月別アーカイブ: 2003年8月

野田式音楽運動療法から学んだこと

■野田燎先生が模擬セッションでサザンのリクエストがあって『TSUNAMI』を演奏した後、堰を切ったように話し出しました。「今までのことはええやん、明日からのこと考えよう」そういう歌、ということで、サザンの『ホテル・パシフィック』の1コーラスをサックスで吹いて、そして、『真夜中のナイチンゲール』のフルコーラスをサックスと歌で奏でました。『さよなら大好きな人』も。そのときの野田先生は音楽好きな素顔を見せてくれたように思いました。
■誰でも好きな音楽への想い入れは言葉にできないくらいもののがある。その想い入れを伝えるいちばんの方法は自分で奏でること。その音楽をニーズとしている人への共感として奏でる音楽は譬えようもなく真摯なものだ。野田先生が音楽療法の中で独自の道を歩まれることになったことの理由と意味がわかったように思いました。音楽のジャンルを問わず、その音楽に秘められたシチュエーションを自分のものとして追体験することでクライエントの物語を共に紡ぐのだ。適切な選曲をして最高の演奏を提供することで。これは、でも、みんながしていることではないのか!? 野田先生のセッションはトランポリンを使って脳を活性化して音楽の文脈を受け入れやすくしている。運動を伴うこととクライエントに寄り添う最高の音楽を提供することが野田式音楽療法の核だと思う。お母さんが子どもを抱っこするとき、自然にリズムをとって揺らしながら歌うではないか。それは誰もがしていること。子どもをあやすことは自分自身をあやすことでもある。子どもが泣き止んで安らかな気持ちになるとお母さんも幸せになれる。人として当たり前のこんな営みの意味深さをもう一度考えてみたいと思う。音楽療法だからといって難しいことを考える前に、ウィニコットの「たった一人の赤ちゃんなんていない。赤ちゃんはいつも誰かの一部なんだ。」という人を関係性の中で捉え、理解しようとするスタンスの意味を今一度考えたい。
■野田燎先生の模擬セッションは音楽とは何かということを考えさせてくれました。あの空間に自分がいたことをとても幸せなことだと思っています。私の人生から欠くことのできないひとときでした。

夏休みの終わりに

■昨日のプチポコでポコ・ア・ポコ サマーセッションが終わりました。いつになく大きなシャボン玉が、ゆったりと落ちて、バウンドしてまた上がって消えていくのを見ていて、なんだかジーンときました。お子さんを参加させていただいたみなさまとお手伝いいただいたスタッフのみなさま、そして、会場をお貸しいただいた松阪市福祉会館と橋西地区市民センターに心から感謝しています。今年のサマーセッションはプチポコを入れたこともあって初心に返ることができてとてもいい勉強になりました。今年度の私のテーマは「ていねい」です。ポコ・ア・ポコの活動から、音楽を使っての関係性の質の向上のためのポイントが実感としてわかってきました。これから仕事で、そして、日曜日のポコちゃんで活かしていきます。
■車が再びカローラ・フィールダーになりました。今日は用事の合間に洗車やそうじをしました。丸坊主になっていた夏タイヤも、アルミホイールとセットでタイヤだけよりも安いという“広告の品”を少し前に押さえてあって朝から交換してきました。フィールダーはよく走る! 速い! カローラのサイズはやはり日本の道路事情にベストマッチだと思う。パッケージリングもいい。音楽療法のグッズも慣れてくるとコンパクトになってきてフィールダーでも十分だとわかってきました。
■そのフィールダーのコンソールボックスから竹内まりやのCD『Bon Appetit!』が出てきて、そうそう、野田先生は『真夜中のナイチンゲール』も使っていたと思い出して、それからは『真夜中のナイチンゲール』ばかり聴いています。
■『ひかる・かいがら』も『真夜中のナイチンゲール』もとにかく何回も聴いてアナリーゼです。伴奏はピアノまたはエレキギターで、ときには伴奏をシンセに任せるとしてオブリガードをバイオリンで入れるならどんな旋律にしょうかと興味は尽きない。
■野田燎先生との出会いは音楽と音楽療法に対する私の価値観を大きく変えようとしています。ひとりのだれかのために音楽を奏で、歌うことの意味と重みをずっと考えています。この夏休みは土日もなく走り回っていましたが、得たものはとても大きい。ミュージック・ケアもますますおもしろい!

『ひかる・かいがら』~野田式音楽運動療法

■元ちとせの『ひかる・かいがら』ばかり聴いています。昨日、初めて聴いて、心に残る歌のひとつになりました。
■昨日は兵庫県三田市の財団法人ひょうご子どもと家庭福祉財団主催の療育研修会「野田式音楽運動療法」に行きました。1998年に放送されたNHKの「トモ君がしゃべった~音楽運動療法~」の野田燎先生の研修会です。
■午後は野田先生のチームのスタッフ5人が加わってセッションの体験がありました。私は野田先生の1番指名! 音楽療法の研修会で男は目立つのだ。
■トランポリンで跳んでいるときに音楽が加わることで身体の調整力が格段に上がるのがすぐわかりました。もちろん、ピアノは跳ぶ私にリアルタイムで合わせてくれます。フォームがくずれてジャンプのタイミングがずれてもピアノは絶対離れない。すごいものだ。曲がリクエストのバッハから「平均率第1巻第1番」になると、1跳躍を6つに刻む音が私の覚醒レベルを一気に上げて頭の中が澄み渡ったような感覚になりました。このまま続けると自分がどこかに行ってしまうような気がしました。野田先生によると宇宙飛行士が無重力状態で神を感じたという感覚なのだそうです。脳生理学的にはドーパミンの産生がアップしたとのこと。音楽運動療法は障害がある子どもたちの発達支援やパーキンソン病、脳卒中後のリハビリに大きな治療効果を上げて医学的実証も進んでいます。私は自分が体験することでその力の大きさと心地よさがわかりました。
■野田燎先生のチームはスタッフが5人来ていました。それぞれ得意分野があるようで、クラシック、ジャズ、アニメ、ポピュラーなどなど、曲によって交代してピアノを弾きます。弾き手が変われば音楽も変わります。でも、野田先生のスタッフは誰が弾いても、そして、歌っても、「患者さん」に寄り添う真摯な姿勢と心地よさはキープされています。音楽運動療法のスタッフは大学で音楽を勉強してきた人からピックアップするとのこと。大事なのは「センス」とのこと! センス…それぞれの音楽がもつメッセージ性を感じ取れることが大事だとも…。その音楽の感じ方をどうやってスタッフに伝えるのか、音楽の使い方をどうやって伝えるのか、もっと具体的な言葉で教えてほしかったのですが、これはやっぱり難しいですね。
■だれが歌っても、と言いましたが、昨日、歌を担当したのはひとりのスタッフでした。模擬セッションで、トランポリンに仰臥位になった人ひとりのためだけに歌う『ひかる・かいがら』は今まで聴いたことのない力を秘めていました。私はその歌に、そうですね、文字通り心を奪われたというべきでしょうか…。誰かのために歌うことはすごい力を秘めているものだ。
■昨日聴いて体験した野田式音楽運動療法のセッションは、誰かのために奏でられる音楽とはどんな音楽?ということを考えさせられ、また、教えられました。ピアノも野田先生のサックスも歌もたいへんクオリティの高いものでした。歌を苦手としている私にとっては、療法の空間における歌のひとつのシンボルを聴いた思いがして、研修会後、歌を担当したスタッフに話を聞かせていただきました。「患者さんのためだけに歌う」とのことで、療法の場面では誰もがそう思っているはずなのに…やっぱりセンスだろうね…
■音楽運動療法のクライアント体験で、奏でる音楽の2拍目の重要性をまた思いました。先日、FM放送でキース・ジャレットがチェンバロで弾くバッハの『ゴールドベルク変奏曲』を聴いて、やはり2拍目の重みのことを考えたばかりでした。2拍目はそのフレーズのベースのテンポを決めます。キース・ジャレットの『ゴールドベルク』の冒頭は、2つ目の音がいつ奏されるのかわからないくらいのスローテンポです。2つ目の音を待つまでのほんの何分の一秒かの間は聴く人にたいへんな緊張を強いる。不安になる。この張りつめた空間は危ういほどの美しさで私は好きなのだが。昨日、トランポリンでバウンドした直後、もちろん、バウンドの瞬間は1拍目で、バウンドした直後に続く2拍目がクライエントの動き、予想からずれると不快感どころか跳ぶテンポも身体の調整力も乱れてしまうのだ。もっとも、その曲は私に合わないのを意図的に選んで比較するためのものであったが。
■野田式音楽運動療法の模擬セッションでは、へんな言い方ですが、ほんとの音楽に出会った思いがしています。こうした音楽にはめったに会えません。誰かのために奏されることがはっきりしている音楽、それは音楽が本来内包している機能であり、音楽の力であり、その秘められた力をこの空間に、音の、空気の振動として再現し得る技こそ真の音楽の使い手のみなし得る技なのだ。昨日はただごとではない体験をしました。
■22日から24日まで山形県の天童市に行っていました。ミュージック・ケア第7回全国セミナーです。セミナーそのものは23日から25日でしたが、仕事の都合で私は2日目の途中で帰ってきました。
■およそ300人が一斉に『手をつなぎましょう』や『ぎりぎり』をするものだから圧巻です。すごい! だけど私は宮本啓子先生の技を盗もうとひたすら真似していました。宮本先生は自然なさり気ない動作であの空間を作っていくのだからすごい!としかいいようがない。
■それにしてもミュージック・ケアの研修はいつもハードです。朝10時から夜10時前まで研修が続く。情報量はあまりに多くてメモが追いつかない。実技から目が離せない。ホテルの豪華な夕食をたった25分で食べなければならなかった。夜は夜で同室の他県からの参加者と情報交換をして寝るのは1時過ぎになってしまいました。
■福井大学の松木健一先生の講演もいつになく中身の濃いものでした。「記録をとる論文を書くということと、係わるということについて」というテーマです。音楽療法の事例研究はほとんどの場合「質的研究論文」という形で文書化されます。それはクライエントとセラピストの相互的な営みの記録であり、文言化することでセラピストはセッションを物語る。物語は語られることによって聴き手は自分の中で物語を再構築する。追体験をする。そこに相互的な営みの質的な研究の意味がある。逸話の積み重ねがなされる。…私はハッとしました。逸話、エピソードを語り、積み重ねるスタイルの音楽療法の勉強会を計画していた矢先の松木先生のこの話でした。
■野田燎先生が言われるようにひとりのクライエントだけのセッションをもちたい。でも、現実は厳しいものがあります。どうしても集団のセッションをせざるを得ない。もちろん、集団でしか成し得ないことがある。ミュージック・ケアはその意味でたいへん優れたメソッドです。でも、それだけではいけないと思う。集団セッションと個別セッションとの効果的なコンビネーションが発達につまずきのあるお子さんひとりひとりに必要です。この国はほんとに文明国家なのかと、また、思う。

ヨーロッパピクニック計画

■お盆は夏季休暇を取りましたがいろんな用事があって結局出勤もしたし、あちこち行ったり家の掃除をしたりしていました。昨夜は家で過ごして、10年以上も前のNHKの番組のビデオをじっくり見ました。『ヨーロッパピクニック計画』です。ベルリンの壁の崩壊へと続く文脈を織り成すハンガリー首脳と民間人の歴史的なストーリーです。ハンガリー首脳のヒューマニズムに溢れた感性と行動は感動を超えたものがあります。当時の西ドイツのコール首相が、ハンガリー国内の東ドイツ人を合法的に出国できるようにする決定をしたことをハンガリー首脳から聞かされて取り乱すシーンは何回見ても涙が出ます。また、民間人の活躍もこれからの自治体のあり方を考える上でたいへん参考になります。
■感性と行動といえば、教育もそうです。障害児教育が特別支援教育となって、本人のアクションからサービスが始まることになります。サービスは共に作っていくものであることを関係者みんなが認識していなければなりません。学校や役所から始まるのではない。本人保護者起点の特別支援教育であり、私たち教職員は多様かつ専門性の高いニーズに応えるだけの資質が求められます。
■今月からパソコンはNECのLaVieMを使っています。NECのサイトでカスタマイズして購入しました。富士通のLOOXT90がよかったけどかなりのお値段! サイズが大きめだけどCP抜群のLaVieMにしました。PentiumM搭載のセントリーノ仕様、512MB-RAM、80G-HDD、DVD-R、ATI-RaDeon9000グラフィクスでしばらく安心のスペックです。なんと、FFⅩⅠがプレイできる! デザインは黒とシルバーのコンビネーションで、プラスチックのシルバー部分の塗装はセンスを疑ってしまうけどアルミのカバーやキーボードまわりの光沢仕上げがとてもいい。モニタ下のスピーカ部分のメッシュはほこりが付きやすくて取りにくいけどね。
■CPUのPentiumMは1.3MHzだけど体感的にも速い! 起動やグラフィクスの処理が速いのはもちろんだがブラウジングまで速いのにはびっくりです。1MがやっとのADSLがこんなにも速いものだったとは! そして、12インチのモニタにもかかわらずVAIOと同じくらいの小さな標準バッテリーで駆動時間が4時間を超えるのはすごいとしかいいようがない。全体として2キロを超えるのは持ち運びにやや難があるものの頑丈なボディと安定した動作には安心感があります。コンピュータは安定した動作が第一だとしみじみ思う。そして壊れないこと!
■今回DVD-Rをカスタマイズしたのは押入れを占領しているVHSのビデオテープをDVDにしたかったからです。ポコ・ア・ポコのセッションの記録もDVDにしておきたい。VHSはサイズが大きいしDVは値段が高い。
■VAIOからのデータ移行はCD-Rで難なくできました。メールのデータはBeckyなので簡単に移行できて、アドレスデータもメールもそのままです。Beckyを使い始めたThinkPadの頃から、1999年からのメールをキープできています。メールはそのときそのときの自分の意思の反映なので読み返すことで自分の考えの文脈をたどることができて、仕事などで役立つことがあります。Beckyを使ってよかったとしみじみ思います。
■ブラウザのお気に入りは移していません。またひとつひとつ探してお気に入りに入れていこうと思っています。自分の時間をリセットするみたなもの。
■久しぶりに写真などのサイトも見て回りました。夏休みに入ってEOS D30もバッグから出していません。写真を撮る時間なんてない…

淑徳大学発達臨床研修セミナー

■8~9日と千葉の淑徳大学発達臨床研修セミナーに行ってきました。淑徳大学の宇佐川浩先生と昭和音楽大学の土野研治先生の講義は2000年の国立特殊教育総合研究所の短期研修で受けてたいへん共感するところがありました。今回も納得と感動の内容でした。京都大学の鯨岡峻先生は子どもの発達を心に注目してとらえる話で、会場いっぱいの参加者はまさに息を呑む思いで聴き入ってしまいました。
■土野先生のテーマは「自己像の乏しい自閉的傾向の子どもへの音楽療法~声を用いた身体組織化への取り組み~」で、音楽療法という療法以前のセラピストとクライアントの人間的な真摯な営みを感じました。
■宇佐川先生のテーマは「感覚と運動の高次化からみた発達臨床~臨床類型と臨床方略を中心に~」で、いつものといえばいつものことですが、今回は子ども理解の基盤となる宇佐川先生の考えが明確にされており、特別支援教育へのとるべきスタンスを示してものと受け止めました。「目の前にいる子どもを、伝統的な○○障害児というラベルで捉えるのではなく、発達支援のための、具体的な臨床方略を考える前提上の臨床像の把握として何が必要か、ここで考えてみたい。」障害があるから障害児教育というこれまでの認識ではなく、本人保護者のニーズ起点の特別支援教育のための子ども理解の臨床方略を考えようというのだ。
■鯨岡先生のテーマは「子どもの関係性の発達」で、子どもを生活場面から切り離してその行動にだけ注目して発達を云々するのではなく、環境との関係の中で育まれる心の問題として子どもの全体像を捉えるという理論です。行動というある意味量的な評価だけに終わりやすい捉えではなく、子どもの自己像、心を私たち係わる人との関係も含めて環境との関係の中で捉えて支援を考えようとします。子どもといっしょにいるときみなさんは心が動くはずだ、ハートを大事にして今目の前の子どもが何を感じ、思っているのか、思いをめぐらしてサポートをしていこうということ。会場は水を打ったように静まりかえりました。二十歳を越して話し始めた自閉症の青年たちが話すのだそうです。学校でいかに傷ついたかを…学校の教職員は学校の論理を一方的に子どもたち保護者に押し付けてはいまいか…個別の指導計画や個別の教育支援計画など、システムはできてもソフトはどうだろうか…
■今日10日は東京からの朝帰りのまま遠山文吉先生の音楽療法のセミナーに行ってきました。私はギターとトーンチャイムを用意する担当でした。台風で帰れなかったらどうしようと心配していましたが、高速バスは15分遅れで無事着きました。シャワーをすませて楽器を積み込んで会場に駆けつけました。
■遠山先生はセッションでクラシックギターを使われます。クラシックギターを使うセラピストは初めてです。ガット弦のやわらかな音と親しみやすい曲、遠山先生のすてきなテノール…音楽漬けの1日でした。
■淑徳大学の発達臨床研究センターの療育は週3回、認知学習が2回と音楽療法が1回で1月12,000円です。大学の研究機関なので研究と学生の実習の場というものの、ここに通う子どもたちは幸せです。緑の多い落ち着いたキャンパス、お母さんと手をつないで訪れる子どもの姿を思い描かずにはいられませんでした。このような療育の場がどうして限られた地域にしかないのか。日本はほんとに文明国家なのか…
■今回の淑徳大学への研修はまたまた台風との遭遇でした。3年前、国立特殊教育総合研究所の短期研修が終わった翌日、淑徳大学発達臨床研究センターの音楽療法の見学をお願いしてあったものの台風が来てセッションがなくなってしまいました。今回もまた台風の襲来でした。淑徳大学に行くときは台風が憑き物かもね(>_<)

忘れられないセッション

■8月1日朝、一昨年担任させていただいた男の子が亡くなりました。小学部3年生、9歳でした。朝、目覚めませんでした。最重度のお子さんで私は医療的ケア1年目でした。お母さんからたくさんのことを教えていただきながらほんとにたくさんのことを学びました。呼吸がしんどいときなど、よくふたりだけで教室にいました。そんな静かでおだやかな時間がなつかしく思い出されます。そう、寝顔がとても穏やかできれいでした。なのに目覚めない…棺が閉じられるまで手を合わせることができませんでした。2日通夜、3日告別式で、日曜日のポコちゃんと重なってしまいました。お母さんと話をして予定通り行うことにしました。その方が彼も喜んでくれると…
■8月の日曜日のポコちゃんは14家族のみなさんに来ていただきました。とてもいい空間をいっしょに作り上げることができたものと感謝しています。最後に大きなシャボン玉をみんなでじっと見つめることができました。いつになく充実した密度の高いひとときでした。忘れられないセッションとなりました。
■子どもたちもいつになく集中してくれて…いちばん癒されたのは私自身かも知れないと思いました。たくさんのみなさんにたくさんの感謝をしています。音楽療法のセッションの文脈はセラピストだけが作るのではありません。その場のみんなで作り上げるものです。お互いのリアクションが新しいシチュエーションを作っていきます。その積み重ねが子どもたちの発達を力強く支えるものと信じています。
■夜、新聞の番組欄を見るとケビン・コスナーの『13デイズ』がありました。ケビン・コスナーは大統領補佐官役です。ケビン・コスナーの映画はどれも意思決定がキーワードになっているように思います。彼の映画をみる度に意思決定のシミュレーションをしているかのような感覚になります。そして、核心を見通すセンスと、判断し実行するパッション、そして、フェアということの大切さを実感します。決断のとき、自分を信じることができるかどうかです。そのためには日々一刻一刻自分を磨かねばなりません。たくさんの迷いが人を強くする。何か大事なのか、いつも考えていなければならない。その積み重ねが大きな決断を成し遂げる。でも、大きな決断の是非はすぐには出ません。今日のポコちゃんもそうです。