月別アーカイブ: 2006年1月

幾たびかの旅

■身近な人が入院して病院通いが続いています。“命”そのものを思わずにいられないとき、人は価値観を揺さぶられます。医療というパラダイムと私たちの日常のパラダイムとをつなぐもの、それがひとりひとりの個人に委ねられている状態は私を落ち着かせません。患者だけでなく医師と看護師の負担は大きい。満床の大病院にはそれでも次々と傷病の人が来て慌ただしく、治療の場ではあってもセラピーの場とは思えません。現場は文字通りたいへんです。病院の6階の窓から見える松阪の夜景はきれいなのに…ほんとにきれいです。
■若尾裕著『奏でることの力』(春秋社 2000)の「この世で最後に聴く音楽」を読んで、私は、自分にとっての奏でることの意味を考えました。ときおり思い出しはしましたがそのために突き詰めて考えてはこなかったこのことを、今また考えずにいられません。病院で私が奏でるとしたら何を奏でるのだろう。ターミナルケアで“音楽療法”が成し得ることは何なのだろう。いや、音楽療法というパラダイムではなく、音楽そのものの領分のことです。私はまた幾たびかの旅に出る。
■辻邦生の文体に30年ぶりに触れました。辻邦生をむさぼるように読んだのは高校の頃です。今では古本屋でしか見かけない本を探す。これも旅。
■今夜の「情熱大陸」(毎日放送制作)はベルリンフィルの主席ヴィオラ奏者清水直子でした。昨年のジルベスターはモーツァルトプログラムだったようです。サイモン・ラトルのモーツァルトはヴィヴィッドで楽しい。「この世で最後に聴く音楽」はモーツァルトかも知れないと思うのだ。

crown nose

■先週は睡眠時間が短いのに眠くならない危険モードに入ってしまって土日は休養にあてる予定でしたが、連日の夜の会議や細々した用事で終わりました。
■先々週12日木曜日は昼を食べる時間も走って200kmという思いの外ハードな出張となりました。前任校で音楽療法と社会福祉の講演会がありました。先立ってプライベートセッションがありました。大滝昌之さんのギターと歌のライブは久しぶりで、録音ではわからない空気感が手を出せばまさに触れるような存在を感じる空間でした。知人が用意してくださったギターはハイクオリティのオーダーメイドでアンプはジャズコーラスという大滝昌之さんお気に入りのセットです。音楽の力、奏でることの意味をあらためて思い知りました。
■15日日曜日は1月の日曜日のポコ・ア・ポコをしました。13家族のみなさんに来ていただきました。ずっと通ってくださっているお子さんの成長は保護者の方にとっても私にとってもほんとにうれしいものです。そして、家から40分かけて歩いて来てくださる子どもとお母さん、100km近く車を走らせて来てくださるご家族のみなさん、ポコ・ア・ポコに価値を見出してくださるみなさんに感謝感激です。今回はずっと体調がすぐれなかったお子さんが1年ぶりでしょうか、表情豊かに参加していただいて、それはそれは自分のことのようにうれしく思いました。来月はどんな出会いがあるのでしょうか。楽しみです。
■金曜日の夜はケアリングクラウン研究会の第4回定例会に行きました。会場は名古屋国際センターです。今回のテーマは「ケアリングクラウンのコミュニケーション」で、ケアリングクラウンの文脈の核心といえる重要な内容についてでした。言葉はちがいますが、私が教育や音楽療法の文脈の核心ととらえているものと共通する部分が相当あると考えています。たくさん言葉が浮かびます。人と人とが織りなす相互性が築く豊かな関係性、心理療法「色彩ブロット描画物語法」(酒木保)の行程を重視する目的地を決めない旅ジャーニーの概念、セルフエスティームを高めること…。ケアリングクラウン研究会代表高田佳子さんのレクチャーはたいへん共感するものでした。この日は他にボディワークやグループディスカッションもありましたが、1日かけてじっくり学びたい内容でした。そして、さまざまな分野の人たちと出会い、言葉を交わすことができて価値ある時間となりました。疲労がピークでしたが行ってよかったと思いました。そのシンボルがこの日いただいたクラウンの赤い鼻かも知れません。私の宝物です。PowerBookのACアダプターにつけて写真を撮りました。
■この日、愛知県の作業療法士の人と名刺を交換して話をしたところ、精神科医療に携わる共通の知人がいることがわかりました。それぞれ分野のちがいはあっても、お互いの枠組みを超えたところで+αを求める人はいつの間にか隠されたネットワークで結ばれていくものかも知れないと思いました。それには自分からアクションを起こすこと! 内だけでなく外を見ること!
■年明けから音楽療法の評価について書くことがあってインターネットで調べていたらたいへん共感する文章に目が釘付けになりました。音楽療法の量的評価と質的評価について検索していてヒットしたサイトです。URLをたどっていったら、なんと、若尾裕さんのサイトでした。広島大学から神戸大学に移られたとのこと。若尾裕さんの著書(言葉)は私の音楽へのこだわりにいつも応えてくれます。音楽のことで行き詰まりを感じたときなど、ふと手にしたり思い出したりするのは彼の著書です。今回の音楽療法の評価の難しさの本質について腑に落ちる言葉を示してくれたのもやはり若尾さんでした。音楽療法の評価をめぐる議論の核心やポール・ノードフの“本心”は教育の現場で子どもたちと同じ時を過ごす私のこだわりそのものです。私も自分のこだわりに真摯でありたいと思いました。
■年明けに実家から芥川龍之介全集第1巻と第12巻を持ってきました。芥川龍之介全集を買ったのは書簡集を手元に置きたかったからです。1982年のことです。今は彼の“作品”の潔さに触れたいと思っています。言葉のリズムがしっくりきます。この頃よく思うこと、それは、公私の枠を超えた私自身のライフワークです。新しい年は大きな変化があるかも知れませんが、それは、私には自然なことなのでしょう。
■先週はVAIO SRの電源が入らなくなってしまいました。華奢な造りで腫れ物にでもさわるように使ってきましたが、4年半、使って使ってしてキーポジションのキーの文字は消えてしまっていました。VAIO SRは3代目、このPowerBookは5代目です。Windowsマシンでいちばん愛着を感じているのは2代目のThinkPad535Eです。スペックの制約があって実務では使えませんが、書き物をするにはいちばんです。私の指は今もTinkPad535Eのキーのタッチと配列を覚えています。音楽や仕事のことについて自分の言葉で書き物を始めたのもThinkPad535Eでした。横須賀の国立特殊教育総合研究所の狭い部屋で「久里浜だより」を書き続けたのも、DTMの打ち込みをして「おかあさんといっしょ」のコンサートをしたのもThinkPad535Eです。このPowerBookは私にとってのThinkPad535Eを超えるでしょうか…それは私の使い方次第ですね。

心さわぐ年始

■昨日の朝日新聞朝刊のトップの見出しは「特殊学級『特別支援学級』で存続」でした。文部科学省が今月招集の通常国会に提出する学校教育法改正案とのこと。人的なリソースを確保する意味においては高く評価されますが、地域共生社会を目指す障害者基本法や発達障害者支援法、特別支援教育の理念の実現に向けた取り組みが減速することがあってはなりません。同紙に障害児教育が専門の大学教授が「妥当だ」とコメントを寄せているのは意味深長です。ますます地方の努力に俟たれている割合が大きくなってきました。先月脱稿した私のレポートも書き換えたい部分が出てきました。「特別支援教育を推進するための制度の在り方について」の中央教育審議会総会での審議と文部科学省大臣への答申が12月8日、翌9日早朝に文科省のホームページに全文が公開されて1か月後の新聞報道がこれです。学校教育の改革のスピードは早い印象を持たれる人が多いと思いますが、障害者基本法の理念に比べて教育界のトーンは低いと言わざるを得ません。国際的にみてもそうではないでしょうか。WHOのICFなど地球的な規模の理念も日本から情報発信するくらいの志がほしいものだ。だったらお前はどうだ!と自分に問う。
■先週は地域の有志の集まりがありました。地域力、地域が潜在的に持っている力、地域に住むひとりひとりの力こそこれからの社会を作り得るのだと思いました。その社会が“新しい公”ではないかと。今求められているのは長期のビジョンです。ビジョンは理念がなければ描けない。そして、理念こそ人と人とを前向きのベクトルでつなぐものと思っています。
■今日は精神科と神経科が主な診療科目の病院で、精神保健福祉士、作業療法士、看護師のみなさんと音楽療法の勉強会をしました。精神科医療とミュージック・ケアに共通する要素がいくつかありました。勉強会の後で精神福祉士と作業療法士の方と話をしていて、学校とのパラダイムのちがいも実感しました。学校は成長や発達がパラダイムのベースにあります。でも、成人はちがうと思いました。成長や発達ではない何か、うまく言えませんが、人生の価値観そのものでしょうか。成長や発達が日々の目標ではなくなったと感じる年齢になったとき、人は何を価値あるものとして生きていくのでしょう。学校教育と長い人生との関係について真摯な考察が必要だと思います。
■いくつか終えましたが、書くべき物があといくつかあって、何をするにもそのことが頭を離れない。書き終えた物はひとり歩きをします。書いた物はそれ自体が新しい関係を作って行くものです。これはプレッシャーだけどチャンスは活かしたい。
■一昨日、ペンションモーツァルトから年賀状が届きました。年賀状の写真は宇宙から見た地球です。宇宙から見た地球は神秘的です。立花隆の『宇宙からの帰還』(中公文庫)は、宇宙飛行士たちの地球帰還後のさまざまな人生を描くことで宇宙飛行での体験の実体を探ろうとしています。この本を読んで私は宇宙から見た地球の映像を見る目が変わりました。宇宙の神秘が身近になりました。