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バレエピアノ

先日、YouTubeMusicで偶然バレエ「ジゼル」の第1幕のバリエーションを聴いてはっとしました。ピアノの音は長年弾かれたアップライトピアノのくたびれ感いっぱいでもう調律しようがなく微妙に崩れたピッチのミルフィーユというあの感じでした。これはなんだろうと思いました。でも、魅力的なのです。映画「リトル・ダンサー」でボクシング教室と同じフロアで練習するバレエ教室で風体の上がらない中年のピアノ弾きがタバコを吸いながら奏でるあの感じです。かつて、ずっと前、体操の床だったか新体操では生のピアノが弾かれていたように思います。マイクが拾って拡声された音はもうピアノの音とは言えないものでしたが不思議に私は惹かれました。その感覚がよみがえったこともあってかYouTubeMusicの「ジゼル」の第一幕のバリエーションを聴き入ってしまいました。地方の街のバレエ教室然としたピアノはどこかノスタルジックでさえあります。

ところがピアノ音楽として十二分に聴き込めるバレエピアノ(というジャンルがあるようです)に出会って驚きました。ウィーン国立バレエ専属ピアニストの滝澤志野のピアノです。「ヌレエフ版『ライモンダ』のグランドフィナーレで、パ・ド・ドゥから全員のユニゾンになるアポテオーズです。」と説明のある動画のピアノは繰り返し聴いてしまいます。時々浴びるように音楽を聴きたいと思うのですが自分が求めている浴び方がこれまでとはちがうことがわかってきました。音楽に包まれているような感覚でしょうか。奥行が感じられるとも言えるでしょうか。

バレエピアノはオーケストラ譜をピアノで弾くのできっとピアニストによって演奏はちがうのでしょう。もともとオーケストラのために書かれた楽曲です。たくさんの楽器それぞれの音色と10本の指では奏でられない作り込みがある。オーケストラの壮大を求めるのではない。バレエピアノはその“再現”のためにパートの“渡り”によって音楽が織物のように織り込まれるのでしょう。