月別アーカイブ: 2011年6月

佐渡裕+ベルリン・フィル+ショスタコーヴィチ

佐渡裕指揮ベルリン・フィルハーモニーのショスタコーヴィチ作曲「交響曲第5番 ニ短調 作品47」のライブ盤が届きました。予約したので発売日に届いた次第。この曲は大学生の時初めて聴いて一時浸っていましたが、こうして聴くのは実に30年ぶりかも知れません。それでも曲のディティールは覚えているものですが、この録音はちょっと他にない、別の曲のように聴こえます。敢えて誤解を怖れずにいえば、オザワと共通するところがあるように思います。実に多彩な音楽でオーケストラの音、ひとつひとつの楽器の音はまるで生き物のようにしなやかで自在に動いているようだ。ソ連当局の圧力下で作曲をしたというショスタコーヴィチも自分の曲がこんなふうに自在に思うままに音が舞うように演奏されるのを待っていたのではないかとさえ思える。壮大な絵巻物のような音楽。心が満たされる音、音楽だ。こんなふうに音楽で幸せを感じて様々なことが想起されることがあるもの。折しも昨日の朝日新聞朝刊で吉田秀和の「音楽展望」を読んで泉の水が惜しみなく湧き出るような文体に触れていたので私も音楽に入りやすかったのかも知れない。音楽を聴くにはちょっとしたテクニックがあった方がいいように思うこともあるが、今夜はそうしたいくつかのファクターがちょっと高いところで出会ったものと思うのだ。
それにしても自宅でその音楽に相応しいシステムと音量で聴くことが難しいのは残念でならない。車がいちばんのリスニングルームと化してしまう。

週末毎の・・・

週末毎の楽しみのひとつが朝日新聞の「be on Saturday」です。先々週の「フロントランナー」は佐渡裕で、ここしばらくのある意味セイフティモードが解けたことが実感としてありました。5月22日のベルリン・フィルの定期公演最終日で「オーケストラが引き揚げても、喝采はやまなかった」とのこと。「ひとり、ステージに戻ってきた燕尾服の佐渡裕さん(50)は男泣きに泣いていた。」「オーケストラは、187センチの長身からほとばしる『言葉』のすべてに反応し、ひとつの生き物であるかのように、うねりながら立体的で多彩な響きを奏でてくれた。『幸福感で途中から涙が止まらなくて。自分が指揮しているんじゃないような、不思議な感覚でした』「地元紙が『ベルリン・フィルはどのデビュー指揮者に対してもこれほど献身的に演奏するわけではない』と述べる『大勝利』となった。」と書いた朝日新聞のライターもまたただならぬ人物にちがいないと思うほどの特集でした。音楽の力を信じる人たちがこうして確固たる仕事を成し遂げていることが心強い。ライブ盤を早速予約した次第です。
また、社会福祉法人の制度移行の説明会に行きました。特別支援学校卒業後の毎日をどう過ごすのか。親亡き年月をどう過ごすのか。これはあまりに大きな課題です。6月20日(月)NHK-ETVの「福祉ネットワーク」は「障害者の“働く”を変える〜大阪箕面市の社会的雇用〜」でした。施設に入るよりも社会的雇用の方がQOLが高いだけでなく社会保障費がかからないケースもあるとのこと。障がいのある人たちだけでなく、ニートといわれる人たちや引きこもりの人たちが働かない状態でいることの個人と社会の損失は計り知れない。“something else”のアイデアや行動、そんなことを考える時間がたっぷりほしいものだ。
それからの1週間も慌ただしくてなかなか家の掃除をする時間もなくて、昨日のエアコンの修理は朝6時から掃除をして備えました。いよいよ修理となって驚いたのはエアコンの中の筒状のファンにほこりが詰まっていてそれが原因だったことです。ルーバーなどを外しての掃除はユーザーでできるとのこと。そのエアコンの取説はずっと行方不明でそんなことも知らなくて掃除をしてなかったことが原因だったことが恥ずかしいやらこんなことで来てもらってもったいないやらで体中の力が抜け切る思いでした。修理に来てくれた人に冷えたペットボトルのお茶を1本進呈しました。エアコンはその他は異常がなく28度設定でも快適です。昨年は梅雨明けに冷蔵庫が壊れてたいへんでしたが今年の夏の電化製品は今のところ大丈夫そうです。
今日は朝から南伊勢町に行っていました。能見坂峠は霧が深くてライトを点けて走るほど。南島の海も深い霧で数十メートル先の防波堤も霞んで幻想的な光景にしばし見入っていました。そして、深い霧をバックにインプレッサの写真を撮りましたが、相変わらず現場で構図を練ることができなくてパソコンのモニタで大きくするとどれもが中途半端。「あと10cmくらい下から」「こんなところに影が」など、後からは修正の効かないことばかりわかってくる。車の写真はメディアにごまんとあるものの私が撮るとその1枚にもならない。
インプレッサで峠越えをしたのは初めてでしたが、文字通り水を得た魚の如く生き生きと走りました。現行のインプレッサGH2はアクセル操作がワイヤ(電線)で伝えられているとのこと。飛行機はフライ・バイ・ワイヤなので自動車ならラン・バイ・ワイヤというところか。どこかしらダイレクト感のないアクセルだったのでそれを知ってなるほどと思った次第です。今やどの車もスロットルはコンピュータが直接操作する仕組みのはず。アクセルペダルがワイヤで繋がっていても何ら不思議はないのですが、峠越えのしっかり踏み込むアクセルワークで見えたインプレッサの素顔はおもしろい。スポーツカーのDNAが組み込まれている車なのでしょう。

6月のポコ・ア・ポコとボールペンの話

6月の日曜日のポコ・ア・ポコは14家族のみなさまに来ていただきました。ミュージック・ケアの勉強をしたいという方もみえて、それぞれに思いを込めて来ていただけることに感謝、感謝です。大勢ながらも動作に一体感があって、メリハリのあるセッションとしていただきました。5月のセッションで最後の大きなシャボン玉を追って出たお子さんはちょっと眠そうでしたが、今日もその時が来るとゆっくりと歩み出ました。会場の誰もがシャボン玉に触れると思っていると、間近でシャボン玉が床に落ちて音もなく割れる様をじっと見つめていました。会場はその展開に固唾をのむ思いでした。どうしてシャボン玉に手を出すことなく見つめていたのでしょうね。こんなハプニングがまるで組み込まれていたかのように思えるのもミュージック・ケアの懐の深さだと思います。
昨日は名古屋に行って地元では手に入らない文房具を調達してきました。トラベラーズノートのリフィルとボールペンのインクです。ATACカンファレンス京都2001でくじに当たってもらったボールペンのインクリフィルです。そのボールペンはシルバーのステンレスと思しきボディにゴールドをあしらって「FUJITSU」とスポンサーの赤い印字があるボールペンです。時々行方不明になりながらも昨年からまたよく使うようになって、よく見るとウォーターマンのメトロポリタンというちょっといいものでした。あまり使わなかったせいか書き出しのインクの出がいまひとつと思い、新しいリフィルを調達しました。書き出しからインクがたっぷり出てなかなかのもの。インク垂れもない。そのリフィルをよく見ると「Made in Germany」と印字があって、10年前のリフィルの「MADE IN USA」の印字とちがっていることに気づきました。また、ウォーターマンはフランス法人ではなかったかと。多国間の往来で存続してきた歴史を物語る足跡といえます。
このボールペンを大切に使っていきたいと思ったのは、先日、ある人が使っているボールペンが色違いの同じ物とわかったからです。その人は私よりひと回り年上で、濃紺のスーツでちょっと前のボルボの4ドアに乗り、ブルガリの腕時計を着けて、それが何の違和感もなく調和している存在感にいつも圧倒されています。そんなふうに年をとりたいと思い、それ故、同じボールペンを使っていることがわかって自分のあり様をいろいろ考えてしまった次第ですが、いわゆるブランド物を纏うには私はあまりに未熟です。きっと、ずっと今のままだと思いながらもその世界を知り得たことが自分の財産だと思っています。筆記具ではもっとメジャーなブランドがあってウォーターマンは知る人ぞ知るものかも知れない。それだけにちょっと小気味よい。

「あのさよならにさよならを」

iPodを久しぶりにMacとUSBでつなぐと「Battery Very Empty」の文字が出てHDDが回ったり止まったりで、やっと起動したらiTunesに「容量不足」のアラームが出ました。私のiPodは第5世代だったか、12inchのMacBookの頃だから6年前のモデルです。起動するだけでもラッキーというべきか。わずか30GBの容量ですが、また使おうと思ったのはインプレッサのHDDナビにiPhoneなどにつなぐケーブルがあって音源にしようと考えたからです。セレクトして2000曲余、10G分を入れました。
聴こうと思ったのは昨夜偶然にiTunes Storeで見つけた華原朋美の「あのさよならにさよならを」で、今頃なんでといういつものパターンです。この歌は中島みゆきの作品で、歌詞もメロディも密度が高くて聴き応えたっぷりです。どうして今までこの歌に気づかなかったのだろうと思うのですが、それは私がキャッチする心のあり様でなかったからです。それはよくあること。失うものは何もない、前に進むのみ、そのメッセージが時折心をかすめる。

週末に

昨日から久しぶりの晴れ間で、たまっていた洗濯物を洗濯して干したり、雨天のため延期になった町内の一斉清掃に行ったりしました。一斉清掃では草刈機で草刈りをして、今年は草の量がずいぶん少ないように感じました。例年は梅雨に入る前に一斉清掃をしていますが、今年はすでに梅雨入りです。草も梅雨入り前の初夏の太陽の光をたっぷり浴びて成長する前に梅雨入りとなってしまったのかも知れません。また、草の種類も年によってちがうときがあります。今年は鮮やかな黄緑色の苔がとてもきれいでした。午後は自宅の玄関先のポットにインパチェンスを植えました。10月までがんばってもらいます。今年のメインはピンクです。
次はインプレッサの洗車ですが、白はなかなか手がかかる色だとわかってきたところです。雨上がりの夜の高速は虫がぶつかる音がパチパチとして、ウィンドウもバンパーも虫の死骸がこびりついてそれは無数というくらい。おまけにボディ下部はタールがこびりついている。水垢も目立つ。車はやっぱりシルバー系が楽です。インプレッサはこの40日で約3000キロ走ったことになりますが、通勤は1日約50キロで遠出もしていないのでこの走行距離は???です。
NHKの「おひさま」は時代を象徴するエピソードがよくこんなにも次々と登場するものかと驚くばかりですが、それらの多くは厳しい時代ながらも心ときめくものなので安堵しています。このドラマに描かれている大切なメッセージのひとつは、育て―育てられること、教え―教えられることの両義性の営みが人を成長させるということだと思います。子どもは親から学んでおとな(親)となり、親は子どもから学んで親となっていき、時に人は両世代の真ん中で親と子のふたつの役割を受け持つ。この絶え間ない相互のやりとりこそ生きる智恵や力の継承なのだと思います。「ひまわり」のヒロインの成長はドラマの中だからこそシンボリックなものとして大きなメッセージをもつ。名作だと思う。
ツィッターなどで話題になっているNHK「クローズアップ現代」の「“ツーキニスト”が世界を変える」をNHKオンデマンドで視聴しました。東日本大震災の日の帰宅困難もあって自転車がますます注目されている今、渋滞緩和や医療費削減などの効果も視野に入れて長期的なビジョンを描くときが来ているように思います。イギリスなどは10数年の準備期間があったとか。コンパクトシティと相通じるコミュニティ作りのひとつの柱だと考えます。私はフォールディングバイクで輪行を画策中です。