月別アーカイブ: 2007年12月

音楽談義納め

大掃除2日目の今日は窓ガラスや水回りをしました。ふだん使わない筋肉を使って身体のあちこちが痛みます。ガラス窓の掃除はゴムのワイパーの仕上げにかかっています。職人みたいに掃除をしてしまいます。あと、洗面所のスイッチがおかしくなっていたのでUD(ユニバーサルデザイン)タイプに交換しました。肘や肩でもON-OFFが簡単にできます。これで500円! 家中のスイッチを交換したいくらいです。
この年末に録画したテレビ番組でいちばん印象的だったのは神尾真由子のドキュメンタリーです。チャイコフスキー音楽コンクールで優勝した21歳のヴァイオリニストです。自分らしさを貫く人で、演奏もまず物理的にすごい。「曲が主役」というコメントが彼女のすべてを物語る。コンサートツアーの夜、ロックを聴きながらジョギングする姿にも共感です。
テレビのCMで映画「母べえ」の音楽を聴いてただ事ではないと思いました。ピアノ曲です。ネットで調べると冨田勲の音楽とのこと。なるほどと腑に落ちるものがありました。彼はシンセサイザーを駆使したアグレッシヴな音楽を作る一方でNHKの「新日本紀行」や「今日の料理」などの親しみやすいテーマ曲も作ります。音楽がいいとただそれだけでも映画を観に行きたくなります。

京都札ノ辻下宿の「圭子の夢は夜ひらく」

朝からずっと掃除をしていました。この年末の大掃除は押し入れのビデオテープの整理がいちばんの山でした。余裕を見て段ボール箱を8個買って来たのですが、7個がいっぱいになって8個目も底が埋まるほどありました。1箱に79本なので計600本余! 押し入れはずいぶんすっきりしました。床の水拭きもして手はがさがさです。
かつて、私が学生の頃、どおくまんが描いた『京都札ノ辻下宿』というマンガがありました。あのマンガの舞台と登場する人と犬は実在のモデルがいて、友人が住まう「京都札ノ辻下宿」を時々訪れた私は築100年と思しき空間の隅々に興味津々でした。ある日、その一室で、哲学科の先輩が藤圭子の「圭子の夢は夜ひらく」を聴かせてくれました。この歌はただでさえ薄暗い札ノ辻下宿をどっと重苦しい空間にしてしまいました。私の音楽の好みから180度の対極にある歌ですが、「恐いもの見たさ」の気になる歌でもあります。その意味で音楽療法について話をするときに引き合いに出したいのですが、CDのレンタルもなくてなかなか入手できませんでした。ところが、昨日、実家の母と伊勢のイオンに出かけたときに手頃な値段で見つけました。これを聴くと落ち込むという母、どうしてこんなものを買うのかというネガティブなサインに、いやいや、音楽療法について話をするときに必要だからとレジに向かいました。私にキース・ジャレットの「ケルン・コンサート」を教えてくれた先輩が同じSANSUIのステレオでどうしてこの歌を聴かせてくれたのか、その理由は今もわかりません。その歌を四半世紀ぶりに聴きました。呆気ないほど暗くはありませんでした。それは藤圭子というキャラクターよりも音楽作りの当時の技術からくるものでしょう。今ならもっと“暗い”音楽にすることができます。わざわざ買うまでもなかったかも知れませんが、私が出会って来た音楽は身近に置いておきたいのでライブラリーのひとつとしてiTunesに入れておきました。
年末年始休暇の6日間はスケジュールが詰まっていてまとまって自分の時間がとれないのですが、Kiss Digital-Xはいつも持ち歩いていつでも写真が撮れるようにしています。昼過ぎに雪まじりの雨が降って銀世界を期待してしまいます。

映画「筆子・その愛-天使のピアノ-」

明日から冬型の天気となって荒れそうなので朝からアテンザとMPVのタイヤをスタッドレスに交換しました。2台で1時間半はちょっとした記録です。でも、汗は冷えるしし久しぶりの力仕事で至る所の筋肉を傷めて家の掃除は明日以降となりました。
テキストエディタはPowerBookG4で使っていたMacJournalをインストールしました。フリーバージョンで十分です。このテキストエディタは終了時の画面で起動するところが使いやすい。何でもないようですがこれがなかなかいい。インストールしたら以前のファイルがそのまま反映されてこれには驚きました。Macのデータ転送でいっしょに移されたのでしょう。
映画「筆子・その愛-天使のピアノ-」のチケットが届きました。来月、東京都立あきる野学園養護学校の公開研究会があって行く準備をしていました。そんなとき、NHK-TVでこの映画のことを知って上映スケジュールを調べていました。すると、あきるの学園養護学校の研究会の夜にこの映画が中野ZEROホールで上映されることがわかったのです。この映画の公式サイトをリンクしておきましたのでぜひご覧ください。

無彩色から暖色系へ

今日はMacに「一太郎」をインストールして万全の態勢となりました。またフリーズしましたが回復して順調に動くようになりました。雑誌かサイトで、Parallels Desktopはメモリの割当を自動的に増やす機能があると読んだことを思い出しました。メモリの割当ができないというアラームが表示されてフリーズしたこともあって、新しいアプリケーションをインストールするとそのあたりの環境が整ってないことからフリーズするのかも知れません。同じパターンのフリーズは2回までのように思います。これは単に現象面からの推測です。不具合をひとつ、「ホームページビルダー12」のFTPツールを設定して転送しようとしたらアクセス権云々で更新ができない状況です。
昨日から頼まれた年賀状を作っていて自分のも作ってしまいました。この時期に年賀状を印刷するのはちょっとない。今年もキャノンのお助けサイトに助けてもらいました。薄茶のねずみのグラデーションがとてもきれいでおだやかな印象です。挨拶や私の名前も濃いブラウンにしてみました。無彩色から暖色系のブラウンへと街の色も変わって来ているように思います。私もいつしか黒いものから離れてきています。「ダカフェ日記」もブラウンが基調色です。
「ピアノの森」を観ているとピアノの音がすごくきれいでついつい聴き入ってしまいます。演奏はアシュケナージです。演奏もいいけどピアノの音もいい。音のいいピアノが欲しい。ふとYahooのサイトでYAMAHAのプラグインボードPLG150-PFが半額で出ていたのを思い出して注文しました。これはMU2000に差して使います。
それにしても印刷に時間がかかる。今夜は50枚でやめておきましょう。ライトを消したリビングのテーブルでMacBookのキーボードがバックライトで浮かぶ・・・

MacでXGシステム

土曜日の朝、@niftyから「お誕生日おめでとうございます」のメールが届いて、今日こそIntel Macに移行しようと時間を取りました。G4とIntel Mac、そして、IEEE1394ケーブルを用意してテーブルに陣取りました。設定やデータの移行は小1時間ですんなりと終わりました。iTunesなどのデータはもちろん、無線LANの設定も、おまけにMicrosoft Office for Mac2004まで移行してしまいました。しかも使えます。これは御法度なのでアンインストールして新しく購入した2004をインストールすることにします。2008へのアップグレードキャンペーンで購入したパッケージです。
さて、いちばんの山はParallels Desktop 3.0 for MacとWindowsXPのインストールです。Parallelsのインストールはスムーズに行きましたが、XPはインストールする最初のステップがわからない。とうとう今朝からやり直すことになりました。Parallelsのあちこちを見てやっとXPのプロダクトキーの入力画面にたどり着きました。ここまで来るとあとは画面の指示通りで、「完了まで39分」の文字が見えました。やれやれと思って朝食のトーストを用意して、食べて、コーヒーを飲んで・・・ところがなかなか進まないようす。なんと、「完了まで39分」の数字が減るところまで1時間30分以上かかってしまいました。
MacのモニタにWindowsXPが出て作動するシーンはまことに不思議で、早速、いくつかアプリケーションソフトをインストールしました。アプリケーションをインストールするとその度に動作が不安定になって、電源ボタン長押しの強制終了を計4回することになりました。YAMAHAのXGworksに至ってはテンポがぎくしゃくして音楽にならない。バッファなど設定を変えても直らない。こんなときは再起動とWindowsXPを再起動してみました。もちろんMacは起動したままで、これもすごく不思議です。こうしてやっとXGworksとMU500が安定して使えるようになりました。おもしろいのはフリーズに至る操作を繰り返しても3回目くらいからきちんと動くことです。けっこう高度な学習をしていると感心!
XGシステムのためにIntel Macを購入したので、もう、うれしいやらほっとするやらでただただ安堵するばかり。でも、こうなるといろいろ試したくなって、XGworksでMU500をドライヴしながらGarageBandでサンプル曲を演奏してみました。これが何の問題もなく異なる音楽を奏でるのだから驚きです。次はSOL2とMU2000です。
15inchのMacBook Proは快適そのもので、これ1台ですべてがカバーできることもあって安心感があります。iTuensの音もG4よりずっとクオリティが高い。高輝度のモニタも反射タイプできれいです。最高のツールといえます。
映画「ピアノの森」のDVDが金曜日からレンタルが始まって早速観ました。この映画の文脈は子どもの頃からピアノを習って来た人にとっては誰もが通った道かも知れません。弾きたいように弾けるためには基礎練習が欠かせなくて、でも、つまらなくて、ところが、基礎練習をきちんとすると驚くほど弾ける。楽器はどれもそうで、独学でもこのプロセスはどこかに組み込んでしまうものです。奏でたい、という気持ちが基礎練習をさらに意味のあるものにしていきます。
一ノ瀬海が弾くピアノはどこまでも真っ直ぐで一途な彼の人となりそのもので魅力的です。彼の境遇も相俟って“コンクール”で互角以上に魅せる音楽を奏でる姿は痛快ですらある。弾きたいように弾くことで彼は自己を自己たらしめている。彼のようにピアノを弾きたいと思う人はたくさんいる。ピアノでなくてもいい。自己を自己たらしめる営みを誰もが求めている。

ミュージック・ケア研修2日目

今朝、新聞を取りに外に出るとかえで公園は冬枯れの白っぽい単色に見えました。吐く息も白い。昨日は朝日に輝いていましたが今朝は曇ってコントラストが落ちていたわけでこれも私の好きな色です。
ミュージック・ケア初級総合研修はスタッフの私にとっても自分のスキルを確かめる場です。「なくて七癖」のひとつを直していただきました。基本は大切です。いつも思うのですが、ミュージック・ケアの研修に参加するみなさんのなんと熱心なことか! 私も初心に帰ってテキストと自分の動作の確かめをしていました。
Intel Macはデータ転送に必要なFireWire(IEEE 1394)のコードがなくて電源を入れるところまでいっていませんが、キーボードのサイズはこのPowerBook G4 12inchと同じなのに15インチワイドスクリーンはずいぶん大きくて別世界を予感させます。モニタのサイズは思考を規定する、というのが私の仮説です。ニューマシンはうれしさよりも期待が先立ちます。バッグはいくつか見ましたが、結局、今使っている同タイプの15インチワイド用インナーケースに落ち着きました。色はちょっと目立つシルバーグレーにしました。出張に使っているサムソナイトのビジネスバッグはこのインナーケースが余裕で入ってほっとしています。Macだと重くても許せるところが不思議です。

六声のリチェルカーレの思い出

一日中冷える所にいてついに頭痛が始まりました。冷えなので一晩で治るでしょう。身体は冷えても頭は静かに熱い一日でした。午前中はミュージック・ケア初級総合研修三重会場の初日で、午後は三重県教育委員会の特別支援教育推進フォーラムに行っていました。明日はミュージック・ケア研修2日目です。
一日の終わりにちょっとしたサプライズがありました。ふと立ち寄ったレンタルショップの販売コーナーで宮本笑里のCDアルバム「smile」のDVD付き初回限定盤を見つけてしまいました。彼女の父はオーボエ奏者の宮本文昭で、ヴァイオリンとオーボエのデュオで演奏しているカッチーニ作曲「アヴェ・マリア」をSONYのサイトで試聴してこのアルバムを探していました。ところが特典のDVDが付いた限定盤はすぐに売り切れたようで、Amazonのマーケットプレイスに至っては定価の4.5倍というプレミアム付きです。そんな限定盤が何気にあるところが地方都市ならではか…DVDは1曲だけなのですがファンにはたまらないのでしょう。せっかくなので購入しました。
カッチーニの「アヴェ・マリア」は歌詞が「アヴェ・マリア」の繰り返しで、でも、静かで熱い曲です。「smile」ではピアノとオーボエから始まってピアノの間奏をはさんでヴァイオリンが続きます。ヴァイオリンのアーティキュレーションは父ゆずりなのでしょう。音までもオーボエのように聴こえてしまいます。オーボエがオブリガードを奏する部分がやはりいちばんの聴きどころです。
そうそう、今日は、アテンザでバッハの「六声のリチェルカーレ」を久しぶりに聴いて京都にいた頃を思い出しました。リチェルカーレという名前は京都百万遍の名曲喫茶で、営業は2年ほどだったように思います。ベレー帽をかぶった老紳士がマスターで、タンノイのオートグラフからはモーツァルト以前の音楽が流れていました。私はよくバッハをリクエストしてペーター・シュライヤーの福音史家を聴いていました。「六声のリチェルカーレ」は当時のNHK-FMの現代音楽の番組のテーマ曲にウェーベルン編曲のものが使われていました。深淵な音楽の秘密に触れるようなこの曲に惹かれてしまいました。名曲喫茶リチェルカーレもまた辿り切れない文脈を窺わせる佇まいがありました。左右のオートグラフの間にこんなインフォメーションがありました。「どうぞお話ししてください。神は言葉を・・・」最後まで思い出せないのですが、この言葉の趣旨は今もよく考えます。「人は言葉をあびて育つ」(川瀬)のだから!

カラフルな病棟

出張で病院併設の特別支援学校に行きました。平屋の病棟はオレンジやピンク、イエロー、グリーンなどに塗り分けられていてました。数年前に医療的ケアの医学専門研修で訪れたときは白い建物だったように思います。今日、黄昏時に灯りがついた病棟はとても暖かな空間に思えました。しばらく佇んでいたい衝動に駆られました。
何年ぶりかでWindowsのアプリケーションを購入しました。「ホームページ・ビルダー12」です。いつの間にかバージョンが12になっていました。南の風のホームページはPage Millでスタートしてほどなくホームページ・ビルダーで今のデザインに衣更えをしました。来年10月には開設10周年を迎えます。10周年を前に最新バージョンに更新することになって、この機会にスタイルシートの導入も考えています。デザインのイメージは変えない範囲で!
Parallels Desktop 3.0 for Macが届いてマニュアルを読んでいました。初めての言葉もあって所々???ですがこれは不思議なソフトです。やはり論理構造が気になります。

Intel Mac 届く

今日は休暇を取って行政機関回りをしていました。思いがけなくリーダーシップについて考える機会がありました。心に響く言葉、相手が望む言葉で語りかけないと届かないものがあります。リーダーシップがパワーハラスメントに陥らないように、リーダーシップ以前に人として大切にするものの重さを思いました。人は圧政では動かない。
昨日、MacBook Pro 15inch が届きました。驚いたことに平たく高さのある箱で、バタンと倒れてHDDや液晶が壊れないのかと心配になりました。ノートPCを入れる箱として最も理に適う形であり、最も理に適わない形でもあるように思います。Parallels Desktop 3.0 for MacとWindows XPは早ければ明日届く予定です。Windowsのアプリケーションを使い続けるためにMacを使うというのは皮肉なものだ。

ポコ・ア・ポコとケアリングの教育

今年最後の12月の日曜日のポコ・ア・ポコは10家族のみなさんに来ていただきました。ポコ・ア・ポコが初めてのお子さんもみえましたが、地元の療育センターでミュージック・ケアの文脈を大切にした毎日の活動を経験していて伸び伸びと参加していただきました。私からのメッセージをきちんと受け止めてくれる子どもたちのなんと素敵な感性かと心を打たれました。初めてポコ・ア・ポコに来てくださる保護者の方の決心は相当なものと思います。私も1回1回を大切にして1か月に1回のポコ・ア・ポコが至高のひとときであるようにベストを尽くしていきます。
昨日と今日の午前中は法事で実家に行っていました。今日は朝から墓のお参りを済ませて法事の後片付けを終えたとき、ちょうどNHK-ETVの「新日曜美術館」が始まりました。「日々、いのち新たに〜日本画家堀文子 89歳の鮮烈〜」でした。どの日本画のグループにも所属せず、ひとりでアトリエで創作をしているとのこと。彼女の絵の印象を言葉にしたいと思いましたが、これは私には経験のないことで難しくて断念です。ただ、彼女の毎日の発見と驚きは画家ならずとも生きていくことに潤いを与えてくれる大切な営みだと思いました。夫を亡くして40歳を過ぎてから海外を放浪、70歳を超えてからのイタリア移住と、歩みを止めず、瑞々しい作品を生み出していく姿に私の目は釘付けになりました。インタビュアーの壇ふみとのやりとりも機微に富んで密度の高い番組となっています。80歳の母は毎週この番組を楽しみにしているとのこと。私もこれから観ることになるのかも知れません。
昨夜、思うところがあって大瀬敏昭『輝け!いのちの授業』(小学館 2004)の冒頭を読み返しました。第一部第一章は「ケアリングの教育と『いのちの授業』」で、その第二章にはこうあります。長くなりますが引用します。
「子どもたちが学校が大好きで、朝起きると早く行きたくてしかたがないような、発表を間違えても誰も笑わない、みんなが聞いてくれる、わからないときには『わからない』と言える、そんな雰囲気の学校をつくりたいのである。つまり、『人生最高の6年間』を過ごさせてあげたいと願うのである。したがって、指導内容や方法など、いわゆる目に見えるカリキュラムより、目に見えない、さりげない優しさや信頼関係など、いわゆる目に見えないカリキュラム(ヒドュンカリキュラム)のほうが、どちらかというと大事であると考える。そのための取り組みの一つとして『明るく元気を標榜しない』ということがある。浜之郷小学校では、「明るく元気」な子どもを求めない。子どもたちは本来、元気でたくましく未来に向かって伸びていくものである。しかし、現実の子どもたちの中に、「明るく元気に」に耐えられる子どもたちが何人いるのだろうか。ほとんどの子どもたちが何らかの『傷』を抱えて学校に来ている。そういう状況の中で、あまりに『明るく元気』を求めすぎると、その陰の部分が生じてしまい、そこに入ってしまう子どもたちをつくってしまうことになりかねない。それよりも、『しっとり』とした環境の中で『さりげない優しさ』をもった子どもたちを育てたいと願っている。そのための重要な役割を果たすのが、本校が開校以来取り組んでいる『朝の読書』である。朝の15分間の読書から浜之郷小学校の一日は始まる。浜之郷小学校では、『朝の読書』を『ひとりの時間』として位置づけている。子どもたちがひとりになって、自分を見つめる時間である。浜之郷小学校では管理棟と校舎棟が分かれた建築になっているので、子どもたちの声もほとんど聞こえない。ただ、雨が降り続いたときや、運動会などの学校行事が近づくと子どもたちのテンションが上がり、いわゆる『キンキン声』が気になる。子どものテンションが高くなると、けがなどの事故も多くなる。そういうことが予想されると、私は教職員に集まってもらい、とにかく朝の読書の充実をお願いするようにしている。このことでほとんどが収まっている。信じられないことであるが、ぜひ一度試してもらいたいものである。子どもたちのテンションが高くなるときには、教師のテンションも高くなっている。したがって、教師のテンションをいかに上げないかも重要なことである。このような学校づくりに位置づけられて、『いのちの授業』が行われている。」
冒頭からこうしたどこまでも引用したくなる言葉が続きます。「ケアリングの教育」という言葉も心強い。これからの教育を語る新しい言葉ですが、教育だけの言葉ではないと思います。子どもたちの育ちを支えるすべての事象が備えるべき理念です。
金曜日夜のドリカムのDWLツアーの特集番組を観て歌も演奏も演出も圧倒的なレベルで身体中が覚醒した感覚があります。ひとつの音を聴いて“すべて”がわかるときがあります。わずか一音で“すべて”を知ることがあります。すばらしい音楽はどの音、どの一瞬もすばらしいのだ。一音一音を磨かずして曲はいのちを宿すことはない。ものごとは考えただけ伝わるものだ。