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第九終了

第九の本番でした。合唱で参加しました。第九を歌うのは高校以来ということだけでなく歌うことすら音楽の授業で声を出すくらいだったので高い音は出ないしすぐ酸欠になってめまいがするしでエントリーしたことを後悔したこともありました。みなさんに助けてもらってやって来れたと思っています。

大阪交響楽団はさすがプロのオーケストラで、コンサートマスターが指揮者とオーケストラ、そして合唱をまとめ上げる様に惹き込まれました。その前日に別のところで指揮者と合わせてあるとはいえ、初めて合唱が入ってのゲネプロでは数か所を指揮者と二言三言交わして確認の演奏を1回するだけで仕上げて本番に向かうコンサートマスターとメンバー、指揮者はただただすごいと思いました。自分の歌を棚に上げてのことですが素晴らしい演奏だったと思います。

同じフロア(ステージ)でのオーケストラ体験は市民オーケストラに参加していたとき以来でしたがその肌感覚はすぐによみがえってきました。当たり前ですが各パートの音がきちんと分離して聴こえ、それらが絶妙な音量とバランスで音楽となっていくのはまさしくオーケストラの醍醐味です。モーツァルトが幼い頃、父が指揮するオーケストラの楽器の間をあちこち歩き回って楽器の音を聴いていたというエピソードを思い出しました。

ひとつ、たいへん興味深い言葉との出会いがありました。合唱指揮の馬場浩子先生が当日朝の声出しのとき合唱の私たちに言われた言葉です。

「今日は、音楽を楽しむというのではなく、音が音を楽しむようになればと思っています」

「音が音を楽しむ」に続く言葉は記憶が曖昧なのですが、「します」とか「させたい」というニュアンスではなく「おのずからなる」という意味合いだったと思います。「音が音を楽しむ」という言葉を私が正しく理解しているかどうか心もとないのですが、音楽を奏でることの核心、きっと中動態のような様相がそこにあるのかもしれないと思っています。至高の演奏であり音楽なのでしょう。この言葉の解釈は時間をかけて考えていきたいと思っています。

あと、第九の合唱は立ったままでいる時間が長いので昨年5月に骨折した右足首は全治の目安の8か月がやっと過ぎたところで足の痛みや違和感が残っているので不安がありました。リーガルのトラディショナルスタイルの黒の革靴を履いて行ったところ硬くしっかりした革がサポートして思いの外楽で、左右の足の感覚に大きな差もなく難なく立っていられたのも大きな収穫でした。ほぼ全治に近いところまで回復しているのだと思って一安心しました。

喪失とブラームス

仕事初めの1月4日の帰りに車中のFM放送はラ・ローチャの特集でした。なんと懐かしい名前と思って聴いていたら次の演奏はブラームスのピアノ協奏曲第2番変ロ長調から第3、第4楽章でした。演奏が流れると私は瞬時にその音楽に包まれているのを感じました。重厚なオーケストラに対峙するかのような力強いピアノ、そして、管とバイオリンの切なく美しい旋律がたなびくように何度も奏でられる。私は音楽に包まれているだけでなく心も身体も癒され支えられているのがわかりました。猛烈な勢いでクラシック回帰に向かっているのがわかります。オデッセイでクラシック音楽が聴けるのも後押しとなっています。

大学生の時、図書館で音楽之友社の『音楽史大図鑑』を見つけました。目を引いたのはブラームスやリストの若き日の姿でした。整った目鼻立ちの凛々しさは音楽への情熱を彷彿とさせているように思いました。伸びた髪とひげの年老いた巨匠ではなくあふれる情熱を内に秘めた若者の姿でした。その情熱は女性にも注がれ、ブラームスはクララ・シューマンを恋い慕ったとか。そのエピソードはどこかで知ったのですが図鑑のブラームスの姿を見て腑に落ちるものがありました。

この今になってブラームスに惹かれるのは何故か。年末に届いたやまだようこ著作集第8巻『喪失の語り 生成のライフストーリー』(新曜社 2008)を読んでいるうちに喪失(死別に限らない喪失)が自分にとっても大きな影響を与えているのではないかと考えるようになってきた矢先のラ・ローチャのブラームスでした。この本は喪失と生成がある意味「対」となって描かれていますが、喪失がもたらす抗いがたい負のエネルギーは何も変わらない。喪失の瞬間から生成が始まっているのですが、当人がそれを身をもってわかるには相当な時間とエネルギーが要る。後者は人であったり本であったり、また、旅であったり、そして、音楽などアートも大切な手掛かりとなり後押しとなると考えます。思えばたくさんの喪失があり、それがどこまで整理できていたのか、これからも時間がかかるのか。私にとっては少なくとも音楽と美術、そして、様々なジャンルの本たちが伴走してくれると思っています。

そんなことを考えながらブラームスについて書かれた文章を読みたいと探っていたら新保祐司著『ブラームス・ヴァリエーション』(藤原書店 2023)を見つけました。書影の帯には次のようにあります。

ブラームスを通して歌う“近代への挽歌”
コロナ禍の逼塞の日々に、にわかに耳を打ったヨハネス・ブラームス(1833-97)。
ベートーヴェン以後、近代ヨーロッパが黄昏を迎える19世紀を生きたこの変奏曲の大家の、ほぼ全作品を「一日一曲」聴き続ける。
音楽の主題から、文学・思想・人間・世界・文明へと自在に「変奏」を展開し、現代への批判の視座を見出す、文芸批評の新しいかたち。

今の社会状況の中で、今の人が、今の言葉で綴った本であることに何かしら私が思い巡らす喪失に通底するものがあるのではないかと早速取り寄せることにしました。

喪失を生成へとつなぐ針と糸はどこにどんなふうにあるのだろうか。

元旦に届いた本

新年早々の大きな地震で防災意識が下がっていたことを痛感。

元旦に届いた2冊の本は、上野千鶴子著『八ヶ岳南麓から』(山と渓谷社 2023)と上野の森美術館の「遠藤彰子展 魂の深淵をひらく」図録(上野の森美術館 2014)です。

上野千鶴子著『八ヶ岳南麓から』は著者が20年前に建てた八ヶ岳南麓の自宅を巡るエッセイですが単に八ヶ岳高原の風光を愛で暮らしの素晴らしさをなぞるようなものではなく上野氏の鮮やかな切り込みが随所にあってすこぶる面白さがあります。「理想と現実」が描かれているように見えて双方が相対する位置にあるのではなくそのどちらをも同じ目線で見て一喜一憂しながら全体として楽しんでいると読んでいます。社会学者の透徹したまなざしはもちろん鮮やかです。「クルマ道楽」に出てくる車には手が出ませんが氏の生き方を象徴しているかのようです。「中古別荘市場」に出てくるポルシェに乗るという夢を果たさずに死んだ男友だちを「やりたいことをやらずに死ぬなんて、ばかなヤツ、とわたしは彼を悼んだ。」という一文は友への最高の弔いであるにちがいないし今の私への応援メッセージと勝手に思い込んでいます。

もう一冊、上野の森美術館の「遠藤彰子展 魂の深淵をひらく」図録は前々から気になっていた遠藤彰子の「画集」です。遠藤彰子の絵は前々から印象に残っていたのですが、新宿書房から出ている「野本三吉ノンフィクション選集」のカバーに使われていて見る度に気になってきていました。私は遠藤彰子の街シリーズというのか、建築物と人、とりわけ子どもが歪む空間に描かれている絵が気になって仕方がないのです。遠近感のようなものはありながら伝統的な遠近法ではなく遠い近いではなく時間の歪みを感じさせる絵で、そこに描かれている子どもの姿もまた一人ひとりが心というか魂を奪われているかのような没頭感があって怖さは一様ではないが目を逸らすことができないのはなぜ?と考えてしまう。その1点1点が100号超というから上野の森美術館の迫力は相当なものだったことと思います。絵と時間について、他のことも気になっていてしばらく追うことになるでしょう。

夕刊

朝から2~3週間分の新聞の切り抜きをしました。紙面をていねいに見ると何時間もかかってしまうので早朝から取りかかりました。切り抜いた記事は30くらいでしたが結構セレクトしての数です。新聞は紙1社、デジタル2社と契約をしていますがデジタルであっても紙面で読むビューアーをよく使います。テキストの見出しだけでなく紙面全体を見るほうが私にとって大事な記事を見つけやすい。不思議なものです。

8月頃にずっと夕刊を見てないことに気づいて新聞販売店に電話で聞いたところ、なんと、私が住んでいる地域は夕刊の配達がなくなったということでした。5月に。そうか、その頃は右足首を骨折していて新聞の切り抜きどころではなく新聞そのものもほとんど見ずにいたので夕刊が配達されなくなったことに気づかなかったわけです。知らずに新聞販売店に電話で尋ねたことが恥ずかしいやらおかしいやらでした。

夕刊は前々から文化関係の記事が多くてそれが楽しみでした。今、紙面ビューアーで夕刊の紙面を見るとやたら懐かしい。文芸や美術、哲学、映画、演劇、社会学系の記事が織り込まれたように並んでいるのを見ると落ち着きます。インターネットもない頃、地方で育った私には新聞はまたとない情報源でした。とりわけ夕刊の文化関係の記事は文字通り文化の香りをふんだんに伝えるものでした。本の広告は今もそうですが1面下に縦書きで並んでいて時には切り抜きもしました。大学生のときも新聞を購読していて友人もやはり何人か購読していました。そういう時代だったのでしょう。

伊那毎日新聞の54年間の全発行紙面はアーカイブとなっていて閲覧を申し込むと無料でインターネット上で読むことができます。上伊那地域の教育も研究の対象となっているのでこれがとてもありがたく役立てています。管理している会社には感謝しています。こちらです。

北総門山ヒメシャラの森

先月末に論文を提出してここしばらくのつっかえが取れて身軽になったので今日は大台町の北総門山ヒメシャラの森に行って思う存分写真を撮ってきました。早朝5時半過ぎに自宅を出てヒメシャラの森の前の駐車場に着いたのは7時でした。途中、コンビニに寄ったり展望台まで行って戻ったりしてロスはありましたがなんとか最高の光の時に間に合いました。

第3駐車場に車を止めて登山靴と雪山用のダウンパーカーという出で立ちで遊歩道に向かいました。そこは車いすやベビーカーで回ることができるようにコンクリートと木道(樹脂)がしっかり整備されていました。ヒメシャラの紅葉は終わっていましたが滑らかな幹の肌が朝のやわらかな日差しで橙色のグラデーションともみじの紅葉が絶妙なシーンとなっていました。私はシャッターを押し続けて撮った写真は300枚余になりました。かわいた落ち葉に仰向けに寝てその弾力を感じながらヒメシャラの幹や葉を落とした白い枝、もみじの紅葉を青空の下で眺めるのは至福のひとときでした。

今回使った機材はCANON EOS RP+アダプターEF-EOSR+タムロン Model A010 28-300mm F/3.5-6.3 Di VC PZDでした。これ1本と絞ったわけではありませんが交換する時間もレンズを選ぶ逡巡も惜しんで森にただただ浸っていました。信州も鈴鹿も大高も魅力的ですが北総門山ヒメシャラの森だけでなく道中の景色も時間をかけて歩きたいと思ったところがあって大台町はまた訪れたいと思いました。

あと、今回初めて使ったのはモンベルのベビーケアバッグというショルダーバッグでした。カメラバッグとしてです。モンベルオンラインショップではアウトレット扱いになっていてフリマでは出産祝いに贈られて使われなかったものが手頃な値段で複数出品されていてそこからの調達です。贈り物ということで値札は切り取られていましたが未使用品でした。袋から出して生地に触れた瞬間、その上質さに驚きました。色はハニーという深みがあるオレンジ色でベルトは黒です。おむつを換えるとき赤ちゃんを寝かすためのクッションが収納されていてノートパソコンをそこに挟むとプロテクターになると思いました。果たして、そうやってメッセンジャーバッグとして使っている人がいるようでした。ベルトの肩当を端にずらすとたすき掛けしたときにバッグをするすると移動させてアクセスしやすくなったり、そもそも生地が適度に滑るので体の動きのじゃまになりません。いわゆるマザーバッグとしてはやや小さいのではないかと思いますがインナーボックスを入れるとカメラバッグとして秀逸で私の使い勝手によく合っています。

ヴィターリ*シャコンヌ ト短調

SNSでヴィターリのシャコンヌ ト短調が耳に入って聴き入ってしまいました。これはただごとではないと。YouTubeで高橋亜衣が弾く同曲を聴くに及んではその音の張りと表現の明晰さに惹き込まれました。手元に置いて車で聴きたいと調べましたがCDなどの媒体は出ていないようで残念至極。仕方なくiTunes Storeで聴き比べてもなかなか決まらずYouTubeを見るとDeucalion Projectというチャンネルで「ヴィタリのシャコンヌ聴き比べ」がありました。この中のヤッシャ・ハイフェッツの演奏がすごかった。流麗かつ強靭でカモメが風に逆らいつつも空をめくるめく舞うような浮遊感があって彼の持ち味が十二分に発揮された演奏だと思います。でも、今日の私には高松亜衣のシャコンヌが身近です。録音もあると思いますが張りのある音がとてもいい。演奏者には不本意なことと思いますがここしばらく闘うような演奏が聴きたいのです。

この曲は私には10年練習しても弾けそうにない。でも、楽譜を注文してしまいました。

先月、第九の練習の前に同じ施設にあるミュージックルームを1時間借りてバイオリンの練習をしました。久しく構えたことすらないブランクがあって如何ともし難い無理無理感がありましたが“音害”を気にすることなく音を出すことができて1時間はあっという間に過ぎてしまいました。音階練習をしただけですがなぜか濃い時間となりました。音階練習と好きな曲を弾くというメニューでしばらくというかエンドレスで続けたいと思う。

愛媛にて

20231118
明日、愛媛大学で開催される研修会の前乗りで愛媛に来ました。朝6時半に自宅を発って紅葉と昼食にねらいをつけた霧の森に着いたのは11時半でした。ナビ通りの5時間でした。道中は時折降る冷たい雨と風で車外温度計は5~7℃という表示でした。霧の森も冷たい空気に包まれていて紅葉は見頃なのに日差しは時折のぞかせるだけで人影もまばらでした。四国山地の山は雪景色でした。ところがレストランや菓子工房にいると次から次へと訪れる人たちがいました。私もそのひとりでおすすめの四季膳をいただいて芯から温まりました。

道中車で聴いたラジオ番組は「石丸謙二郎の山カフェ」でした。今日のゲストは気象予報士の猪熊隆之氏だったので楽しみにしていました。トンネルが多いので電波が途切れるのを心配していましたがなんとか全編を聴くことができました。猪熊氏はケガのため登山家を断念、気象予報士の資格を取得して山の気象情報を専門に提供する会社を立ち上げました。著書は面白く読みました。猪熊氏の登山に対する考え方は科学と経験に基づいたもので著書も今日の話も知性が感じられて好感をもちました。面白かったのは「やる気のある雲」と「やる気のない雲」という表現でした。「やる気のある雲」は上へ上へと昇って雨を降らすが「やる気のない雲」は雲海のように横に平たく拡がって天気は晴れに向かうということでした。そういえば日本にいてどうしてエレベストの天気がわかるのかというところで「雲の気持ちになったら天気がわかる」と猪熊氏が書いていたか話していたかという記憶があります。「雲の気持ち」とは主観的でいい加減な印象がありますが、でも、そうなんでしょう。いろいろなデータを前にして最終的に人が判断するときの心持ちのようなものだと思います。飛躍するようですが情緒性に通じるところがあるのではないかと思います。遠くエベレストで山に登る人たちのリスクを一身に背負うことのあまりの大きさを思う。

明日の研修会の参加者への「注意事項」はカジュアルでと冒頭にあります。私は茶系の丸首のセーターとブルージーンズ、ミッドカットの黒のトレッキングシューズにしました。セーターを着続けると汗をかくかもしれないと心配もありましたがちょうど良いくらいで車から出るときはダウンだったりコードだったりとあれこれ試すのも楽しい。こんなに寒いのだったらカリマーの白いダウンジャケットを持ってこればよかったと、そう思い巡らすも楽しい。明日の研修会の参加者への「注意事項」はカジュアルでと冒頭にあります。私は茶系の丸首のセーターとブルージーンズ、ミッドカットの黒のトレッキングシューズにしました。セーターを着続けると汗をかくかもしれないと心配もありましたがちょうど良いくらいで車から出るときはダウンだったりコードだったりとあれこれ試すのも楽しい。

竜ヶ岳

3連休初日の11月3日、鈴鹿イレブンの竜ヶ岳に登りました。天気は晴れマークが並ぶ登山日和で時折流れるように吹く風は冷たかったものの暑い一日でした。私にとっては骨折後初の本格的な登山で右足首だけでなく脚全体を気づかいながらの山行だったので「時間がかかったな」とYamapのデータを見ていました。ところが前回2021年11月のデータとほぼ同じとわかって驚きました。私の山行はスピードが遅いことに加えて写真を撮るためにあちこちで小休止となるので標準とされるコースタイムの1.5倍くらいかかってしまいます。右足首は体重をかけるには問題はないのですがまだ思うように動きません。その状態でほぼ同タイムなのでそれが私の「実力」なのかと苦笑をしてしまいました。以下、備忘のために記します。

【今回】2023年11月3日
タイム8:41,距離11.1km,のぼり1054m,くだり1056m,平均ペース110-130%,消費カロリー1983kcal

【前回】2021年11月6日
タイム8:35,距離10.09km,のぼり997m,くだり989m,平均ペース90-110%,消費カロリー1951kcal

竜ヶ岳は宇賀渓から遠足尾根のコースをピストンしました。頂上付近へのアプローチは視界が開けて気持ちよく、もっと時間をかけて景色を堪能しながら歩きたいと思ったほどです。空は湿度が高いのか遠くの山々は霞がかかって春の景色のようでしたが真上は晴天で頂上で仰向けに寝転がっても顔が熱くて2~3分が限界でした。同行の知人が淹れてくれたコーヒーをいただきながら1時間弱滞在して下山をしました。私にとっては難易度、体力ともに竜ヶ岳が限界かと思いました。

遠足尾根はこの2年の間に整備が始まっていて稜線の一部には木道が設置されていました。頂上への最終アプローチに続く荒れたところには木枠と大き目の石が埋め込まれて歩きやすくなっていました。宇賀渓キャンプ場は北欧風のロッジが建てられてオープンしたとのことですが今回はそこまで行きませんでした。

竜のコバ(宇賀渓観光案内所)

児童合唱

今週、小学校5年生の学年合唱を指導する機会が2回ありました。市内の連合音楽会に向けての練習です。日頃から歌いなれている子どもたちなので「こう歌って!」という指示になんとか付いていこうと約100人の子どもたちの躍動が伝わってきました。

曲は「もみじ」と「気球に乗ってどこまでも」の2曲です。どちらも3度の和音が平行するところが難しいわけですが「音を狙って!」と人差し指で音の上がり下がりを示すと面白いくらい付いてきました。

私が担当したのは2時間で、2回目のときはちょっと欲を出して「音楽に表情を付けよう」と切り出しました。表情の付け方のひとつ、楽譜の強弱記号の通りに歌ってと言うと冒頭を楽譜通りmp(メゾピアノ)で歌い始めるのは「違和感があります」と質問がありました。mpやpでの演奏は音楽の醍醐味のひとつですが小学生にはちょっと難しいか。それでも冒頭をmpで歌い始めようとする子どもたちの表情は真剣でした。

練習が進むにつれて身体(からだ)を揺らしたり手を回すように動かしたりと身体全体で奏でようとしている子どもが増えてきました。2時間で私が手がけたことはほんのわずかですが「先生の時間はこれでおしまい」と言うと「エーッ!」という声がして楽しんでくれたことが伝わってきました。

思い返すと小学校で合唱の指導をしたのは25年ぶりでした。それこそ「エーッ!」と思いました。それでも指がピアノ伴奏を覚えているのは人間の驚異なのでしょう。「気球に乗ってどこまでも」は初任の山里の学校の講堂で古いグランドピアノを夜な夜な練習した曲です。今週のように小学生の合唱を指導する機会はこの先ないかもしれない。それでいいわけですが、そう思うほど私にはとても楽しい2時間でした。

昨年、小学校の音楽の副教材のCDのセットと伴奏集、数冊の歌集を揃えました。教室に入りづらくいわゆる別室に登校する子どもたちといっしょに歌うためです。何曲かはパートに分かれて合唱もしました。その時、ひとりの子が「もみじ」という歌を知らないとつぶやいたとき、私の中で何か鉄槌のようなものが振り下ろされたように思いました。それが何だったのかは今もわかりません。「もみじ」を知らないとはどういうことか。別に「もみじ」を知らなくてもおとなになれるし生きていくことに差し障りがあるわけではありません。でも、私は「それってどういうことなのか」と自分に問いました。今も問い続けています。

昨年調達した児童合唱のCDはお気に入りを選んでオデッセイのHDDに入れてよく聴いています。私が小学校を離れて四半世紀の間にすてきな歌がたくさん生まれたことを知りました。子どものときにしか奏でられない児童合唱は珠玉の音楽だと思います。