月別アーカイブ: 2005年5月

『島のねこ』

■先週から捨て猫をあずかっています。仔猫で真っ白、目はブルーイッシュ・グレーです。しっぽは長くて真っ直ぐです。この1週間でずいぶん成長しました。跳んだり跳ねたり、動くものなら何でも興味をもって近づく、前脚を伸ばして触れようとする…仔猫の感覚が統合されつつある発達のドラマがダイレクトに見えるのだ。ボディ・イメージ、前庭覚、固有覚、空間認知…こんなに早く獲得するものなのかと驚きます。人との関係性も。それにしてもかわいい。名前はオードリーとしました。今ちょうど庭に咲いているプリンセス・オブ・ウエールズのような純白です。
■猫といえば、“猫写真家”関由香さんの『島のねこ』(新風舎2004)が猫写真集のお気に入りです。この写真集の猫たちは南の島に住んでいて“本土”の猫たちとはちがう文化圏にいるみたいです。ただただリラックス。「陽をさけて へたりだらりと 島のねこ」というコピーの帯の下には、猫もこんな格好するんだ!と驚きのリラックスポーズが! こんな写真は簡単には撮れない。
■夜、NHK-ETVで「うつ」の特集がありました。「うつ」はある時点のひとつの結果でありプロセスだと思います。幼い頃からの育ち、インナーチャイルドの存在の大きさを思わずにいられないのと同時に、今今があらゆる可能性に通じていることを信じることの大切さを思わずにはいられません。番組でウォン・ウィンツォンが弾くのはベーゼンドルファーでした。
■『翔彩がイルカを感じた日』(新田順子 光文社 2003)を古本屋で見つけて買いました。イルカも馬も、犬も猫も、人が求めているアタッチメントを形あるものとして実感させてくれる存在です。

数字の文脈

■先週、年度初めの書類をひとつひとつ片づけてあと少しで一区切りと思っていたら、会計監査院の監査の書類を作成するようにとの指示がメールで届きました。調書の表を勤務校の実態に合うようにサイズを変更して一日かかって仕上げました。明日から証拠書類の準備です。数字ばかり見ていますが、児童生徒数の「+1」や「-1」のひとつひとつに深く長い文脈を思わずにいられません。
■この連休に本を3冊買いました。『アサヒカメラ』6月号(朝日新聞社)、坂井優基『パイロットが空から学んだ一番大切なこと』(インデックス・コミュニケーションズ 2005)、茂木健一郎『脳と創造性「この私」というクオリアへ』(PHP研究所 2005)です。
■『アサヒカメラ』は6月号を見てやはり“社会派”だと思いました。色褪せた歴史的な記録からアヴァンギャルド、社会のマイノリティたちの映像は迫力があります。6月号は渾身のエディションだと思います。
■坂井優基『パイロットが空から学んだ一番大切なこと』は私の好きな飛行機ものです。「私にとって空ほど美しい職場はありません。」という一文は羨ましい限りです。空を職場とする者しか知り得ない記述にあふれています。でも、この本のいちばん素晴らしいところは関係性の中で皆が成長する文脈を描いているところです。「プロフェッショナルでなければならない」「機長1人で飛んでいるのではない」「フライト毎のテーマ」「目的の明確化と手段の自由化」「視点としての地文航法」「不確実性への備え」「スキャンという技術」「チームワークには『自由』という空気を」「第一声は、ありがとう」「心の中で合理化をしない」「先輩の恩は後輩に返す」等々、章や見出しの言葉を見るだけでこの本の文脈の深さがわかります。
■茂木健一郎『脳と創造性「この私」というクオリアへ』は突っ走る今の私への警鐘です。脳科学が全てではない。タイムリーな一冊です。でも、この本のアフォーダンスをキャッチした自分も少しは褒めたいと思います。
■ポコ・ア・ポコの音出しにとデジタル・ミュージック・プレーヤーを購入しました。CREATIVEのMuVoV200は底値でした。フラッシュ・メモリだと少々荒っぽく扱っても大丈夫です。セッションで使う曲全部が入って頭出しもすぐできる。1曲再生モードがあることを確かめて買って、確かにそれはできるのだけど、なんと、再生ボタンのスイッチオンで曲がすぐに始まるではないか! そのレスポンスが売りということに気がつきませんでした。これではひとりでセッションをするときに困ります。スイッチを操作して輪の中に入って、「ようい…」と構えてから音楽が始まってほしい。1曲1曲にブランクデータを入れなければならない…なんと面倒な(×_×)
■CREATIVEのMuVoV200のメモリは256MBです。4分の曲が120曲くらい入るとか。ポコ・ア・ポコで使う30余曲に加えて100曲入ります。このメモリの空きにどんな曲を入れようかとあれこれ思い巡らすことの楽しさになつかしさを覚えます。“My Favourate Songs”をレコードとカセットテープで作った頃を思い出します。
■MuVoV200を買った店で、Canon EOS Kiss Disital Nを初めて触りました。軽さ、AFのスピードと正確さ、シャッターレスポンス、そして、手にした質感にこれはすごいと思いました。これにコンパクトなISレンズを着けたら手放せなくなるな…
■今日は雨、車のワイパーゴムを換えました。カローラフィールダーの走行距離が10万㎞に近づいてきました。通勤だけで1日140㎞、1か月に3500㎞走るとして1年で4万㎞という走行距離です。フィールダーはボディの鋼性も高くて高速でも安定しているので長距離通勤も苦になりません。コンパクトだから取り回しも楽です。でも、やっぱり物足りないのはATだからなのだろうか…。今夜はF-1モナコ・グランプリです。血が騒ぐ!

アイデンティティー

■ポコ・ア・ポコの音楽療法の研修会を行いました。8人の参加をしていただきました。お子さんも4人、実技と私の話につき合っていただいて和やかな研修会でした。でも、私からのメッセージは焦点が絞れきれなくて大まかな話に終わってしまいました。ポコ・ア・ポコのセッションと文脈を分析的にみるとほんとにたくさんのファクターがあって丸一日話していても足りないくらいでした。音楽療法だけでなくひとりひとりのお子さんに合ったサポートを組み合わせていかなくてはなりません。この研修会は秋にも行う予定で、子どもたちの育ちに少しでもプラスになればと思っています。
■午後の日曜日のポコ・ア・ポコは18家族のみなさんに来ていただきました。今日は元気印のお子さんが多くてこれも楽しいものでしたが、大勢が苦手なお子さんにとってはつらいものもありました。こんなときお母さんのサポートが欠かせません。みなさんに支えていただいているポコ・ア・ポコです。今日は日曜日のポコ・ア・ポコの2周年となるセッションでした。私の目標はとりあえず10年続けることです。
■今夜は久しぶりにトンカツを作りました。油温計がこわれてしまったので勘が頼りです。前に実家の母にフライを揚げるコツを聞いたら、ややこしい説明を一通りした後で、「見とったらわかるに!」と締めくくりました。そうか、見ていたらわかるのか!? 果たして、油温計がこわれてからは揚げ物の失敗がなくなりました。計器に頼って失敗し続けてきたそれまでは何だったのか!
■NHK-ETVの「新日曜美術館」は「ミュシャ~スラブ悠久の叙事詩」でした。そういえば見覚えのある印象的なミュシャの絵です。でも、彼が描く母国チェコの絵の迫力には遠く及びません。アイデンティティーを発見した人の強さです。ゲストに劇作家・声楽家の池田理代子さんが出演していました。彼女の存在感も大きかった。創作家だからこそ持ち得る強さだと思いました。私のアイデンティティーはポコ・ア・ポコかも知れません。
■平原彩香のコンサートが三重県多気町であってとてもよかったとのこと。私は行けなくて、今夜は彼女のアルバム「ODYSSEY」を聴いています。こんなに聴かせていいの!?と思うくらいです。歌はもちろん上手い。すごくプライベートな歌詞なのに無限の拡がりを感じます。バックの演奏もクオリティが高くて魅入られてしまいます。

メトロポリタン美術館と日曜日のパスタ

■朝からWordの差し込み印刷と格闘しているうちにテレビ(NHK-TV)でメトロポリタン美術館の特集番組が始まりました。「美術品は半永久的な情報発信となる」という学芸員の言葉は説得力がありました。ニューヨークは興味津々です。
■昼前のNHK-TV「食彩浪漫」を観ていて、休日の昼はやっぱりパスタ!と、冷蔵庫の在庫整理にこんなのを作りました。フライパンにたっぷりのオリーブオイルとニンニクを入れてから火を点けて少しずつ温めて、ピーマンとしめじ、茹でて殻から取り出したサザエと小松菜を入れてさっと炒め、茹でたパスタにからませてハーブソルトをパラパラとふりかけてできあがり。パスタの茹で具合には神経を集中するけどあとはそのときの即興です。手前味噌ながら美味! 料理といえばこの頃「うちの食卓 Non solo italiano」のサイトがお気に入りでよく見ます。壁紙がグレーで南の風と似ています。写真がとてもきれい。食住のライフスタイルがいい感じ!
■「食彩浪漫」のゲストはcobaでした。今回のテーマは「五感で味わう春野菜」で、彼の料理も友人の料理も食材に反応して作っていると思いました。BGMに流れるcobaのアコーディオンはいつ聴いても血が騒ぎます。
■このパスタの写真はFUJIFILMのFinePix4800Zで撮りました。画像が荒れるのでノーレタッチです。テーブルの集成材の継ぎ目やフォークが曲がっていることが気になります。受光素子やソフトがどれだけ進歩しても写真を決めるのはやはりレンズです。レンズのサイズに制約があるコンパクトデジカメの限界です。今日はテーブルの反射をなくすために自然光で撮りました。F2.8、シャッタースピードは1/9でした。窓がない方向の左上が暗いしフォークへの映り込みがちょっとじゃまだな…

人工構造物の美学

■いつも夜走る通勤路を明るいうちに帰ってきてこんな風景なのかと新鮮でした。道と風景が一致して再発見した次第です。四日市の石油コンビナートはなぜか惹かれるシーンです。
■今日はエンジンオイルを交換しました。するとエンジンのなんと滑らかに回ることか! 1日140㎞の高速走行は過酷です。もっとこまめにメンテナンスをしてあげないといけない。
■セントレアが開港して低く飛ぶ大型旅客機がよく見えるようになりました。夜、仕事を終えて小高い丘の駐車場から見上げる大型旅客機の光と音はたまらない。私はメカが凝縮された構造物が大好きです。飛行機はその最たるもの! 車もバイクもコンピュータも私には自分の分身のように思えます。ヒューマニズムにこだわると人工構造物にもますます愛おしさを感じるようになるのは不思議だ。

intersubjectivity

■インターネットにつながったら今度はモニタに縦縞が出て慌てました。同じタイプのLaVieGが同じような症状で使えなくなっていたのでこれはたいへんと外付けHDDにデータを移しました。これに3時間! さらにWindowsXPの復元などあれこれしてやっと直りました。コンピュータは気難しいし気紛れだ!
■そのあたふたしていたとき、テレビで愛知万博の紹介をしていて、フィリピン館の館長が「intersubjectivity」と言ったような気がしてはっと画面を見ました。場面はアロマテラピーの紹介でした。彼女は日本語がとても上手でしたが「intersubjectivity」を日本語で説明しようとして困ってしまい、何か言いかけて笑ってしまっていました。日本では「間主観性」と訳されることが多いのですが、これは心理学用語でかえってわかりにくい。「主観が同じベクトルで交わること」とでも説明しようか…日本語には言葉としてはない概念かも知れませんが、「あの素晴らしい愛をもう一度」(北山修司詞 加藤和彦曲)の歌詞、「あのとき 同じ花を見て 美しいと言った二人の心と心」の通い合いこそ「intersubjectivity」です。主観が同じベクトルで交わり、その主観が意味のあるものとして強化され、そうしていっしょにいることが至高の体験となり、関係性の中で心が安定し、アイデンティティーを見出し、セルフエスティーム(自己尊重)を実感するのだ。テレビを観てふと思った。「intersubjectivity」は欧米では日常的な言葉であり概念であるのだろうか。文化の歩みのちがいを思うのだ。