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緑色のルノーに乗って

「主体」という言葉、概念について私は同時代の者として主体性論争を経験したり見聞きしたりしたことがありません。「主体」と「主体性」「主体的」は前提条件なく同列で取り扱う言葉ではないと考えています。「主体」についてはこれまで多くの哲学者が思索を重ねてきた言葉であり、今もって解明されていないにも関わらず至るところで頻回に使われています。「主体」という言葉は他に置き換え難い場合があることは承知しています。そのうえでなおこの言葉について私は自分のなかに落とし込めていないところを考えていきたいと思っています。そんな折り、私の目に入ったのは「主体の系譜学」というサブタイトルがついた内田隆三著『ミシェル・フーコー 主体の系譜学』(講談社現代新書 1990)です。内容は難しいですが読まずにおれにない引力を感じます。今日は「主体」を脇に置いて、フーコーの人となりを記述する私を惹きつけるエピソードを引用します。

緑色のルノーに乗って
 モーリス・パンゲの思い出によれば、1935年の夏、フーコーは友人たちとイタリアで2週間の休暇を過ごす。彼らはフーコーがもっていた小さな緑色のルノーに乗ってフランスを発ち、ローマの少し北にあるチヴェタヴェッキアの海岸に出かけた。海岸で、公園で、カフェテラスで、時の合い間に、陽の光を浴びながら、彼はニーチェの『反時代的考察』を広げ、読んでいたという。フランスでは、ナチズムへの悪しき連想のために、バタイユのグループなど一部を除くと、ニーチェがまだ正当に評価されていなかった頃である。
 前の年にフーコーはパリの心理学研究所で精神病理学の課程を修了し、リール大学の心理学助手に就任した。だが、彼はリールにはすまず、パリから通っていた。パンゲがフーコーと親しくなった頃、フーコーはユルム街のエコール・ノルマルでも心理学を教えており、フロイドを扱っていた。そのときの彼は、マルクスの唯物論からハイデッガーの実存主義へ、パブロフの条件反射の理論からルートヴィヒ・ビンズワンガーの現存在分析へと移っていく、思想的な過渡期にあったという。54年には『精神疾患と人格性』(のちに『精神疾患と心理学』の名で再販)をP.U.Fから出版し、またビンズワンガーの『夢と実存』を仏訳して、それに本文よりもはるかに長い序文を付け加えた。
 心理学や精神病理学への接近は、若いフーコーの精神的な苦闘と関係していたのだろう。だが、この頃もっと深い部分で、フーコーの思想的な課題が形成されていたのである。それはおそらくニーチェの呼びかけに応えたものであり、歴史と真理への新しい眼差しが彼の思考の地平を大きく転回させたのである。かつて自殺を考えたといわれ、精神病院への入院も試みようとしたフーコー像を下敷きにして見ると、イタリア海岸への休暇の日々、地中海の明るい陽射しのなかでニーチェを読むフーコーの姿はとても印象的である。
 おそらくツァラトゥストラの笑いが、はじめてフーコーの情熱的な思考と辛辣な倫理観に見合うような知の水準を啓示したのであろう。知性はいつもそれに見合う倫理的な基盤を伴っているものである。虚弱な暗い精神ではなく、陽気なポジティヴィズムの倫理が、底の浅いヒューマニズムではなく、潔い主人の倫理だけが、フーコーの恵まれた知性を十分に解放することができたのである。
(内田隆三『ミシェル・フーコー 主体の系譜学』講談社現代新書 1990)

多感で旺盛な知への好奇心をもった若きフーコーが目の前に立ち上がってくるような記述だと思います。繰り返し読んでいます。こうして車を走らせて明るい陽光浴び、車を停めてはむさぼるように書を読み、友に問いかけ自分に問い直す。「ハングリーであれ」とはジョブズの言葉だっただろうか。何歳になってもできるはず。