月別アーカイブ: 2001年10月

小林麻美と写真

■古本屋で小林麻美の『あの頃、ショパン』(角川文庫1987)を見つけて手にとりました。彼女の『アイ・ライク・ショパン』が好きで、その歌のことが書いてあるかも知れないと。ところが意外なことを発見しました。
■「1980年、ブラッサイ」という題のエッセイがあって、ブラッサイという写真家の作品への思い入れと、ニコンのカメラを買ってどうやらマニュアル撮影で四苦八苦していることが描かれているのです。まさか、と思ってよく見ると、「写真撮影:小林麻美」とあります。本の写真は彼女の作品です。
■その本のとなりには『私生活』(角川文庫1988)がありました。これは写真集ともよべるくらい彼女の作品がたくさんありました。スナップからファインアートとよべるような写真までいろいろ、エッセイと並んでいます。ほんとにいろんな写真があるのでメッセージが読み取りづらいのですが、1枚1枚の写真のクオリティは相当なものと見ました。構図、ピント、絞り、色、階調…どれをとってもきちんとねらって撮って作品にしています。私は彼女の作品に魅入られてしまいました。
■作品もいいけど、カメラを手にした彼女もまたすごく絵になっています。数枚、彼女自身も被写体となっています。それがすごくいい。彼女にとって写真を撮るという行為はどんな意味があるのだろうと、ふと、思ってしまいました。写真を撮ることと自分が撮られることと、ひょっとしたら、彼女にとっては同じくらいの重みがあるのではないでしょうか。あんなにも絵になる彼女は撮られていてもきっと撮らせているのだ。
■だから、エッセイもいい。いい写真を撮る人はきちんと自分を語る術ももっているのだと思う。

『NHKこどもの歌楽譜集』

■昨日の夕方、思いがけなく帰りに時間ができたので楽器店によってNHK出版の『NHKこどものうた楽譜集第28集』を買ってきました。2001年3月発行で、紀伊国屋書店のサイトで調べると、この楽譜集は年に1回出版されているだけで、ときには2年あくこともあります。だから、お目当ての『おかあさんといっしょ』の4月の歌『あいうえお・に・ぎ・り』は早くても来年3月出版の第29集に収録されることになります。
■第28集の表紙には「オリジナルピアノ譜・コード付」とあってアピールしています。私はオリジナル伴奏譜がほしくて買いました。オリジナルにこだわるにはそれだけの意味があります。オリジナルはよくできています。オリジナルは作曲した人の思い入れがそのまま音になっているからすごくいいです。きく人もオリジナルをききなれていて、オリジナルのイメージできこうとするから尚更オリジナルがいい。ちなみにこの楽譜集は紀伊国屋書店のサイトでは最近の楽譜ベストセラー№1です。
■曲の旋律、前奏、間奏、後奏、調性、テンポ、伴奏譜には、著作権の関係からだと思うのですが、すべてオリジナルと同じ他社楽譜は、たぶん、ありません。だから、感じが大きく変わってしまいます。でも、オリジナルがあんまり凝っていると困ることもあります。例えば、『あめふりりんちゃん』は、♯が5つもついているロ長調です。あと半音上げたら演奏しやすいハ長調になるのにどうしてわざわざややこしいロ長調なのか。それには、作曲した人が意図したところがあるからで、ロ長調の、♯系のあたたかさと、黒鍵を多用したちょっと線の細い感じがほしかったからだと思うのです。他社が出す楽譜はきっとハ長調です。でも、あの感じは出ないでしょう。ハ長調は落ち着き過ぎてしまいます。やっぱりロ長調の『あめふりりんちゃん』です。
■『歌うクジラ』は、コードは凝っていますけど伴奏はとてもシンプルです。最小限のアルペジオが左手と右手を行き来して、そして、旋律の臨時記号がなんともおしゃれです。コードは9(ナインス)も使って、いわゆる「甘い和音」です。その感じを最小限の音で出しているわけですから、ピアノを弾くときに自然にひとつひとつの音の出し方に細心の注意を払ってしまいます。これもいい歌です。
■こうなるとやっぱりオリジナル楽譜がほしくて、『シアワセ』も『ほしひとつ』もNHKの同シリーズの楽譜集を注文しました。23集と25集、そして27集です。気になる歌はここ7・8年の間の歌です。どうしてなのだろう。『おかあさんといっしょ』も『ひとりでできるもん』も似た傾向で、ぐっとおもしろくなってきています。大人も楽しめる子どもの歌です。
■DTMはすごくおもしろいけどまとまった時間がとれないのでこだわりの音はまだまだです。XG-worksはギターのデータがうまく初期化コマンドに書き込めなくてまた一思案です。曲によってはできているので余分なデータが重なっている疑いがあります。
■DTMの打ち込みはやっぱりリアルタイムだと思うようになってきています。テンポをキープすることはとても大事ですが、その正確なリズムに乗って旋律が生き生きと輝きだすには人間の歌心が必要だと思っています。

アケビと歌と…

■今日日曜日、団地のそうじがありました。ここはバブル全盛期の団地なのでゆったりとしたデザインで、バブル崩壊までは門柱のデザインや駐車スペースの取り方、生垣の木の種類まで守られていました。公園や緑も多くてとてもいい環境ですが、緑が多いと草も多い。年3回の団地そうじは公園や並木のまわりの草取りです。
■草取りが終わって集合場所に行こうとしたとき、一人の男性が高い木に両手を伸ばして何やら見つけたようすです。まわりにも数人の人がいて、「そこそこ!」などと口々に言っています。何だろうと思って見ていると、熟してぱっくり割れたアケビの実を取ってきました。こんなところにアケビがあるんだ! ひとつもらって口に入れるとこれがすごくおいしい。「コンデンスミルクみたい」などと話しながら分け合って食べていると、女の人がまた何か見つけたようです。「ジネンジョや、それそれ、これがムカゴ」と言って手を伸ばしています。みんなびっくりです。そういえばと、誰かがクリを拾って全部むくのに1時間もかかったという話も出てきました。そんなにたくさん、どこで? そんなら散歩のコースを変えようか、自転車に乗ってだと上を見てられないし…などなど、楽しい話がはずんだそうじとなりました。
■この団地は山をけずってできた800余区画の広い団地です。南と東、北は開けた田畑に囲まれ、西はゆるやかな山に続いています。田畑も西の山の雑木林もとてもきれいです。だから団地のすぐとなりの山にアケビがあっても不思議ではありません。もっともっと身近な自然を楽しまなくちゃもったいないですね。写真も撮りたいけど今日は曇り空でまた今度です。白米城址に登るのはいつのことやら。
■近くのDIY店でこの頃気になるのはキャンプ用品です。冬のひとり旅にと厳寒期用のシュラフを見に行ったのですが、ガスストーブや調理用品を見ているうちにキャンプをしたくなってきました。写真を撮る旅です。1日の撮影を終えて火の前でオリーブオイルをたっぷり使った料理を食べながらウイスキーを…などと考えているともうたまらない。
■夕方はNHK-ETVの『わんパーク』が気になっていました。新聞のテレビ番組のところに「坂田おさむ・新曲“ハイ・ハイ・HIGH”発表」とあったからです。番組を見ましたが『おかあさんといっしょ』のイメージとはちがいました。レギュラーをはなれてもう何年もたっているのですからいつまでも『おかあさんといっしょ』のつもりで彼の歌をきくのはやめないといけませんね。でも、彼が作る子どもの歌は魅力的です。きく人歌う人がみんなわくわくするように音がストレートに機能しています。これから彼はどんな道を進むのでしょうか。

歩く、というスタイル

■10月はじめに四日市に行きました。近鉄デパートの地下の本売り場にいたら、本を見ている人がなんとなく自分の感覚とはちょっとちがうように思えてきました。どうしてなんだろう。男も女も身だしなみや立ち居振舞いがちがう。近鉄デパートは近鉄四日市駅と同じビルです。本売り場がホームに近い地下にあるのは時間待ちの客をねらってのこと。たぶん、本売り場の客はほとんどが電車とバスを利用する人なんでしょうね。ふだん、車の生活をしている私にとってはちがう文化圏に来たみたいでした。街を歩き、電車やバスに乗るスタイルです。となりの無印良品の服が突然身近に思えてきて三つボタンのジャケットを買ってしまいました。ふだん着る機会もほとんどないカジュアルなのに…
■歩く、という言葉に惹かれたのは、高校のとき、テストで小林秀雄の『モオツァルト』と出会ったときでした。「モオツァルトは歩き方の達人であった。」という冒頭は、なぜか私の目を釘付けにしました。モーツァルトの音楽は歩くように流れる。リズムも身のこなしも流れるようで、その歩き方全体が音楽なのです。モーツァルトはいとも簡単に歩くように音楽を作る。そんなモーツァルトの音楽をきき、音楽を感じながら街を歩いたこともその頃の思い出です。
■昨日は鈴鹿のベルシティでカフェに入りました。ひとりでした。地元でひとりでカフェに入るなんて、もう、何年もないことでした。車を止めてではなく、歩いていてちょっと寄った、というコーヒータイムです。オープンなカフェで、通路のすぐ横の席にしました。大きなガラスのケースにはベリーがいっぱいのったケーキもありました。日曜日なのに“仕事”が頭を離れない午後のひととき、ちょっとうれしい時間でした。
■街を歩くように山も歩きたいと思っています。車から降りて、そして、いろんな繭から出て、自分なりに歩いたらどんな毎日になるんだろう。

XGworksの打ち込みを始めました

■XGworksはThinkPadで使っています。トラックビューウインドウでなぜかコードトラックとスタイルトラックが表示されませんが他は問題なさそうです。もちろん、ThinkPadだけで打ち込みをするとXG音源は使えないのでホントの音はわかりません。あとで修正です。
■打ち込みは『XGworks V4.0 EASY PLAY』(ヤマハ 2000 \1,900)の例題を参考にして、必要に応じて取説を見て勉強しながらしています。少しずつですが保存データも増えてきています。ただ、今は単なる打ち込みでしかありません。アーティキュレーションはこれからです。これが音楽作りの醍醐味なんですけど今はガマンです。『XGworks V4.0 EASY PLAY』は値段のわりに薄いテキストですがよくできています。
■来月、仕事でXGworksを使います。ここ2週間ほどで『おかあさんといっしょ』の4曲の打ち込みを終わらなくてはならないので松田聖子の『会いたくて』どころではなくなってきました。MU500とEOS-B2000をつないでのライブなのでこのへんのノウハウも課題です。ふう…
■さて、XGworksの打ち込みはやっぱりキーボードが便利です。今は“時間があればどこでも入力”なのでマウスで入力をしています。これがすごくめんどうなのです。キーボードなら1パートを弾けばいいわけですから打ち込みのエネルギーとストレスは半減です。何といっても音楽を感じながら入力ができるわけですからインスピレーションも刺激されるかも! MU500を介せばクラビノーバなどのMIDI対応のキーボードが使えますからこれからいろいろ試してみます。
■今回のドタバタは仕事がらみですが、将来的には、シンセサイザーを加えて心象風景を音で表現したいと思っています。シンセにのせてピアノやサックスで歌うことができたら最高なんですどね。

前田真三写真展に行きました

■愛知県豊根村の茶臼山高原で開催中の前田真三写真展に行ってきました。感動しました。雑誌や本の印刷ではわからない色でした。文字通りのフルカラーです。なめらかな階調と深み、あざやかさ、繊細さとボリューム感、そのどれもが目を惹きつけました。オリジナルプリントは空気感が伝わってくるとでもいうのでしょうか。美瑛と前田真三との出会いはお互いにとって運命的ともいえるでしょうね。
■彼は6×6から8×10の中判から大判のカメラとコダックのリバーサルで撮って、ポジからのダイレクトプリントを最終出力の作品としています。プリントはフジのラボみたいです。発色はカールツァイスのレンズのこってりした色ノリだと思うのですが、カールツァイスとコダックとフジという組み合わせがどこかミスマッチであんなふうになるのだろうか。とにかくきれいなんだけど独特ですね。
■プリントには日本語と英語の題がありました。英語の題を読んでいたら、英語の方がイメージがふくらむように感じました。例えば『残りもみじ』は『Lingering colors of maple』です。メイプルという響きが新鮮でした。メイプルは楓です。バイオリンの表板がメイプルです。メイプル、楓、もみじ…ちょっとすてきな響きです。
■写真集やポストカードも売っていましたが、オリジナルプリントを見たすぐあとでは買う気になりませんでした。オリジナルプリントも売っていました。これはもちろんよかった。だけどポストカードサイズで1万円なので手が出ませんでした。
■写真展を見て外に出たら同じ風景がちがって見えました。EOS D30で何枚か撮りました。D30はデジタルでもやっぱり一眼レフのむずかしさがあります。まずピントがシビアで合っているところにしか合わない。これは当たり前だけど自分の拙い技術をいやというほど思い知らされます。ピントは銀塩以上にむずかしい。それからEOSの“???”な露出傾向は困りものです。よく雑誌にも書いてありますが、EOSの評価測光はどこか極端で、えー!どうして?というショットがあります。同じ場所を同じように続けて撮ったのに露出が全然ちがう。やはり EOSは評価測光ではなく中央部重点測光で補正しながら使うべきだと思っています。デジタルの補正で迷ったらとにかくアンダーをおさえることですね。
■茶臼山高原に行くには一旦長野県に入ってまた愛知県に戻るというルートをたどります。そこは南信州です。ノスタルジーを誘う安曇野の雰囲気にちょっとだけ触れることができます。北の風景はどうして魅力的に見えるのでしょうか。ここ数年、冬になると八ヶ岳高原に通っています。クリスマスデコレーションのバラクラ・イングリッシュ・ガーデンと八ヶ岳倶楽部の冬枯れの雑木林にこの冬もまた行くつもりです。車にシュラフとカメラを積んでの気ままなひとり旅です。昨年は清里のフォトミュージアムと現代美術館にも寄ってきました。どちらもたくさんのメッセージがあってちょっと消化不良!
■茶臼山への往復の車ではNHKの『おかあさんといっしょ』のCD『夢のパレード』をきいていました。つのだりょうこおねえさんは、ゆうこおねえさんやあゆみおねえさんとはちょっとちがうところがあります。『おかあさんといっしょ』というより『みんなのうた』です。しゅうさえこさんみたいです。彼女も『おかあさんといっしょ』のうたのおねえさんで歌はすごくうまいけどどこかミスマッチでした。
■先週末にNHK-BSでグレン・グールドの特集がありました。長時間番組だったので3倍速で録画することになって画質は落ちましたが、彼の演奏と話は貴重な映像です。グールドの演奏をきくと“ピアノ心”がわきあがります。

テロと音楽

■『筑紫哲也のニュース23』でアメリカのテロと音楽をめぐる動きが特集されました。私はいつしかテロ後のテレビ報道の音楽に耳を傾けるようになってきました。アメリカ国歌が多く歌われることは予想していましたが、アメリカのメディアが特定の曲の放送を自主規制するまでになっているとは知りませんでした。ジョン・レノンの『イマジン』もそうだというのです。オノ・ヨーコはジョンのトリビュート・コンサートで平和を訴え、「逆風」を受けているとのことです。
■坂本龍一が筑紫哲也に送ったメールが紹介されました。「…音楽に何ができるのでしょうか。音楽はただのなぐさめでしょうか。…音楽を鼓舞するために使っている…。音楽は硬直した私たちの心を解かしてしまう…」 続いて筑紫哲也は「音楽は使いよう…今では反戦歌…音楽が持っている力が大きいだけに恐いものがある。」としめくくりました。
■それにしても、今回のテロにかかわってメディアに取り上げられる音楽にはどれも“力”を感じます。強いアメリカと結束を呼びかける音楽も、反戦と平和を呼びかける音楽も、メッセージは全然ちがうのにどちらにも“力”を感じます。テロに反応したミュージシャンはメッセージをこめて歌う。きく人はメッセージを読み間違えてはならないし、きく自分をしっかりもたなければならない。
■大阪の町のピアノの先生、北村智恵の言葉はこんなときいつも思い出します。(1985年頃、三重県津市で開催された北村智恵の公開レッスン後の講演から)

音楽とは自分自身を語ること
音楽とは自分自身と語ること
音楽(教育)とは語るべき自分をつくり、もたせ、守らせること
音楽など芸術は人が幸福に生きていけるための感性を養う手段

■私もまた仕事で音楽を使うので責任は重いものがあります。

テンキー付きのマウスがほしい

■打ち込みを始めてまだ1週間もたっていませんが、パートを重ねていくと音楽の仕組みがわかってきてほんとにおもしろいものです。曲は『おかあさんといっしょ』から『にじのむこうに』です。メロディ、ベース、ドラムの順に打ち込みました。『XGworks V4.0 EASY PLAY』は『RYDEEN』が最初の例題で、ドラム、ベース、コードパート、メロディの順に説明を進めています。今回、手書きスコアを書く時間もないのでThinkPadの狭いモニタとにらめっこであれこれアレンジを考えながら打ち込みをすることから、曲の流れがわかるようにメロディから打ち込みをしました。次にベースパートを入力しました。これで曲の重要な部分が決まってしまいました。リズムを加えるとあとは味付けみたいなものに思えてしまいます。ストリングスのコードパートを重ねると曲のボリューム感が出ます。今のところそこまでで、あと、ホーンとパーカッションを重ねます。そして、仕上げにベロシティなどの調整です。アーティキュレーションを数値で決めてしまうのはどうも抵抗感がありましたが、1週間足らずで数値入力が合理的だと思うようになりました。だからテンキー付きのマウスがほしいのです。そうそう、マウスで細かな作業をするにはやっぱり手に合ったサイズの、ある程度のボリューム感があるマウスが使いやすいです。そこにテンキーが付いていたらいうことなしだと思うんですけどね。

『You got mail』

■私が住んでいる団地の通りはハナミズキがシンボルツリーです。並木のハナミズキは真っ赤な実をつけて紅葉を始めています。もう紅葉が始まっているのです。ハナミズキの紅葉はどこか異国の雰囲気があります。
■トム・ハンクスとメグ・ライアンの映画『ユー・ガット・メール』は、電子メールでふたりがいつしか惹かれ合うというストーリーですが、私にとってはニューヨークを身近に感じる映像でお気に入りとなっています。
■ここには豊かなアメリカがあります。もちろんそれはアメリカの 一面です。でも、アメリカらしい一面です。コダクロームを思わせるコクのある色の映像の中にオークのドアや家具と白い壁、大きなベッドと小さな机、そしてThinkPadとPowerBook、AOL、スターバックス、クリスマス…ここがアメリカでなくてどこだというのだろう。 トム・ハンクスの家の壁にはモノクロームの写真がたくさん飾ってありました。たくさんのメッセージに私の目はあっちこっちでストーリーはそっちのけ。これはちょっと言い過ぎかな。“人生はいつやり直してもいい”…これもアメリカ的?