月別アーカイブ: 2016年10月

「往復書簡 緋の舟」

昨日、手芸店の通路をはさんだところに大型書店があって、ふと目に留まった本を買い求めました。「往復書簡 緋の舟 志村ふくみ/松浦英輔」(求龍堂 2016)です。手作り雑貨についてブログを書いていたときに染織家の志村ふくみを思い出して手持ちの本を探したのでこれも何かしらの縁と思いました。書簡なので語り口調の文体です。とてもおだやかでありつつ新鮮かつ斬新な眼差しが感じられ、それらが豊かな言葉で綴られていて惹かれました。同時に、ふたりの透徹した眼差しと思考は芯の強さがあって圧倒されます。この言葉の中に入っていけるかどうか、読む人を選ぶ本かもしれません。名は体を表す。「緋」です。その名に惹かれます。

手作り雑貨

ここしばらくメールマガジン類を順次解除してきてスマホがずいぶん“静か”になりました。でも、登録のときと比べて解除はなんとややこしいことか!

先週の土曜日、東京丸の内仲通りで手作り市がありました。京都百万遍の手作り市はお寺の境内に所狭しと店が並んでいますがこちらは道の両側に一列に並んでいます。パラソルも濃いグリーンで統一されていておしゃれです。minneやCreemaなどの手作り通販サイトに登録している“作家”が多いようでそのことを店先に掲示している店もいくつかありました。同じものを並べるにしてもこうした店構えだと質が高いように見える印象があります。手作り通販サイトは今やたいへんな賑わいで、利用したことはありませんが“鑑賞”させてもらっています。発想もデザインも仕上げも見ているだけで楽しいし何かしらの学びがあるように思っています。一人ひとりの知恵や技術がそうして“作品”として結実して多くの人たちとの接点を生み出しているこの現象に注目しています。私が時々行く手芸店の賑わいの理由もわかります。私はというとポコ・ア・ポコで使うグッズ入れなどは手作りしていてその色使いや生地の肌触りもメッセージとしています。ちょっとした袋類も手作りの方が使い勝手がいいのですが、ミシンの調子がおかしくなってからは手作りの機会がほとんどなくなってしまいました。そんなことも考えながら仲通りを歩いていたとき、そうか、NHKの朝ドラ「べっぴんさん」も手作りがテーマの物語と気づきました。今週はすみれたちがいよいよ起業に至るエピソードが展開されて観応えがありました。このドラマはまた、透明感のあるやわらかな光の使い方が素敵です。静かに、静かに流れるシーンに惹かれます。音楽も控えめでいい。

今日は自宅で一日デスクワークが続いたので気分転換にと買い物帰りにその手芸店に寄ってきました。買い求めたのは真っ赤な毛糸一巻きです。ポコ・ア・ポコのバチのカバーが傷んで数本外れてきているのでその修理と思ってのことです。編み物はほとんどしたことがないのでうまくできるかどうか心細いのですが何でもやってみないと気が済まない性格なのでとりあえずチャレンジです。

音階

音階練習で思い出しました。本棚から探しての抜き書きです。

わたし自身の場合は、恋人ではなかったが、いつかエーヴ・ラヴァリエール嬢の部屋で出会ったあの若いお針女の魅力に(もっと正確にいえばさまざまな魅力に)、恋愛感情に近いものを感じていたと言うべきだろう。彼女は、ある有名な洋裁店で働いていた。夕方の七時に仕事場を出ると、最初に来たバスに飛び乗り、クリシー広場で降りる。それから、コーランクール街をくだって、わたしのアパルトマンの階段を大いそぎで駆けのぼり、部屋の入り口で、わたしと顔を合わせるのだ。わたしもそこで、胸のしめつけられる思いをしながら、いらいらと待っているというわけだ。
「ねえあなた・・・わたしを待ってちゃだめよ。・・・勉強しなくちゃ。さあ、早く、ヴァイオリンを・・・」
彼女は、部屋のすみの窓のそばに座り、まるでお祈りでもするように掌をくみあわせた。それから、もううっとりとしたような目を伏せた。・・・・夜が、窓ガラスのところまで迫ってきていた。うすくらがりのなかで、わたしは、心をこめて、ド、レ、ミ、ファ、ソ、ラ、シ、ド、と音階をひいた。一方、そのすてきな若い女性は、わたしが音階を解いたり結んだりするのを耳にすましながら、涙をこぼしてくれたのである。
「ねえきみ、何かほかのものをひいてほしくないの?」
「どういうもの?」
「モーツァルトとかさ!」
「いや、いやよ!」
「なぜだい? じゃ何かきれいなソナタをひこうか・・・バッハか何かの?」
「いや。わたしたちのあいだに、誰か知らない人がいるような気がするもの。・・・音階をひいていると、あなたがわたしに話しかけてるみたいなの」
(ジャック・ティボー著、粟津則雄訳「ヴァイオリンは語る」より)

大学のときに読んで以来、何かきっかけがあると思い出しては読み返しているところです。ピアノを習っていた子どもの頃は意味がわからなくてつまらなくてすごく嫌だった基礎練習、音階練習が「弾きたいように弾く」ための必須練習とわかってから、でも、そのためだけでなくピアノと話をするように弾くようになったのが音階練習でした。楽曲ではなく音階練習はピアノとふたりだけで話をしているような感覚になります。もちろん、それは自分との対話でもあるわけです。粟津則雄の訳もすごくいい。

情緒について

改革や改善という言葉で物事が語られるとき、私は今の有り様に至る経緯、文脈を紐解こうと想像力を目一杯に働かせようとします。かつて、京都市立堀川高等学校の大学進学実績を躍進させた当時の荒瀬校長がNHKの「プロフェッショナル」で取り上げられたとき、校内を漂う荒瀬校長の姿が印象的でした。「漂う」とは番組中の彼の言葉です。五感を研ぎ澄まし、光や陰、風、空気、通奏低音のような雑音の中に身を置いてそうした文脈を探ろうとしていたのではないかと思いました。今回の東京行の車中で読んだ本は斉藤環著『人間にとって健康とは何か』(PHP新書 2016)です。読み始めてすぐに「情緒」という言葉が出てきます。松崎葉一著『情けの力』を取り上げ、「宇宙飛行士の選抜試験でもっとも重要なのは「情けの力」、すなわち情緒性なのだという。(中略)宇宙空間では何が起こるかわからない。まったく想定外の出来事に対応するには、知識や論理の能力だけでは不十分だ。むしろ知識や論理で立ちゆかない事態をどう冷静に乗り切れるかが問われるわけで、そこで「情緒性」が重要になってくるのだという。」と書いています。常に判断と決断をしなければならないポストにある人は少なからずそうしたことに気づいているように思います。私が「情緒」という言葉を考えるきっかけになったのは、10余年前に私のポコ・ア・ポコの音楽療法の場を訪れた人からセッションを「情緒的」と感想をメールで伝えていただいたことです。このとき私はその意味がすぐにはわからず、今以てそのすべてをわかっているわけではありませんが、少なくとも「情緒」という言葉を身近に考えようとしてきました。それからほどなく、藤原正彦氏の「祖国とは国語」をテーマとした講演記録を読む機会があって私の中で結びつくものがありました。「『学問』とは、語彙の習得であり、思考を言語化することである。国語を学習する目的は次の3点である。①読書を通して国語力をつけることにより教養を身につける。②国語力をつけることで、論理的な思考ができる。③論理の出発点となる仮説を選択する力である情緒を養う。」判断や決断は決して知識や論理ばかりでできるものではないことをそのときの我が身を重ね合わせて理解することになりました。決断したことを受け止める自分があり得るかどうかということであり、同時に、決断した結果と付いてくる責任に真正面から対峙する自分がすでにあるということです。教育は1年先や5年先、10年先だけでなく、少なくとも半世紀先のあるべき姿を念頭において絶えず質的な向上に務めなければならない営みです。長い旅であり、一日一日の積み重ねでもある。

音楽運動療法 三度(みたび)

音楽運動療法について私が書いた記事のことを尋ねられましたので再掲をします。正確には再々掲となります。

2009年9月9日
夜、テレビ番組の「ベストハウス123」で音楽運動療法を取り上げていました。私は6年前に野田燎氏の研修会で体験セッションを受けたときのことを思い出しました。後にも先にもあのような体験はしたことがありません。私のホームページにそのときのことが書いてあるのでコピー&ペーストしておきます。今はこのような長文を書く時間はありませんが、それだけなく、あの時だからこそ書き得た文章であり、私にとっては財産でもあります。そして、音楽のことをまた考えています。

『ひかる・かいがら』~野田式音楽運動療法(03/8/28)
■元ちとせの『ひかる・かいがら』ばかり聴いています。昨日、初めて聴いて、心に残る歌のひとつになりました。
■昨日は兵庫県三田市の財団法人ひょうご子どもと家庭福祉財団主催の療育研修会「野田式音楽運動療法」に行きました。1998年に放送されたNHKの「トモ君がしゃべった~音楽運動療法~」の野田燎先生の研修会です。
■午後は野田先生のチームのスタッフ5人が加わってセッションの体験がありました。私は野田先生の1番指名! 音楽療法の研修会で男は目立つのだ。
■トランポリンで跳んでいるときに音楽が加わることで身体の調整力が格段に上がるのがすぐわかりました。もちろん、ピアノは跳ぶ私にリアルタイムで合わせてくれます。フォームがくずれてジャンプのタイミングがずれてもピアノは絶対離れない。すごいものだ。曲がリクエストのバッハから「平均率第1巻第1番」になると、1跳躍を6つに刻む音が私の覚醒レベルを一気に上げて頭の中が澄み渡ったような感覚になりました。このまま続けると自分がどこかに行ってしまうような気がしました。野田先生によると宇宙飛行士が無重力状態で神を感じたという感覚なのだそうです。脳生理学的にはドーパミンの産生がアップしたとのこと。音楽運動療法は障害がある子どもたちの発達支援やパーキンソン病、脳卒中後のリハビリに大きな治療効果を上げて医学的実証も進んでいます。私は自分が体験することでその力の大きさと心地よさがわかりました。
■野田燎先生のチームはスタッフが5人来ていました。それぞれ得意分野があるようで、クラシック、ジャズ、アニメ、ポピュラーなどなど、曲によって交代してピアノを弾きます。弾き手が変われば音楽も変わります。でも、野田先生のスタッフは誰が弾いても、そして、歌っても、「患者さん」に寄り添う真摯な姿勢と心地よさはキープされています。音楽運動療法のスタッフは大学で音楽を勉強してきた人からピックアップするとのこと。大事なのは「センス」とのこと! センス…それぞれの音楽がもつメッセージ性を感じ取れることが大事だとも…。その音楽の感じ方をどうやってスタッフに伝えるのか、音楽の使い方をどうやって伝えるのか、もっと具体的な言葉で教えてほしかったのですが、これはやっぱり難しいですね。
■だれが歌っても、と言いましたが、昨日、歌を担当したのはひとりのスタッフでした。模擬セッションで、トランポリンに仰臥位になった人ひとりのためだけに歌う『ひかる・かいがら』は今まで聴いたことのない力を秘めていました。私はその歌に、そうですね、文字通り心を奪われたというべきでしょうか…。誰かのために歌うことはすごい力を秘めているものだ。
■昨日聴いて体験した野田式音楽運動療法のセッションは、誰かのために奏でられる音楽とはどんな音楽?ということを考えさせられ、また、教えられました。ピアノも野田先生のサックスも歌もたいへんクオリティの高いものでした。歌を苦手としている私にとっては、療法の空間における歌のひとつのシンボルを聴いた思いがして、研修会後、歌を担当したスタッフに話を聞かせていただきました。「患者さんのためだけに歌う」とのことで、療法の場面では誰もがそう思っているはずなのに…やっぱりセンスだろうね…
■音楽運動療法のクライアント体験で、奏でる音楽の2拍目の重要性をまた思いました。先日、FM放送でキース・ジャレットがチェンバロで弾くバッハの『ゴールドベルク変奏曲』を聴いて、やはり2拍目の重みのことを考えたばかりでした。2拍目はそのフレーズのベースのテンポを決めます。キース・ジャレットの『ゴールドベルク』の冒頭は、2つ目の音がいつ奏されるのかわからないくらいのスローテンポです。2つ目の音を待つまでのほんの何分の一秒かの間は聴く人にたいへんな緊張を強いる。不安になる。この張りつめた空間は危ういほどの美しさで私は好きなのだが。昨日、トランポリンでバウンドした直後、もちろん、バウンドの瞬間は1拍目で、バウンドした直後に続く2拍目がクライエントの動き、予想からずれると不快感どころか跳ぶテンポも身体の調整力も乱れてしまうのだ。もっとも、その曲は私に合わないのを意図的に選んで比較するためのものであったが。
■野田式音楽運動療法の模擬セッションではほんとの音楽に出会った思いがしています。こうした音楽にはめったに会えません。誰かのために奏されることがはっきりしている音楽、それは音楽が本来内包している機能であり、音楽の力であり、その秘められた力をこの空間に、音の、空気の振動として再現し得る技こそ真の音楽の使い手のみなし得る技なのだ。昨日はただごとではない体験をしました。
■野田燎先生が言われるようにひとりのクライエントだけのセッションをもちたい。でも、現実は厳しいものがあります。どうしても集団のセッションをせざるを得ない。もちろん、集団でしか成し得ないことがある。ミュージック・ケアはその意味でたいへん優れたメソッドです。でも、それだけではいけないと思う。集団セッションと個別セッションとの効果的なコンビネーションが発達につまずきのあるお子さんひとりひとりに必要です。

野田式音楽運動療法から学んだこと(03/8/31)
■野田燎先生が模擬セッションでサザンのリクエストがあって『TSUNAMI』を演奏した後、堰を切ったように話し出しました。「今までのことはええやん、明日からのこと考えよう」そういう歌、ということで、サザンの『ホテル・パシフィック』の1コーラスをサックスで吹いて、そして、『真夜中のナイチンゲール』のフルコーラスをサックスと歌で奏でました。『さよなら大好きな人』も。そのときの野田先生は音楽好きな素顔を見せてくれたように思いました。
■誰でも好きな音楽への想い入れは言葉にできないくらいもののがある。その想い入れを伝えるいちばんの方法は自分で奏でること。その音楽をニーズとしている人への共感として奏でる音楽は譬えようもなく真摯なものだ。野田先生が音楽療法の中で独自の道を歩まれることになったことの理由と意味がわかったように思いました。音楽のジャンルを問わず、その音楽に秘められたシチュエーションを自分のものとして追体験することでクライエントの物語を共に紡ぐのだ。適切な選曲をして最高の演奏を提供することで。これは、でも、みんながしていることではないのか!? 野田先生のセッションはトランポリンを使って脳を活性化して音楽の文脈を受け入れやすくしている。運動を伴うこととクライエントに寄り添う最高の音楽を提供することが野田式音楽療法の核だと思う。お母さんが子どもを抱っこするとき、自然にリズムをとって揺らしながら歌うではないか。それは誰もがしていること。子どもをあやすことは自分自身をあやすことでもある。子どもが泣き止んで安らかな気持ちになるとお母さんも幸せになれる。人として当たり前のこんな営みの意味深さをもう一度考えてみたいと思う。音楽療法だからといって難しいことを考える前に、ウィニコットの「たった一人の赤ちゃんなんていない。赤ちゃんはいつも誰かの一部なんだ。」という人を関係性の中で捉え、理解しようとするスタンスの意味を今一度考えたい。
■野田燎先生の模擬セッションは音楽とは何かということを考えさせてくれました。あの空間に自分がいたことをとても幸せなことだと思っています。私の人生から欠くことのできないひとときでした。

ピアノの話

一昨年、自分が選定をしたピアノと小一時間いっしょに過ごしました。明日、ピアノを弾くことがあるのでさすがに練習をしないといけません。曲を弾く前に音階練習を繰り返すとピアノと対話をしているような感覚になります。指がピアノに、ピアノは私の指に、双方が歩み寄っておしゃべりしているような感覚です。ちょっと古い目のピアノは人生経験がたくさんあるせいかたくさんおしゃべりしてくれます。フルコンサートのグランドピアノはそうはいきません。でも、これは単に私の技術の問題です。そのピアノは予算の関係で中古からの選定となり、1970年代の製造と思われるので40歳を超えているでしょうか。

折しも一昨日届いた本はT.E.カーハート著、村松潔訳「パリ左岸のピアノ工房」(新潮クレスト・ブックス 2001)です。なんと10刷を超えて増刷されています。内容はピアノ、ピアノ、ピアノとピアノづくしで、思い出のピアノや世界で出会ったピアノたち、そして、ピアノの歴史やメカニズム、調律、ピアノ・メーカーの物語などがたくさん詰まっています。ピアノ好きにはたまらない1冊です。週末の東京行に持っていきたいのですが旅本にはちょっと大きいだろうか。

朝日新聞の読書欄から思うこと

今朝の朝日新聞の読書欄の冒頭は熊谷晋一郎氏の「相模原事件が問うもの~少数派の排除、暴力を生む~」でした。4段抜きとはいえ限られたスペースにこの事件を巡る諸相の文脈がまとめられていて読み応えがありました。この事件について「被害者も加害者も障害者」という言葉を聞いたとき、私は少なからず危惧するものがありました。「障害者の問題」と受け取られかねないこうした括りは何の解決にもならないばかりか逆に社会から切り離されて多くの人々の見過ごしに直結してしまう。「現代思想201610 緊急特集 相模原障害者殺傷事件」(青土社 2016)で何人かの執筆者が指摘している「想像力(の欠如)」という言葉がキーワードとして私の頭から離れない。背景はもちろんのこと、横の広がりと時間軸、たくさんの文脈の絡まりを考え続けること、決して思考を止めないこと、物事は常に動いていることをあらためて肝に銘じたい。昨日と今日の判断が異なることはあることだ。今、自分はどこにいるのかを常に吟味し続けること。そのうえでこの先の10年、50年を見据え、今、行うことを見極めていきたい。

詩を読む

ここ2~3日、カーポートの横のポットに植えたニューギニアインパチェンスがぐったりしていて、そうか、水を遣っていなかったと気づきました。9月から雨ばかり続いたので花に水を遣ることをすっかり忘れてしまっていました。忙しかったこともあります。ここ1か月余りでたくさんの変化があってこれまで触れることのなかった扉を開ける心持ちです。同時に心して取り組むことばかりです。早速、来週末に出張が入って新幹線とホテルの予約をしました。

ボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞しました。昨年度末に「Blowin’in the Wind(風に吹かれて)」に同僚から彼自身の訳をつけて贈っていただいたことがありました。歌詞を英語で字として読んで、韻を踏んだある意味古典的な構成で書かれていることに驚きました。また、歌うための訳と詩を読むための訳は自ずからちがってくると思います。私の手元にあるその訳は読むための訳であり、自然な語り口で書かれた言葉にメッセージがストレートに伝わるようで感銘を受けました。立原道造の詩集はkindleアプリに入れていますが、書店で詩集を手にすることもなく、何かきっかけがないと他の詩人の詩に触れることはなくなってしまいました。年度末にいただいた「贈る詩」31篇は湧き出る泉のように思っています。

昨日の夕焼けは鱗雲に夕陽がかかってひときわ美しく空に広がっていました。

20161014

「HOPE 311 陽、また昇る」

昨日、ハービー山口の写真集「HOPE 311 陽、また昇る」(講談社 2012)が届きました。紐解くとこの本のAmazonのカスタマーレビューほど「本のレビュー」に相応しい言葉はないのではないかというくらいのマッチングと思いました。そして、写真を撮る意味や写る意味、プリントする意味、シャッターを切る意味など、写真にまつわるあらゆるステップやファクターの意味を含むただただすごい写真集と思います。ドキュメンタリーの写真は撮り続けることで撮る人自らの命を細らせることもあると聞いたことがあります。この写真集からはそうした気配は感じられない。東北の状況が厳しいことは誰もがわかってこの写真集を見る。でも、笑顔や力強さを伝える写真はともにいること、ともに歩むことの豊かさを教えてくれる。私たちは間違いなく勇気をいただく。ほんとの強さとは何かを教えてくれているように思うのだ。

一昨日、昨日と鈴鹿に出張で高速道路経由で帰宅しました。三重県の北勢地域の秋冬は冷えて雪もめずらしくありません。今朝は一段と気温が下がりました。冷たく、凛とした空気や冬枯れの風景は感性を研ぎ澄ませる力があるように思います。聴きたくなるのはやっぱりチャイコフスキーか。

サンドイッチ考

平日の昼食はトーストサンドが続いています。食パンを2枚オーブントースターで焼いてベーコンや目玉焼き、レタスを挟んで、それだけです。ラップしてバンダナで包んでランチバッグに入れて行きます。簡単にできること、食べても身体が重くならないところが気に入っています。ところが、先日、このトーストサンドをぐっと美味しく食べる方法がわかリました。それは、出勤したら職場の冷蔵庫に入れるということです。先々週のある日、出勤までに用事があって車にランチバッグを置いたままにしてしまいました。このThinkPadは持って行ったのにランチバッグは車に置きっ放しでした。その日は台風の影響で曇っていて小雨が降っていましたが涼しい日ではありませんでした。小1時間して車に戻ってランチバッグを確かめると外面は生温かくなっていました。バッグの中は冷たい飲み物もいっしょに入れていたこともあってかそう温度は上がってないようでした。でも心配になって職場に着くとすぐに冷蔵庫に飲み物といっしょに入れておきました。さて、昼食の時間となりました。大丈夫かな・・・と一口食べると、適度に冷えたトーストサンドはレタスがシャキシャキして冷たいベーコンも冷たさゆえの食感があってすごく美味しいのです。パンは冷えると少し固くなるのかパンの粒立ちがしっかりして口あたりがいい。そうか! これはカフェの冷蔵ショーケースに並んだサンドイッチと同じだと気づきました。なんだかちょっとリッチな食感がありました。これはいい。冷蔵庫に入れるだけです。衛生的にも望ましい。そうなると毎朝トーストサンドを作るのも楽しくなります。トーストサンドでなくてもいい。サンドイッチでいい。パンもいろんな種類を試してみたくなります。

サンドイッチといえばホテルオークラ編の「本当に旨いサンドウィッチの作り方100」(イカロス出版)をkindle版で持っています。Amazonの表示では2014年7月13日に注文したとか。写真がとてもきれいでジャケ買いです。そのうちのひとつもレシピ通り作ったことはありませんが、キャベツの使い方やソースの選び方などいくつか参考にしてきました。ホテルのレシピはホテルという特別な空間を演出する役割を担っています。一般家庭でそのまま作るには「もったいない」と思う内容もあります。筆者もそれを記しています。でも、そのプレミアム感が生活の彩りになります。ホテルオークラに行けなくてもときにはこの本のレシピ通りに作って楽しみたいと思うのです。するとやっぱりパンが大事か・・・

パンといえば東京のレインボーハウス明石の喫茶アラジンの山食パンで作ったサンドイッチが美味しかった。きっと今も美味しい。10年前の8月、つくば市で2週間の研修があったとき、ちょうどレインボーハウス明石でスウェーデン在住の音楽療法士による個人レッスンがあってエレキギターとアンプを持ってつくば市から高速バスに乗って土曜日毎に通いました。このとき、1階の喫茶アラジンでパンをいただいてファンになりました。その後、東京に行くときは山食パンの取り置きを電話でお願いして買い求めては持ち帰ってサンドイッチを作りました。過去形の記述ばかりですがレインボーハウス明石と喫茶アラジンは変わらずあります。中央区とのコラボレーションで実現した東京の真ん中の高層マンションと一体化した福祉施設であり、パンが焼き上がる時間には何人ものお客さんが待っているほどでした。理事長とお会いすることができ、その志とクオリティーの高さに仕事へのエネルギーをいただきました。

当時よく乗ったつくば市と東京駅八重洲口を直通で結ぶバス路線は研修が終わった翌月になくなってしまいました。ちょっと不思議なバスでした。八重洲口で乗車するのは研究者と思しき人たちが多くて外国の人もいました。つくば市では見たこともないような形の建物が並ぶ交通量の少ない広い道路を走って、ここでバスを降りてどこに行くのかわからないような薄暗い停留所で一人、また一人と降りて消えていきました。私も然り、教員研修センターの脇でエレキギターとアンプ、そして、アラジンの山食パンを持って一人、ぽつんとバスを降りました。でも、気持ちは熱かったです。今に続くエネルギーになっています。研修はたいへんでしたが半分はフィクションのような2週間でした。