月別アーカイブ: 2006年6月

Y.M.O.

■今日は前任校の地域支援でミュージック・ケアの実践をしました。赤ちゃんから大人まで、にぎやかな集まりで、私も説明だけでなくおしゃべりも入れて、終わってみれば1時間45分が過ぎていました。会全体としてはちょうどよかったようですが、私はセッション最長記録を30分も更新してしまいました。そこに集う子どもも大人も、何か、確かなものの上にいるように思いました。話が飛躍しますが、今は地方の時代、地域の時代です。行政区分がどうなっても地域社会の主体性の在り方ひとつで地域の人たちの幸せが大きく左右されます。小さな町の“親の会”の健闘と町の支援を祈らずにはいられないのです。
■会場に行く前、前任校近くの交差点で、養護学校の先生の和太鼓グループの車と出会いました。やはり、地域支援で和太鼓を叩きに行くとか。そのグループの名前は「ペコ」です。私の「ポコちゃん」に対抗して「ペコちゃん」とのネーミングです。異動で勤務先がばらばらになっても一声で集うメンバーの心意気に心から拍手を贈りたい。
■先週末は深夜2時に帰宅。さすがにすぐに眠ってしまいましたが、翌?土曜日の朝は早く起きても眠気も疲れも感じない。これはあぶないかな…と思いつつも、けっこうしっかりしていたので実家の畑の草刈りで汗を流しました。草刈機の刃を換えてまだいくらも使っていないので仕事が早い。草刈りが終わると妙に空腹感が…そうか! 朝、食べずに家を出て来たのでした。この草刈機を使う度に買ったときのことを思い出します。数字ではわずかな排気量の差がどの程度のものか、おじさん然とした店員さんにたずねたところ、「車で言うと、これがカローラならこれはクラウン、それくらいちがう」とのこと。なんとわかりやすい説明! 腑に落ちる説明にお礼を言って、私が買ったのはカローラでもクラウンでもない、コロナでした。(コロナはもうないけど、そのおじさんならきっとコロナと言うにちがいありません)でも、やはりパワーはもっとほしい。クラウンでもアスリートくらいのパワーと足回りがほしい。草刈りも極めるにはパワーがいる。
■昨日の午後はレンタル店に寄ってCDを5枚レンタルしてきました。このところ音楽熱が再発して脈略のはっきりしないセレクトです。Y.M.O.「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」、坂本龍一「星になった少年」、映画「アメリ」サウンドトラック、松田聖子「Seiko Smile」、モーツァルト「2台と四手のためのピアノ作品集」(Pf:アルゲリッチ&ラビノヴィチ)です。こんなセレクトをするときは頭が疲れているときですが、不思議に澄みわたる感覚もあります。ずっと前のことが鮮明に頭をよぎる。
■大学生の頃、姉からピンク・レディーを知っているかと疑われたくらいクラシックばかり聴いていました。Y.M.O.は興味の範囲外でした。ところが、ある日、Y.M.O.のコンサートの会場警備のアルバイトに来ないかと友人に誘われて京都会館に行きました。大型トラック満載の膨大な機材を休みなく運び込み、つながれたコードが床に黒い渦を作って行きました。私はどういうわけか楽屋口の番をすることになりました。「入ろうとするヤツが来るから絶対に入れるな」とのこと。確かに、来る来る。来る人来る人みな変わっている。髪をピンクに染めて紺色の人民服を着た高校生と思しき男の顔は今も思い出すことができます。今ならなんとも思わないのですが、その頃の私はさながら油屋に迷い込んだ千尋でした。人は見かけで判断してはならないといいますが、そのときは私の価値観を試されているような気がしました。そのうち、楽屋の方から関係者らしき人が来て、たばこを買って来てほしいと話しかけられました。彼は外国人で顔もはっきり思い出すことができます。「ここから離れてはいけないと言われている」と言っても「だいじょうぶ、ボク、みてる」と言う。仕方なく走って、名曲喫茶「シンフォニー」近くの自動販売機でたばこを買って来ました。このときはこれで済みました。またしばらくすると、関係者らしき人が奥から来て、「ボクの姉が来るから入れてあげてね、○○というの」と言いました。「はい」と返事すると彼は奥に行きかけたものの数メートルのところで突然振り返って私のところに急いで来てこう言いました。「ボク、高橋です」「はい、高橋さんですね」「・・・」このやりとりは今思うと穴でもあったら入りたいくらいです。コンサートが始まってしばらくすると私を“油屋”に誘った友人が来て、「せっかくだからお前も中に入れ」と楽屋口番を代わってくれました。気が進まなかったのですが、客席の“警備”に入ると、そこは私の音楽観を書き換えてしまう音楽の渦中でした。すごかった。体中の血が逆流するような音楽に溢れていました。今思えば、私の身体が納得する音楽でした。こんな音楽もあるんだと思いました。Y.M.O.は文字通り、私の音楽観を書き換えてしまいました。今聴くと、古色蒼然の感があります。四半世紀前の音楽です。それも仕方ないでしょう。でも、Y.M.O.は私の中で揺るぎないポジションを占めています。
■今日の夜は団地の自治会の会合もあって慌ただしいながらも実り多い2日でした。私自身のキャリアについても考えることがありました。私はやはり音楽が好きです。音楽抜きのキャリアはあり得ないのではないかと・・・

6月のポコ・ア・ポコ

■昨日、6月の日曜日のポコ・ア・ポコでした。朝からの雨も始まる少し前に上がってほっとしました。ポコ・ア・ポコの日はきっと晴れる! 今日は12家族のみなさんに来ていただきました。天気がしめりがちなのでちょっと元気よく進めました。途中で眠くなりそうな小さなお子さんもよくついてきてくれて、終わりの大きなシャボン玉をみんなで見つめることができました。そうそう、シャボン玉といえば、今日、始まる前にシャボン玉の液をこぼしてしまって新しい補充ボトルを開けました。封を切ったばかりの液だとシャボン玉の大きさや数のコントロールが思い通りです。シャボン玉の液はこまめに新しいものに交換していかないといいセッションはできないと思い知りました。

笑顔いっぱいコンサート

■朝から団地の一斉清掃、そして、管理組合の事務処理と、昼過ぎまで慌しく過ぎました。家に帰るとさすがに疲れていましたが午睡もなかなかできないテンションが続いていました。
■昨日、勤務校の開校10周年記念行事でミニコンサートをしました。「にじのむこうに」「こうえんにいきましょう」「てをたたこ」「はらぺこあおむしのうた」「シアワセ」「こどもがいっぱいわらってる」「ともだちになるために」そして、アンコールは「アイアイ」です。子どもたち、卒業生、保護者、きょうだい、家族のみなさんの笑顔が会場いっぱいに広がりました。
■養護学校の先生のその場の居方(いかた)に私はあらためて心を打たれました。自分だけが楽しむのではない。子どもを乗せるためでもない。その場、空間の意味を子どもたちといっしょに、ともに、受け止め共有する。子どもの主観をはっきりさせるメッセージを送り、肯定する。そして、自分と子どもの主体が入れ替わるような心理的な交感(交歓)、つまり、間主観性の関係をいともあっさりと築いてしまうのです。子どもも安心して笑顔になれます。空間が幸せを感じる豊かなものとなります。先生がいちばん輝くのは子どもといっしょにいるときです。
■今回、歌のおねえさんと準備をする中、調性の設定でいくつか気づかされるところがありました。「ここをこの音で歌いたい」というところから全体の調性を設定したのは「こどもがいっぱいわらってる」でした。オリジナルのホ長調は変ホ長調となりました。「はらぺこあおむしのうた」は嬰ハ長調です。何調でも歌う、歌える歌手はそれだけ技術もあってオールマイティです。でも、この歌をこんなに歌いたいという思い入れがある歌は、音楽的にどうのこうのという以上に聴く人にアピールするものがあるように思います。そのことで歌のおねえさんのメッセージがより多く、深く伝わったのではないでしょうか。ピアノでいうところの黒鍵が主音の調は、やや硬質ながら芯がはっきりした華やかさがあります。それだけ聴く人を惹き付けます。25分という限られた時間のコンサートの構成としてひとつのスタンダードになるスタイルだったと思います。私にとっては音楽の力を再認識する機会でした。自分のスタイルをもった人との共演?競演?は勉強になります。
■先週、通勤ドライブでずっと聴き続けたのはMALTAの「サマーベスト」でした。MALTAのサックスのテンションは私のそれと共鳴します。このテンションはまだまだ続きます。