月別アーカイブ: 2005年1月

「人間存在の根源をなすもの」とは?

■日曜日に川崎医療福祉大学特任教授佐々木正美さんの講演会に行ってきました。キリン福祉財団助成事業スペース版プレイセンター リソースプログラムで、主催はNPO法人体験ひろば☆こどもスペース四日市です。テーマは「子どもへのまなざし~地域で子育てするために~」です。講演は「地域で子育てするため」のノウハウではありません。子どもの育ちの本質を教えてくれるものでした。
■「人間の自立とは相互依存すること」「人間は誰もが存在する意味と価値をもっている。でも、その価値と意味は人間関係の中にしか見出せない。それは人間関係の中にしか実感し得ない。(サリバン)」「基本的信頼(Basic Trust)とは他人を信じることができること、自分を信じることができること」「基本的信頼(Basic Trust)を子どもの中にきちんと育てなくてはならない。」「基本的信頼の獲得には乳児期から幼児期にかけて信じることができることができる人と出会うこと」「育児支援は育児代行ではなく、自分自身もよその子を育てることを支援するということ」「子どもが望む他者とは親が信頼している人」…そして、エリクソンのライフサイクルモデルなど共感と納得の2時間でした。鯨岡峻さん(くじらおかたかし・京都大学大学院人間環境学研究科教授)の関係発達論の両義性と共通する考え方と受け取っています。
■「スーパーテレビ情報最前線・自閉症の我が子へⅡ奇跡の子育て奮闘記」をみました。この番組は自閉症などの発達障害があるお子さんと家族の毎日、そして、自閉症の理解のための考え方を相当ストレートに伝えています。自閉症のお子さん本人の感じ方でのナレーションもいくつかありました。学校のパラダイムへの問いかけもありました。私は価値ある番組と評価しています。
■「…広汎性発達障害(=自閉症)は、発生機序も未だに解明されていませんが、人間存在の根源をなすものについての示唆を与えてくれる興味深い障害です。」(石川 2000)という言葉の重さをあらためて思う。

冬枯れの木たち

■このところ一太郎と“格闘”しています。ある程度ソフトが使えないと仕事の効率が上がりません。そして、ソフトは使い分けるもの。でも、ビジネスにひとつというとExcelと雑誌で読んだことがあります。ラベル印刷などExcelだけではできないこともありますが、データの蓄積と分析はどう転んでもWordではできそうにありません。Excel使いにならないとこの先仕事で新たな価値ある結果を出せないようにも思っています。
■来週は大雪かも知れないと、朝から残り少ないウィンドウ・ウォッシャー液を買いに行きました。1:1の希釈で-2℃まで凍らないとか。ちょっと濃いめにして補充しました。ウィンドウの内側が汚れていると曇りやすいのでしっかり拭いてすっきり。室内も拭いてなんと気持ちいい!
■朝、枯れた畑の草を焼いているところを見ました。その横には冬枯れの高い木立が並んでいます。このところ木をゆっくり眺めるゆとりもありませんでした。山梨県大泉村の八ヶ岳倶楽部でスタッフと話していて、「ここに来るのはいつも冬で花も葉もないとき」と残念そうに言うと、「私は冬の雑木林の方が好きですよ」と返ってきました。冬に葉が落ちる木はなぜか惹かれます。冬枯れの木を思うとチャイコフスキーの「悲愴」を聴きたくなります。

「・・・カルテに書かないこと」

■「障害児医療から カルテに書かないこと」という学研のサイトをよく読みます。最新号の「実践を磨くということ」(吉野邦夫・よしのくにお・国立秩父学園園長・小児神経科医)とバックナンバー最新号の「ああ、『マニュアル』 」(鈴木周平・すずき しゅうへい・大阪医科大学小児科学教室・小児科医)の文脈はこの頃私がよく思うことなので意を得たりです。自閉症スペクトラム障害など発達障害のお子さんの特徴を理解して適切な対応をとることができることは障害児教育に携わる者の必須の条件です。でも、支援やケアの単なる「マニュアル化」はヒューマニズムの放棄だと思う。人権の無視だ。人生はもっともっと複雑なもの。これは障害のあるなしに関係のないこと! 「マニュアル化」で済むならいろんな課題はみんな解決しているはず。「答え」がないから惹きつけられることってたくさんある。子育ても教育もそう! 「久里浜だより」の国立特殊教育総合研究所での研修もそうだった。今も「答え」を探し続けています。「答え」を見つけたかな…と思うとすでに次の「答え」を探してしまう。終わりのない旅だ。それでいい。その営みこそ人が人たる所以ではないのか! 「…カルテに書かないこと」もEBM(Evidences Based Medecine=確証に基づく医療)のパラダイムに収まり得ない人間の「詩と真実」だと思う。この「詩と真実」を見つめ続けることが学校の先生の「詩と真実」ではないのか!
■来週は大雪かも知れないとのこと。スクールバス係の憂鬱は続く(-_-)

「First PC」

■「First PC」(アスク 1997)というコンピュータ・ソフトを勤務先の養護学校の授業でよく使います。Windows95のソフトなので起動に工夫が必要ですがWindowsXPでも動きます。このソフトのいいところはリアルタイムのフィードバックが子どもたちに親しみやすいCGとSEで表現されていることに加えて、リアクションにバリエーションがあって意外性があることです。自閉症スペクトラム障害の子どもたちにとってその意外性は外界の変化の不規則性(ノイズ)を最小限の刺激で知らしめてくれるところです。タッチパネルのモニタを使うことで学習のさらなる構造化が可能です。そして、そこに“先生”が“ちょっかい”を出すことで三項関係が成立します。フィードバックがあります。自分の行為が外界への意味あるアクションとなって、それはコミュニケーション手段の獲得につながります。このソフトの“文脈”を分析するとこんな表現になりますが私自身夢中になってしまうくらいおもしろいソフトです。そのおもしろさに瞬時にはまる子どもたちの感性はほんとにすごい! 『発達障害の豊かな世界』(杉山登志郎 日本評論社 2000 ISBN:4535561559)の文脈だと思う。
■携帯FOMA F2102Vのアラーム音がいつの間にか設定とちがっていたのでおかしいと思っていたのですが、果たして、すべての音のテンポが10倍くらい遅くなっていた。着メロなんて間延びしまくってなんの曲だかさっぱりわからない。「5匹のこぶたとチャールストン」が辛うじてわかるくらい。どうして? そんな日が1週間くらい続いて、昨日、なぜかわからないまま直りました。でも、電源が急に落ちてからだから、たぶん、どこかにリセットがかかったのだと思います。FOMAがわからない。完成度を高めるにはまだまだかかるのじゃないかな?
■MISIAのベストアルバム「MISIA Love & Ballads」(BMG BVCS-21037)にはまっています。歌もすごいがバックもすごい! アレンジがいい! 演奏がすごい! 聴き惚れてしまう。だから睡眠時間が短くなってしまう。

料理が好きだ!

■出張でBMWとルノーに同乗する機会がありました。どちらも左ハンドル、そしてマニュアル・ミッションでした。エンジンは1800ccと1600ccでジャスト・パワーです。コントラーブルで車を操るおもしろさを感じました。これはただごとではない! 私の車歴はマニュアル・ミッションでスタートしました。20年も前のマツダ・ファミリアです。ハンドリングはクイック、100km/hを超えてからの路面に吸い付くようなあの感覚は忘れられません。マツダのアクセラ1500ccMTはその文脈に応えてくれそうに思います。マニュアル・ミッションを少なからず残しているマツダと富士重工はエライ!
■「これをしないと人生後悔する!」と思ってしたことがいくつかあります。バイクに乗ること、トライアスロンをすること、音楽療法をすること、この3つです。でも、まだしていないことがいくつかあります。そのひとつはサーフィンです。ロングボードに乗りたい。「久里浜だより」を読み返していて湘南の海を思い出しました。あの頃、人はどうして海を見るのだろう…そんなことも思いました。
■仕事が忙しくなるほどキッチンにいる時間がとても大切なものに思われてなりません。今が旬の小松菜の葉っぱの深い緑とごわごわした手触りが私をリフレッシュしてくれます。揚げ物のタイミングはイマジネーションをかき立ててくれます。料理は同じものを作ってもいつもちがう。新しい発見がある。音楽療法のセッションと同じです。そして、料理は人と人をつなぐものだと思っています。食べることは生きることに欠かせないものだけど手料理は+αの価値があります。料理に心を砕くことの意味の大きさを思うこの頃です。料理店も私の夢のひとつ!

「久里浜だより」を読み返して

■2000年度国立特殊教育総合研修所短期研修知的障害教育コースの短期研修員として派遣された当時のリアルタイムのプライベート・メールマガジン「久里浜だより」をアップすることにしました。
■久里浜だよりの最終号は研修全体について書こうと考えていましたが言葉になりませんでした。メールマガジンを送りつけられた勤務校のみなさんへのお詫びもせずに久里浜だよりは終わってしまいました。そのことをずっと引きずってきました。でも、それがいつしか私のパワーの源になっていることに気づきました。
■この冬休みの勤務先の養護学校での勉強会で使うスライドを作っていて、私の大きなターニングポイントはこの国立特殊教育総合研究所での研修だったとあらためて思いました。第一線の研究者と実践者と出会えたこと、その情熱と真摯さに私はひれ伏す思いの毎日でした。研究することの大切さを肌で感じました。そして、比喩的ですが、私はそこで言葉を学びました。言葉が大切なのだと思い知りました。2か月の講義録は3穴のルーズリーフ数百ページにもなりました。私の宝物です。現任校に赴任して7年が過ぎようとしています。異動があるかも知れません。この7年の間に教えていただいたことを自分の言葉で多くのみなさまにお伝えするときがきているものと思っています。
■最終日の翌日、千葉淑徳大学発達臨床研究センターの音楽療法のセッションを見学させていだたくことになっていましたが台風でセッションは中止となってしまいました。これがとても残念でした。一昨年のセミナーでも台風が来ました。私が淑徳大学に行こうとすると台風もついてくる…今年度も天災に翻弄されっぱなしのスクールバス係でした。いや、まだあるかも! ♪雪が降る あなたは来ない…

3穴のルーズリーフ

■昨年買った鍵盤ハーモニカ、スズキ メロディオン PRO-37 V2を初めて吹きました。とにかく緻密な音でレスポンスがいい。息漏れが少ないので息が吐ききれずに苦しくなる。でも音は大きい。猫のハッピーが開いていた押入の奥に避難してしまった。ハッピーはサックスの音も苦手だ。ゴーシェが弾くチェロに驚くねずみみたいでおかししい。この写真は携帯(FOMA・F2102V)で撮りました。人格をもった猫みたいでちょっと不思議な写り方です。大胆な冒険の旅に出そうだ!
■5年前の国立特殊教育総合研究所の短期研修で毎日使った3穴のレターサイズのリフィルのストックを昨夜探し物をしていて見つけました。今はA4サイズが一般的でレターサイズはマイナーですが、3穴のルーズリーフはどこかおおらかで私は好きです。インスピレーションが今ひとつなこの頃、また3穴のリフィルに思うままを書き留めてみようと思っています。

記録より記憶

■1月の日曜日のポコ・ア・ポコは16家族のみなさんに来ていただきました。大勢でしたが集中力が高くて、でも、お母さんとのやりとりもすごくうれしそうです。私もひとりひとりのお子さんが見えていて、声かけや動作でのアプローチもいつも以上にできたものと思っています。これもお母さん方のポコ・ア・ポコへのご理解のおかげと感謝しています。
■写真の焼き増しでカメラのキタムラに行って久しぶりに店内を見て回りました。いつの間にか店内の半分以上がデジカメで埋まっていてびっくり! 中古のカメラとレンズをチェック。EF28mmF1.8がある! 冷蔵庫のKODAK E100VSの6本組が安かったりして…。時間がないから撮れない写真もあるけど行動を変えないでも撮れる日常の写真を撮らないと何も生まれないなと思う。そうそう、『カメラ日和』(第一プログレス)でこんな言葉を見つけました。「記録より記憶」 私たちは写真を記憶で見ている。私たちは写真に限らず記憶でものを見ている。記憶の色はフィルムで決まるのではないかと思う。今更ながらフィルムメーカーのエンジニアたちの“こだわり”に親近感を覚えます。家に帰って2台のEOS630を久しぶりに手にしました。なんと、2台ともバッテリー切れでした。

パイロットのブルーブラック

■名古屋の大須にAAC(Augmentative and Alternative Communication:拡大・代替コミュニケーション)に使うパーツを探しに行きました。驚いたことにいくつかのショップにLEDの点滅キットがたくさんありました。昨年、発達障害の子どもたちのAACにと相談したアメ横のショップでは私が思い描いていた通りのLEDの“教材”が作ってあってびっくりです。感動してしまいました。私もがんばって作らなくては! でも、探していた汎用のフレキシブルスイッチはありませんでした。
■丸善でパイロットのブルーブラックのボトルインクを買いました。このインクはモンブランのブルーブラックと並んで二重丸の耐水性があるとのこと。ウォーターマンのサウスシーブルーで書いた字が汗で濡れて跡形もなく流れて消えてしまって困ったことがあったのでインクの耐水性は一番の課題でした。でも、顔料インクの証券用のブラックは使いたくない。やっぱりブルーがいい。ブルー系で耐水性があるのはモンブランのブルーブラックとパイロットのブルーブラックとのこと。気難しいモンブランは御免してもらってパイロットのブルーブラックにしました。箱には“水性”とあります。ほんとに大丈夫なのかと帰って試したら、なんと、水に濡れても全然流れない! パイロットのブルーブラックが私の定番となりそうです。
■このところ車でヴァネッサ・メイの「バッハ・ストリート・プレリュード」(J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番) ばかり聴いています。犬の鳴き声も入っていておもしろい。今夜はサラ・ブライトマンのソプラノとナイジェル・ケネディのヴァイオリンのビデオを観ています。そうそう、昨年、大須で見つけたESPのLTD(エレキギター)はまだ半額のままありました。いつか買えるだろうか…

アメリカ文学

■水曜木曜と勤務先の養護学校の勉強会で音楽療法と自閉症の支援について話をする機会がありました。終わってほっと一息、古本屋に寄ってしばし本と過ごしました。『私は「うつ依存症」の女~プロザック・コンプレックス~』(エリザベス・ワーツェル 湯沢千陽訳 講談社 2001)と『アルジャーノン、チャーリィ、そして私』(ダニエル・キイス 小尾芙佐訳 早川書房 2000)を買いました。英語圏の翻訳文学によく感じる文体のテンポが心地いいダニエル・キイスです。その文体へと続く文脈の深さと長さを思わずにはいられません。こんなハードカヴァーをショルダーにほりこんでマフラーを巻いて街を歩きたいと思うのです。
■私は英語圏の文学が好きです。1989年、平成元年3月発行の『小説新潮臨時増刊 アメリカ青春小説特集』(新潮社)は3回の引っ越しとたぶん30回の大掃除にも生き延びて、今夜も本棚から出してパラパラとページをめくりました。この本にはアメリカの作家たちの仕事場の映像もたくさんあってその空間に惹かれます。広くて明るくて窓から見える木立も摩天楼も私の目を惹きつける。
■今日は映画「小説家を見つけたら」をレンタルしました。ショーン・コネリーもいいけどブロンクスで生きる人たちの“個”の存在感がたまらない。そして、言葉の存在感がすごい。“腹芸”ではなく“文芸”の世界だ。今今を生きる言葉たちがそこにあるように思う。自分を探し求めている人たちの言葉が詰まっている。ショーン・コネリーは言う。「君は迷いを書きつけていた “人生をどう生きるか”」 その君がバスケットの名選手であること、身体をしっかり使っているところもいい。
■昨日の勉強会で自閉症の支援について話をするためにスライドを作っていてあらためて思ったのは、TEACCHやペアレント・トレーニングのパラダイムがやはり私にはしっくりくるということです。アメリカらしいプログラティズム、現実的でわかりやすい、そして、本人の意思を大切にするサポートの考え方とシステムです。“You can !”と後押ししてくれるポジティブなところがいい。言葉たちが生き生きとしている。ダニエル・キイスを読んで感じたことでもあるが、アメリカの社会における言葉の存在は日本のそれとはちがうように思う。言葉に確かな存在感を感じる。そこが私を惹きつけるところなのでしょう。