月別アーカイブ: 2012年8月

JAZZ

そろそろ夏の疲れが出てきて睡眠時間が少々長めです。8月の勤務状況をウェブで月単位表示にしたら、なんと、22日中12日が出張という1か月でした。そんな慌ただしさが一段落して夕焼けがきれいな頃になってきたと思っていたらあっという間に9月です。今日は午後から市役所などを回って諸々の手続きをしてきました。9月までの持越しをせずに済んでほっとしました。
NHK-TVの「美の壺」のBGMはJAZZでこれがすごくおしゃれです。市内にはいつもJAZZが流れている書店があって仕事の帰りに寄るとリフレッシュします。先日の葬儀でもJAZZが流れていて音楽のもつメッセージ性の力をあらためて実感する機会となりました。そして、音楽がつなげる「縁」の不思議さもあらためて知るところとなりました。ちょうど『エヴァンスを聴け』(中山康樹 ロコモーションパブリッシング 2005)を古書で買ったばかり。音楽つながりが開く展開に心してかかろうと思う

物書き、ということ

芥川賞受賞作、鹿島田真希著『冥途めぐり』を読みました。小説を読むのも久しぶりなら小説にこんなに圧倒されるのも久しぶりでした。主人公の出口の見えない半生と夫の突然の発病と後遺症が自分の恢復の糸口になる設定は小説の世界だけではないように思いました。多分に宗教的な香りもしますが、こうした恢復と思しきあり様はどこか宗教的なるものを超えたひとつのモデルをも感じさせます。こんな人はたくさんいるのかも知れないと漠然と思う。『冥途めぐり』はこれからも気になる作品となるでしょう。
ここしばらく一定の文書にまとめる作業をしていて、どの時点でどのような表現にすべきかと、絶えず意思決定を迫られているかのように感じています。これも『冥途めぐり』を読んだことが関係しているかも知れません。今日は、ふと、辻邦生の執筆スタイルについて書かれた遠藤周作のエッセイを読んだことを思い出しました。辻邦生は早起きの生活で、きちんと削った鉛筆を数本用意して朝から執筆していたとか。彼の文体に心酔していた私はこのエピソードに腑に落ちる思いがしました。作家たちは一文一語に意を込めて作品としていくのだと、不思議なリアリティを覚えました。ここしばらくは自分自身がその営みの真っ只中にいるわけで自分を追い込んでいるところがありますが、それも心地よさがあります。
長野の出張では思いがけずiPhoneが活躍して、写真と録音はiPhoneで全部すませました。iPhoneのカメラもボイスレコーダーも、今まであまり使ってこなかったのが不思議なくらいでした。やってみればボイスレコーダーで録音しながらカメラも使えて、これがマルチタスクかと。カメラはHDR(high dynamic range)機能を試しました。結果は○も×も?もありですが使うこと自体はこんな絵作りもあるのかと面白く思いました。酷使するとiPhone4Sのバッテリーは12時間前後で赤表示になりますが、とっさの記録ツールとして頼りになることがわかった次第です。

空の色

ここしばらく週末がまとまって空いていることがなくて、この週末も明日から長野に出張です。調べると長野市はJRでも意外に時間がかかることがわかりました。自宅からは5時間余の行程です。ホテルに缶詰めの3日間ですが今回はランニングシューズを持って行きます。

このところ空が高く澄んで山も田畑も色鮮やかで見ていて飽きません。デジカメはそうそう持ち合わせてはいないのでiPhoneで空の写真を撮っています。ウエザーニュース・タッチで空の写真を送ることもあります。そして、今年の夏はとりわけ空がきれいに感じられるのはどうしてだろうと、ふと、考えたりもします。そんなこともあってか、自然のほかの色に目が止まることが多々あります。そして、これはベルビアの色だ、プロビアかな、これはコダクローム調などとあれこれ考えます。フィルムを使っていた頃はフィルムの色調がすべてといってもいくらいで、いい換えると欲しい色によってフィルムを選んでいたわけです。ベルビアは今も私のイメージカラーのひとつで圧倒的な存在感があります。EOS5Dmk2のカスタム設定のひとつはベルビア調にしてあります。そんなふうにデジタルはカメラの設定やレタッチで欲しい色が出せるようなオールマイティーと思われがちですが、デジタルはそう簡単ではないから困ったもの。特定のカメラでしか撮れない絵があるように思います。ああこれだと自分の目に適う絵、色調はもちろんのこと、コントラストや解像感、輪郭などの線の細さ、合焦ポイントから外れていくデテールの滑らかさ、等々、受光素子の特性や画像処理エンジンのチューニングなどはフィルムを換えてどうなるというようなものではないように思います。こうなると次々とカメラを揃えなくてはならない羽目になりますが、運良くこれだというカメラやレンズと出会うことがあります。しばらくこれでいこうとなるわけです。他にも気になるカメラはありますが、それは、見ない、見ない。

ミュージック・ケア全国セミナー

今年のミュージック・ケア全国セミナーは新横浜での開催で、私は3日間の2日目、昨日だけ参加しました。ワークショップは重度心身障がいと精神障がいに出ました。新しい情報とともにそれぞれのセッションのスタイルが勉強になりました。「自分のキャラクターに合った曲」を選ぶことも大事という一言が腑に落ちました。そして、「鑑賞に始まり、鑑賞に終わる」という加賀谷先生の言葉にはっとさせられました。基本をしっかり守っていくことは大事ですが、新しい曲に向かうということは聴く力を磨くことでもあって、これまでの基本の曲の聴き方も絶えず吟味していくことにつながります。音楽の聴き方がいつの間にか一面的になっていたのではないかと反省しました。また新しいスタートです。
セミナーではなつかしいみなさんとお会いできて近況など情報交換をしました。宇佐川浩先生が亡くなられた後、志を継いで関西で研究活動を始めた知人はブースを設けていました。いい刺激になりました。
今回は往復とも夜行バスで1日参加という強行軍でしたが意外にも疲れずに帰ってきました。それから実家に行ってお盆の準備などをすませました。ところが、それから帰宅したところ、リビングでここ何か月もなかったほどの深い眠りに落ちてしまいました。緊張の糸がやっとゆるんだようでした。夜は近くのイタリア料理店に行って久しぶりにイタリアンを堪能しました。料理も数少ない定番ばかり作るのではなく、また、新しいメニューにチャレンジしようと思いました

8月のポコ・ア・ポコ

8月のポコ・ア・ポコは7家族のみなさまにご参加いただきました。今日は三重ミュージック・ケア研究会の会員も研修で参加しておとなが多い目ということもあってか、すごく行儀よく始まりました。これに驚いた研究会の会員もいましたが、ポコ・ア・ポコのちょっと整然とした姿はこれまでの積み上げだと思っています。子どもたちのがんばりもあり、保護者のみなさまのご理解のたまものと思っています。

PAとは?

PAとは何の略なのか。パワーアンプだと思っていたらPublic Address(公衆伝達)とのこと。そうと知っていればこれまでのいくつかの場面でもうちょっと訳のわかったやりとりができたのにと、恥ずかしいやら情けないやらです。というのも、知人がミュージック・ケアのセッションで使うシステムを探していて調べることがあったからです。私がセッションで使っているキーボードアンプはそもそもキーボードのために調達したものを流用しているのでPAという視点のチョイスではありませんでした。今回は文字通りのPAで、調べると低価格化と高性能化が進んでいてまたぞろ食指がというアブナイことに。今、家中の整理をしているのでスタジオ復活を目論んでいる最中です。自作パソコンを音楽と映像のコントロールセンターにして、ささやかながらもオーディオシステムが組めたらいいなと思っています。