月別アーカイブ: 2005年4月

セブンイレブンなこの頃

■一昨日から自宅のADSLがつながらなくなって何かにつけて動きが取れず、落ち着きませんでした。NTTのサポートデスクに電話して、モデム→ルータ→PCの順に電源を入れ直すことで解決しました。これって基本の“き”だよな…。でもどうして不具合が出たのか? NTTから確認の連絡があって聞いたら、モデムやルータにリセットがかかることがあって、その修復は電源の入れ直ししかないとのこと。NTTの対応はていねいで適切なものでした。
■今の職場は職員間の連絡も書類のやり取りも90%はイントラネットでペーパーレスで済ませています。慣れると便利この上ない環境です。県立学校と教育委員会とのやり取りもイントラネットでそのほとんどを処理することができます。それだけにコンピュータ様様で、ひとつのものに頼り過ぎる怖さがあります。バックアップとセキュリティ対策はこまめにしないと!
■今週は県立学校教頭会の研修会がありました。「教頭は“F-1Mart”のように年中無休で、毎日は“セブンイレブン”と言われます」という会長の言葉に真顔で「うんうん!」とうなずく会場がおかしい。年度初めの4月、私も帰宅すると日付が変わっていることが何日かありました。
■今日は久しぶりにNHKの「おかあさんといっしょ」を観ました。特集でコンサートでした。音楽的に分析して聴いてしまうところが悲しい性ですが、セオリー通りの音楽は構造が整っていて気持ちがいいものです。その枠組みの中で斬新を感じるところが「おかあさんといっしょ」の底力です。
■書店で斉藤孝著『頭がいいとは「文脈力」である。』(角川書店 2004)を見つけました。納得の1冊で、こうしてまとめるところが彼のすごいところです。「文脈」という言葉こそ空間と時間を構造化する人間の営みを象徴している。

reactionの文脈

■夜、「NHKスペシャル 日本の群像・再起への20年 ①トップの決断・米国が震えた巨額買収 ソニー」を観てただならぬ戦慄を覚えました。価値観が多様化する今、reaction(反応)の有り様こそアイデンティティーだと確信するものがありました。刻々と変化する状況へのリアルタイムの反応こそ、今、価値ある決断なのだ。アメリカの投資ファンドのクールな反応がすごかった。ソニーの提案に「筋道が通っていました」とシンプルに答える文脈がアメリカの強さだと思った。
■小澤征爾のプロコフィエフ「ロミオとジュリエット」を聴いています。小澤征爾の音楽がいつもスリリングなのはその場その時の空間への反応が彼の音楽となっているゆえではないのだろうか。シャルル・デュトワの「ロミオとジュリエット」も魅力的だがCDを聴くとそれぞれの文脈のちがいがわかる。私はスリリングな小澤征爾が好きだ。私も走り続ける。

プロコフィエフ

■この頃仕事はコンピュータとの闘いだ。年度当初はファイルを探すのに時間を費やしていたが今はちがう。今朝は起動するときイントラネットにつながらずに30分待たされる。添付ファイルを開けるのに何分も待たされる。そうこうしているうちにフリーズする。今日1日で3回フリーズした。Ctrl+Alt+Delでプログラムをひとつひとつ強制終了させる途中で完全に固まる。結局、電源スイッチの4秒押しだ。半日そうしていた。これでいいはずがない。私の仕事はコンピュータの機嫌とりではない。子どもたちと職員のために何を為し得るかだ!
■セントレアが開港して低く飛ぶ旅客機がよく見えるようになしました。私は飛行機が好きなのでたまらず空を見上げてしまいます。そんな飛行機を丘の上の駐車場から見上げて車に乗り込みます。四日市の郊外からアップダウンが続く笹川団地を抜けて23号線に向かうと石油コンビナートの灯りが見えてきます。この風景が好きで遠距離通勤も苦になりません。似ているわけではないのに「耳をすませば」を思い出します。
■マルタ・アルゲリッチのCDを探していて彼女が弾くプロコフィエフのピアノコンチェルトのCDを見つけました。オーケストラはシャルル・デュトワ指揮のモントリオール交響楽団でとてもおしゃれな演奏です。そうそう、小澤征爾の「ロミオとジュリエット」もいい。明日はプロコフィエフを聴きながら帰ることにしよう!

新学期の日曜日のポコ・ア・ポコ

■新学期の1週間が終わりました。桜はずっと咲き続けてくれています。ドーム屋根の食堂をバックにムスカリと咲く桜のなんときれいなこと! この食堂で私は検食をします。ひとりで食べるとおいしさも半減ですが、その後の摂食指導は子どもたちと毎日過ごすことができる私の大切な時間です。給食の時しかいっしょにいないのに私といることを確かめる子どもの眼差しのなんと愛おしいこと!
■新年度の日曜日のポコ・ア・ポコは15家族のみなさまに来ていただきました。前任校の子どもたちと会うのも修了式の日以来で、とてもなつかしくうれしく思いました。大勢のセッションでしたがみなさん集中してくださって充実した1時間でした。私もひとりひとりの子どもがよく見えているように感じました。アリサシリーズで動作を間違えましたが誰も動じなくてびっくり感動です。今日はいつになくみんなみんな大きく成長して見えました。5月のポコ・ア・ポコが今から楽しみです。
■5月のポコ・ア・ポコの日は午前中に音楽療法の研修会を行います。音楽療法だけでなく自閉症のサポートと感覚統合を軸に考える子どもの発達と心です。加えて精神医療の分野にも踏み込む内容を考えています。参加のみなさんといっしょに考えていきたい、私にとって新たなチャレンジです。
■昨日土曜日に休日出勤してその帰り、鈴鹿に寄ろうとナビの通り走ったら知らないところばかりでした。途中、聖母の家の表示があって寄りました。いつか参観したいと思いました。私立の養護学校という文脈、博愛の精神に私は惹かれるのだ。
■ポコ・ア・ポコの帰りにパソコンショップに寄ってノートサイズのキーボードを調達しました。トラックパッドとパームレストが付いてまるでノートパソコンのキーボードそのままという不思議な代物です。勤務校の私のデスクトップに使います。いわゆるフルサイズのキーボードだとミスタッチばかりで、これを「ノート病」というらしい。ミニサイズのキーボードだと机も広く使えます。
■この桜の写真はFinePix4800Zで撮りました。明度と色調をいじろうとしたら画像が荒れてしまいます。そうか、FinePixの画像はアンタッチャブルだった。
■桜の花を見て聴きたくなるのは「さくら横丁」です。加藤周一の詩も中田喜直の曲も伊藤京子の歌も私の心をゆさぶる。音楽の力はすごいものだ。1日の仕事を終えて弾く夜の音楽室のピアノは私そのものです。しばらくバッハを練習します。今夜はマルタ・アルゲリッチのバッハ「イギリス組曲第2番イ短調BMV807」を聴いています。グールドとスタイルはちがっても文脈は同じだと思う

桜の花と入学式

■勤務先の養護学校の始業式と入学式がありました。学校はやっぱり子どもがいてわくわくドキドキするもの! このドキドキを大切にして今年もきらきらする1年にしたいと着任のあいさつをしました。桜はちょうど満開でとてもきれいでした。子どもたちが登校する明日も明後日も、ずっとずっと楽しみです。

『100万回生きたねこ』

■昨夜は新任校の、今夜は前任校の歓送迎会がありました。ひとりひとりの転任新任の言葉を聴く度に、学校はマンパワーだと思い知りました。
■今夜、歓送迎会までに少し時間があったので会場近くの書店に入りました。入り口すぐ横に絵本のコーナーがあって、『100万回生きたねこ』(佐野洋子 講談社 1977)が目に入って買いました。その前、伊勢に向かう電車の中で、私は大瀬敏昭さんの『輝け!いのちの授業』(小学館 2004)を読んでいました。がんの「転移再発、死の恐怖との闘い…その恐怖と絶望の淵に沈んだ私を救ってくれたものは『絵本』であった。なかでも『わすれられない おくりもの』、『100万回生きたねこ』、『1000の風、1000のチェロ』、『ポケットのなかのプレゼント』などの絵本は、私にとって生きる希望と勇気を与えてくれた。それとともに、闘病生活は、新たな学校づくりのヒントをも与えてくれたのである。」 そう、『100万回生きたねこ』はいつも勤務校の図書室で読んでいて自分の本を持っていなかったと気づきました。この絵本は愛することと生きることの真実を教えてくれたように思っています。
■目眩くピアノが聴きたくて、家に帰ってマルタ・アルゲリッチのシューマンを聴いています。

どう反応するか

■今月から三重県立養護学校北勢きらら学園勤務となりました。度会養護学校と同じ肢体不自由の養護学校で、療育や医療的ケアなどの専門性に共通したニーズがあります。きらら学園は開校9年目の新しい養護学校で、教室がある校舎や温水プールもある体育館、円形の食堂など総木造でとてもきれいです。先生たちのマンパワーもすごい。子どもたちと出会う11日が楽しみです。
■この土日も出勤して仕事の引継ぎや新年度準備をしていました。今日は私の机に並ぶ4台のパソコンのモニタを8時間見続けてさすがに視覚がおかしくなりました。名は体を表す…パソコンはパーソナルなコンピュータです。早く私のパソコンにしないと!
■今夜の毎日放送制作「情熱大陸」は装丁家、鈴木成一でした。年間600冊を超える本の装丁のアイデアはどこから?という質問に、「どう反応するか、ですよね」と答える彼の文脈はすごいものだ。今の私の課題そのものです。落ち着いてなんかいられない。彼は43歳、第一線の人たちの年齢が気になります。彼もMac使いでした。