月別アーカイブ: 2006年7月

Mac.Mac.Mac.

■7月の日曜日のポコ・ア・ポコは13家族のみなさんに来ていただきました。地元の大きな祭りがある中、ポコ・ア・ポコに来ていただいて感謝しています。8月以降の予定は24日にアップの予定です。
■金曜日はヤマトホールデングスとCBCが主催するクロネコファミリーコンサートに行きました。勤務校の子どもたちを招待していただいたのでサポートです。駐車場と会場を1時間ほど行ったり来たりしたらシャツは絞れるくらい汗だくになって、あとで35度と聞いて納得です。
■オーケストラは金聖響指揮の名古屋フィルハーモニー交響楽団で、編み込まれた楽器の音の素材感が伝わる緻密な音楽を堪能しました。プログラムでは、新作のオリジナル絵本、原作:佐野洋子、作曲:三宅一徳・森本レオ・P.エヴァンス、編曲:三宅一徳の『100万回生きたねこ』がよかったです。原作のテーマである博愛が緻密な音構造となって会場を優しく、且つ、しっかりと包み込まれるように感じました。
■昨日土曜日の朝日新聞「be on Saturday」のトップは電気自動車「エリーカ」をつくりあげた慶応大学環境情報学部教授、清水浩さんでした。効率を上げるために8本の車輪にモーターを組み込むことや新しい技術を作り上げたこともすごいことだが、そのスタイルも革新的でいい。こうしたコンセプトをアカデミックのパラダイムが形にして世に問うことが素晴らしい。化石燃料から発電してもガソリン車の4分の1のエネルギー消費で済むことはまさに「破壊的な技術」だ。経済構造のみならず社会構造をも大きく変えることになります。あと、ユーモアを感じたのは「車の音を作曲」するというアイデアです。
—エンジン音がなく静かですが、人はエンジン音で車が近づいたことがわかる。事故につながらないか心配です。
清水「新しい車の音のために作曲をしようと思っているんです。「車が来たよ」と前の方向にだけ騒音にならないように知らせる、そういう音を作曲しようと思います。
なんとユニークな発想か! これこそME(Music Effect)ではないのか! と私は元気になって朝からアテンザを洗った次第です。
■アテンザはシャンプーでていねいに洗いました。シャンプーで洗うと虫の死骸などもきれいに取れてすっきりです。車内は掃除機ですっきり。午後から思い立って名古屋に行ったら夕立に降られてがっかりです。
■名古屋ではアップルストアで「freeway 4 express」とMighty Mouseを購入しました。Macを使い始めて1年近くになって、やっとMac用のホームページ作成ソフトを調達です。ピュアテキストを考えたこともありますが、さすがに勉強する時間がありません。それと、今のサイトのデザインが気に入っているので簡単に移行できるソフトがあれば一番との判断です。Intelプロセッサにも対応しているのでしばらくは使い続けることができます。Windows98と98SE、MEのサポートが打ち切られたこと、XPもあと2年半でサポートが打ち切られるとのニュースに私のWindows離れもまた一歩進むことになりました。
■アップルストアに並んだMacやiPodを見ていると、もちろん、アップルストアの空間も全てを見てのことですが、そこにいるとリフレッシュされるように思います。これも魂のための食べ物なのでしょう。

魂のための食べ物

■少し肌寒い梅雨空の日はとても懐かしい空気に包まれます。この空気感は文学書の少し湿った紙のようです。そう書いたのは6月のこと。あっという間に7月も半ばにさしかかろうとしています。蒸し暑い日が続きます。
■私がいっしょに勉強をさせていただいている精神科病院の法人のデイケアで、ミュージック・ケアを取り入れたところ、とてもいい結果が出ていると聞きました。患者さん曰く、「頭がすっきりする」とのことです。ミュージック・ケアがある日は利用も多いとか。予想以上の結果に私もほっとしています。これはデイケアのスタッフの感性の賜物です。
■夏の研修会に向けて少しずつメモを書きためています。前半はミュージック・ケアの体験で、理論面は昨年度の復習をします。後半は音楽そのものについて考える内容としたいと思っています。文字通り、音楽の意味そのものを扱うことになります。これは哲学を語ることです。でも、音楽は演奏ぬきには語れない。実際の曲や演奏を聴き比べたり、映像と組み合わせて聴いたりという体験から、みなさんひとりひとりに音楽の力に何かしら新しい気づきがあればと構成を考えています。
■音の力、効果ということでは、元NHK効果部の織田晃之祐を語らずにはいられません。80年代、「NHK特集」が好きだった私は、ある時、効果音の存在に気づき、魅了されていきました。効果音を聴くだけで織田晃之祐の仕事だとわかるようになりました。レコードも買いました。このレコードはCDになって買い直しました。レコードになっているのはME(ミュージック・エフェクト)ですが、私が彼の音に惹かれたのはSE(サウンド・エフェクト)の頃の効果音で、その音がほしい。でも、CDになってしまうとSEの音情報だけではさすがに売り物にはならないのでしょう。効果音は音そのものの機能を使うことになります。音そのものの機能、これを考えるパラダイムは音響学だということを後になって知りました。織田晃之祐が講義する武蔵野美術大学の音響学の授業計画は興味津々です。「地球、光と音、人の想い。その波動世界について。地球は音の星。環境としての音。音と人間。その営為について。音の認識。音の記憶。音による表現とは。音、言葉、音楽表現力学とは。」そして、音の物理、録音の歴史、磁気テープによる録音の革命、光と音の定着、映画やドラマなどの音響論へと続く。ぜひ聴講したいものです。
■東北大学では音楽音響医学分野を設けて研究をしているとのことです。音楽療法を含む、音と人との関係が研究の対象です。このような広いパラダイムを一分野として研究する環境は人間を主人公とする発想から生まれたものにちがいありません。
■また、このところヒューマニズムという言葉が私の頭の中をぐるぐる回っています。ひとつ、大切な言葉を挙げるとしたら私はヒューマニズムを選ぶにちがいありません。桜林仁著『心をひらく音楽・療法的音楽教育論』(音楽之友社 1990)に「音楽ヒューマニズム」という言葉が出てきます。きっと、著者の造語だと思います。音楽、音楽療法を何よりもまずヒューマニズムの視座でとらえることの意味の重さをよく思います。
■先週、NHKの「プロフェッショナル」でピニンファリーナのデザイン部門を統括する奥山清行が特集されました。マセラッティのクアトロポルテも彼の「作品」だということを今回知りました。あれもこれもと並べると、ここ数年の注目度の高いカーデザインはすべて彼の「作品」ではないのかとさえ思える量産ぶりです。彼のマネジメントに学ぶべきところはたくさんありますが、彼の本当の強みは現場をよく知り、自分自身が線を描き続けていることにあると思います。現場、臨床の場を持つことは仕事の質を上げることに欠かせないと考えます。そして、自分もデザイナーも「崖っぷちに追い込んで創造性に火をつける」仕事のやり方は私が自分に対して課すことと同じだ。
■この番組の中でホストの脳科学者、茂木健一郎と、奥山清行のこんなやりとりがあります。
テロップ:「デザインに魂を込める」
住吉:「デザインというのは、言ってしまうと、世の中で、水とか食べ物とか、そういうものに比べて、なくてもいいものかも知れないものなのですけど、それに、そこまで自分の人生をかけるって、どうしてなんですか?」
奥山:「あの、必要なものだけ持って生きてちゃ、動物じゃないですか。やっぱり、人間て、必要じゃないものが人生の中にたくさんあって、それを自分たちで作り出して生きてくのが人間で、なくてもいいデザインだからこそ真剣に作らなかったら、そういうメッセージを、それを使ってくれる人や買ってくれる人に通じないと思うんですよ。だから僕らは、いらないものだからこそやっぱり僕らは真剣に作んなきゃいけない。いい加減なもの作ったら絶対買ってくれない、絶対使ってくれないですから。」
茂木:「人間の脳って、食べ物とか水とか、生きるために必要なものと、いいデザインのものとか、いい音楽を聴いたりするときに、喜びを感じる部位って、全く同じなんですよ。だから、人間の脳からすると、水とか食べものと同じくらい必要なんですよ、実はいいでデザインって、全く同じところが喜んでるんですよ。ほんとにだから、魂のための食べ物かな。いいデザインてのはね。」
奥山:「それはいいこと聴いたな」
そうか、そういうことなんだと、いろんなことが腑に落ちました。お金がない十代がどうしてあんなにも音楽のためにお金を使うのか、その理由がわかったように思います。それでは、どうして音楽なの?ということは私なりに答があって研修会に向けてまとめています。
■音楽と自分との接点として、今、DTMがいちばんいいかも知れないと、その環境をあれこれ考えています。慣れ親しんだYAMAHAのXGもいいけど、今のPC環境からすると、PCハードとソフトを新たに調達する必要があって投資が負担です。このMac PoewrBook G4だとプロユースのLogic Proの最新バージョンが使えることがわかって気もそぞろです。オーケストレーションのシミュレーションができるかどうか、ハード音源との相性が気がかりです。
■少し前から自動巻の機械式腕時計を使っています。日本製SEIKO5の逆輸入モデルで、曜日の表示が英語とアラビア語という、オイルマネーと化した円を取り戻そうと目論んだ時計です。文字盤は白、アクセントは秒針の赤ですがオーソドックスなデザインです。秒針が時報とピタリと合ってないと落ち着かない私が機械時計を使うのは25年ぶりです。学生の頃は手巻きの秒針なしを使っていました。秒針があると誤差が気になるので敢えて秒針なしの時計でした。クォーツが普及するとその正確さが私を虜にしました。だから1秒でもちがうと落ち着かない。今回、電波時計も考えていたのですが、デザインが気に入って購入したこの時計です。少々の誤差は許そうと思っていました。果たして、少々のちがいだったかというと、なんと、1日に数秒も進む。こんな時計、使い続けることができるのかと思いました。でも、電波時計ではなくこの時計を選んだ時点で私のパラダイムは変わっていたのでしょう。前のように時報と合っているかどうかということを気にしなくなりました。1~2週間に一度、時報に近くなるように長針を秒針の動きに合わせるだけです。では、どうやって正確な時刻を知るのか…これは旧国鉄マンだった父から教えてもらった方法を使っています。今日、自分の時計は時報と何秒ちがっているか、それをチェックするのです。旧国鉄の運転士はそうやって列車を走らせていたとか。なるほど!と思いました。誤差を読むのです。これは私の性分に合っています。