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教育の現象学的アプローチ

週末の金曜日と土曜日はいわゆる連荘で飲み会でした。金曜日は某事務局の集まりで多くは退職者でした。昨夜はある研究会の親睦会でした。そこで続けて思いがけない話の展開があって酔いが醒めるほど驚きました。金曜日は伊藤亜紗さんの著書について、昨夜は教育を現象学的に捉えることから話が広がってシュタイナーの名前が飛び出したことでした。

ここ何か月か教育を現象学的に研究することを考えていて、やっと自分の言葉として使っていけそうな文脈がわかりかけたばかりです。勉強すればするほどわからないことが増えてきて難しさは深くなってきています。一つひとつの言葉の意味や解釈にエネルギーを費やします。今は「生成」ですが、この言葉がある程度自分なりに使えるようになることで今進めていることの見通しがかなり掴めるのではないかと考えています。こうした営みは難しいけど面白い。面白いけど難しい。夢中になってしまう。

今にして思えばいつの頃からか教育から哲学的なアプローチの影が薄くなってしまいました。教育学における現象学的アプローチも然りと思います。関連する書籍はここ数ヵ月たらずで100冊超集めましたが何百冊もあるわけではありません。3月に国立国会図書館を訪れたとき文献を探しましたが概観程度とはいえ何度かの複写もして1日で終わりました。現象学は最も注目されている哲学の一分野のはずなのにこの絶対数の少なさはどういうことかと訝しく思っています。そんな中で冒頭に記した週末の出来事に驚きつつも心強く思いました。

ここで多くを書くにはまだまだ勉強が足りませんが、次世代の先生方に伝えるべき教育の「極意」は教育を現象学的に研究することでそれなりに明らかになるのではないかと考えます。「極意」を伝えることはたいへん難しいのですが、現象学的な研究に触れることで心に響くものがあるはずと予感があります。講義まであと2か月、どこまで詰めることができるかです。