月別アーカイブ: 2013年4月

今どきのAV機器

今頃と自分でも思いながらのこと、ブルーレイディスクに初めてプリントしてみました。以前使っていたプリンタはディスクへのプリント機能がなかったものの8年も長持ちしたのが「今頃」の理由でもあります。プリンタを新調しても1年近くその機能を使わなかったのはやはりインク代がネックでした。ところがブルーレイディスクはプリンタ対応のものしか見当たらず、やむを得ずプリントすることになったわけです。いざプリントとなってプリンタの動きを見ているとディスクを載せたトレイを何度も前後させて慎重に位置合わせをしているではないか。設計者たちのああでもないこうでもないといった開発のプロセスが見えるようでおかしくなりました。仕上がりはすごくきれいでしたが、「博士の愛した数式」とするところを「博士が愛した数式」と間違えてしまって沈みました。

たいてい取説は読まないのでHDDレコーダに録画した番組をディスクにダビングするにもわからないことだらけですが、その分、何かの拍子にわかると頭の上に電球がぱっと点くような感動やら驚きがあります。地デジをディスクに保存するときにブルーレイとDVDとではまるで画質がちがうことにも驚きました。また、高速ダビングはエンコードしないので録画情報のまま、つまり高画質でダビングができることにも膝をポンと叩きたくなるほど驚きました。それにはブルーレイディスクが必要となる。もちろん短時間で終わるしダビングをしながら他の操作も可能となる。などなど、世の中こんなになってるのかと発見と驚きが続きます。しかし、デジタルカメラもそうですが、高画質を求めるとそれだけ大きなデータを高速で処理するハードとソフトが必要になってマンパワーも注ぎ込まれます。一ユーザーとしてはどこかで線を引かないともたない。

そういえば不思議なこともあります。テレビとHDDレコーダのリモコンの関係も然りで、例えば、HDDレコーダの「再生ナビ」や「番組表」のボタンを押すとテレビがHDDをつないだ入力に切り替わることも、それが意図してのことなのか偶然なのかわかりませんが便利です。だったらもっと操作の相乗りがあってもよさそうなのに音量など基本的な操作は別だったりします。慣れるしかない。

「強く 強く」

昨夜放送があったNHK『ハイビジョン特集 “強く 強く バイオリニスト・神尾真由子 21歳”』は実に数年ぶりに観ることになって、今回は液晶テレビの精緻な大画面やストレートなデジタル音声と相俟って文字通りの迫力と魅力にあふれていました。彼女のバイオリンはひとつひとつの音が明確で力強く描き切っていて比する音楽はちょっと思い当たらない。番組の最後にチャイコフスキーのバイオリン協奏曲の第一楽章全編の演奏があって“強く、強く”惹き込まれる。チャイコフスキーが聴いたらきっと驚くのではないだろうか。こんな曲だったのかと!? この番組はパンクを聴きながら夜の街をジョギングする神尾真由子の姿がなぜか印象的です。「オフまでバイオリンを聴こうとは思わない」とのこと。

いよいよGWが始まりますが今年は遠出の計画は今のところなく家の掃除など普段できないことを順に始めるつもりですが前半の3連休にロードレーサーの調整だけはきちんと終えたいと思っています。チネリ・サエッタ・スプリントはハンドルバーの交換の途中で工具を取り寄せたところで止まっています。外国ブランドのデフォルトのモデルに乗って幅の広いハンドルがどうも苦手だということがわかってきました。体格のちがいもあるでしょうが私の乗り方がそもそも競技スタイルではないからでしょう。

4月の日曜日のポコ・ア・ポコ

4月の日曜日のポコ・ア・ポコは7家族のみなさまに来ていただきました。2か月ぶりだと子どもたちの背丈も伸びてちょっとお兄さんお姉さんになった面持ち、というのは気のせいでしょうか。今日はとりわけ余裕をもって参加といった落ち着きも見られて1月に1回でも継続は力なりとあらためて思いました。7月まで会場の予約が取れているのでこちらも気持ちにゆとりをもっていきましょう。

新学期が始まって1週間、新年度は2週間が過ぎましたがずいぶん時間が経ったように感じています。昨日はデスクワーク続きで、寒い中、身体をほとんど動かさなかったので夕方には冷えきってしまい、なぜか座っていたいすから落ちてしまって意気消沈。早々に帰宅しました。途中、書店に寄って村上春樹の新刊『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を買い求めました。仕事のスタイルは人によってちがいはあるものの、締め切りとのスタンスは自他ともに影響が大きいことがあるといえる。小説家が締め切り間際にホテルに缶詰になるのはかつてよく話題になったこと。手塚治虫は睡眠時間を削って漫画を描き続けて命まで削ってしまったように思う。もっと時間に余裕をもってスローペースで仕事ができなかったのだろうか。そう聞くのは野暮というものだろう。創作はそれに相応しいスピード感、時間があるように思う。鮫やマグロのように泳ぎ続けなければ酸素が得られない人たちがいる。そう、時間との付き合いは難しい。宿題はいつかしなければならないものなのに毎日毎日寝る間際まで取りかかれないのもそうしたこと。『のび太・ジャイアン症候群―ADHD(注意欠陥・他動性障害)』を書いた司馬理英子も高校生の頃の自分を振り返って前書きにそうしたエピソードを書いています。医師になったのだから決して勉強ができなかったわけではないのだがそうなのだ。でも、きっと自転車操業のような毎日が続いたのではないだろうか。私も似たところがあるのであまりうれしくない共感を覚えます。