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キエフ・バレエの「白鳥の湖」

ロシアの侵攻前から私のインスタグラムのアカウントにキエフ・バレエのバレリーナから時々「いいね」をいただいていてウクライナの状況は他人事ではなくなっています。ほどなく、キエフ・バレエがYouTubeで公演を公開するということを知りました。そしてキエフ・バレエの「白鳥の湖」を繰り返し観ることになりました。

その動画から伺えることは、イギリスのロイヤルバレエやニューヨークバレエのような“洗練”ではなくバレエの原風景を伝える芸術性と考えています。

小澤征爾指揮の「白鳥の湖」は楽曲としての醍醐味があってそれはそれは堪能していますが、ふと、これでほんとに踊れるのだろうかと思ったことがあります。

シャルル・デュトワ指揮の「白鳥の湖」はフランスのエッセンスあふれる華やかな演奏でバレエの舞台が彷彿とします。

一方、キエフ・バレエの「白鳥の湖」はそうした“洗練”はあまり伝わってきません。肯定のスタンスでの捉えです。オーケストラの音色は録音のせいかも知れませんが今風の“縦の線”がそろった切れ味鋭い演奏ではないように思います。ゆるさが伝わってきます。バレエの踊りに合わせよう、踊りやすくしようという、そんな気遣いがあるようです。なんだかゆったりしている。バレエ自体もそうです。細かなところが詰め切れていないのではないかと素人目にも映ります。でも、でも、なのです。バレエの歴史と神髄というとても大切な文脈を守り通し伝えているウクライナの芸術文化の核心がそこにはあるのではないかと考えます。荒い言い方ですが土着的な魅力があるように思います。

ロシアの侵攻を機にその公演の動画をYouTubeに公開したことの切羽詰まったウクライナ国民の願いが伝わります。もうひとつの“洗練”であり、失われてはならない文化の継承であり、人間存在の証の現れでもあると思います。力強さがあります。

「客席の子どもの声はカットしたら!?」等々、録音も“洗練”から距離がありますが、客席のそうしたおおらかな“雑音”も愛おしく思うのです。こうした芸術と国民一人ひとりの日常をプーチンは破壊している。失われつつあると危惧される存在の一つひとつに思いを馳せます。

帝政ロシア末期、なぜこのような芸術が社会的にも風土的にも厳しいかの地に生まれたのか。社会史ではなく心性史の観点からどう捉えられているのか、関心があります。

ちなみに、この「白鳥の湖」はテロップが入って物語がわかりやすいです。