月別アーカイブ: 2018年9月

武蔵野の面影が残る秩父学園にて

台風が近づく中、今日は埼玉県所沢市の国立障害者リハビリテーションセンター自立支援局秩父学園に行っていました。初めて訪れた秩父学園は土曜日で休みでした。広大な敷地には点在する建物は人気がなく静まり返っていました。所々に残る武蔵野の自然林はそぼ降る雨に濡れて幹は黒く、葉は夏の名残の濃い緑色をしていました。作業はその中のひとつの建物の北向きの窓がひとつの部屋で行いました。病弱教育関係の本や資料はそもそも絶対数が少なく、古書店でもなかなか見かけない本や国立国会図書館でコピーしたものの著作権上20ページしか持ち帰れなかった雑誌が目の前にあることに心が躍りました。帰路の西武新宿線に揺られながら今日一緒だった大学の先生と学校や行政にある一次資料の保存の大切さやそうした貴重な資料が廃棄されつつあることについて言葉を交わしました。社会的責任を感じる作業です。

知について

2週続けて知について心に刻まれる体験をしました。先週は上野の森美術館で開催の金沢工業大学所蔵「世界を変えた書物展」と東洋文庫で古い分厚い洋書の壁に囲まれました。「知の壁」と銘打たれたそれらの書物は見上げる高さの本棚に納まっていて意匠が凝らされた巧みな照明によって静かに眠る情念の塊のように感じました。凄みがありました。見入ってしまいました。人間が書を著し、上梓し、それらの書物を継承するという営みに向かおうとする意思は生まれながらにして人間の根源の奥深くに宿っているものにちがいないのではないかとさえ思わずにいられない。ものすごいエネルギーが伝わってきました。

今日はODNJP(オープンダイアローグ・ネットワーク・ジャパン)のシンポジウム「オープンダイアローグと中動態の世界」に行ってきました。会場は東京大学駒場キャンパスで初めて訪れてここでも知の壁を体感した思いがありました。古い洋館風の建物と直線を基調としたガラス張りの建物が同居していて広い石畳の並木道があり・・・その佇まいが醸し出す非日常感もまた先週の書物の知の壁を彷彿とさせました。これからさらに混迷の深みに入っていこうとする日本社会は日常から離れたこうした空間からみ出されようする知なくしては明日が見えないのではないかと考えてしまう。私自身3年後には教員となる学生を教えるポジションなので志を高くもって仕事をしたいとあらためて思いました。

オープンダイアローグはフィンランドで統合失調症の早期介入(正確には統合失調症の診断前の前駆症状時)として始まりましたが、オープンダイアローグ自体は今の混迷をともに生きていくための知恵のひとつと思っています。その混迷を中動態という切り口で話をされたのは國分功一郎先生(東京工業大学・哲学)で、目の前の霞が紙を1枚ずつ剥がされてクリアになっていくようでした。同じく哲学者の石原孝二先生、精神科医の斎藤環先生と高木俊介先生の話もたいへん腑に落ちるものでした。ここに自分の言葉で多くを書けるまで消化できていませんが、今日は大きなフェイズの真っ只中にいるような体験でした。身体をもってして知ったといえるでしょうか。

昨日は京都だったので夜行バスで直接東京に向かいました。朝6時30分開店の東京駅のカフェなどをはしごして午前中は来月から始まる大学の講義の資料を延々と作っていました。1週間に1回90分、15回分の講義の準備はたいへんだと思っていましたが15回分のコンテンツのキーワードを入れていくと全く時間が足りないことがわかってきました。また、この作業は15回の講義全体を俯瞰することにもなって実り多い半日でした。一段落したは東大駒場駅前のマクドでとなりました。古い店舗で淡々と対応するスタッフとまばらな客、そして冷めたポテト・・・これはこれでどこか“非日常”感があっておかしくもありました。

シンポジウムの会場を出ると駒場キャンパスの旧制第一高等学校本館の時計台がうっすらと雲がかかった淡い青空の下で傾きかけた陽をうけていました。秋の近いことを感じました。

信州ツーリング

3連休の2日間は信州にツーリングでした。1日目は伊勢道‐東名阪道‐中央道‐ビーナスラインと走って美ヶ原高原まで行きました。夜は安曇野の知人宅に泊めてもらって2日目は高ボッチ高原に行って帰ってきました。四半世紀ぶりにバイク、しかも大型に乗ってようやく1,000kmの初回点検を終えたばかりの私にとっては難易度の高いコースでした。高速道路は大型ならではの安定した走りでしたが、高ボッチ高原スカイラインのとりわけ崖の湯温泉経由のコースは狭く荒れた片側崖っぷちの道でとにかく慎重を心がけました。「スカイライン」のネーミングを疑ってしまいました。ツーリングは雨でも決行のつもりでしたが雨だったら絶対に走りたくない道でした。そう、2日とも天気は朝方の朝から劇的に回復しました。久しぶりの青空と白い雲がまぶしくきれいでした。高ボッチ高原の頂上からは富士山を望むことができました。(アイキャッチ画像は美ヶ原高原の空です)

2日で約800kmを走って学んだこと気づいたことがありました。そのひとつがバイクのリハビリ効果のような作用です。バイクは両手両脚だけでなく体幹を軸とした身体全体の調整や平衡感覚、危険回避の判断等々、全身全霊を傾けて乗るのできっとくたくたに疲れるだろうと思っていました。ところが、1日目を終わったところでスロットルの調整を続けた右手だけは疲労感があったものの前日までの腰の痛みや首の違和感などは全部きれいに消えていて驚きました。2日目も然り。そして、まるで別人になったかのような爽快感は今も続いています。

もうひとつ、BANDIT 1250SAの給油のタイミングのわかりにくさについて考えました。燃費は約20km/lでバイクのサイズからすると決して悪くはないのですが、燃料計の5つのドットの表示が残り2つから1つになったとたんに給油マークの点滅が始まってあとどのくらい走れるのだろうと落ち着かなくなります。そのタイミングで給油すると約13リットル入ります。タンクの容量は19リットルなので6リットルの残量になったときに表示の点滅が始まっているわけです。そこから残2リットルまで走るとプラス80km走れるはずですがどうも気が気でない。250km余走ったところで給油することになります。今回の同行は、KAWASAKI ZRX1200 DAEGとBMW K1600GTLの2台で、とりわけBMWは満タンで450km走れることに加えて平均燃費や走行可能距離がリアルタイムで表示されるので気持ちは余裕があるようです。(帰宅後取説で確かめるとドット1つになった時点で残5.5l、ドットが全部消えた時点で残1.5lとのこと)

安曇野は魅力的なところでした。3,000m級の山々を望んで田畑が広がり、晴れの日も雨の日も霧の日も穏やかな時間の流れがあるように思いました。退職後に居を移す人が少なくないのもわかるように思いました。

いつか論じたいバイクの文化

名古屋のバイク用品店に行ってきました。駐車場に車を止めると建物の上に掲げられた看板にしばし目が点になってしまいました。100円ショップ、ディスカウントスーパー、バイク用品店、全国ネットの中古バイク店と並んでいました。中に入ると数え切れないほどのバイクの列のすぐ横にスーパーのレジが並んでいました。そのスーパーのとなりは100円ショップでした。訪れる人たちはその光景に見慣れているのかわざわざ見渡すようなことをしていません。でも初めての私は驚きました。バイクの販売の低迷やリターンライダーの増加などバイクを巡る状況は日々動いています。そうした状況が人をして為さしめた光景がこれなのだろうか。店の前にはバイクに乗った人たちがコンスタントに訪れて社交の場の様相を呈していました。駐車場に並んだバイクも店内の中古バイク店に並んだバイクもそのほとんどがカスタムが施されています。その数々のバイクを見ているとバイクという乗り物の魅力と不思議さをあらためて思いました。かく言う私も先週はアールズギアのスリップオンマフラーが届いて天気が回復次第取り付けたいと虎視眈々としています。私をしてそうさせてしまうバイクとはどんな乗り物、モノなのだろうか。その答えが見つかるまでバイクに乗り続けていつか論じたいと思う。それは身体性をキーワードとした文化論としていきたい。

2階のバイク用品店は広いフロアで地方ではなかな目にすることがない豊富な品揃えで勉強になりました。また、カタログ落ちなどのお買い得品はそうして実際に店に行かないとわかりません。今回はイエローコーンの昨年モデルの秋冬用ジャケットをお手頃価格で入手することができました。前後や腕周りまで装飾の文字などが入って相当目立つはずです。胸のプロテクターも調達したのでサイズはボディコン並みです。バイクは風を受けやすいので走りを堪能するにはちょうどいいサイズ感です。秋冬用の本革のグローブがやっと見つかりました。手に馴染むグローブは最初からしっくりきます。即決でした。

今夜の毎日放送制作の「情熱大陸」はシリアで子どもたちのサポートを行っている松永晴子さんでした。テーマは教育支援です。教育の営みの生々しさとダイナミクスが伝わってきました。そんな今日届いた本の1冊は、三時眞貴子・岩下誠・江口布由子・河合隆平・北村陽子編「教育支援と排除の比較社会史 「生存」をめぐる家族・労働・福祉」(昭和堂 2016)です。教育はいろんな角度から、ときには角度を定めないまま、もっともっと論じられていい。

手話の文化、14年後の再び

今年5月に放送されたNHKのETV特集「静かで、にぎやかな世界 ~手話で生きる子どもたち~」は日本手話で教育を行う唯一の学校、東京・品川にある明晴学園と子どもたちの日常を記録した番組です。子どもたちの生き生きとした姿から障害のあるなしを超えて子どもの自己の育ちの大切さを考えさせられます。日本手話を使うことがその営みの大切な部分を支えていると考えています。この番組の子どもたちの姿から想起されることは少なからずあって、今回、ブログとホームページの記事の集約を進める中でそのひとつを書き留めていたことがわかりました。

[blockquote text=’手話の文化 2004-07-30
■三重県立盲・聾・養護学校教育実践研究大会で有限会社手話文化村代表取締役米内山明宏さんの講演を聴いて胸のすく思いがしました。ぼやっとしていたことがすっきりした感があります。演題は「理想の教育とは?~現実とのギャップをどう考えているのか~」です。
■2月にシンボルコミュニケーションのブックを作っていて、シンボルの選択と配置に文法のちがいを感じました。日本語の文法とはちがう文法があるのではないかということです。やはり視覚によるコミュニケーションである手話はどうなのだろうと考えてしまい、インターネットで検索して龍の子学園を知りました。そう、龍の子学園は米内山さんが設立したフリースクールだったのです。
■文法がちがうということは意思決定のプロセスと背景、文脈がちがうということです。文化がちがうのです。文化のちがいを知ることは自分の文化を知るということ。自分の文化を知って愛することはちがいを認めることにつながる。セルフ・エスティームの育ちが大切なのだ。聴者の文化を自ら愛する者が聾の人の文化も尊厳も認め得るのではないだろうか。自閉症スペクトラム障害も同じです。
■米内山さんが描く「理想の教育」へのプロセスは「教育はみんなのもの、オープンにみんなで語り合えるものであってほしい」ということ。学校は壁を作っている…そのことをまた指摘された。’]

米内山さんはホールのステージの中央やや前よりに立ち、PowerPointなどの映像を使わずに手話で話をされました。手話通訳はそのステージの真下中央にマイクを前に座って米内山さんの手話を見上げるようにして見つめていました。米内山さんがやや顔を上げて手話で話をされるときの躍動感と存在感、その手話通訳の饒舌さは見事にシンクロしていて私は引き込まれてしまいました。90分枠で組まれた講演中、米内山さんはステージの真ん中に同じ姿勢ですっくと立たれ、手話通訳はたったひとりの女性が担当されました。ふたりの間にあるものはいったい何だったのだろう。今思えばそれは応答による文化の共有のようなものでした。私はその文化に直に触れて心が揺さぶられた感がありました。言語としての手話の核心を目の当たりにしたと思いました。

今日、米内山さんが明晴学園の前身の龍の子学園の創設にかかわられたことを知ってETV特集の番組での子どもたちの姿が腑に落ちました。つながりました。そして、日本手話が言語として聾の子どもたちの自己の育ちにいかに重要な役割を果たしているかということをあらためて思い知りました。

あらためてETV特集「静かで、にぎやかな世界 ~手話で生きる子どもたち~」について考えます。NHKのプロデューサーが語ったこととして冒頭に「初めてこの学校の子どもたちを見たときに、考えさせられたこと。それは、子どもの育ちに必要なことってなんだろう…ということでした。」とあるのは私も同様に考えたことです。特別支援教育のフレームは外せないのですが、この番組の子どもたちの姿はどの子どもにとっても大切であるはずだと思わせるものがあります。

記事の集約が終わりました

“みなみのかぜ・どっと・ねっと”の立ち上げから1週間経ちました。この間、時間を見つけては旧ブログやホームページからデータを移していました。そして、今日、全1,197個を移し終えました。コンスタントに書くようになったのは2001年春からですが20年近い記録ということになります。なぜこのようなことをやろうと思い立ったか、それはこのテーマの仕様にあります。

このテーマはDolce & VivaceのEsperanzaです。単純にデザインで決めたのですが、ひとつの記事をクリックして全文を表示させるとその下に「You may also like …」と他の4つの記事をピックアップするのです。カテゴリーを決めていないのでその根拠は???ですが、そんなことでもないとまず読む機会がない文章との接点が現れます。そして、ついついクリックして読む。するとまたその下に新たな4つの記事が・・・と芋づる式に読むことになります。20年近く書き溜めた自分の言葉が年や季節、コンテンツをこえて目の当たりになるわけです。「こんなことがあったのか」「こんなことを考えていたのか」等々、あらたな気づきもあります。そもそも駄文拙文なので自分のふりかえり以上の意味はないのですが、少なくともネット上に公開することを前提としてそれなりに言葉を選んで書き綴っています。かといって思考が発展しているわけでもなく螺旋状にもがいている自分を思い知るのですが、だからこそこの先があるのではないかとこれまた浅はかな一縷の望みの存在を予感してしまう。公開という前提なので書けなかったこともたくさんあります。これまた不思議なことに記事の行間からそのことが現れて生々しく思い出してしまうこと多々ありです。これからはまた新たな気持ちで何かしら書き続けることになるでしょう。その展開は自分でも興味深々です。

今回、“みなみのかぜ・どっと・ねっと”の立ち上げは技術的な情報収集に数日、ドメインの取得とレンタルサーバーの契約・設定は1時間弱、レンタルサーバー側の設定で待つこと一晩、テーマは4~5日あれこれと迷ったものの決めてからは購入とインストール、設定やコンテンツの移動までおよそ半日で終わりました。niftyのココログからの記事の移動は10分弱で終わりましたがBlogspotは長期間放置したためかログインができなかったので記事を一つひとつ手作業でコピー&ペーストすることになりました。ホームページからのコピー&ペーストも然り。記事のコピペで便利だったのは「プレーンテキストで貼り付ける」という右クリックのメニューでした。

ウェブサイト&メールアドレス変更のお知らせです

この度、こちらのminaminokaze.net(みなみのかぜ・どっと・ねっと)を立ち上げ、@niftyとBlogspotのブログの記事(2006.10以降)の移行を済ませました。

ポコ・ア・ポコ音楽療法の会のお知らせもこちらから行ってまいります。

まだまだ構築途中でお見苦しいところがありますがよろしくお願いいたします。

新しいメールアドレスはBCCにてお知らせします。

お手数ですが登録のブックマークやメールアドレスの変更をお願いいたします。

ホームページはアーカイブとしてこちらのgeocityにデータを移しました。