月別アーカイブ: 2018年10月

モノとの一体感と外界

先日の日曜日に鈴鹿スカイラインから滋賀県に入り、竜王で折り返して国道1号線で鈴鹿峠を越えるコースをバイク5台で回ってきました。信州ツーリングから早1か月、久しぶりのツーリングでした。鈴鹿スカイライン沿道の木々はすでに紅葉が始まっていて秋晴れの陽光に輝いていました。驚いたのは鈴鹿スカイラインの路肩という路肩に自家用車が数珠つなぎのように駐車してあったことです。車の傍で身支度をする人たちはトレッキングのいで立ちで登山ブームを目の当たりにした感がありました。

BNDIT1250SAは納車からちょうど4か月で、走行距離は2,200km余となりました。1か月に約500kmで、信州ツーリングの900kmを差し引くとさほど走れていないことになります。季節も暑くもなく寒くもなく安定した天気が続くようになったので通勤にも使うようにしました。片道約25kmで少し気温の低い朝でも身体が冷える前に到着する距離です。距離は長くなくても乗る回数が1回でも増えると身体がバイクに馴染みます。冷たい空気も路面の凸凹や傾斜も走る度に新鮮です。想起されたのはバイクとの一体感がもたらす外界(気象、風景、道路、交通等々の諸要因)との瞬時のリアルな経験がいかなるものかということです。こうした一体感のあり様は過日の教育人間学演習でも指摘があったことです。

ところで、今回のツーリングは5台中3台がBMWで1200ccクラスのDAEGとBANDITが霞むようでした。当日都合がつかず来れなかったのもBMW乗りでした。鈴鹿の集合場所まで走った伊勢道で見かけたバイクはほとんどがハーレーだったのに私の周りはBMWだらけです。BMWのバイクは趣味性より機能性を優先した造りと思います。デザインは後から付けたようだとは言い過ぎだろうか。でも、そうでなければこの姿はなかったのではないかという独自のスタイルで高い性能と相まってその存在感と魅力も大きい。そんないろいろなバイクを“鑑賞”するのもバイクの楽しみ方のひとつだと思います。

アイキャッチ画像は当日の青土ダムの空です。

教育人間学演習と「このゆびとーまれ」の風景

今朝、県の防災メールで地中海で起こった遠地地震の一報が入りました。震源地はイオニア海、規模はM6.8とのこと。津波に関しては日本への影響はないとありましたが、ここしばらく古代ギリシアから現在に至る知の営みにふれることがあってこれまでのように単なる遠地地震の情報を聞き流す感覚ではありませんでした。今月もあとわずか、今年もあと2か月となった今となってこの10月が私にとっていくつかの点で大きな節目となりそうな気がしています。

10月初旬の3連休は大学院のスクーリングで教育人間学の演習でした。テキストを読みながら説明を聴き、意見を交わしながらの学びです。内容は哲学で目の前の霧が晴れていくのがわかりました。それは何かが解決するというものではありません。方法論の概要にふれることができた、そんな気がするという程度です。でも、私にとっては切り口を見つけられそうな予感がありました。演習のときとったメモをワードに打ち込みつつレポートを書く。幾たびかメモを読み返しながら必要を思われる本を取り寄せて読む。こんな考え方があったのかという驚きと気づきがあります。

そんな日々を過ごす中で先週は富山に行って共生地域福祉フォーラムに11年ぶりに参加し、また、今回は開所25年を迎えた富山型小規模多機能事業所「このゆびとーまれ」に半日滞在する機会を得ました。地域の中で子どもたちが育つ「原風景」を肌で感じてきたつもりです。障害がある子どももない子どもも、赤ちゃんも、そして、認知症のお年寄りもいっしょです。教育人間学の演習は「人間とは何か」という問いから始まりました。人間の存在について私はまだ何も知らないも同然ですが、「このゆびとーまれ」で過ごした経験は演習でふれた現象学に至る哲学の延長線上にあるものかもしれない、そんな予感を感じさせてくれるものでした。

アイキャッチ画像は10月7日、台風一過のスクーリングの日の京都の空です。

校歌

現役最後の勤務校は最後の年度に3校(正確には4校)の統合による整備で新設校としてスタートしました。各校にはそれぞれ何十年と歌われ続けてきた校歌がありましたが校名が新しくなったこともあって新しく校歌を制作することになりました。県立校の校歌の楽譜には谷川俊太郎、作曲小室等らの名前がありますが校歌にお金を回す余力は年々なくなってきています。勤務校も然りでいろいろ策を練ったものの職員で制作することになって曲は私が作ることになりました。

今回制作した校歌の学校の本分校は3校とも入院中の子どもたちが在籍しています。疾患も入院期間も教育ニーズも様々で、そっと寄り添うようなおだやかな曲としたつもりです。「ここに来てまでがんばれと言われたくない」と文集に書いた高校生、「この学校は大嫌い、早く退院したい」と自立活動発表会で作文を読んだ小学生、地元の学校に戻るのが不安な中学生・・・出会ったたくさんの子どもたちの顔が浮かびました。ふと、ある研修会のことを思い出しました。それは、例えば、旋律が上下を繰り返してなかなか終わりそうもない「A Whole New World」は自分の身体が思うようにならない肢体不自由の子どもが親しみを感じるようだという講師の話です。特定の障害や病気に画一的に「合う」音楽があるわけではありませんが、曲のもつ情感が身体感覚とシンクロするという感覚は誰もがあることと思います。出会った子どもたちを思い浮かべながら曲作りでは音の飛躍や劇的な終始感、長調と単調が明確な展開をするような強いコントラストは極力避けました。音楽的に王道を押さえていること、そして、おだやかな中にも少しばかり心が躍るフレーズを入れることとして、3段目の9小節目から付点四分音符の旋律を入れました。この旋律はひとつのモチーフとして考えていましたが曲の構成の中に入れたのは東京駅のカフェにいたときでした。旅先で、歩いたことで曲全体の姿が現れました。

詞は3校の校歌プロジェクトの先生方で制作していただきました。3校の校名にちなむ言葉やそっと背中を押す物語を織り込むなどして仕上げていただきました。今月20日にお披露目です。