月別アーカイブ: 2006年4月

ナージャの村

■4月のポコ・ア・ポコは17家族のみなさんに来ていただきました。活発なお子さんも多かった中、静の共有がしっかりできてただただ感心です。その静こそ価値ある文脈の共有の姿です。今日は見学の方もみえて皆さんに助けていただきました。感謝しています。
■このところまたまた音楽にはまっています。iTunesとMusic Storeは常習性を誘う厄介者だと思う。iPodの購入も今や時間の問題です。iTunesのフォーマットもMP3からAACに変更しました。ますますジョブスの思うつぼに入ってしまう。でも、Appleの理念はそれだけ私のニーズに応え得るパラダイムを備えているのだと思います。仕事はWindowsですがプライベートはWindowsには戻れないと思います。それにしてもiTunesとMacはどういう仕組みになっているのかわかりませんが、WordやExcelを使いながらCDからの読み込みをしてもエラーは全くありません。ライブラリーを再生しながらのCDからの読み込みも問題はありません。私が使って来たWindowsでは考えられない安定感です。私のPowerBookは今やジュークボックスです。AACフォーマットに圧縮するのでHDDは余裕があります。CDアルバム1枚が50MB前後なので1Gで20枚、100枚で5G程度です。30GのiPodだと600枚分も入ります。私のPowerBookのiTuensのライブラリーを数えたらすでに100枚を超えていました。フォーレの歌曲全集も全115曲を読み込んでますます楽しみです。聴きたい音楽がクリック2~3回ですぐ聴ける環境は音楽好きにはたまらない。ジョブスはそこまで見通していたのかと思うとすごいとしかいいようがありません。
■先日、iTunes Music Storeでカラヤン指揮のモーツァルトのレクイエムK.626を購入しました。この曲はカラヤンの演奏がいちばんのお気に入りです。私がカラヤンを好きな理由はスピード感と構造感です。でも、デジタル環境ではそれがいまひとつ感じられないところが不思議です。逆に、デジタル環境だとこれまで聴きづらかった音が聴こえる録音もありますが、演奏はその時代、日々、コンテンポラリーを反映するものです。旧い演奏が今ひとつしっくりこないのはそこだと思う。なんとなくギャップを感じてしまう。旧い演奏はどう聴いても旧い。もちろん、演奏そのものの価値は別で、旧くても色褪せるものではありません。それをわかっていても私はいつも新しい演奏、音楽を求めてしまいます。
■古澤巌の「チャールダーシュ」をiTunesのイコライザーをAcoustic設定で聴くとオブリガートを奏でるクラリネットがはっきり聴こえて、これがすごくいい。私はオブリガートを聴くのも好きですが自分で即興で付けるのも好きで、もっぱら鍵盤ハーモニカを使っていました。と、過去形なのは、今やそんな機会はなくなってしまったからです。
■それでも学校現場に勤務していると時に音楽に係わる仕事もあって、先週、シーケンスソフトXGworksをセットアップしました。「おかあさんといっしょ」の「にじのむこうに」など、かつて打ち込んだ曲をあれこれ聴いて、やっぱりいいなぁとしみじみ思いました。何がいいって、アレンジと打ち込みは音楽の醍醐味そのものだし、自分で打ち込んだ演奏のコンサートで子どもたちに楽しんでもらえたことです。そのコンサートは2001年のことだからもう5年も前のこと、またコンサートをしたいと思っています。そうそう、YAMAHAのXG音源の音のよさも再認識です。
■Macのプレインストール音楽ソフトにGarageBandがあります。これもシーケンスソフトです。昨日は詳しいガイドブックを買ってきました。『Mac Fan GarageBand2マスターブック』(毎日コミュニケーションズ 2005) Ver.2から五線譜も使えるとか! これは楽しみです。
■“精神病”が脳機能の不具合という医学モデルは明らかになってきており、社会モデルとしての“精神病”がこれからの課題であることもまた明らかです。4月始めに県内の精神病院の文化祭に行って患者さんたちのおだやかな表情に心を打たれるものがありました。そこには“発達”というパラダイムはありません。今、今今、この刹那を価値あらしめるパダライムこそ真の価値なのだと思いました。
■今夜、NHK-TVでチェルノブイリの原発事故のその後の特集番組がありました。『ナージャの村』(写真:本橋成一 1998 平凡社)のその後です。次々と癌に倒れる人々と家族の姿はあまりに哀しい。私たちはどこに向かおうとしているのか、次の世代に何を残し得るのか!? 今夜は本田美奈子が聴きたくなります。

新年度の始めに

■3月、学校は修了式が終って春休みに入りました。桜咲く春本番がそこまで来ていることを日差しや風に感じる修了式でした。続く離任式では21人の席が前に並び、人数の多さに驚きました。4月の着任式では離任を上回るニューフェイスを迎えることになります。ますます大規模化していきます。年度末から年度始めにかけて慌ただしい毎日です。明日から新年度が始まります。
■木曜日金曜日と、亀山から鈴鹿にかけての東名阪は雪景色でした。木曜日はきらら学園も雪化粧でこれには驚きました。スタッドレスから夏タイヤに換えてあるので少々焦りました。
■このところ休みの日は病院と家を往復しています。先週の土曜日は暖かい日でした。病室の窓を外からクリーニングしていて、時々、作業服の業者が通ります。「パンダの着ぐるみを着た人が通ったらおかしいな」とたわいもない話もしました。ベッドサイドに『ダ・ヴィンチ・コード』(ダン・ブラウン 越前敏弥訳 角川文庫 2006)があって、読み始めたら止まらない。西洋文学によくある写実描写はないものの、テンポよく展開するシーンの連続が惹き付ける。ハリウッド映画みたいだ。でも、全部を読み切る時間はありません。
■「テンポよく展開するシーンの連続」とは、一瞥で把握し得るように整理された視覚情報であるシーンが連続するという意味で、おそらく、映画界では名前が付けられた常套的手法になっているものと思います。自閉症スペクトラムの人たちの認知を理解するためのヒントにならないのだろうかと私は考えます。認知と思考の関係、個々の要素のつながり、認知情報と思考とのつながり、そんな関係やつながりと人の生理とのつながりのことです。人の生理とは身体感覚、脳の働きと心です。「つながり」という言葉で自分の考えを表現してみようと思うのは、赤ちゃんの発達について書かれた本の中に、赤ちゃんは6か月頃になると自分の周りの様々な物や現象の「つながり」に気づくようになるとあったからです。「つながり」をキーワードにすると、picture(脳にインプットされた個々の視覚情報)同士の「つながり」が同時(at a time)だけではなく、複数の時間の中での(at some times)「つながり」として、ある程度自分でコントロールして有意に利用することが心身に安定をもたらすという言い方になります。では、何が「つながり」をもたらすのか。直接的には、それは脳内情報伝達物質の働きではないのかというのが私の仮説です。身体活動や連続した有意な外界認知が脳内情報伝達物質の分泌を促していることは間違いないでしょう。映画など映像作品の制作は視覚情報の構造化に他ならない。シーンの連続は四次元の構造化であり、そこから直接的な視覚情報を除いたものが音楽であるという考え方もできるだろう。
■『ダ・ヴィンチ・コード』にゲーテの言葉がありました。「建築は凍れる音楽である」と。建築の整理された構造が人の認知に連続する時間とのマッチングをもたらすのだ。ゲーテの頃の建築はそう理解されるのでしょう。今はそればかりではない。何もない空間が大きなニーズをつかんでいる。
■先々月の朝日新聞(2006.2.28 朝刊)にずっと気になっている記事があります。見出しは「8時間労働のゆくえ」で、公立学校の教員の超過勤務について次のようにあります。「『労働時間規制の適用外が認められたら何が起きるのか。公立学校の教員の今が、それを暗示する』。龍谷大学法科大学院の萬井隆令(よろずいたかよし)教授(労働者保護法)はこんな見方をする。公立の教員は『自発的、創造的な仕事で時間管理になじまない』と、70年代に時間外労働を把握しない仕組みになった。全日本教職員組合の02年の調査では、1日8時間労働と比べた超過勤務時間の平均は、月換算で80時間を超えた。過労死裁判に詳しい村山晃弁護士も、こう指摘する。『教員の過労死は多いが、労働時間をつかめないので労災認定されにくい』」この記事を読んで私ははっと思った。教育は「自発的、創造的な仕事」と私も思ってきています。子どもたちのためにと、教材研究や授業準備、行事の企画運営、研修、そして事務処理と、することは年々増えるばかりです。この状態は単に仕事を減らすとかそういった発想では解決できない文脈を含んでいるように私は考えています。教育における「自発的、創造的な」部分と、社会における公教育の役割について整理が求められてくることでしょう。子どもたちの育ちを学校と家庭だけでなく地域社会と地域のリソースがもっとたくさん受け持つことが豊かな社会づくりにつながるのではないのだろうか。これまでの学校の枠組みでは解決できない状況になってきていると考えられます。新年度の大きな課題です。
■日曜日のポコ・ア・ポコの4月から7月の会場予約を済ませて日程が決まりました。月例セッション案内葉書のフォーマットをWord for Macで設定したので今回から宛名面も含めて100% Macで作成します。WordもExcelもWindowsとMacとでは似て非なる仕様で、やっと文面の6分割デザインが設定できました。それにてもポコ・ア・ポコのご案内はいつも文書に悩みます。