月別アーカイブ: 2018年5月

XGWorks × Windows10

XGWorks4.07がWindows10で動くことは自作PCでわかっていたもののそれはXGWorksをWindows7のときインストールした後にOSをWindows10にバージョンアップしてのことでした。今回はWindows10へのインストールです。“そのまま”ではインストールできたように見えても起動しなかったので無難に「互換性のトラブルシューティング」から「WindowsXP(Service Pack 3)」にチェックを入れてインストールしました。音源モジュールMU500のUSBドライバはYamahaのサイトからダウンロードしました。セットアップの仕上げはXGWorksの「設定」で音源のインとアウトの指定です。これで2001年のデータがそのままよみがえりました。Windows98時代の17年前の打ち込みがそのまま聴けるというのは驚きです。このあたりは音そのものを文化、遺産と考える音楽界の考え方が支えているのだと思います。物理的な音の良し悪しだけでなく、その音を使ってその頃の人たちが楽曲を作った意図を大切にしているわけです。それはなぜか・・・音楽だからです。音の記憶、音楽の記憶はそうした身体性にかかわるものだと思います。今の音での演奏はそれはそれで同じように意味がある。編曲も然りです。今回、このMacBook AirにXGWorksをセットアップしたのはやり残しの仕事のためです。

森の写真

NHKでアニメ「ピアノの森」が放送されています。全24話中8話まで放送されました。2007年7月公開の映画版「森のピアノ」は当時すごく感動してDVDを買い求めました。そして11年後の今、全編がテレビアニメ化され放送されるのでしょうか。音楽の使い方やピアノを弾く指使いの絵がとてもていねいで毎回面白く観ています。でも、今日は森について書きたいと思っています。森の写真です。

このアニメ、映画もですが、森の場面がたくさんあります。いろんな緑色が登場します。季節は春から夏に向かう今、木々の緑は日一日と濃くなってきています。その色の深さや多彩さ、グラデーションは見ていて飽きません。森の写真に圧倒されたのはギャラリー916で訪れた上田義彦氏の写真展「森の記憶」がきっかけです。そしてアニメ「森のピアノ」や雑誌「pen 6/1号」の軽井沢の森の特集と続きます。軽井沢の森をフィールドとしている田淵三菜氏の作品が印象的です。先日DVDで観た「思い出のマーニー」の緑の洪水も然り。このところ木々や草花の緑に惹かれます。梅雨時の濃い大気に包まれた木立の中で息を深く吸うと肺の隅々まで湿気と緑の粒子が行き渡るような感覚があります。森や大気との一体感といえるでしょうか。今はそれが待ち遠しい。

今日は田淵三菜氏の写真集「into the forest」が届きました。そこにあるのは北軽井沢の森であり、その森を歩き見つめる田淵氏の「まなざし」です。折りしも木々の写真を撮り始めているので身近に感じます。田淵氏は昨年の入江泰吉写真賞を受賞されました。今、入江泰吉記念奈良市写真美術館では前述の上田義彦氏の写真展「森の記憶」を開催中です。時間を見つけて訪れたいと思います。

「静かで、にぎやかな世界 ~手話で生きる子どもたち~」

昨日のNHK ETV特集をたいへん興味深く観ました。東京都品川区にある日本手話で敎育を行う明晴学園を取材した「静かで、にぎやかな世界 ~手話で生きる子どもたち~」です。NHKは昨年も明晴学園を特集した番組を制作しています。ハートネットTV「静かで、にぎやかな学校~手話で学ぶ明晴学園~」(10月2日初回放送)です。2つの番組は一部同じ映像を使っていながらずいぶん印象がちがいます。今回のETV特集はとりわけ引き込まれてしまって放送後すぐに録画を2回繰り返して観ました。はじめは特別支援教育の視点で観ていたはずなのに、いつの間にか敎育のあり方そのものについて考えてしまっていました。キーワードとして思い浮かべる言葉を並べてみると、「子どもの成長」「身体性」「今日的な教育課題へのアプローチ」「言語の獲得」「自己形成」「少人数教育」等々です。敎育全般に汎化する問いかけがたくさんある番組でした。「今日的な敎育課題へのアプローチ」とは教育の本質を問うときのひとつのモデルとの受け止めです。このあたりは制作者もNHK_PRのサイトに記しています。「初めてこの学校の子どもたちを見たときに、考えさせられたこと。それは、子どもの育ちに必要なことってなんだろう…ということでした。」私もそうでした。特別支援教育について云々する前にまず教育、子どもの育ちのために教育は何をしなければならないのか、それを問うことが不可欠であることをこの番組の子どもたちの姿が私たちに示しています。

もうひとつの“ポコ・ア・ポコ”

大雪で屋根が壊れた倉庫を整理していたら小学校で音楽専科だったときの「音楽だより」1年分をまとめたファイルが雨で濡れて捨てざるを得ませんでした。無念の思いがありましたが仕方ありません。でも、複数部残していたはずだと本棚を探したらありました。1994年度、平成6年度のものですから24年前です。毎週末に翌週の学習予定や音楽の話、子どもたちの感想などを載せました。全37号で音楽の授業が全て終わった後の号外「卒業式の歌」特集がひとつあります。若気の至りで書いたところもたくさんあって読み返すのはなかなか勇気が要るので本棚に立てたままになっていました。10年ぶりか20年ぶりかわかりませんが読み返してみると、今書いてもきっと同じことを書くだろうなと思いました。新鮮に感じるところもありました。こんなものを毎週4年生から6年生の9クラスに配布していたのかと思うと恥ずかしくなりましたがあらためての気づきもありました。「自分がどう感じるかということを大切にして音楽をきいたり歌ったりしてほしい」というメッセージは今も変わりません。今は障害がある子どもたちの教育に携わるとき大切にしてほしいこととして機会ある度にお話ししています。この頃から同じことを考えていたわけです。この「音楽だより」の名前が「ポコ・ア・ポコ」なのでこの記事のこの見出しです。

日本在宅医学会をふり返って

先月末の日本在宅医学会は情報の質、量ともたいへん充実していて抄録やメモを読み返しては在宅医療の現在に思いを巡らせています。シンポジウム「居場所づくりが地域を豊かにする~こども食堂や保健室~」の終了間際にフロアからあった発言(質問)は今後目指すべき社会のあり様を示唆しているように思いました。「人の支援を目的化しない」つまり、コミュニティを構成する人たちが自分たちの「身の丈」に合ったコミュニティの機能を見つけ構築していけるように仕掛けを作っていくことの大切さです。この学会は文字通り在宅の患者を見守る医師の会で子どもたちも然り。病気や医療的ケアの子ども、障害があったりがん経験者や緩和医療を受けていたりする子どもたちです。特別支援教育の専門性とも深くリンクする内容でした。がん教育を行うに当たって小児がん経験者や家族にがんの人がいる子どものサポートにつながる具体的な取り組みの報告もありました。また、六車由実さんの「「対話」によるつながりの「回復」ー介護民俗学の聞き書きの実践からー」と森川すいめいさんの「オープンダイアローグ(開かれた対話)なぜ対話だけで精神病状が安定するのか?」は玉手箱が目の前で開けられているように思われて深く心に刻まれました。丸々2日間学会を聴き続けて、聴くということでこんなにも疲れたことはないというほどのエネルギーを使いました。でも、この先の私の活動や取り組みのベクトルをしっかり見定めるまたとない機会となったことは確かです。

未知の世界、再び

昨日は大阪心斎橋界隈で過ごしました。いちばんの収穫は古書店でアーレント=ブリュッヒャー夫妻の書簡集と出会ったことです。もちろん購入しました。500ページ超の同書はすぐに読み通せるものではありませんが開いたページの一文を目にしたその瞬時に「未知の世界」がほんとにたくさんあって決してなくならないことを突きつけられたように感じました。その古書店は全国展開のサブカル系のショップでアニメやフィギュア、コスプレ等々のグッズが所狭しと並んでいる中に哲学書が置かれていました。なぜかシュタイナーの本がたくさん揃っていました。そうした偏りもまた面白くて本棚に張り付きました。未知のこと、知らない世界はほんとにたくさんあることを思い知らされました。そして、自分から動かないと決して出会わなかったであろうことも。

アップルストアではiPad pro 10.5のキーボードを調達しました。USキーボードです。4月からノートPCはWindows10をインストールしたMacBook Airを使っていてタブレットも思い切ってiPadに切り替えました。Apple Pencilで思いつくまま書き留めるときの感覚がすごくいい。だらだらと、途切れなく、ときには思い出して、少し遡ってまた書き留める、それが感覚というより生理的にしっくりするものがあることをタッチペンを使って初めて知りました。面白いものです。