月別アーカイブ: 2009年10月

佐伯祐三 絵画 vs 写真

『太陽』(平凡社)No.203、1980年3月号の特集は「佐伯祐三 絵画 vs 写真」でネットオークションでプレミアもつく1冊です。今日、移動途中で入った古書店で探していたこの『太陽』を見つけて飛びつきました。値段はなんと缶コーヒーよりも安いコイン1枚でした。この特集は佐伯祐三が描いたパリのシーンを写真家の高梨豊が写真で“描く”というものです。カメラというハードを使う時、レンズの画角が重要な要素となってきます。佐伯祐三のものの見方、彼の精神の内側を垣間見る手段を選ぶような感覚になったことでしょう。パリでの高梨豊の模索が伝わる写真と佐伯祐三の絵が並んでいます。単なる紀行ものではない。いつだったか、このときのレンズは50mmですべて撮れるように思えたという高梨豊のコメントがテレビ番組でありました。私はそのことに惹かれました。画家の眼と写真家の眼のクロスポイントが示されたようでした。
ところで、この『太陽』は22〜23ページに書店の納品票がはさまれていて、いつ、どの書店が誰に本を納めたかがわかりました。書店は市内で、納品先は勤務先も名前も記されています。読む人の時間のひとこまも見えるようでした。同じ仕事の人だったからその分思うところも少しばかり多いのでしょう。私も市内に勤務していた頃はその書店から何冊か購入したことがありますがいつしか閉店してしまいました。教育関係が充実していたので残念です。
来週から寒くなるとのこと。冬支度です。

加藤和彦

NHK-TVで「加藤和彦さんをしのんで」がこの日曜日の深夜に放送されました。わずか50分の番組ですが貴重な映像と音楽が詰まっていました。思えば「あの素晴らしい愛をもう一度」は1971年、私が中学校2年生の時なので彼の曲をずっと聴き続けてきたことになります。大学の時、大阪のライブに行ってその音楽のスムーズさとキレのすごさに圧倒されて私の音楽世界が劇的に広がったように感じたことがあります。こんな音楽もあるんだと。この番組は当時のものだけでなく比較的最近の活動も紹介しています。再々結成のサディスティック・ミカ・バンドの音の造り、構造も緻密さと風通しのよさを感じさせる心地よさがあります。2002年の「ザ・フォーク・クルセダーズ 新結成記念・解散音楽會」の映像も興味津々です。(このコンサートは11月1日(日)13:00-14:52 NHK-BS2で放送とのこと) 飯島真理が歌ったアニメ「超時空要塞マクロス」の「愛・おぼえていますか」も彼の作曲と知ってびっくりです。この曲はiPodにも入れています。彼が亡くなったとき、こんな記事をネットで読みました。「加藤さんは、くしくも19日発売の夕刊フジで、創作上の悩みを語っていた。インタビューは9月28日に行われ、作曲について「89点から92、93点ぐらいの曲はすぐできる。でも、100点じゃないとまずい」と妥協を許さない姿勢を明かしていた。」(SANSPO.COM 2009.10.20)彼の自殺はうつ病の悪化との精神科医のコメントも出ていますが、このエピソードは彼の音楽に対する真摯な姿勢が伝わって私は文字通りストレートに受け止めたい。
自宅の前の通りのシンボルツリーはハナミズキです。その葉が紅葉して逆光の朝日に光る様はきれいです。あっと思っても写真を撮る時間はない。明日と思ってもその美しさは今日のもの。明日は明日の輝きがある。

寺島尚彦

南こうせつ「サマーピクニックフォーエバー in つま恋」2009/9/20の続きを観る。夏川りみが沖縄の言葉で歌う「アメイジング・グレイス」や夏川りみと森山良子、BIGINの「涙そうそう」、そして、森山良子の「さとうきび畑」は圧巻でした。とりわけ「さとうきび畑」は思い出すこと多々ありました。この曲の作詞作曲は寺島尚彦です。私が彼の歌に初めて出会ったのは玉川学園小学校(現在K12)、曲は合唱曲『街は大きくなりすぎた」でした。もう四半世紀も前のこと。その後、伊勢のレコード店で偶然見つけた「合唱ファンタジー 動物の謝肉祭」が長谷川冴子指揮の東京少年少女合唱隊だったことから聴き込んでしまいました。そして寺島尚彦作詞作曲の「さとうきび畑」です。彼はシャンソンでも仕事をしています。幅広い音楽を手がけていることが創作の幅のみならず深みを増していることは腑に落ちるところです。こんなことを書いていると「動物の謝肉祭」がまた聴きたくなりました。レコードプレーヤーが要る・・・

『やがて目覚めない朝が来る』

週末を迎えて開く本、先週から読んでいるのは大島真寿美の『やがて目覚めない朝が来る』(ポプラ社 2007)です。帯の言葉は「やさしく、うつくしい時間を、私たちはともにしている。」です。大島真寿美の本には学校に行かない子どもがふつうに登場します。学校に行かないことがトピックにすらならない物語です。学校に行かないことは物語の背景のひとつとしてそっと描かれているだけです。学校に行っていても宿題のことがそっと描かれているだけなのです。学校という仕組みの枠外で物語は何の差し障りもなく進んでいきます。そんな世界があるということ、そのこと自体が新鮮であり、少しばかり心もとなくもあるところが私の複雑なところでもあります。
南こうせつ「サマーピクニックフォーエバー in つま恋」2009/9/20のハイライトがNHK-BS2で放送されて録画したものを少しずつ観ています。見応え聴き応えのあるライブです。この番組は出演者の生まれた年がテロップで出るところが興味津々です。50代から60代のなんと元気なことか! そして、音楽的に進化しているところがすごい。奏で続ける者のみが得る表現だと思います。まだ全部を観たわけではありませんが、尾崎由美(Vo & Piano)と小原礼(EB)のデュオの「オリビアを聴きながら」が圧巻です。ピアノ(MOTIF)とエレキベースのみの伴奏はもはや伴奏ではなく、「ヴォーカルとピアノとエレキベースのための“オリビアを聴きながら”」という表題がふさわしい音楽性があります。

10月の日曜日のポコ・ア・ポコ

10月の日曜日のポコ・ア・ポコは10家族のみなさまに来ていただきました。暑くも寒くもなく、細く開けた窓からさわやかな秋の風が流れていました。その子なりの参加と絶妙なリードやガイドの保護者とのコンビネーションで和やかながらもメリハリのあるセッションでした。最期の大きなシャボン玉がうまくできなくてもずっと待っていてくれて、私の方が助けられているように感じました。感謝、感謝です。さて、インフルエンザが気になります。来月は無事開催できるでしょうか。
iPodの曲を400曲ほど削除してブラームスの五重奏曲と六重奏曲、そして、ヴィオラ・ダ・ガンバのアルバムを入れました。どちらも落ち着きのあるおとなの音楽です。ヴィオラ・ダ・ガンバが奏でる古典音楽は音楽の核なるものを聴かせ教えてくれるようです。バッハの無伴奏ソナタの系譜だと思います。

子どものためのホスピス

今日のNHK-BS2「週刊ブックレビュー」は開高健の特集でした。茅ヶ崎の開高健記念館でのロケです。私は彼の晩年の一部しか知らなくて今日は食い入るように観てしまいました。私が知る開高健は、旅、釣、食、酒という4つの言葉でイメージされています。ベトナム取材はなぜか私の印象にはありません。ベトナムで石川文洋と出会っていることは何かで読んだことがあるように思いますがやはり印象に残っていません。今日の番組ではベトナムで文字通り「生き残った」体験なくしては彼の文学はなかったであろうというコメントがありました。彼の文体は「重力を持っている」とのコメントも興味津々で「闇三部作」も読んでみたいと思いました。
「週刊ブックレビュー」を観ていたとき、外で車が止まる音とレジ袋の音がしました。後で見ると玄関のドアに宅配のメール便がぶら下げてありました。先日注文したブラームスの弦楽五、六重奏曲(全曲)が届いたのです。パッケージを開けて聴く頃には再び雨が降り始めていました。ロンドンに住んで室内楽のコンサートを定期的に開いている葉加瀬太郎はブラームスに取り組んでいるとのことです。私がブラームスを再び聴くようになったのは、これは年のせいでしょう。演奏はアマデウスSQで、録音は60年代後半ですから半世紀近くも前のものですが明るくつややかな音色とゆるやかな音楽づくりが心をおだやかにして聴けるものとしています。若々しいブラームスです。
朝日新聞土曜版「be on Saturday」の日野原重明「98歳・私の証 あるがまま行く」でカナダの子どものためのホスピス Canuck Place が紹介されていました。「カナックの家は4階建ての豪邸で、100年以上前に建てられたときの外観のまま歴史的建築物として保存されています。1エーカー(約1200坪)の敷地の庭には、大きなヒイラギや杉の木、美しい草花に彩られ、おとぎの国に出てきそうな小さな家やブランコなど、子どもの喜びそうな遊具が置かれています。がんを患う子どもたちがここで最期の時間を過ごし、庭の好きな子どもが母親に抱かれたまま、芝生の上で亡くなるケースもあったとのことです。病室には9人の子どもが入所でき、どの部屋にも出窓があって明るく、壁には美しい色の壁紙が張られていました。4、5人の家族が一緒に寝られる家族室もありました。ギターやピアノが置かれた音楽療法室や美術室もあります。「Volcano(火山)」という名のついた部屋は、イライラした子どもや心の平静を失った家族が大きな声で叫んだり、物を投げつけたりしても大丈夫なように、防音装置が施され、壁もこわれないようになっています。小児科医3人と家族医1人のほか、24人の看護師や助手が勤務し、宗教家やカウンセラー、ソーシャルワーカーもいます。300人のボランティアが交代で運営を支えています。」全文を引用したいくらいの充実ぶりです。運営は寄付でまかなわれて入院費はとらないとのこと。日本と大きくちがいますね。ほんとに大きくちがう。気持ちはちがうことはないはず。でも、社会のあり様はちがう。子どものホスピスだけでなく、一人一人を大切にする仕組みをどうつくっていけばいいのか、考えている人は多いと思います。ほんとにどうしていけばいいのか。

『色を奏でる』

大型書店に行くと書店は品数かと思うことがあります。この本も地元では出会うことが難しかった1冊です。志村ふくみ・文、井上隆雄・写真『色を奏でる』(筑摩書房 ちくま文庫 1998)です。この本は写真がまず目に飛び込んできました。草木染めの布の色合いのなんとやわらかなことか。こんな色、こんな写真があったのかと驚くばかり。志村ふくみの文も心に流れる時間を丹念に綴ったかのようなゆったりとした、でも、確かな抑揚があって趣があります。内容も深い。草木染めがこの本を作り上げたのだと思う。毎年増刷を重ねていることにも驚く。この本も根強い人気があり、私もやっと辿り着いたというところか。今日は文具店で「色彩雫」(いろしずく)という万年筆のインキを初めて見て色に敏感になっていたからかも知れません。この本には日本の色がたくさん出てきます。自然の色を名付けてきた文化の長さと深さを思わずにいられない。

『魔法使いの伝記』

佐野美津男著(小峰書店 てのり文庫 1989)のこの本をアマゾンのマーケットプレイスで見つけて取り寄せました。ハードカバーもこの文庫もすでに絶版になっていますが根強い人気がある本です。私も時々読みたくなりながらも前に買ったハードカバーは手放したので思い出すだけとなっていて実に27年ぶりの購入です。この本はヨーコという小学校5年生の女の子が所沢のおばあさまから魔法使いになるための手ほどきを受けて成長する物語です。今読んでみるとかつての印象とずいぶんちがいます。もちろん、私の読み方がちがっているということです。まず、読むこと自体がすごく心地いい。センテンス毎にくっきりと浮かんでくるものがある。自分の中に物語がひとつの構造を作っていくのがわかる。それは読みやすいとかわかりやすいとかいう表現では説明できない次元のものだと思う。私は児童文学や言語についての著者の考え方を前にハードカバーを買うときに別の雑誌(『翻訳の世界』日本翻訳家養成センター 1982 2月号)で読んでいるので余計にそのことを考えてしまいます。「すくなくともわたしは、児童文学を、ことばによってなにかの出来事をつたえるものだとは思っていない。わたしの考える児童文学は、ことばを子どもたちにつたえるために、なにかの出来事をもちいるものなのである。」今回、私が『魔法使いの伝記』を読んで強く感じた印象は、私の中で言葉がまさに再構成される営みであったように思えるのだ。こうして獲得される言葉は人をして対人関係という世界を広げる力となる。ネットで調べてみるとこの本が根強い人気を博していることがわかってきました。入手が難しいので図書館で借りた本をワープロで全文を打ち直した人までいたのには驚きました。ただごとではない本だと思う。
台風18号と前後して届いた本は他に2冊あります。宮下マキ『その咲きにあるもの』(河出書房新社 2009)と『AERA MOOK 姜流』(朝日新聞社 2009)です。『その咲きにあるもの』は乳がんの女性から撮影を依頼された写真家 宮下マキが撮ったフォト・ドキュメントです。『AERA MOOK 姜流』は夏目漱石を語り続ける姜尚中の関心事が収録されています。この2冊に私はすぐに答えの出ないことの現実の重みや意味を感じています。
今夜は久しぶりにブログを書く時間ができて音楽も聴くことができました。台風一過、秋本番はもうすぐですね。

洗濯日和と衣更え

10日間の書き込みブランクも日々慌ただしくてさすがに週末はよく眠ることができました。眠ることがだんだん難しくなってきているのでほっと一息といったところです。昨日今日と洗濯洗濯洗濯で明日からの雨に備えていました。衣更えです。あと、玄関前の日々草がさすがにくたびれてきたのでビオラのポットと置き換えました。冬の霜や雪に耐えるビオラは頼もしい。
先週は奈良京都方面に出張があって京都熱が再燃といったところです。帰ってから京都のガイドブックを買い直しました。京都は古くて新しい街です。神社仏閣などの文化遺産と大学の多さがその象徴といっていいでしょう。懐かしさも相俟って散策をしたいと思っています。昨日は書店の入り口に京都の旅行本が一角に平積みになっていて驚きました。京都ブームなのかも知れません。私は大学の4年間を京都で過ごしたといってもその頃は名所はほとんど訪れていません。でも、京都の街はただただ懐かしい。私が下宿していた築100年は経とうという土蔵も残っています。
夕方、NHK-TVで矢沢永吉のライブが放送されました。60歳、還暦の武道館です。同年代というには少し年上ですが前を見続ける姿にパワーをもらいました。それは単なるパフォーマンスではなく、身体で伝える音楽という点においても学ぶことが多々ありました。音楽を感じながらリアルアイムで動きをつくっていく矢沢永吉のテンションは相当なものと思いました。このへんに脳科学者が積極的にコメントしてくれるとうれしいのですが…。
夜、やはりNHK-TVの「NHKスペシャル セーフティネット・クライシス」でフィンランドの教育制度を紹介していてその恵まれた社会環境に驚きました。90年代初頭の経済危機に教育に大きく予算を振り向けて次世代を担う子どもたちを手厚く育てる環境を整えた政治家の見識は素晴らしい。子育ての環境も整っている。子育てと教育は社会の責任で担うという発想と制度はぜひ見習いたいものだ。