月別アーカイブ: 2011年1月

はいだしょうこの「ぽよよん行進曲」

地デジ化をやっと済ませました。CATVなのでチューナーの交換と契約変更です。NHK-BSの録画は自宅の現状の機材では難しいようですが、そもそもNHK-BSを地デジのカテゴリーからはずしたことのコンシューマーレベルの不利益は決して小さくない。なのでこの機会に意地でもテレビを買い替えようとはせず、DIYでパラボラを立てようとしているひねくれ者です。物は大事に使いたいもの。テレビ放送もコンテンツを第一と考えています。
地デジの工事の待ち時間にiPhoneとiPadの音楽や動画の整理をしてiPadにもビデオを入れてみました。モニタが大きいので当然ながら見やすいし、とっさのプレゼンにも使えそうです。視覚的な情報とポイントを提供できることは大事です。PDFの資料もみんな放り込んでまだまだ余裕があります。ところで、i文庫は著作権が切れた作品を電子ブックで読めるアプリですが、ランキングを見ると太宰治や夏目漱石が上位にあります。日本の現代文学につながる古典が新しく読まれ、また、私のように再度読み返す機会を増やしていることの文化的な貢献は思いの外大きいのではないでしょうか。
iPadに入れたビデオにYouTubeにあった「世界仰天ニュース」ではいだしょうこが「ぽよよん行進曲」のフリを出演者たちに教える動画があります。何度観ても愉快でおもしろいのですが、いっしょに踊った後で「みんな自然と笑顔になれてる」とテロップが出て、「勇気がわいてきた 何でも出来るような気がする」という人(芸能界は不案内)がいます。その通り! はいだしょうこのリズミカルで輪郭のはっきりした立体感のある歌声と動作の見事なまでのマッチングがそのメッセージを力強く出しています。動作は指先まで美しく、意図があり、フレーズのまとまりとつながりが見事で、聴覚情報と視覚情報の高い次元でのマッチングというミュージック・ケアと相通じる核心です。自己肯定感を高いレベルで感じるのです。自分の存在の意味を社会的なフレームからも確信してしまうほどのパワーがある音楽、歌だと思います。

銀座の写真

NHK-TV「ブラタモリ」の「池袋・巣鴨」を観てしまいました。観るつもりはなかったのですがこの番組はやっぱりおもしろいし、古地図を辿る目白から巣鴨にかけては土地の高低差があって興味津々です。1000万都市東京の歴史が凝縮されているようにも思います。一昨日の夜、久しぶりに入った書店で買った「Discover Japan」(えい出版社 2011)の「東京の秘密 東京⇔江戸 時をめぐる東京散歩」も今夜の「ブラタモリ」に見入った引き金になっているかも知れない。しかし、この本はこの1枚の写真を手もとに置きたかったので買ったつもりではあります。ところで、今夜の「ブラタモリ」でほんの少し流れた「A Whiter Shade of Pale」は聴き覚えがあってiTunesを探したらそれはサラ・ブライトマンだったのかも知れない。ケルトの音でした。
Ginza

1月の日曜日のポコ・ア・ポコ

1月の日曜日のポコ・ア・ポコは8家族のみなさまに来ていただきました。子どもたちひとりひとりに目が行き届く人数で整然とセッションが進む様はまるで教材の映像を見ているかのようでした。子どもたちも居方がわかりやすかったようでした。今日は特別支援教育を大学で学ぶことが決まった高校生の参加もあって、若手を育てるというもうひとつの使命も考えながらでした。このこともあっていつになく基本に気をつけてしまったのかも知れません。ポコ・ア・ポコはいつも新鮮です。ご参加のみなさまに感謝、感謝です。
昨日は京都に行っていました。所用で大学のときの下宿周辺を回って懐かしかったり新しい発見があって新鮮だったりしました。私は築100年を超える古い土蔵の2階に書生のようにして下宿 していました。大きな門の傍のくぐり戸から出入りする古い屋敷です。その門も土蔵も当時のままで、時間があるときに訪れたいと思いました。時間が止まっているかのような不思議な空間に思いました。あの頃のように自転車で回りたいもの。

ギター伴奏の「美しき水車屋の娘」

私が大学のとき夢中になって聴いた演奏です。歌はペーター・シュライヤー、ギターはコンラート・ラゴスニックです。FM放送で初めて聴いて大阪でのコンサートに行きました。そのときの放送は1980年のザルツブルク音楽祭の録音だったようです。コンサートは夢見心地で魅了されました。レコードも買いました。そして、今日、CDが届きました。調べるとiTunesStoreにもありましたがずっと見つけられませんでした。もう30年も前の録音ですが瑞々しさと感動は今なお新しい。当時の音楽雑誌に「この演奏を聴くともともとギター伴奏で作曲されたのではないかと思える」とあったことを覚えています。ラズコニックが学究派であることも。シューベルトの頃のことはあまり知りませんが、ギターやリュートがいちばん普及していたのではないかと思います。「美しき水車屋の娘」もリュートの伴奏で歌われていたかも知れない。それはシューベルトの歌曲だからこそで、シューマンはちがうかなとも思います。私はどちらも好きですが。

世界は広い

新年あけましておめでとうございます。本年もポコ・ア・ポコをよろしくお願いいたします。
雪化粧の元旦と思っていたらいつもの抜けるような青空で、真綿のような雲が急ぎ足で西から東へと流れていました。
年末から読みかけの宮本敬文著『ウィスキー! さよなら、ニューヨーク』(マガジンハウス 2010)を元旦に読み終えました。これは著者自身の成長と成功の物語というだけでなく、アメリカの同時代史としても特筆すべきエピソードがいくつか記されているように思います。とりわけ、9・11以降アメリカ社会が優しくなったといういくつかのエピソードは印象的でした。9・11をポイントとしてアメリカはアフガニスタンに侵攻するにもかかわらず、その半年後にニューヨークに戻った著者がこれまでにない優しさを感じているのです。「9・11でニューヨーク全体が傷ついて、ニューヨーク全体が他人に優しくなったのかもしれない。短い2週間の滞在はあっという間に過ぎてしまった。優しくなったニューヨークは、至る所で感じられた。グロッセリーストアのレジで、ベーグル屋の店先で、街行く人々の表情で、優しさは溢れていた。いつもは他人に対してストレートに感情をぶつけていくニューヨーカーたちが、他人をおもいやるようになっていた。空を見上げた時に感じる違和感だけは、この滞在の最後まで変わらなかったが。」
今日は今日でNHK-TVの「南米大陸一周165日の旅」を観て、その場に実際に行かないとわからないことの多さをあらためて思いました。この旅を企画しているkumuka Worldwideもそうですが、この番組で旅をする18人の考え方にも大いに関心を掻き立てられました。まず自分の目で世界を見てから一歩を踏み出そうというスタンスはいつの時代の誰にも大きなターニングポイントをもたらすといっていいでしょうか。年末年始は関心が広がるきっかけがたくさんあります。