月別アーカイブ: 2017年8月

夏の終わりに思う

まだまだ暑さ厳しく夏は終わらないのですが、8月の終わりが近づくと過ぎ行く夏休みを惜しむ子どもの頃の漠然とした季節感が甦ってきます。夏休みが終わって授業が始まる9月1日は子どもの自殺が1年でいちばん多いので各方面からたくさんのメッセージが届きます。こうした社会は誰も望まなかったはずです。事は9月1日だけのことではないと思っています。いろんな子どもたちがいっしょにいておだやかな空気感に包まれる空間を生み出すことに知恵を寄せ合いたいと思う。

この土日は岐阜市で開催の日本育療学会に出席していました。初日には日本育療学会のヒストリーと周辺情報の講演もあって収穫大でした。すべての事象には必ずわけがある。経緯がある。見えてないところに核心の意味があるのだと思っています。同時に、今はなきものにも今に至る経緯が必ずあります。想像力を意識して働かせ、過去から学び、今を作り、未来があるために語り伝えたい。そのために核心を探り求めたい。

この夏にとりわけ関心を寄せたのは鯨岡峻先生の関係発達の考え方です。鯨岡先生の著書はプレミアム付きを除いてほぼ全点をそろえることができました。その全てを読み通すのは時間的に難しいので今は自分のアンテナが反応するところからあちこち啄むようにして読んでいます。鯨岡先生は関係発達の「論」に留まらず、いつか鯨岡先生ご自身が研究の対象となるように思います。

リペアショップから連絡があって革のリュックの修理が終わったとのことです。

鞄の修理の話

先日、市内のスーパーに店を出しているリペアショップに革のリュックの修理の相談に行ったところ、店のなりを全身で表しているかのような店員さんがてきぱきと対応してくれて実に頼もしく、また、楽しい会話のひと時となりました。私が持ち込んだのは総革の黒のリュックで、スーツにも合うので毎日の仕事で使っていました。私の腰痛の解消はこのリュックのおかげです。ところが7月下旬にメインのファスナーを縫い付けてある下糸が1か所切れているのを発見しました。放っておくと糸がどんどんほつれていくのは時間の問題と思ってすぐに使うのを止めました。それは正解だったようで、その店員さんの説明では、今なら直線縫いも可能で安価な修理代で済むとのこと。糸は紫外線のためにやや赤っぽく変色していて色合わせを考えますということで預けてきました。縫い目は今の縫い目をひとつひとつトレースするのだとか。説明は具体的で修理の仕組みや素材についても次から次へと澱みなく話すようすはすごく楽しそうで私の頭の回転もついつい乗せられてしまうような感覚になりました。「どうしたら安く上がるかな?と考えながらぶつぶつ言ってるんですけど・・・」 提示された修理代は予想をはるかに下回るものでした。もう1点、これも総革のビジネスバッグも直してもらうことになりました。こんな店、こんな職人さんは地域の魅力化に一役買っていると思います。

10月から11月にかけて、週末の京都の宿を5泊分予約しました。予算上カプセルホテルになりましたが知人のすすめもあるおしゃれな意匠のようで楽しみです。ユースホステルやドミトリーで外国の人と過ごす時間も楽しみだったのですが、今秋の京都行は夜も自分の時間がほしいのでそれはまたの機会とすることにしました。9月に入って気がつけば年末だったということになりそうです。

地域スクールにて

市の社会福祉協議会が主催する障害児の地域スクールで音楽療法のセッションをさせていただきました。13人の子どもたちのほとんどが初めてで、これもほとんどが初めてのボランティアのみなさん、そしてスタッフと、みんなで30数人でした。ほとんど初顔合わせでしたが冒頭からミュージック・ケアの空間を見事なほど共有することができて驚きました。私も子どもたちはもちろんのこと、その場のみなさん一人ひとりの眼差しや表情がつぶさに見て取れて時間が細分化されて時間が伸びたような感覚を味わっていました。不思議なひととでもありました。地域スクールの前身は障害児サマースクールで、この立ち上げにかかわったのは15年ほど前のことになります。運営の実績がこんなふうに表れるのはほどよい関係性で継続されているからでしょう。次は25日の午後です。

シルバーマン著「自閉症の世界」を読む

夏休み唯一のフリーの週末でした。昨日はリフレッシュ、今日は自宅で雨読の一日でした。実り多い週末でした。

スティーブン・シルバーマン著「自閉症の世界 多様性に満ちた内面の世界」(正高信男・入口真夕子訳 講談社ブルーバックス 2017)を読んでいた時、自閉症の子どもの「治療」で「対話のレッスン中にちゃんと集中しなかった」ビリーという七歳の少年を平手でたたいている。」のところで思い出したことがありました。平成12年(2000年)、国立特別支援教育総合研究所に短期研修で赴いたとき、「叩いて自閉を治す」というような表題の本を見たように覚えています。不適切な行動を起こす直前のタイミングに子どもを平手で叩いて行動を起こさせないようにするというものです。これはいかがなものかと避けていたのですが、史実として確認しておきたいと思って情報を探してもネット上では見つけることができませんでした。方法として同じでなくても、「自閉的行動をまず消去しない限り自閉症児は学習できるようにはならない」等としてそれがアメリカで行われていたというのです。同様の「治療」は電気ショックを用いることなどにわかには信じられないことも記されていて自分の無知を責めてしまうほどです。

この本を読み進める中で何点か疑問に思ったことのひとつに、著者はDSM5に全く触れていないことがあります。DSMⅣまでの経緯は背景を含めて記述があるにもかかわらずです。DSM5のドラフトは2010年に出ているのでシルバーマンが知らないわけがありません。これをどう読み解くか。少なくともDSM5への期待ではないでしょう。では何なのか。この本の題名から著者のメッセージを推し量ってみます。

オリジナルの英語版(kindle版)の題名は「NEUROTRIBES」です。neuroとは神経の意味で、DSM5では自閉症関連は「Neurodevelopmental Disorders(神経発達症群)」にカテゴライズされています。自閉症やアスペルガー症候群はASDとされました。知的症なども含めて神経発達上に課題がある症例としたわけですが、原題のneurotribesは直訳すると「神経の種族」で、まるでDSM5に真っ向から挑戦状を突き付けているのではないかとも受け止められるネーミングと思われます。しかし、この本全体の文脈からしてあらたな診断名の提案のようなものではなく、この題はあくまでも現時点での自閉症の研究プロセスの状況を表している、つまり著者にとっても「仮題」ではないでしょうか。今後の研究に俟ちたいというメッセージだと考えます。そもそも自閉症について詳細に書いておきながらautismを表題とせず、neurotribesとネーミングした著者の意図に思いを馳せながらじっくり読みたい本です。

しかし、邦訳についてはネット上で意訳や誤訳、割愛の指摘が少なからずあって、私もなんとなく読みづらいところがあると感じていました。かといってオリジナルの英文ですらすらと読めるわけではありません。翻訳ものは意訳や誤訳、割愛に触れてなくてもそうしたことがあるものとして読むスタンスが大事です。シルバーマンの「自閉症の世界 多様性に満ちた内面の世界」はそれを承知のうえで教育に携わるみなさんに広く読んでほしいと思っています。

ちなみにkindle版の副題は「The Legacy of Autism and How to Think Smarter About People Who Think Differently」です。「legacy」という言葉は「東京2020のレガシー」等々で使われるので却って訳は難しいと感じています。

※以上、後日修正の可能性があります。

このkindle版、今朝はたしか790円でしたが昼過ぎに690円となっていて思わず購入してしまいました。私の見間違いだったのだろうか・・・ 今日は、あと、メルロ=ポンティの「知覚の現象学」も何日か迷った末にオーダーしました。両義性についてやはり原典を当たっておきたいと考えました。これも翻訳ものですがオリジナルはフランス語か・・・

サマースクールのセッションで考えたこと

先週木曜日の朝起きようとしたら両脚の太ももに少し張りがあることに気づきました。前日、以前勤務していた肢体不自由の特別支援学校のサマースクールでミュージック・ケアのセッションを行ったことが原因でしたが、その脚の張りがとても心地よい一日でした。

今年の会場は学校で、木造の教室や廊下から木の香りがして懐かしさがこみあげてきました。子どもたちと家族(今日はみんなお母さん)、担任の先生、看護学校の学生ボランティア、他校から研修で参加の先生方とに大勢でにぎやかでした。このサマースクールは年に1度でしかも年によってグループが異なりますが10年以上続いているので私のセッションの文脈を覚えていてくださっていてすぐに一体感のある空間ができ上がります。これはすごいことだと思っています。動と静、発散とコントロール、インスタントサクセスの積み重ね、子どもとお母さんのコンタクトや交流、笑顔も言葉もすばらしいものでした。初めての学生ボランティアや先生方もすぐ理解していただきました。1時間20分があっという間に過ぎてしまいました。セッションが終わっても会場のあちこちで楽しそうな声がして、帰り際に初めてお会いした若いお母さんが「すごく楽しい時間でした」と声をかけてくださいました。子どもの笑顔はお母さんの笑顔につながり、お母さんの笑顔は子どもの笑顔にストレートにつながります。いっしょに楽しい時間を過ごすことの意味はとても大きいのです。

セッションの最中、リードする者としてその場の全て、集う子どもたちやお母さん、学生ボランティア、担任の先生、研修参加の先生、みんなみんなの参加の姿とその空間の物語、そして、プログラムの組み立てと曲選び、動作を通した音楽の伝え方や聴き方、等々について、把握して分析し、次のアクションとしているのだということ、そのこと自体をクールに見つめるひとりの自分がいた、今回はそんな感覚がはっきりとありました。ポコ・ア・ポコが思うように開催できなくなって半年を過ぎて久しぶりのセッションだったということもあると思います。一つ一つの要素を確かめながら準備し、セッション中も五感を総動員していました。そして、鯨岡峻先生の関係発達の著書を読んでいる最中だったことも深く関わっていました。重症心身障害児といわれる子どもたちの教育やミュージック・ケアのセッションの意味を関係発達の考え方から説明し、支えてきたことを自らの実践で表し示しているのだという少々不遜なことも考えていたようです。同時にそれはその日の私の役割でもありました。

もうひとつ、夏休みだったことも私の感じ方を変えているのかもしれないと思いました。夏休み前半は出張が続いて新幹線などの公共交通機関をよく利用します。夏休みなので子どもの姿をよく見かけます。学校ではない場、空間、文脈での子どもたちです。そして、お母さんやお父さん等々、家族単位で子どもを見る機会がたくさんあって、なぜか、そんな子どもたちの姿がすごく愛おしく思えるのです。一昨日のセッションでの子どもたちとお母さん方との温かい穏やかな関係性もそうでした。子どもたちもお母さん方も満面のすてきな笑顔でいっしょに過ごすことに関わることができてほんとに嬉しく思いました。みんなの幸せを心から願いながらセッションを終えました。

本2冊

今日明日と研修で京都に来ています。病気の子どものストレスがテーマです。一昨日と昨日は病弱教育の研究会で大分に行っていました。この4日間の移動距離は2,000km近くにもなって移動中は貴重な読書時間となりました。おかげでスティーブン・シルバーマン著「自閉症の世界 多様性に満ちた内面の真実」(正高信男・入口真夕子訳 講談社ブルーバックス 2017)を読了しました。600ページ超のカタカナ名がたくさん登場して翻訳然とした文体なので速読みというわけにはいかず、先々週末までに半分近くまで読んだところで中断していました。ペーパー版は厚さが3cmほどもあるのでスマホでも読める電子書籍も購入して読みました。都合2冊購入したわけで、この本はそれほど私を虜にしました。

シルバーマン著「自閉症の世界」を読み進めるなかで、どうして今までこのような本がなかったのか、あるいは私が知らなかっただけなのか、訝しくかつ不思議でした。自閉症にかかわる誰もが知っていておかしくない自閉症にまつわるヒストリーです。知っているべきことといえるでしょう。今あるものには必ず訳がある、経緯があると常々自分に言い聞かせてきたはずなのに、また、DSMⅣからDSM5へのバージョンアップに際して診断基準が大きく変わったことを承知しているはずなのに、どうして自分で自閉症のヒストリーを吟味することをしようとしなかったのかと反省すること頻りです。内容はあまりに多いのでここで触れることはしませんが、幸いこの本は順調に販売冊数を伸ばしているようで嬉しく思っています。自閉症、ASDを巡る環境だけでなく、社会全体の在り様も少しずつよくなってほしいと願っています。

鯨岡峻著「ひとがひとをわかるということ 間主観性と相互主体性」(ミネルヴァ書房 2006)も鞄に入れました。私の本は2010年の第4刷で、決して読みやすくはない心理学の専門書が毎年増刷されてきたことに驚きます。大学で教科書として使われているのでしょうか。私が初めて鯨岡先生の関係発達の考え方に触れたのは2003年の千葉淑徳大学の発達臨床研修セミナーでの講演「子どもの関係性の発達」でした。当時私は肢体不自由の養護学校(当時)で医療的ケアの重度重複障害の子どもたちといっしょに過ごしていて、その中で自分が感じていたことに照らし合わせて腑に落ちる言葉たちでした。重症心身障害の子どもの教育の依りどころとなる考え方と言葉を示していただいたと思いました。教育とマネジメントを支えてくれました。そして、今、あらためて依りどころにしたいと思っています