月別アーカイブ: 2005年2月

精神医学

■音楽療法ネットワーク三重の講習会がありました。テーマは「音楽療法士に必要な精神医学」で講師は三重大学教育学部教授大谷正人さんです。精神医学について「統合失調症(精神分裂病)」「乳幼児の心の発達と自閉症」「老年期の精神医学とターミナルケア」と全般にわたってドクターから一度にまとまった話を聴くのは初めてで自分自身の勉強不足を痛感しました。教育、障害児教育、音楽療法に携わる者として、人の心、精神についてもっと科学的に知っておかなくてはと思いました。発達障害そのものよりも二次障害が「その子のむずかしさ」とされがちな現場です。精神医学についてももっと知らなくてはなりません。質疑応答で、セラピストは自分のヒストリーについて知っておかなくてはならないという話がありました。精神療法や精神分析を学びたいと思いました。
■統合失調症の症例として映画「シャイン」の一部をみました。音楽はラフマニノフのピアノ協奏曲第3番、私がいちばん好きなピアノ協奏曲です。ヘルフゴットは2000年に東京で生演奏を聴くことができました。音楽を心から楽しんでピアノを弾いていた彼の笑顔と楽しい音楽は私の大切な記憶です。
■今日の講習会で私は主催者側だったので早めに行くことになっていました。その上時間を間違えて早く着いたので近くのサティSCに行って通勤鞄を見てきました。地方だとサムソナイトがいいところで実物を見るとそのクオリティに納得してしまいます。でも、真面目過ぎて面白味がない。かといって他に何があるのだろう。ノートパソコンとクラシックサイズのフランクリン・コヴィー、ときには一眼レフとレンズも…と考えると、そんな鞄あるはずないよな(^_^);;;

今日のポコ・ア・ポコ

■2月の日曜日のポコ・ア・ポコがありました。9家族のみなさんに来ていただきました。お子さんは10人、9人のお母さんとスタッフが5人です。少人数だったからでしょうか、とても落ち着いたひとときとなりました。ひとりひとりのお子さんとのアイコンタクトの時間も十分取ることができました。ひとりのお子さんのシャボン玉が完全に消えるまでその子の前にいることができました。こんなことがとても大事。音楽と私の声の大きさも控えめにして、私の動作の静止のサインも控えめにして、子どもたちひとりひとりが音楽の文脈を見つけ出せるように心がけました。子どもたちはセッションの文脈をしっかりとらえてくれて感激しました。終わりのボールのやりとりも充実した今今でした。
■夕方、古本屋に行って本を見て回りました。今日は『インナーチャイルド 改訂版 本当のあなたを取り戻す方法』(ジョン・ブラッドショー著 新里里春監訳 NHK出版 2001)を買いました。これは「交流分析療法の理論とその技法、そしてアダルトチャイルドの概念を統合して、一般の人にもわかりやすい理論と技法を縦横に駆使して誰にでも使えるワークブック」にしたものとのこと。「子どもには、無条件に受け入れてくれる親が必要だ。自分が必要とされていることを核心することで、自分を信じ、他人を信頼することができるようになる。親の愛を得るために感情を抑制しつづけた子どもは、怒りや心の傷をかかえたままおとなになる。無視され、傷ついた『過去の内なる子ども』つまりインナーチャイルドが、人間の精神的苦痛の根源なのだ。私たちは自分の力でこのチャイルドを再生し、本来の自然の子どもを取り戻すことができる。」(同書 カバー) アメリカ的な発想だと思う。文化のちがいを感じます。でも、こうした精神分析の手法が現在の日本の社会でニーズとされてきていることもまた事実だと受け取っています。
■夜、NHK-ETVの「夜回り先生」をビデオに録画しました。追い詰められた人たちの姿と声が水谷先生の言葉から浮かび上がる。また思うのだ。日本は文明国なのかと…
■ここのところ私は膨大な言葉の情報に取り巻かれていて自分の言葉をみつけるのにあくせくしています。明日は精神科医のレクチャーを聴きに行きます。言葉は文脈に乗って語られるものです。自分の言葉をみつけるということは自分の文脈をみつけるということです。でも、今はたくさんのいろんな言葉を知りたいときです。心に響く言葉で語り合えることが学校の先生に必要な能力です。

京都市立総合養護学校の文脈

■昨日今日と、文部科学省教育研究開発学校指定研究中間報告会出席のために京都に出張しました。研究テーマは「総合制・地域制の養護学校における教育課程はどうあるべきか~障害種別の枠をこえた教育課程のあり方に関する研究~」です。
■出張の前夜にamazonから『学びとケアで育つ~愛育養護学校の子ども・教師・親~』(小学館2005)が届いてバッグに入れて京都に向かいました。早めに京都に着いたので駅ビルのカフェで読み始めました。
■この中の佐藤学さんの「学びとケアの共同体へ~教育の風景と原風景~」にカリキュラムについて次の記述があります。「日本において『カリキュラム』とは、通常、子どもの学びに先立って準備されている『計画』や『プログラム』を意味するものとして認識されている。しかし、『カリキュラム』は、そもそも『人生の履歴』という意味を含意していることが示すように、『学びの履歴』を意味するものとして認識すべきだろう。すなわち、『カリキュラム』は欧米において『学びの経験の総体』として定義されているように、学びと経験を構成する活動内容や環境や人の組織を含みこんだものとして認識するべきだろう。『計画』や『プログラム』は『カリキュラム』の一部に過ぎないのであり、『カリキュラム』の創造と『学びの経験』の創造とは同義である。『カリキュラム』は『学びの履歴』であり、一日の終わりにつくられ、年度の終わりに編成されるものとして再定義する必要がある。」 ここで大切なことは「カリキュラムを『学びの経験(履歴)』としてどう洞察し構成するか」ということになる。これは極めて難しい。だからこそ教育に携わる者に要求される専門性なのだと思う。「反省的実践」(松木 2003)の積み重ねこそ教育の営みの核心であり、特別支援教育の中核をなす理念だと考えます。
■京都市立総合養護学校の「カリキュラムベース」はその「…洞察し構成する」ことの試みのひとつといえるでしょう。発達障害がある子どもの指導・支援の継続性と一貫性、そして、実生活への汎化という、いちばん大切なことにもかかわらず課題であり続けていることへのチャレンジです。これを140万都市で行い、地域制・総合制に基づく養護学校の再編をしたのですからその実行力はたいへん大きなものがあります。これを可能ならしめた理念とその共有への歩みはどれほどのものであったのかを私は思わずにはいられません。京都市立総合養護学校の文脈は障害児教育に一石を投じてくれています。私も勉強します。
■京都駅で私が入ったカフェはカフェ・デュ・モンドです。そこでカプチーノと隣りのミスドでアップルパイを買ってテーブルに着きました。そこは北風が吹き込むオープン・カフェです。フリースの膝掛けまであります。寒い! ミスドのスタッフはコートを着ているし、カフェ・デュ・モンドのスタッフはおそろいのフリースの襟を立てています。わざわざそんな店を選ばなくてもいいのに次から次へと人が来ます。学生、サラリーマン、OL、お年寄り…中にはパソコンを出してキーを打つ人もいました。はるか頭上にはトラス構造のアーケードがあって灰色の冬の空が見えます。寒い! でも、私もそこで小1時間本を読んでました。くつろげる空間であることは確かでした。
■出張先の“みやこめっせ”は京都会館の向かい側でした。京都会館第二ホールは私が所属していた学生オーケストラの定期演奏会の会場でした。第一ホールが私が初めてバイオリンを弾いたステージでした。YMOとの出会いも京都会館でした。もう25年も前のことです。なつかしいけど今も新鮮な印象がありました。私は音楽を聴くときいつも“今”の聴き方をしてしまうからでしょうか。今と今に続く今が大事。
■映画「フォレスト・ガンプ」がテレビで放送されて録画したビデオをみました。彼は自閉症なのか…その設定はわかりませんが、この映画は「人間存在の根源をなすものについての示唆を与えてくれる」※ものであると思っています。人を信じることの大切さを教えてくれています。人を疑えないのが自閉症…誰もが人を信じたいと思っている。幼い頃からの父親との関係のトラウマを背負うジェニファが自分探しの旅の終わりに、人生の最後に信じ得たのがフォレスト・ガンプだったという設定は彼の存在の意味をいやがおうにも考えさせるのだ。また、彼の人生のトピックがアメリカの歴代大統領の変遷とタイアップして描かれていることも興味深い。この映画の文脈は深く重い。※(「…広汎性発達障害(=自閉症)は、発生機序も未だに解明されていませんが、人間存在の根源をなすものについての示唆を与えてくれる興味深い障害です。」(石川 2000))
■明日はポコ・ア・ポコです。子どもたちと会えることを楽しみにしています。

モーツァルトはいつも新しい

■昨日、土曜日。休日も朝早く目が覚めてがっくり(=_=) 睡眠不足と緊張が続くと眠れない。とにかく眠ろうとがんばってどうにか昼まで寝てました。
■昼は久しぶりにパスタにしました。1.6mm。このところトマトソースは作ってないのでレトルトを使う。でもおいしい。パスタが私をリフレッシュする。パスタを食べるとお腹の中がきれいになるように感じるのはどうして?
■午後は今日の保育のグッズの調達にあちこち回りました。クラウンのバルーンは欠かせないしオリジナルのペットボトルをボーリングのピンにして遊ぶのも楽しい。そんなことを考えながらおもちゃ屋やホームセンターを回りました。
■今日は地元松阪市で新しく立ち上げた“team えん×4”の第1回井戸端会議がありました。“team えん×4”はユニバーサルデザインの地域社会の実現を目指す草の根のサークルです。私はその井戸端会議の裏番組の託児を担当しました。託児ボランティアのスタッフのみなさまのサポートで楽しいひとときとすることができました。大学生も高校生もがんばってくれました。感謝しています。
■昨夜、本を買いました。『リッツ・カールトンで学んだ仕事でいちばん大切なこと』(林田正光著 あさ出版 2004)と『魅せる技術』(西松眞子著 インデックス・コミュニケーションズ 2004)、そして『DVD版 どこでも1歩ウォーキング・ダイエット』(デューク更家 講談社2003)です。2冊はビジネス書です。でも、私には大切な2冊です。
■夜、NHK-ETVの「芸術劇場」でマルタ・アルゲリッチのモーツァルトを聴きました。ピアノ協奏曲第20番ニ短調K.466です。この曲は私を虜にしたモーツァルトとの出会いの曲です。もう30年も前のことです。ピアノはアンネローゼ・シュミットでした。ベートーヴェンのカデンツァも30年前のままです。懐かしいけどとても新鮮です。モーツァルトはいつも新しい。
■明日からの1週間は忙しい毎日です。木・金と京都に出張です。天気はよくないみたい。だったら雪だとうれしい!

美しいいろいろな意味

■昨日、水曜日の朝、降りしきる雨の中、出張でR23を鳥羽に向かって車を走らせていました。宮川にかかる橋で左車線から追い抜きをしたとき、右を走る淡いクリーム色の軽自動車の助手席のチャイルドシートの子どもに私の目は一瞬釘付けになりました。2歳くらいの男の子かな…水滴の着いた2枚のガラス越しなのになぜかはっきり見えました。その子は対面タイプのチャイルドシートに収まって、黒い大きな目はガラス越しに灰色の空を見ていました。ガラスの水滴を見ていたのかも知れません。オー・ヘンリーが書くストーリーに登場するような子どもらしい子どもだと思いました。親の深い愛情を一身に受けている子どもで、ユーモアとウィットと、少しのペーソスが入り交じったストーリーの名脇役といえるかな…。この子は幸せなんだろうな、でも、どうして灰色の空をそんなに見つめているの?と考えてしまいました。そして、子どもたちを守る義務感が私の中にわき上がってくるのを感じました。それにしても絵になり過ぎていました。私はABBAを聴き続けて車を走らせました。出張先の鳥羽の小学校に着いたとき、潮の香りがする横殴りの雨が私の認知感覚をさらに覚醒させてくれました。
■2002年のNHKスペシャル「イギリス授業崩壊からの脱出~シャロン校長の学校改革~」をときどきビデオでみます。先週末の3連休も途中何度かテープを巻き戻しながら3回みました。教育は人だとあらためて強く思います。番組の映像からはリーダーの「詩と真実」を知ることができます。シャロン・ホローズ校長はNHKの取材のとき41歳、校長になって5年目とのことですから36歳で校長として公立カルバートン小学校に赴任したことになります。その5年の間に離婚してシングルマザーとなります。長女は病気が元で97%の視野と視力を失ったとのこと。でも、それがシャロン校長の価値観を変えることになりました。彼女の学校経営の成果はエリザベス女王から爵位を受けるほどの評価を得ます。学校は何を為し得るべきなのか、学校の先生は何を為し得るべきなのか、私は考えます。また、シャロン校長の改革を可能ならしめたイギリスの教育制度とトニー・ブレア首相の教育を重視する政策の意味の深さと重さにも思いを馳せています。三重県教育委員会のスタッフもシャロン・ホローズ校長に学ぶべくイギリスに赴きました。私は「ニューズ・レター」に続くフィード・バックを待ちながら自分でできることから始めているつもりです。
■『自閉症の教育が楽しくなる本』(柴田静寛編纂 無明舎出版 ISBN:4895443299)の佐々木正美さんの「序文・TEACCHから学んだこと-自閉症の人々との共存/バリアフリー」にこんな記述があるとのこと。「最初の訪問の時にショプラー教授が言っていた言葉が忘れられない。『私たちは自閉症の人々に、あなたがたの周囲の世界には、こんなに美しいいろいろな意味があるということを伝えたい』」。「美」は私たちの感性によって「美」と認知されることで「美」となり得るものだ。「美」を「美」として共感する営みこそ私たちの社会を価値あるものとしていくのだと思います。ヒューマニズムそのものだと思います。
■明日の天気は下り坂だとか。また雨かな? 窓ガラスをつたう雨を追って過ごした子どもの頃の記憶をきっと追ってしまう。

久しぶりのスタバ

■スターバックスのタンブラーお目当てに鈴鹿のイオンSCベルシティに行って来ました。スタバではいつものカプチーノで幸せ(^_^) ベルシティでは、島村楽器でエレキギターの弦を、無印良品でチャコールのタートルネックのセーターを買いました。島村楽器ではDTMのコーナーが、無印良品では4穴のA4のファイルがなくなっていて残念でした(>_<)
■エレキギターの弦はFenderの3150Lにしました。パッケージの“give you a warm full-tone”という言葉で決めました。弦を交換した私のギターは20日に大滝昌之さんに使っていただきます。
■同じイオンSCでも鈴鹿のベルシティだと接客の質的なちがいを感じます。客である自分が大切にされていることを実感します。「人は自分が大切にされるところにもどってくる」という経営品質の原理を実感します。「北高南低」は南北に長い三重県にも当てはまってしまうのか!?
■先週の日曜日の「情熱大陸」(TBS)はファッションディレクター祐真朋樹さんの特集でした。カリスマスタイリストとよばれる彼自身の仕事のスタイルは魅力的でした。信じるのは自分の感性、自分が信じる美しいものを納得がいくまで追求する。仕事をしている彼の空間の息詰まるような緊張感はただただ凄い! 分野はちがっても私にパワーを分けてくれます。緊張感は他の誰でもない自分自身が作っていくものだ。
■祐真朋樹さんの道具をチェックしました。絵コンテを描くのはパイロットのHI-TEC-Cのクロ。PCはiBook、カメラはM型ライカ。パイロットのHI-TEC-Cは私もお気に入りで同じものを使っているとうれしくなります。私は0.4mmです。この頃この辺りでブルーブラックが手に入らないのが残念です(>_<) 祐真さん自身がM型ライカで撮った写真が掲載される『BRUTUS』(マガジンハウス) の発売(3月15日)が待ち遠しい!
■『カメラ日和』(第一プログレス)創刊号で写真を撮っているSAEKOUさんのサイトの“Cafe”の「関西・ミナミ」に私もお気に入りの我楽茶堂の名前を見つけてうれしくなってしまいました。SAEKOUさんはフォトグラファーでこの3連休も忙しそうです。

身体を意識するとき

■寒波が峠を越して雪の心配をしなくてもいい朝がきたときはほっとしました。木曜日のことでした。毎日は短かったけど長い1週間でした。緊張が続いてかなりバテています(>_<) 夏は台風と洪水、崖崩れ、冬は雪と凍結、そして、交通事故…今年度スクールバスはいろいろありました。でも、なんとか乗り切っているのはマンパワーがあるからこそと思っています。それぞれのポジションで最善を尽くそうと踏ん張るスタッフがいます。感謝しています。
■この土日はほっと一息。用事の合間に書店で本を探したりイオンSCの専門店フロアを誰よりもゆっくり歩いて見て回ったりして、家では気になる音楽を聴いたり気になる本を拾い読みしたりしていました。昨日はイオンSCのVILLAGE VANGURDという店に初めて行きました。ここの書籍に興味津々です。そのほとんどがいわゆるビジュアル系で写真やイラストが満載です。面白い。こんな本の制作にかかわりたいと、ふと、思いました。
■別の書店でデューク更家のウォーキングの本が目に止まりました。彼のウォーキングの考え方は腑に落ちるものがあります。私も歩くとき自分の身体を意識しています。「モオツァルトは歩き方の達人であった。」と書いたのは小林秀雄でした。視線を落としたモーツァルトのデッサン風の肖像画は鼻が印象的で、彼は鼻に引っ張られて歩いていたのだと私は思いました。誰でも歩くときは鼻が先頭で風を切るのだが彼の場合その歩きがすでに音楽であったのではないだろうか。彼の音楽は彼の歩きそのものだ。どこへ行くかは身体が教えてくれる。歩き方も身体が教えてくれる。彼の音楽が天衣無縫といわれる所以だと思います。
■今、子どもたちの育ちの諸課題に対して確かな応えとなっていると考えられる教育実践は子どもたちの育ちに果たす身体の役割をとても大切なものとして位置づけています。佐藤学さん(東京大学大学院教育学研究科・教育学部教授)はそのことを学校教育の空間で展開しようと現場でメッセージを伝え続けています。冬休みに勤務先の養護学校で行った音楽療法の勉強会のキーワードは「身体で聴く音楽」としました。音楽や体育だけでなく他のパラダイムでももっともっと身体を意識することが子どもたちの育ちにとって最高のサポートにつながるものと私は考えています。
■そんなことを考えていたらパフォーマーたちと会いたくなってビデオを探しました。「DAIDOUGEI(大道芸) WORLDCUP IN SHIZUOKA 1992」(NHK)と「モントリオール コメディ大会」(NHK「ショータイム」)です。どちらも10年も前のものですがその楽しさはいつも新鮮です。欧米のパフォーマーは身体のキレが気持ちいい。
■そのビデオに続いて録画したあったのはステファン・グラッペリのライブ(NHK「ショータイム」)でした。そのときすでに70歳とか。エレキギターとベースとのトリオ、そして、ラリー・コリエルを招いてのクァルテットは至福の空間です。大学の頃ステファン・グラッペリが好きなクラスメイトがいました。いつも何かを探し求めているような眼差しの彼女は彼のことを「グラッペリおじさん」とよんでいました。あとになって彼女の「詩と真実」がわかったように思ったのはそれから何年も後のことでした。
■ステファン・グラッペリのライブに続いてジョージ・シアリングのライブもありました。彼のひとつひとつの音と音たちのつながりに自分の「詩と真実」を見つける人は少なくないでしょう。
■Excelの説明書を探していてデータベースだけのものを見つけました。『速効!図解 Excel 2003 データベース編』(木村幸子著 毎日コミュニケーションズ 2004)です。ハードコピーのデジタル化はPDFファイル化することにしました。変換ソフトはフリーのPrimoPDFをインストールして快調です。