月別アーカイブ: 2001年7月

サラ・ブライトマンの『ラ・ルーナ』

■今日は出張もあって100キロあまりも走りました。車で走っているとき、ずっとサラ・ブライトマンの『ラ・ルーナ』をきいていました。『ラ・ルーナ』というアルバムの『ラ・ルーナ』と、続くシークレット・トラックの『ムーン・リバー』です。2時間あまり、ずっと同じ曲ばかりきいていたことになります。
■ノートによると、これはドヴォルザークの歌劇『ルサルカ』の中のアリアとのことです。木管のユニゾンがどこかなつかしいと思ったのはそこなんですね。ドヴォルザークの“音”です。
■なんと美しい歌、そして、なんときれいな声なんだろう! 『ラ・ルーナ』は「このアルバムの直接のインスピレーションとなった曲」とのこと。「ラ・ルーナ」とは「月」です。『月光浴』という、月の光だけで撮った写真集が少し前に話題になりました。サラ・ブライトマンはこのアルバムで月をテーマに選曲しています。月明かりは昼間みえない何かをみせてくれます。月の歌を歌うサラ・ブライトマンもまた彼女の世界をひろげたようです。
■激しい想いも、切ない想いも、サラ・ブライトマンが歌う恋の歌はまっすぐ心に届きます。そして、安珠の写真とメッセージもそうなんですが、サラ・ブライトマンの歌も、なぜか、“ひとり”ということを意識してしまいます。“ひとり”というよりも、そうですね、“自分”ということでしょうか。「音楽とは、語るべき自分をつくり、もたせ、守らせるもの」という北村智恵の言葉を実感させてくれるサラ・ブライトマンの歌であり、また、安珠の写真でもあるように思います。アートはそういうものなんですけどね。

安珠が撮る写真

■安珠の写真集が届きました。『恋文の森』と『Hoshi no hito』の2冊です。写真集の古書を扱うインターネット書店“小笠原”で買いました。安珠のサインやメッセージが入っています。安珠写真展「恋文の森」の半券もはさんでありましたから、その会場で買い求めたものでしょうか。どちらも折り目もなく、たいへんきれいでした。
■彼女が撮る写真の魅力は何と表現したらいいのでしょうか。どこかやさしげで芯があって…。『恋文の森』につけられたメッセージを紹介します。

ごあいさつ
わたしは窓の外の風景を眺めるのがとても好きです。それは幼い頃の入院生活から、始まっています。じっと眠るだけの毎日で、時間を感じることが出来たのは、白い壁に切り取られた四角い窓の風景を眺めている時だけでした。ゆらりと流れる雲、風に吹かれる木々、太陽や星。どこまでも空想の世界がひろがってゆく、心の窓でもありました。
誰も、窓の外に流れる時間を止めることは出来ません。わたしたちの命には限りがあります。でも、愛に限りはありません。たとえ、命が消えたとしても、愛は永遠です。
人生という深い森をさ迷い傷つきながらも、自分を受け入れて歩いてゆくことが、愛する人への恋文なのだと思います。
永遠の愛を信じて生きてゆきたい。そのためにわたしは一瞬を大切に想います。

※おそらく、1995年の「安珠写真展 恋文の森」の会場で販売された写真集『恋文の森』に添えられたメッセージです。

『センス・オブ・ワンダー』とプラネタリウムとプール

■海の日から今日まで、3日の連休が終わろうとしています。毎日夕立がありました。疲れが一気に出たようで、この3連休は休養第一で過ごしました。
■7月20日(金)は、『センス・オブ・ワンダー』の映画会に行きました。邦訳者、上藤恵子氏の講演と映画です。映画は上籐恵子が『センス・オブ・ワンダー』の舞台となったレイチェル・カーソンの別荘を四季折々に訪ねて同書の朗読をするというスタイルでした。レイチェル・カーソンの本はすばらしいし、舞台となった別荘を取り巻く自然もすばらしい。でも、私は、ここ、私の生活圏の自然も負けず劣らずすばらしいではないかと、へそ曲がりなことを考えてしまいました。どういうわけか、今年は松阪市から度会町への通勤路の田畑や里山がほんとに美しく見えて仕方がありません。梅雨時はまた格別でした。どうしてでしょうね。
■7月21日(土)は車で10分足らずの“みえこどもの城”に行って、“IMAX”(アイマックス)の画面を使ったプラネタリウムと3Dの映画をみてきました。プラネタリウムは先月も名古屋市立科学館でみてきたばかりですが、何度みてもいいものです。
■今日はちょっと元気が出てプールで泳いできました。