月別アーカイブ: 2005年10月

2学期の折り返しに思う

■長いようで短い1週間が終わり、明日からまた1週間が始まります。対処療法的な仕事が多くて部分最適で終わっているようですが先を見てつなげていかなければならない。半年余りが過ぎ、2学期の折り返しを迎えてさらに気持ちを引き締めています。でも、来週は3日も出張が入っています。11月はスタートからたいへんです。
■木曜日は県の「出前トーク」で障害者自立支援法を軸にこれからの福祉行政について話を聴きました。福祉の変遷、そして、障害観についても触れるたいへん質の高い内容でした。変わる社会福祉、ピンチはチャンスとしなければならないが課題は大きい。
■今日はPTAの事業で市内(四日市市)の県立高校の吹奏楽部の演奏会がきらら学園でありました。高校生の演奏を聴くのは久しぶりで、スケールの大きな演奏を堪能しました。生徒たちの動きに無駄がなくてきれいです。子どもの育ちの不思議さと素晴らしさを思いました。
■私のMac PoweBookG4のデスクトップは10月7日に四日市都ホテルで撮ったビッフェです。(10/7 COFFEE TIME)Macのモニタで見る画像はほんとにきれいです。この写真を自宅のエプソンPM-A700でプリントしたらモニタと同じ色で驚きました。パソコンのモニタの色とプリントの色はそもそもちがうものと思い込んでいましたが、これはカラーマネジメントがインテグレートされてないWindowsでのこと。MacとWindowsが決定的に異なる点のひとつがここだ。クリエイターがMacを使う最大の理由がここにある。イメージ通りの色がプリントアウトまでコントロールできるのだ。これは当たり前のようだがWindowsではできないからモナコEZカラーなどカラーマネジメントツールを別途用意しなければならない。勤務先のきらら学園で授業で使っているAdobe IllustratorもWindows版故に生徒は色のちがいに戸惑う。私のシステムはまだきちんと設定していませんがMacのカラーマネジメントに納得です。
■そして、この写真に写るふたりのスタッフのスタイルが実にきれいだ。型がある。ホテルのホスピタリティがこんなところにも表れている。
■iTunesとCREATIVE MuVo V200との間で音楽データのやりとりができるようになってますます音楽漬けです。といってもMuVoで聴くのは家事のときくらいですが、MuVoにはWordのファイルも入れて重宝しています。こうして使っているとiPodの使い勝手がほしくなります。Appleのベクトルがわかるような気がしています。MacもiPodも小宇宙かも知れないと思う。少し前の新聞広告で「iPodの一人勝ちで日米愕然」というニュース雑誌の見出しがありました。新しいiPodは魅力的!
■MuVoでよく聴くのはヴィヴァルディ作曲マンドリン協奏曲ハ長調RV425です。スペイン村で聴いたこの曲はもっと強弱がはっきりしていたような印象がありますが、それはパフォーマーのジャグリングの巧みなコンントロール故です。視覚と聴覚とのマッチングが揺さぶられる、そういえるでしょうか。目で聴き、耳で見る、という表現ができる。人間の感覚、脳はほんとに不思議だ。ミュージック・ケアの秘密もここにある。
■昨日は、津、伊勢、南島と、200キロ近く走りました。行く先々で異職種の文脈との刺激的な出会いがありました。夜は今日の食材を買いにイオンに行ったら“阪神タイガース応援ありがとうセール”をしていて、前からほしかったカシミヤブレンドの黒のコートとやはり黒のスーツ、そして、やっとHDDレコーダーを買いました。VHS、HDD、DVDと何でもありで、それぞれ双方向の6通りのダビングができるとか。家の押し入れの一画を占拠しているビデオテープをDVD化しないとライブラリーをこれ以上増やせませんから重宝します。今日はセッティングをしました。ケーブルテレビのチューナーが間に入るので配線はややこしい。やっとのことでフジコ・ヘミングの特集番組の録画に間に合いましたが録画モードの設定で間違ってLPになってしまいました。どんな画質で録画されるのだろう…
■今日は思い立ってガソリンスタンドの洗車機で車を洗いました。似て非なる洗車機です。今日は“当たり”でした。
■この頃すすきがきれいです。通勤路の路肩で風に揺れるすすきの穂が秋の日差しに光る様は他の何ものにも喩えようがありません。

秋本番(05/10/23)

■10月のポコ・ア・ポコは12家族のみなさんに来ていただきました。何かと行事が多い秋、お子さんと来てくださるみなさんに感謝しています。今日は私にとってなんだか何か月ぶりかというポコ・ア・ポコで、いつもの私を取り戻すまで少しかかりました。今日もいちばん落ち着いていたのは子どもたちでした。ポコ・ア・ポコがみなさんにとって“居場所”のひとつとなればと思っています。
■午前中は青山高原の風力発電の風車のところまで行きました。朝から晴天で山の麓から風車も見えていたのに登って行くとすごい霧でした。風車を下から見上げても回転する羽根が上に行くと霞んでしまうくらいでした。アテンザの外気温はなんと9℃を示しています。寒い! 青山高原道路は落ち葉が濡れた路面に貼り付いてさながら嵐の後でした。別荘地の道も少し、ゆっくり通ってきました。セカンドハウスは持てないけど、そんな、「あいだ」を感じることができる時間と空間は見つけておきたいもの! 帰りに寄った店で「具だくさん汁」用のお椀を買いました。この秋冬は汁物に凝る! 家の前のハナミズキ並木は真っ赤な実をつけています。いよいよ秋本番です。
■ポコ・ア・ポコの準備を慌ててしたものだから半袖のTシャツのまま車に乗ってしまいました。寒かった! 今は熱っぽい(×_×)

哲学の使命

■昨日の朝、アテンザの外気温度計が12℃を指しました。前日までは17度が最低だったら5℃も一気に下がりました。空気が凛とするこの季節は美しい。日が昇った青空も夕日もきれいだ。散りゆく葉っぱたちの一枚一枚もなんときれいなことか。
■やはり昨日の朝、きらら学園の校門でいつもの交通整理をしていたら藤車(とうぐるま)を押したおばあさんに声をかけられました。家には58歳の肢体不自由の子がいて、その子が小さな頃は学校にも行けなくて、きらら学園の前を通る度に「ここには行かせてもらえんのやろな…」と思うとのこと。母は86歳、私が倒れたら子どもは施設に入れてもらうしかないと、そうさらっと話す言葉のなんと重いことか。私はやりきれない気持ちに襲われました。日本はほんとに文明国なのか!? 私は今と今に続いてきたこれまでに意味と価値を見いだし、今と今に続くこれからのビジョンを描き続けながら仕事をしているつもりですが、力の至らなさを痛感しています。
■今日は三重大学教育学部附属教育実践総合センター主催のiCERP研究会「木村敏:文化講演会―じこ・あいだ・いのち―」に行きました。ハイデッガーたちヨーロッパの哲学者の文脈と彼の「じこ・あいだ・いのち」という概念の文脈のちがいを自身の体験から語る言葉は私を魅了しました。倫理社会の教科書で知った「自我」という言葉、彼は「私は自我という言葉は使わない。ヨーロッパ製の言葉だ。」と言う。自分の言葉で語る木村敏は心強い存在です。彼自身ピアノを弾くことから音楽の話も随所に盛り込まれてこれも私の理解を助けてくれました。「あいだ」という概念について聴いているうちに新しい障害観のことを考えてしまいました。障害も「あいだ」にあるものではないのか。彼の思索の中に障害を語る言葉はどうあるのだろう。
■哲学の講義は大学以来でとても新鮮でした。私はノートを取りながら戦慄を覚えました。そして、哲学こそこれからの社会に必要だと思いました。ビジョンを描くためのビジョンが求められている。大学の使命は大きい。
■昨夜、「RED VIOLIN」をビデオで観ました。愛する妻の血をニスに混ぜて塗ったバイオリンが紡ぐ数々の数奇な運命はバイオリンという楽器の魔力を思わせる。1本のバイオリンに翻弄されているかに見える人たちは、でも、自分でその運命を紡いでいるのではないのだろうか。夫の元に向かう身重のアンナを見てそう思いました。2階のクローゼットの私のバイオリンはこれからの私の人生にどんな文脈を書き足そうとしているのだろうか。
■今週、Macで初めてプレゼンテーションをしました。Windowsで作ったPowerPointのファイルも難なく使えてあっけないほど! 同じデータを使うなら、でも、やっぱりMacの方がちょっとうれしいのはなぜ?

「グース」

■4年ぶりに映画「グース」を観ました。私のお気に入りです。カナダの、文字通りの大自然の美しさに圧倒されます。そして、今の私にはない人生がそこに在ることに惹かれる。このことを映像で伝える営みとアクターの“仕事”の意味を思わずにいられない。主演のアンナ・パキンは「ピアノ・レッスン」で11歳でアカデミー賞をとったとか。子役たちのキャリアアップを祈らずにはいられない。日本の凛ちゃんとはちがう文脈がある。
■今夜の毎日放送「情熱大陸」は東京銀座のフレンチレストラン「ロオジェ」の総料理長ジャック・ボリーでした。彼の文脈は「クラシックとモダン」で決して立ち止まらない。料理はおもしろい。この土日、私なりのこだわりの料理を作ってリフレッシュしました。

古典と前衛

■今週は仕事でイマジネーションを必要とするケースがいくつかあって身体と頭が別々の動きをしているようなちょっと不思議な感覚です。クリエイティヴなイマジネーションなら血が騒ぐというもの! ネットサイトには書けないことなので何のことだかわからないね(^_^) ;;;
■このところ家事が滞っていて休日はもっぱら家事従事です。今日は朝から家の掃除と片づけをした後、大型スーパーの台所用品と家庭用品の売り場でいろいろ調達を目論みました。でも、地元ではなかなか思うような物がありません。妥協して買わないこと!
■帰りに寄った書店&レンタルショップの「CDとDVDよりどり2枚2500円セール」で誰も買わないようなアイテムを買いました。CD「ナイジェル・ケネディ グレイテスト・ヒッツ」(EMI TOCE-55469)とビデオ「デビッド・コパフィールド」(IVCV-20047)です。
■ナイジェル・ケネディは「クラシック界のパンク野郎」とのことですが楽曲の本質を奏でているように思います。もし私がバイオリンの演奏を生業としているなら彼の演奏スタイルかも知れません。大切なのは奏でる人にとっての音楽です。このCD、でも、録音はもっとどうかならなかったものか! ケネディの演奏はもっともっとヴィヴィッドなはずだ。
■ビデオ「デビッド・コパフィールド」は「ハリー・ポッターと賢者の石」の主演ダニエル・ラドクリフのデビュー作とのコピーですが、このビデオは「ハリー・ポッター」がヒットしなければ日本で発売されなかったかも知れない!?と思う。でも、私にとってはディケンズの原作の貴重なドラマ化です。「BBC制作」という文脈はディケンズの評価がイギリスでいかに高いかを表しているものだといえるでしょう。VHS2巻というこの「デビッド・コパフィールド」、果たして観る時間はあるのだろうか…
■今夜は地元の音楽療法のサークルが主催するコンサートに行ってきました。作業所や音楽サークルの演奏からは自らの音楽を奏でていることが伝わってきました。価値あるコンサートでした。
■コンサートの山間部の帰り道はなぜかX-JAPANが聴きたくなってBOSEのボリュームを上げて飛ばしてきました。アテンザMTの図太いトルクで走る山間部のワインディングロードは最高だ! 今夜はX-JAPANが“古典”だと、いつになく思いました。音楽のアヴァンギャルドは「現代音楽」だと思う。武満やケージはいつ聴いても新しい。でも、聴きたくなるX-JAPAN、そしてQUEENです。古典と前衛は紙一重だと思う。どちらも非日常で、その狭間がこの時、この刹那、コンテンポラリーという“今”だと思う。

行動が内面に反映する

■アテンザのオイル交換を市内の自動車用品店で工具がないからと断られてディーラーに行くことになりました。フォード規格とのこと。オイル交換の後は音も振動もぐっと低くなって吹け上がりもあっけないほどスムーズです。合成オイルだったらきっともっとスムーズですがあまりに高価です。
■本田美奈子の「AVE MARIA」(COLUMBIA COCQ83633)を入手しました。2年前に本田美奈子がカッチーニ作曲「アヴェ・マリア」を録音したと聞いていたのですが、彼女はロックシンガーだと思っていて聴く機会を逃していました。このアルバムはクラシックの定番を中心に日本語で録音されています。でも「アヴェ・マリア」は原語のままです。この歌の歌詞は「アヴェ・マリア」の繰り返しだから! 原語を知っている他の曲はニュアンスがちがって歌としては別物の感があります。このアルバムは彼女の歌に加えてアレンジも演奏も聴きどころがあります。今日、四日市との往復で何度も聴いたのはモリコーネ作曲「ニュー・シネマ・パラダイス」でした。日本語の歌詞と本田美奈子の歌があやういほどの切なさを奏でる。2コーラスのクラリネットもいい。「ベラ・ノッテ」の井上鑑のピアノがソロ・ピアノのように音楽を奏でる。何曲かで奏でるチェロのソロもとてもいい。オリジナル1曲の他は全曲よく知っているのだが初めて聴くように思えます。
■2時間近く本田美奈子の歌を聴いて勤務校に到着。来週の「開かれた学校づくり支援事業」授業公開、再来週の授業参観に備えて駐車場に使う隣りの四日市市の空き地の草刈りです。草刈機に混合油を入れてエンジンを始動して調整。長靴など用意して雨の止み間にと早足で空き地に向かうと何かちがう。近づいてみると、なんと、広大な空き地全体が見事に草が刈られているではないか! 先週末には確かに一面に草が伸びていた。よく見るとトラクターのようなタイプの草刈機で刈った形跡があります。市有地だから隣りの県立高には草刈りの情報は伝わらなかったわけ。わざわざ休日に来たのに…でもありがたい。
■その後四日市市青年会議所主催の講演会に行くまでに時間があったので尾平のイオンに寄って島村楽器で小さなアコーディオンを買いました。仕上げも音程も???だけどおもちゃのようなカラフルでかわいいサイズはクラウンにお似合いです。赤、白、青から青を選びました。発達障害の子はなぜかブルーが好きな子が多いから。小さいけどベースとコードもついています。CとGとF、そしてドッペルドミナントのDです。リードは硬質な感じではっきりした音が気持ちいい。これは使える。値段は3,129円でジャグリングボールのセットより安い。
■ジャグリングといえば、志摩スペイン村での大道芸「ジャグリング・コンサート」で使っていた曲がわかりました。聴いたことがあるけど曲名が思い出せずにいたのですが、ライオンシステマのCF音楽がそれでした。インターネットで調べるとヴィヴァルディ作曲マンドリン協奏曲ハ長調RV425です。この曲をボールのジャグリングに使うアイデアに脱帽です。長身のパフォーマーの身体の動きのなんときれいだったことか! 子どもたちは音楽がとてもうれしそうでした。
■今夜の四日市市青年会議所主催の講演会は小山裕史の「方向性を示し共に楽しみましょう」でした。彼の著書「新トレーニング革命?初動負荷理論に基づくトレーニング体系の確立と展開」(1994 講談社)はトライアスロンのトレーニングのヒントに買いましたが、その時はこの本の真の価値はわかりませんでした。ところが今日は目から鱗でした。神経筋制御システムを核にした彼の運動理論は身体の動きが心をつくるという今私が考えている仮説を裏づけるものです。ミュージック・ケアのメソッドがなぜこんなにも腑に落ちるのか、私の悩ましい考え事はこの私自身の体験から始まっています。その答は感覚統合と脳生理学、そして、神経筋制御システムにもあるといえるでしょう。いつかきちんとまとめたいと思います。身体の上手な使い方を知ったら不登校の生徒が学校に行きだしたという多くの例は想像に難くない。「行動自体が内面に反映される」という彼の言葉は重要な意味を伝える。文部科学省も彼にアプローチしているという。期待するが待っているだけでは当面何も始まらない。私は今の私にできることから行動していく。

今、高校は

■東海地区高等学校教頭会協議会が四日市都ホテルでありました。午後の研究討議の各県の発表は現場の真摯な取り組みのようすがよくわかって心を打たれました。少子化と価値観の多様化が進み、高校は待っているだけでは生徒は来ません。受験する生徒が減ると統廃合になります。退学が1年に100人を超える高校があります。九九を学習する学習グループを設けている高校があります。国公立大学の合格者数で云々される高校があります。これからの社会を担う生徒たちを前に学校の存在を懸けて学校経営に当たる先生たちの苦悩は校種こそちがうが他人事ではない。私たち学校の教職員は子どもたちにどんな価値を提供しているのだろうか。真摯に謙虚に吟味しなければならない。
■都ホテルで朝の準備を終えて4階から吹き抜けをのぞくとこの光景です。なんとおしゃれなんだろう! 同じビルにスターバックスも店を出していました。ハロウィーンのタンブラーにカプチーノを入れてもらって昼休みにホッと一息!
■私は開催地区なので朝の準備から終わりまで何と11時間もホテルにいました。帰りは23号線を通ったらこれまでにない渋滞です。スズカサーキットのF1の影響です。決勝の日曜日はなんとか雨も上がりそうで楽しみです。テレビで観るだけですが…
■今週の月曜日と火曜日は小学部の修学旅行でした。行き先は伊勢志摩で、月曜日は志摩スペイン村、火曜日は二見シーパラダイスに行きました。宿泊先は鳥羽の本浦温泉です。時間にゆとりのある行程で、子どもたちと先生のいろんなやりとりを見ていて関係性の大切さをあらためて思いました。

三重県立美術館

■三重県総合教育センターで学校マネジメントの研修がありました。横の三重県立美術館が秋晴れの朝陽の中でパステルカラーに輝いていました。昼休みもパステルカラーでした。ベビーカーのちっちゃな子どもたちと若いお母さんたちが美術館のコートでランチタイムでした。なんと優雅なひとときなんだろう! 久しぶりに訪れた三重県立美術館は新鮮でなつかしい空間でした。20年前、美術教育雑誌に掲載するための写真を撮った日のことを思い出しました。そのときはモノクローム(白黒)のフィルムを使いました。今日もらった三つ折のパンフレットの写真はコダクロームの色でした。どちらもノスタルジーを感じます。この写真はFUJIFILM FinePix4800Zで撮りましたがパステルカラーで驚きです。

ケアリング・クラウンの文脈

■もう10月です。月日が過ぎることのなんという早さ! 今週来週と出張続きで、来週は1日しか勤務校にいません。かといって行かないと決済が遅れるので夜に出勤です。「こんな週もあるさ」とクールにいきたい…というものの、車に乗ると音楽をガンガン鳴らして頭はすでに仕事モードだ。昨日の朝はいつになく早く仕事モードに入ってしまって考え事ばかりで、ETCカードをセットするのを忘れてそのままゲートへ! 見事にバーをはねてしまいました。ハザードを出して車を止めるとJHの職員が来てチケットをくれました。ぺこりと謝って車をスタートさせると落ち込むゆとり?もなく通勤モードに戻る自分が不思議ですらありました。
■夜は名古屋に行ってケアリング・クラウン研究会の学習会に出ました。中部地区第2回の学習会はパッチ・アダムスの「クラウン・イン・カブール」の鑑賞とグループディスカッションでの「感想」と「ケアリングクラウンの可能性、今私たちができること」でした。スクリーンの映像は戦争の悲惨さをストレートに伝えるものでした。そこにクラウンがどう在るのか。その空間でどう在るのか。私はクラウンたちの寄り添う姿勢に感銘を受けました。ケアリング・クラウンと教育は本来同じ文脈を持つものではないのだろうか。
■会場は名古屋国際センターの研修室でした。灯りを消した部屋の窓からブラインド越しに夜景が見えました。スクリーンとは対照的な光景でしたが、そのミスマッチが却って映画の内容の重さを知らしめているように思い、映画が終わって1枚撮りました。中央右のビルはタワーズです。(FUJIFILM FinePix4800Z ManualMode DayLight -1.5EV)
■今日は地元のムーブメントのセッションのアシストに行きました。私のお気に入りは「歩く・走る」です。子どもたちと円を描くように歩くととても気持ちがいい。見かけ上はただ歩くだけだけど身体の隅々まで一気に目覚めるような感覚になります。そうして歩くおとなの姿はその空間の意味を子どもたちに伝える。ヒューマン環境の影響はとても大きい。