月別アーカイブ: 2023年10月

児童合唱

今週、小学校5年生の学年合唱を指導する機会が2回ありました。市内の連合音楽会に向けての練習です。日頃から歌いなれている子どもたちなので「こう歌って!」という指示になんとか付いていこうと約100人の子どもたちの躍動が伝わってきました。

曲は「もみじ」と「気球に乗ってどこまでも」の2曲です。どちらも3度の和音が平行するところが難しいわけですが「音を狙って!」と人差し指で音の上がり下がりを示すと面白いくらい付いてきました。

私が担当したのは2時間で、2回目のときはちょっと欲を出して「音楽に表情を付けよう」と切り出しました。表情の付け方のひとつ、楽譜の強弱記号の通りに歌ってと言うと冒頭を楽譜通りmp(メゾピアノ)で歌い始めるのは「違和感があります」と質問がありました。mpやpでの演奏は音楽の醍醐味のひとつですが小学生にはちょっと難しいか。それでも冒頭をmpで歌い始めようとする子どもたちの表情は真剣でした。

練習が進むにつれて身体(からだ)を揺らしたり手を回すように動かしたりと身体全体で奏でようとしている子どもが増えてきました。2時間で私が手がけたことはほんのわずかですが「先生の時間はこれでおしまい」と言うと「エーッ!」という声がして楽しんでくれたことが伝わってきました。

思い返すと小学校で合唱の指導をしたのは25年ぶりでした。それこそ「エーッ!」と思いました。それでも指がピアノ伴奏を覚えているのは人間の驚異なのでしょう。「気球に乗ってどこまでも」は初任の山里の学校の講堂で古いグランドピアノを夜な夜な練習した曲です。今週のように小学生の合唱を指導する機会はこの先ないかもしれない。それでいいわけですが、そう思うほど私にはとても楽しい2時間でした。

昨年、小学校の音楽の副教材のCDのセットと伴奏集、数冊の歌集を揃えました。教室に入りづらくいわゆる別室に登校する子どもたちといっしょに歌うためです。何曲かはパートに分かれて合唱もしました。その時、ひとりの子が「もみじ」という歌を知らないとつぶやいたとき、私の中で何か鉄槌のようなものが振り下ろされたように思いました。それが何だったのかは今もわかりません。「もみじ」を知らないとはどういうことか。別に「もみじ」を知らなくてもおとなになれるし生きていくことに差し障りがあるわけではありません。でも、私は「それってどういうことなのか」と自分に問いました。今も問い続けています。

昨年調達した児童合唱のCDはお気に入りを選んでオデッセイのHDDに入れてよく聴いています。私が小学校を離れて四半世紀の間にすてきな歌がたくさん生まれたことを知りました。子どものときにしか奏でられない児童合唱は珠玉の音楽だと思います。

山行とその支度

昨日は八ヶ岳に行く予定でしたが現地の天候が良くないので地元の香肌イレブンの烏岳に登ってきました。駐車場から山頂まで半分くらいは茶畑の中のアスファルト舗装の道路とコンクリート舗装の林道でしたがその林道が曲者でした。急坂で3か所ほど流れる水で苔むしているのです。登るときから下山は相当苦労することが予感どころか実感するものがありました。果たして、その坂を下るときは足を数センチずつ動かすのがやっとでほとほと疲れました。知人はここで登頂を断念した理由がわかりました。そんな下山の不安がありながらも山頂は南北に開けていて淹れたてのコーヒーをいただきながらしばしその爽快感に浸りました。

私が行く山は技術度も体力度も高くはありませんがその支度は私なりにあれこれ考えてそれもまた山行の楽しみです。昨日は今回の山行には使わないザックを丸洗いしました。5月に白駒の池の遊歩道で残雪に足を取られて転倒して骨折したときに背負っていたオスプレーのケストレル38です。色は赤で見た目は底に土が薄っすらと付いているくらいでしたがバスタブに15㎝くらい湯を入れて中性洗剤を少し垂らして浸けてもみ洗いをしていくと目に見えるゴミが無数というくらい出て湯は茶色になっていきました。シャワーですすぎをすると最後の最後に5㎝くらいのY字形の木の枝が出てきたのは驚きました。どこに潜んでいたのだろうと。朝洗ってサンルームに干しておくと昨日のうちに乾きました。ザックのファスナーは使っているうちにだんだん動きづらくなってくるものですが丸洗いの後はスムーズに動きました。ザックは1回の山行で汗と泥などですぐ汚れますが度々洗ってあげようと思いました。

また昨日は下山後に香肌イレブンの地元の温泉にコロナ前以来久しぶりに入ってきました。露天風呂一択でした。露天風呂のすぐ前の木々がずいぶん成長していて川の反対側の山の稜線が見づらくなっていました。湯はそう熱くはなく時々上半身だけ湯から出るように座りながらずいぶん長く入っていました。次第に灰色の雲が流れてきて雨が降り出すとなんだかわくわくしてきました。顔に冷たい雨粒があたることで今その時生きていることがストレートに嬉しく思われてきました。雲のまだら模様を見上げて湯に浸かっていると雨が止んで日差しが差し込んできました。雲が流れて青空も見えてきました。「エネルギーをためる」という表現はこんなとき当てはまるのだろうと思いました。

翌日の今日の朝、右足首は腫れも痛みもなくほっとしました。

大正新教育を巡る本たち

門脇厚司『大正新教育が育てた力 「池袋児童の村小学校」と子どもたちの軌跡』(岩波書店 2022)』から芋づる式に知ることになった本が昨日今日と届きました。

■宇佐美承『椎の木学校 児童の村」物語』(新潮社 1983)
池袋児童の村小学校が台の物語ですが登場人物などの解説がコラム風に挿入されていてドキュメントの色彩があります。登場人物の「生」の声は門脇厚司『大正新教育が育てた力 「池袋児童の村小学校」と子どもたちの軌跡』のアンケートとインタビューを参照することでドキュメンタリー番組を観るようです。

■戸塚廉『児童の村と生活学校 ー野に立つ教師五十年 2ー』(双柿舎 1978)
戸塚廉は池袋児童の村小学校の元教員で池袋児童の村小学校を離れることになった後も雑誌『生活学校』を出版し続けて同校を支援したとのことです。当時の社会背景や裏話がふんだんで貴重な資料です。証言であり一次資料と位置づけられるでしょう。

■石戸谷哲夫・門脇厚司編『日本教員社会史研究』(亜紀書房 1981)
門脇厚司は池袋児童の村小学校の創設から終息の経緯をこちらで書いています。『大正新教育が育てた力 「池袋児童の村小学校」と子どもたちの軌跡』とは文脈が異なります。また、この本の執筆者の中に三重県の現役(当時)の教員ふたりが含まれていることに目が留まりました。ひとりは小学校の教諭、もうひとりは今はなき三重県立幼稚園教員養成所の教諭です。現役の教員でこうした研究書の執筆をするのも「先生」のあり様のひとつと思います。

■橋本美保・田中智志『大正新教育の実践 交響する自由へ』(東信堂 2021)
『大正新教育の思想 ―生命の躍動―』(東信堂 2015)と『大正新教育の受容史』(東信堂 2018)とともに三部作で3冊揃いました。大正新教育の「実践」を俯瞰する本と言えます。情報量は膨大です。

■清水満・小松和彦・松本健義『幼児教育知の探究11 表現芸術の世界』(萌林書林 2010)

私がなぜ池袋児童の村小学校に惹かれるのか。門脇厚司『大正新教育が育てた力 「池袋児童の村小学校」と子どもたちの軌跡』で池袋児童の村小学校に在籍した人たちのアンケートとインタビューを読むにつけて先月末に訪問した長野県の小学校で目の当たりにした子どもたちの姿が重なって仕方がないからです。あれは何だったのだろうと、日が経つにつれて子どもたちの姿が鮮明になってきています。そして、大正新教育は今こそ学ぶべき教育の原点がそこにあるのではないかと、そんな予感があります。

門脇厚司『大正自由教育が育てた力 「池袋児童の村小学校」と子どもたちの軌跡』

門脇厚司著『大正新教育が育てた力 「池袋児童の村小学校」と子どもたちの軌跡』(岩波書店 2022)は浅井幸子著『教師の語りと新教育―「児童の村」の1920年代』(東京大学出版会 2008)を読んでいてそのタイトルから気になって取り寄せたところ驚くべき内容でした。「まえがき」は次の冒頭から始まります。

本書は端的に言えば、今からほぼ100年前の1924(大正12)年の4月、大正大震災(関東大震災)の翌年、現在のJR池袋駅の近くに創設者の一人であった野口援太郎の自宅を校舎に開校した「池袋児童の村小学校」(正式名・池袋児童の村尋常小学校)」という一風変わった名前の小学校に学び卒業した児童たちが、その後どのような人間として育ち、どのような人生を辿り、どのような晩年を送ることになったかを検証した結果を報告するものです。(同書 P.ⅶ)

そして、「まえがき」の終わり際にはこうあります。

あるべき教育についての研究は数多く行われてきました。そして、その中の多くの人たちが個性を重視する教育の大事さと必要性について語ってきました。しかし、実際にそのような教育を行ったらどのような結果をもたらすのか。肝心要のそのことについて実際に検証することなく終わってしまっていたことが、個性教育に舵を切れなかったことの大きな理由と言っていいでしょう。

実際、この314ページの本書のうちおよそ三分の一の112ページは在校した元児童のアンケートとインタビューの報告に充てられていてこれが不謹慎な言い方ですがめっぽう面白いのです。にわかには信じられない回想や感想などが率直に語られています。

児童の村で身に付いたことは、自分で考えて納得しなければ承知できない人間に育ててくれたこと。また、学習は楽しい実践であることを体得した。児童の村で学べたことは幸いであった。(中略)児童の村は完全な無秩序なんですよ。個人的には児童の村でものすごくよかったと思います。何よりも子どもの時に充実した生活ができたということなんですね。(同書 P.250)

54人のアンケートやインタビュー、故人となった元在校生の家族の回想が異口同音にほぼこうした方向で語られているのです。

時間に追われることなく外で遊んだり自然観察をしたり、観劇に出向いたり、異年齢の子どもたちが一つの教室でそれぞれに算数などに取り組むなどしたりしていたことが伝わってきます。習字をしなかったので皆字が下手だったり中学校に進んたとき「回れ右」ができなかったりしたようです。全国学力学習状況調査や進学校の「実績」で云々される今日とはまるでちがう学校であったことがわかります。

そのような学校に子どもを通わせることに不安になった親が転校させることも少なくなかったようです。しかし、同校に在籍した子どもたちのその後、そして、おとなになってから池袋児童の村小学校で過ごした子どもの頃とそこで育まれた自分自身をどう思っているかの語りは今日においては尚更注目するべき示唆に富んでいると言えるでしょう。

あまりたくさん引用すると著作権侵害になりそうですが54人の元在校生の声はそのすべてをここで紹介したいくらいの貴重な「証言」だと考えています。

なお、著者の門脇厚司氏がアンケートとインタビューを行ったのは1982年で、この本の上梓は昨年2022年なのでその間40年の年月が過ぎたことになります。著者は「池袋児童の村小学校の卒業生たちと元教師たちの存命中に本書を目にしていただけなかったこと」に「申し訳なさと同時に慙愧の念が募ります」と「あとがき」に記しています。氏は今年83歳になります。そこかしこの書きぶりに渾身の思いが感じられてなりません。そして、50人を越える元在校生の率直な語りをこうしてまとめて世に送り出していただいたことに敬服し感謝しています。このブログをここまで読んでくださったらぜひこの本を手にしていただきたいと切に願うばかりです。

※この記事は後日修正します。(2023.10.14)

5か月ぶりの山行

先週末、近くの堀坂山(757m)に登りました。468mの堀坂峠からのピストンなので大したことはないのですが5月4日に右足首を骨折してから約5か月ぶりとなります。右足首の違和感は残りますが足首をサポートするミッドカットやハイカットのトレッキングシューズだとその違和感をあまり意識することなく歩くことができます。登山も然りでした。登山には欠かせないCANON EOS M5で写真を撮りながらの登攀なのでペースはゆったりで身体に無理はありません。新調したトレッキングポールもやや重いもののカーボンのような適度の弾性があって余分な振動はないという快適なもので姿勢のバランスを取るのに役立ちました。足首の痛みは全くなく、違和感も時々の小さなものでした。伊勢平野と伊勢湾を見渡す頂上の展望にしばらく見入りました。新型コロナには気をつけなければなりませんがアルプス方面への遠征も計画したいと考えています。

5か月ぶりにフル装備を纏っての感想はハイカットの登山靴はじめ備えあれば患いなしでした。前日から持ち物を一つひとつチェックし始めると一気に登山モードとなりました。晴天とわかっていてもゴアテックスのレインウエアを持ち、午前中のみの活動とわかっていてもヘッドライトを持つ。薄手ですが防寒着を持って水も多めに持つ。そしてリュックのストラップを順に締めていくと気持ちが引き締まる。それゆえにその緊張感が緩んでチェーンスパイクを外した5月の山行が悔やまれます。