレアおばさんのシチューはやさしい味で私のお気に入りです。一晩置いたシチューはさらにやさしい味でした。

今夜のNHKの「プロフェッショナル」はMIT(マサチューセッツ工科大学)の石井裕教授でした。「石井が考えた新たなコンピューターの概念は『タンジブル』。現実のモノを触ることで、コンピューターを簡単に操作する夢の技術だ。」(NHK)そう、ここでも人が自分の身体で直接操作するシステムが探られている。NINTENDOのWiiのコンセプトとも相通ずる。そして、すごく興味深かったのは、学生たちと議論をするとき用いるのは模造紙大のペーパーとカラーマーカーで、それは思考のプロセスが残るからということだ。彼の筆記用具はラミーの万年筆で、これもアナログのアイテムです。彼はブルーブラックのインクでノートに絵を描く。石井教授の「プロフェッショナルの道具」でいちばん大切なのは、と言って鞄から出したのは15インチのPowerBookG4でした。番組はMacだらけでした。なんだかうれしくなりました。

昨夜は地元の“町づくり”グループの会でパンフレットに載せる言葉を考えました。6人で考えていて、話をしているとアイデアが次々と浮かんで、でも、みんなの思考が同時に止まるようなときがあって、それはそれで心地よい時間でした。話を進めていくうちに、「元気」「力」などの言葉ではなくもっとちがう言葉を求めていることに、これもみんな期を同じくして気がついていたようです。私は、ふと、昨年11月に京都市立西総合養護学校のコミュニティー・スクール・フォーラムで聴いた慶応義塾大学の金子郁容教授の講義を思い出していました。「ソーシャルキャピタルが豊かな地域コミュニティー」「弱さが力になる」などのキーワードです。私には、それらの言葉の文脈が経営品質や質的評価とつながっているように思えてなりません。

立春が暦だけではなくてほんとに春が来たような陽気です。伊勢自動車道から見える菜の花畑が満開ですごくきれいです。黄色は菜の花の黄色がいちばん幸せを感じる色だと思います。

雪はきれいだ。朝、暗い中を出勤してスクールバスの運行を見守る。何よりも子どもたちの安全安心が大切。朝日に輝く雪、音の輪郭がみえるような小鳥の鳴き声、吐く息がいつになく白く大きて自分の存在をあらためて知る冷え込む朝、凛とした空気が私の感覚を研ぎ澄ます。夜、一日が無事に過ぎて帰路に着く。マニュアルミッションのシフトの1回1回がセレモニーのようでした。