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音楽を語る言葉


本棚の整理をしていたら初任の頃に書いた文章が出てきました。県教職員組合主催の教育研究会の傍聴報告で、勤務校の地域の教育研究会の音楽部会(小中合同)の資料としてまとめたものです。読んで驚いたのは今も同じ考え、つまり、同じ疑問をもっているということで、それは私がその疑問について何ら進展をさせることなく過ごしてきたということを露わにしています。1984年11月21日の教育研究会資料の抜粋です。

(1)教材の選択
 討議の1日の流れを簡単にいうと、「教材の選択」(午前中)では、音楽の本質に関わること、「何を目指すか」についてたいへん遠回しは言葉ばかり出て「いらだった」正会員も出た。午後「授業のあり方」は、いってみれば技術指導の方法や教師の力量であり、○○先生のすばらしい司会もあってたいへんスムーズな進行で傍聴者の私もたいへんよい勉強とさせていただいた。
 さて、「教材の選択」では、「子どもの求めるもの」と「教師のめざすもの」は対立するかのようであるが、やはり子どもは「よいもの」が好きであり、両者は一致するとの結論になった。
 両者が一致するまでの一般的な流れは、まだ歌唱力があまり身についていない子どもは流行歌の類を好むが歌っているうちに歌いこめないことに気づき、やはり「よい曲」(教師がめざすもの)を求めるようになる、というものである。
 ただ、その流れの中で、子どもが「よい曲」を求めるようになるなで「教師が負けてはならない」という言葉が多く聞かれた。
 私が気になったことは、「教師がめざすもの」が言葉をかえて「いい曲」「名曲」「本当にいいもの」「深みのある曲」「大曲」「より本物の音楽」「教師がめざす最高ものもの」となったものの、では、それがどんなものか、全く話に出なかったことである。
 「そこが音楽のむずかしいところだ」といってしまえば、たしかにそうであるが、これでは音楽に指導に当たっている者としてもの足りなさを感じる。
 助言者の○○先生(横浜市の小学校教師)の指摘は鋭かった。
 「その曲で何を指導するのか」をしっかりとらえていなければ「感動しても次に発展しない」「次に何を与えるか」という見通しをもつ、即ち、「指導は意図的、計画的でなければならない」のである。だが、残念ながら、その具体例は耳にすることができなかった。
 今のところ「いい曲」をはかるものさしは子どもの変容以外にないように思われる。だが、何をめざすかという、もっと根本的なことがわかっていなければ「いい曲」も「本物の音楽」も選べないのではないか。
 ある正会員は「私の偏見」で「教師の好きな歌」を与えていると発言した。
 その方の「偏見」は私の好みと同じだったので私はその「偏見」を偏見と感じなかったが、やはり、教師が自らの耳をみがき、その耳にかなうものを与える図式しかないのであろうか。あまりにさびしいように思える。
 だた、これは見のがすことができない問題であろう。教師自身が問われる問題である。
 午前中の討議をききながら、私は参集のひとりひとりに「あなたにとって音楽とは何ですか?」「音楽はあなたに何を与えてくれますか?」とたずねたくなった。音楽のもつ力の重さ故に、教師は自分と音楽との関わりについて自分の全生活を見わたした上で何らかの信念をもたねばならないと思う。
 また、音楽の力を機能的に分析し、アメリカで注目を集めている音楽療法の観点に目を向けることも必要になってくると私は考えている。
 午前中の討議の中でとり上げてほしい発言もあった。
 「ポップスがどうのこうではなく、その曲がどうやって作られているのか」即ち「メロディーもいい、アレンジもいい」そして「詩の内容が生徒が表現したいものにマッチしている」ことも大切である、という発言である。
 ここでは「詩の内容」であるが、生徒自身が「表現したいものにマッチしている」ことに気づく耳がたいへんすばらしいと思う。
 「表現したいもの」は生徒によって異なるが、受験勉強のつらさの叫びとか、クラス全体が気持ちをひとつにして歌っている喜びを、まさに同時進行の歌で表現できている喜びとか、一般的なものもあるはずである。
 「表現したいもの」が何にしろ、それを表現できる教材とめぐり会った時、生徒はたとえようもない喜びを感じ、心の底から歌えるはずである。そんな教材とめぐり会い、そこに何らかの表現が加わることは、生徒が自分と語り、語るべき自分をつくり、守ることではないのだろうか。
 では、たとえ「詩」だけでもそれがどんな内容のものなのか・・・そこまで探りたいと私は思った。
 次に注目すべき報告、発言をまとめてみた。
 (略)以上

「音楽が機能しているか」という言い方こそ私が今もこだわっている視点です。作曲者や演奏家が音、音楽に託すものは音、音楽が機能してはじめて聴く人に届くのではないか。では、「音楽が機能する」とはどういうことか。このことの言語化こそ私が追い続けてきたことであり、今も変わりなく考えています。今日はとりあえずの備忘録として、また、自分を鼓舞することを目的にアップします。