月別アーカイブ: 2005年7月

雷雨のポコ・ア・ポコ

■日曜日のポコ・ア・ポコ、今日は始まる前から降り出した雨が雷を伴って大荒れとなりました。10家族とこじんまりで音も小さめで雷鳴もよく聞こえましたが、どのお子さんも全く動じることなく落ち着いてセッションを続けていたことに驚きました。「ここに来てよかった。家だと雷が鳴ると怖がって…」と話されていたお母さんがみえたとか。今日はボールのやりとりもして、人数が少ない分ひとりひとりのお子さんとたくさんのコンタクトをとることができました。
■今日はアテンザでショパンのピアノコンチェルト第1番、ショパンコンクールでのブーニンを聴きました。これも聴ける。アテンザのBOSEはクラシックといちばん相性がいいのかも知れません。明日はアルゲリッチが弾くプロコフィエフとバルトークのピアノコンチェルトのCDを持って通勤です。

バイク・バイク・バイク

■鈴鹿8時間耐久レース前夜祭、風の会のイベントに行って来ました。障害がある人はタンデムシートにベルトで乗ります。みなさんわくわくドキドキしながらも緊張の面差し! それはそうでしょう、ほとんどの人が初めてバイクに乗ります。気温は35℃、コースからは疾走するレーサーのサウンドが聞こえます。西コースの駐車場は8耐ですが一味ちがう空間です。大型バイクと“障害者”…それがどうした! バイクは誰にでも同じメッセージを伝える。ダイレクトに伝わるエンジンの鼓動とサウンド、そして、風…バイクとの一体感は至高の体験です。レーシングコースを1周してきた生徒はトーキングエイドで「かぜがきもちよかったですうんてんおありがとう」とライダーに感謝の気持ちを伝えていました。このイベントがこれからも長く続くように応援していきたい。
■写真は生徒の肖像権の承認をいただいてないので私だけです。(私の右手は車いすに乗った高等部の生徒とガッツのシェイクハンズです。) 私もかつてバイクに乗っていました。バイクをあれこれ見て回りました。このバイクはBMW R1200STです。レーサーレプリカ好きな私にはいまひとつのツアラーですが、ドイツ車ならではの質感は最高です。また走りたい!と思いました。北勢きらら学園の教頭は歴代バイク乗りとのこと。教頭は私で4代目です。えっ、あの人もライダーなのか!と親しみを感じました。
■今日はずっと考えていた月曜日の音楽療法の研修会のレクチャーに大きなヒントをもらいました。キーワードは「ミュージック」です。バイクの鼓動はサウンドとして伝わる。サウンドは時間を区切ることでミュージックと同義だ。時間を区切るリズムは人に安心感を与えてくれる。バイクのサウンドは身体に直接鼓動を伝える。人が音楽を聴く原初の理由はここにあるのだと思う。
■私をいちばん惹きつけたバイクはBMW K1200RSでした。大柄なサイズに相応の太く低いサウンドに“文化”を感じました。車もそうだけどヨーロッパのバイクは魅力的です。ドイツ車は優等生で面白味がいまひとつと思いながらもその完成度と質感に脱帽です。

やっと届いたETCカード

■水曜日、盲・聾・養護学校教育研究大会に行って来ました。今年の講師は明石洋子さんです。障害がある人が地域社会で生活していくためは社会の在り方がいちばんの課題です。明石さんの講演では触れられませんでしたが、理念はICFです。環境因子の課題解決が不可欠です。自閉症と個人の特性に適切に対応したサポートの構築も環境因子の課題です。そして、「養護学校の小学部から高学部までの12年間の過ごし方がその人の生き方にたいへん大きな影響を及ぼす」という言葉にこめられた真意を私たち養護学校の職員はよく考えなければなりません。「学校でできても生活の場まで汎化できなければ意味がない」…その通りです。障害のあるなしにかかわらず、「学校音楽校門を出ず」のようなことでは子どもは育たない。学校という場を超える教育実践が求められているのだ。
■これも水曜日、やっとETCカードが届きました。申し込みから2週間と2日かかりました。通勤時間帯半額のメリットは大きいけど、帰り、夜8時までにゲートを通過することは難しい。昨日初めてETCのゲートを通りました。ほんとにバーは開くのだろうか!? これがけっこう不安で、後続の車がないようにタイミングを見計らって20㎞ほどでゲートに向かいました。「ETCレーンを通過できます」とナビからアナウンスがあって、上がったバーの間をあっけなく通過しました。四日市ICでは「料金は800円です」と、いつもの半額のアナウンスがありました。これから便利になります。
■アテンザで聴くブラームスのシンフォニーはいいものだ。BOSEのコントロールをさわっていたらALCとパネルに出て、0→+3で低音がぐっと豊かに! 低弦のあの響きだ。サブウーファーが存在をアピールする。でも、ALCってなんだろう…
■明日は鈴鹿8時間耐久レース決勝前日で、風の会が主催する「身障者の方をタンデムシートに乗せて走行する活動」のボランティアに行きます。バイクは身体の感性に直接響く乗り物です。マシン=エンジンと風との一体感は乗らないとわからない。感覚統合水準を一気に高次レベルに引き上げる感覚だ。乗馬もいいけどバイクもいい。

久しぶりのブラームス

■この日曜日の「情熱大陸」は指揮者、大植英次でした。大きなアクションのエネルギッシュな指揮は山田一雄を彷彿とさせるものでした。山田一雄は亡くなる1年前、ブラームスを振ってくれました。大植英次が番組で振っていた1曲もブラームスのシンフォニーでした。久しぶりに聴くブラームスはたまらなく優雅でした。後期ロマン派のオーケストラ曲をアテンザで聴くのもミスマッチかも知れないけど案外いいかも…と思いました。夜か雨に煙る日がいい。
■昨夜、アテンザが戻ってきました。ナビのアンテナコードをフロントピラーのトリム内に入れるなどディーラーならではの工作です。ETCのアンテナもダッシュボードに組み込みで全くわからない。4日かかったというのもうなずけます。カー用品店とは価格差以上の仕上がりで納得です。4日ぶりのアテンザ、走り出すとそこは別世界でした。身体に馴染むたっぷりなサイズのシートとポジション、そして、湧き上がるようなパワーは胸のすく思いです。178馬力は伊達ではありません。MTだからアクセルワークに敏感に反応します。両手両足のコンビネーションも快感です。ますますはまります。

繭子のWeather Life

■町内の夏祭りの係なので一日中遠出はできず、祭りの準備の合間に家に戻って夏休み中の講演などの準備をしていました。前任校でストックしてきた資料は価値あるペーパーです。
■昨年度、勤務校の保護者の方からいただいた中日新聞の切り抜きを探しました。「障害児理解で事件防ぎたい」というみだしで、清泉女学院大人間学部降籏志郎教授の著書『軽度発達障害児の理解と支援』(金剛出版 2004)についてのコラムです。その記事の文面は重い。「警視庁や長野県警で、カウンセリングを通してさまざまな子どもたちを見てきた。『なぜ、こんな非行を』と考えたことも『今思えばLDだった』というケースも多いという。『障害を理解して、一人ひとりに接していれば防げた事件ばかり』と過去の事件を思い起こす。『軽度発達障害児とのかかわり方が理解されていけば、子どもたちの幸せにつながることはもちろん、現場で苦労している先生や家族が自信を持って子どもと向き合えるようになる』」 このコラムは直視しなければならない現実を示している。「知らなかった」では済まされない。発達障害者支援法はここまで読まれなければならないと私は考える。
■夏祭りでお菓子の引き換えやドリンクの販売、抽選の参加受付などをしました。私はいつしかマンウォッチングをしていました。学校でもない、会社でもない、地域のサークルでもない、自治会の行事だけどひとりひとりが社会的な肩書きぬきで家族や友だちという最小単位で参加するときに見せる姿は、素のままのその人を見ているようで親しみを感じました。天気は朝からずっと曇りで涼しくて、長丁場だったので助かりました。これも台風の影響だろうか…。今年も防災三重に加えて携帯情報サイトの登録、今年はweathernewsの天気Plusにしました。“weather”から“繭子のWeather Life”を連想してしまった。weathernewsというネーミングは優しい響きの言葉だ。

コーチングのパラダイム

■夏休み早々2日続きの出張で私の机の上はきっと書類の山!
■今日はコーチングの研修でした。コーチングは発達障害の子どもへのサポートの応用の研究が始まっています。話を聴いていくとABA(応用行動分析)のファクターも多々あり。経営品質もそうだ。でも、これってみんな教育がしてきたことではないのか!? ちがうのは「言葉」だ。教育のパラダイムは自らの「言葉」の復権が課題だと思う。
■coach21のテキストで「タイプ分け」をしました。「人との関わりにおける『新しいインターフェイス』の発見。」とのこと。40項目の質問に答えて出た結果は、なんと、「プロモーター」でした。「自分のオリジナルなアイデアを大切にし、人と活気あることをするのを好むタイプです。自発的で、エネルギッシュ、好奇心も強く、楽しさこそ人生と思っています。」「未来を自由に描くことを好む」「話の展開が早く聞き手がついてこられなくなる」…ビジネスコーチという実務のパラダイムでの「タイプ分け」なので納得の結果です。ちなみに「タイプ」とは、「コントローラー」「アナライザー」「プロモーター」「サポーター」の4つです。そして、とても興味深かったのは、それぞれの「タイプ」でグルーピングしたらその瞬間にそれぞれのタイプになり切っているみんなの心理です。「プロモーター」は、もしかしたらADHDかも知れないと思いました。みんなハイテンションで意気投合してしまいました。「タイプ分け」を言い換えると「告知」かも知れません。自分の居所が見つかってほっとする心理ではないでしょうか。もちろん、この「タイプ分け」がすべてではありませんが、この「タイプ分け」で自分と他者との関係をコントロールするしたたかさは実務で有益だと思いました。
■思い返せば、学校というパラダイムを飛び出して、コミュニティーでひとりで音楽療法を始めたのは「プロモーター」の資質のなせるところだったのでしょう。すべからくべくこうなったというわけ。そんなふうに腑に落ちる「タイプ分け」でした。
■ETCとナビの取り付けでアテンザをディーラーにあずけて昨日から代車のデミオに乗っています。排気量も価格もサイズも“半分”ですが、乗ってすごくおもしろい車です。きっと、車の性格を決めるボディの哲学がアテンザと同じなのだと思います。「インテリアの質感」は他社に負けるかもしれませんが、「走る、曲がる、止まる」という車の基本的なファクターで身体が納得するというパラダイムにおいてマツダは相当高いレベルに達していると思います。私の車歴は3代目ファミリアXGがスタートでした。クイックなハンドリングと高速で沈み込むような固めのサスペンション、そしてMTです。私はあの頃のわくわくドキドキを追っているのかも知れません。それは身体が覚えていること。

スヌーズレンの文脈

■金曜日は1日出張でした。休憩には前日に届いた『ICF活用の試み~障害のある子どもの支援を中心に』(独立行政法人国立特殊教育総合研究所・世界保健機構(WHO)編著 ジアース教育新社 2005)を読んでいました。読み進むとタイトルの「試み」という言葉の文脈がよくわかって国立特殊教育総合研究所=NISEのスタッフの熱い思いが伝わってきます。5年前、短期研修員として赴いたとき、スタッフが研究中のテーマまでオープンに語る姿勢に感銘を受けました。そのときのことを思い出しました。私もそのような真摯でフェアな姿勢でありたい。ICFを“共通言語”として個別の教育支援計画が書けるようにしてきたい。そうしていきたいのではなく、そうしていかなければならないと思っています。巻末の「ICF関連資料一覧」の量の多さは頼もしい。「論文等名」を読んでいくと私も頑張らねば!と思うのです。
■この本にはICFのチェックリストの原文も掲載されています。「OTHER CONTEXTUAL INFOMATION」の「contextual」は「背景(の)」と訳されていますが日本語にはない概念だと思います。でも、ICFそのものの理念と体系を必要としている日本社会の、それこそcontextualな側面が現に在ることを認識しておかなくてはなりません。日本語にない言葉は英語を使っていけばいいのではないでしょうか。そのとき英語は日本語になります。ICFは示唆に富む英語がぎっしりつまっています。
■今日は全国心身障害児福祉財団の「地域達人ふれあいボランティア育成事業」の行事があって前任校の三重県立度会養護学校に行って来ました。私の担当はスヌーズレンで、遮光カーテンでほの暗くした部屋にサイドグローやブラックライト、ミラーボールなどを用意しました。なつかしい子どもたちがたくさん来てくれて、スヌーズレンというよりお喋り会のようになってしまいました。今日、そうしてたくさんの人たちとたくさんの言葉のやりとりをしていただけたことをほんとにうれしく思いました。
■スヌーズレンの会場で二人の女性にスヌーズレンの理論を説明させていただいたところ、「養護学校の近くにいながら養護学校のことを何も知らなかった」と言われました。その後お二人は中学部の生徒たちが制作したベンチで楽しそうにお喋りをされていました。養護学校は特別な空間かも知れませんが、その“機能”は社会に欠かせないものがあります。養護学校からの情報発信と価値の提供をもっともっと進めていかなければなりません。
■スヌーズレンにと私が用意したCDの1枚はエンヤでした。永久(とわ)を感じるエンヤの音楽です。私にお金があったらポコ・ア・ポコとスヌーズレンの空間を社会に提供したい。

ICF

■今日は朝と夕方に休暇を取って自治会の当番、資源ごみの整理などをしました。朝は雨が降ってたいへん、夕方は汚れたシートを洗って干してたいへん、中6時間だけ出勤した私の机の上は仕事でいっぱいでした。明日は出張だし、週末からの3連休は出勤です。
■『ICF活用の試み~障害のある子どもの支援を中心に』(独立行政法人国立特殊教育総合研究所・世界保健機構(WHO)編著 ジアース教育新社 2005)、『大学における支援体制の構築のために 発達障害のある学生支援ガイドブック~確かな学びと充実した生活をめざして~』独立行政法人国立特殊教育総合研究所 編著 2005)などが届きました。どちらもこの4月と5月の新刊です。2冊ともカルチャーショックを覚えるほどの存在です。特別支援教育の理念を支えるのはICFです。今が踏ん張り時です。それにしてもICFのWHOでの採択が2001年で日本語の実用版が4年後の2005年というのはちょっと遅過ぎます。しかも、国立特殊教育総合研究所が「障害がある子どもの支援を中心に」と編集したものです。これは国家レベルで取り組まなければならない事業ではないのか!
■アテンザのエンジン音をなんと表現しようかとあれこれ考えていて、「コォー」という表記を思いついたのですが、同じような表記のサイトを見つけて腑に落ちるものがありました。アテンザについて私が感じていることをそのまま代弁してくれています。アテンザはどんな乗り方でも楽しいの一言に尽きます。身体が納得する車、それは音楽療法と相通じる機能を果たしていると考えられます。クロスギアに納得。同じ速度でもギアがちがえば文脈もちがう。

障害学

■土曜日でしたが出勤して職員室で“管理業務”をしていました。仕事をいくつ終えて、障害学についての文献をネットで探していました。学校法人鎮西学院長崎ウエスレヤン大学の山城順さんのサイトで、キリスト教の『聖書』に登場する障害がある人たちの記述についてくわしく書かれている文献を読みました。『聖書』に登場する障害がある人たちの記述をここまで整理した文献は私は初めてです。A4にプリントして130ページを超える長文です。日本の歴史における障害がある人たちの姿についてもくわしく記述があります。障害学について調べていた頃、私は哲学者たちが障害者をどのように捉えてきたかを調べたことがあります。そのときは何も見つけられませんでした。この文献にそのとき出会っていたら私の文脈もちがったものになっていたかも知れません。他の宗教ではどうなのか、そして、やはり、哲学者たちはどうなのか、少なからず関心があります。
■いくつかのサイトで、障害がある人たちに対する考え方の両義性の記述がありました。「福子」(ふくご)と「鬼子」(おにご)です。この両義性の背景も掘り下げてみたいと考えています。ふたつの価値観の間を揺れ動く営みは何も障害がある人たちのことだけではありません。この営み、迷いこそ人を人たらしめている機能だと思っています。障害とは何か、自分にとって障害とは何か、自分に障害がなくても障害がある人がいない時代はなかったしこれからもない。今、この時も、障害がある人が同じ時を生きている、そのことをどう自分の中で整理しているのか、これからしていくのか、これは人として避けて通れないハードルであるはずだ。WHOのICFの文脈はこのことに明解な指針と博愛の精神を教えてくれます。
■NPOえじそんくらぶのサイトで、同代表の高山恵子さんが、日本語の障害という言葉がもつ概念について、「『障害』に訳してしまっている英単語はたくさんあり、微妙にニュアンスがすべて違います。」と書いてみえます。私は「障害」という言葉は疑問を感じながらも便宜的に使ってしまっています。三重県教育委員会事務局研修分野作成の『特別支援教育Q&AⅡ~支援のためのヒント集~』(2005.3)では、「困り感」という言葉も使っています。この夏に使うスライドでは、勉強のしづらさや友だち関係の築きにくさ、生活のしづらさの気づきの段階での言葉として私も「困り感」を使うことにしています。高山さんは「その社会にその概念がないからその単語がない」とういうエピソードに「セルフエスティーム」を取り上げてみえます。私もこの言葉は英語のまま使っています。レジュメには「自己尊重」「自己肯定感」とともに併記しています。NPOえじそんくらぶの文脈に共感することが多々あります。
※三重県教育委員会事務局研修分野作成の『特別支援教育Q&AⅡ~支援のためのヒント集~』(2005.3)はこちら(2004年度三重県総合教育センター刊行物)からダウンロードできます。(pdf 55ページ)

『教育と医学』

■夏季休業中の自分の予定が先月半ばにほとんど埋まってしまいました。5月のGW明けからただごとならぬ雰囲気だったので早めにスケジュールチェックを始めましたがこれほどまでとは…。受けたい研修はほとんど行けなくて、逆に自分が話をする機会が増えています。そのための準備ですが、行政関係の動きがとても早くて、中身と文脈を探るのに多くの時間とエネルギーを費やしています。環境の変化に的確に反応しなくては主体性が隠れてしまいます。大切なことは変わらないのに! 踏ん張り時です。
■昨夜から『教育と医学』(教育と医学の会編集 慶應義塾大学出版会 2004/12号)を読んでいます。特集は「障害児支援をめぐる課題」です。この雑誌は1953年(昭和28年)創刊です。半世紀もの間、教育と医学について書き綴られてきたわけで、その文脈を支えてきた人たちの知見と志の高さに心を打たれます。教育の今を捉える言葉として医学の言葉はますます重要になってきていることを感じています。
■アテンザに乗るようになって身体の疲れがぐっと少なくなりました。両手両脚を使う操作が私の身体を覚醒させてくれます。そして、スピードを抑えて走るようになりました。きっと、身体が「これでいい」と信号を出しているのだと思います。身体が納得する走りと操作感です。20年ぶりにMTに乗って、MTなら車は何もしなかったら止まるものだと思いました。ATは何もしなかったら前へ前へと進み続けます。エンジンブレーキも効きにくいから勝手に走る車を押さえつけようとする操作になってしまう。だから疲れるのだと思います。もちろん、アテンザはMTというだけでなく運転者の操作に敏感に反応する車だから私の身体も納得するのだと思います。これは私の思い込みです(^_^);;; 初めてヘッドランプを点けたとき、ワンテンポ遅れて青白い光が点いてディスチャージドタイプとわかりました。フロントをよく見ると、ランプは4個ずつ左右に、なんと、計8個も並んでいます。バンパー下にはフォグランプが1ペアあって、つまり10個も付いているのです。八つ目うなぎどころではない。どの操作でどのランプがどういうふうに点灯するのかわからない。他にも操作面で?なところがあって、この土日に取説を読んでみようと思っています。