月別アーカイブ: 2001年4月

JAZZ-BAR cook’n(クッキン)で考えたこと

■4月27日金曜日に津のライブハウス“cook’n”(クッキン)に行きました。剣山啓介カルテットのライブです。
■剣山啓介カルテットのメンバーはそうして演奏することが生業ではなく、本職は他にあると聞きました。演奏はプロはだしで、私は魅了されました。彼らは、昼間は私のように働いて、夜になるとライブハウスでセッションをするわけです。家庭(「家」ではありません)と職場の往復だけになりがちな毎日が続くと、そんな、非日常ともいえる世界をもっている人が輝いて見えます。
■昨年、横須賀に単身赴任しているとき、東京の新宿駅で出会ったブルース・ハープを奏でるスーツ姿の青年の姿をまた思い出しました。その頃書いたメールからのコピーです。
…いつだったか、会社や学校帰りの人でいっぱいの新宿駅の構内を歩いているとブルース・ハープがきこえてきました。ハーモニカで吹くブルースです。路上パフォーマンスです。僕は音のする方に行ってみました。すると、ネクタイにダークスーツのサラリーマンと思しき長身の青年がビジネスバッグを後ろに置いてブルースを奏でているのです。彼にとってそのひとときが彼のアイデンティティーなのかも知れません。痛快だと思いました。昼間はオフィスで黙々と仕事をしてアフターファイブの新宿駅で路上パフォーマーに豹変するのです。なんだかすてきでしたね。…
■世界は広いぞ!

シーズン始動!

■2月から4月はじめまでの2か月間は私にとって完全にシーズンオフ。トライアスロンはもちろんオフなのだが、マラソンも、おまけに仕事もシーズンオフのような効率の低さです。原因は花粉症! 花粉症による通院、投薬の経済波及効果も大きいだろうが、マイナス効果はそれを上回るのではないかと思います。
■昨年は単身赴任もあってトライアスロンには1つも出ませんでしたが、今年からレース復帰と、さっそく、6月3日の2001大阪舞州スポーツアイランドトライアスロン大会に参加申し込み手続きをしました。51.5キロのオリンピックディスタンスです。このレースは以前に1回出たことがあります。そのときはO157菌が淀川で発見されたので大阪湾を泳ぐスイムはなくなってしまいました。先月オープンしたUSJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)に近く、都会的で一味ちがうロケーションが気に入っています。
■昨日は久しぶりに泳ぎました。ターンをするたびにフォームがくずれてどうしようもないくらい体が泳ぎを忘れています。とにかく筋力が落ちている。ヒップがずいぶん小さくなって脚も細くなってなんともなさけない。バイクも新調したのでそれに負けないプロポーションでレースに出られるようにしたいと思う。

指を切った

■この前の日曜日、タマネギを切っていて左中指の爪の横を包丁で切った。包丁で指を切るのは初めてだった。深い傷から濃いが血ゆっくり出た。一瞬、デジカメで写真を撮ろうかと思った。小さい頃はよくけがをした。けがをしない日はないくらいけがをした。ところが、いつしか、けがをしなくなっていた。だんだん自分の血を見なくなった。大人になって筋力がついてきたら、たまにするけがは大きく深くなっていた。血がたくさん出るようになった。痛みは、不思議に小さくなっていた。日曜日の切り傷もそうだった。意外に冷静に血を見ていた。

『ハンニバル』先行上映をみた!

■昨夜、3月31日にワーナーマイカルシネマズ桑名のレイトショーで『ハンニバル』の先行上映をみました。猟奇殺人、カルバニズムという異常の映像は相当なものでした。
■この映画はキリスト教圏の長い歴史と新しい技術とのコラボレーションかも知れない。舞台の半分がフィレンツェで、半分の舞台のアメリカもヨーロッパへの憧憬が滲み出ている画面でした。
■音楽は、バッハの『ゴールトベルク変奏曲』の主題が冒頭に流れ、ウインナワルツなどクラシックが使われていました。『ゴールトベルク』のピアノの音はアコースティックだと思いましたが、エフェクトがかかって不思議な音の場面もありました。
■CGは特殊効果という使い方ではなく、CGアートというべきコンテンポラリーを感じさせる映像でした。同時に、カメラワークによる画面構成はきれいでした。ここでもアナログとデジタルというコラボレーションを感じます。
■それにしてもフィレンツェは魅力的だった。イタリア、伊太利亜、いたりあ!

交流学習を始めるにあたって

この文書は私個人の意見です。
交流学習を始めるにあたって、ほんのちょっとわかってほしいな、と思うことをまとめてみました。
ご意見はメールにてお寄せください。
■交流は同じ眼の高さのおつきあいから
交流学習はボランティアや福祉の練習の場ではありません。お互いが対等に時間と場所、活動を共有し、人と人とのあたたかいふれあいを通して将来にわたる好ましい人間関係を育ててゆくものです。その中からボランティアや福祉の芽が育ってくるのはごく自然なことですが、はじめに同じ眼の高さのおつきあいの交流があるからこそ真のボランティア精神も育つのではないでしょうか。私たち教職員は今一度交流の原点に立ち戻って、交流をとらえ直したいと考えています。
■見つめあって、ふれあって、いっしょに笑って泣こう
おもしろいね、楽しいね、うれしいね、悲しいね・・・そんなとき、いっしょに笑ったり、泣いたりできる人が身近にいてくれることの安心感とやすらぎは誰しも同じはずです。重い障害がある人はまわりの人の助けがないと暮らしていけません。でも、「してあげる」「してもらう」という意識があると、いっしょに笑ったり泣いたりすることはできません。お互いが気まずい思いをして疲れるだけです。ゆったりとした時間の中で見つめあい、ふれあうことで心の底からともに笑ったり泣いたりできるのです。私たち養護学校の職員は子どもたちからたくさんの豊かなものを分けてもらっています。
■交流は双方が知恵と力を合わせて作り上げるもの
交流学習は双方の児童生徒にとって意義あるものとして行われています。でも、両校のちがいは求めるもののちがいにもつながっています。双方の求めるものをはっきりさせてつき合わせ、お互いを理解してさらに意義深い交流を実現してゆくためには交流学習にかかわる教職員の話し合いと協力が必要です。計画と運営はフィフティ・フィフティでいきましょう。養護学校のことがわからなかったらたずねてください。そして、養護学校にきていただいて短時間でもいいですから子どもたちといっしょに過ごしてください。
■交流の内容はゆったりと
大切な子どもたちをおあずかりする私たちは、ただでさえ少ない交流の時間を無駄にしてはならないと思って、次から次へと歌やゲームなどを続けてしまったりします。その場は盛り上がります。でも、両校の子どもたちがお互いを見つめあってふれあって、そして考えたり思いやったりするゆとりがそこに生まれるでしょうか。歌やゲームは集う楽しさを感じる交流には欠かせない内容ですが、交流中の移動とか待ち時間も同じように大切なものではないでしょうか。計画をたてて事前指導を行うときから私たち自身が豊かな気持ちを心がけて子どもたちと接したいものです。
■児童生徒への指導はそれぞれで
度会養護学校の子どもたちは年々障害が重度化しています。街で車椅子に乗った人を見かけることが多くなったとはいえ、初めて養護学校と交流をした子どもたちは強い印象をもちます。「病気?」「治るの?」「どうしてみんなと同じ学校に行かないの?」…障害がある子どもたちと家族が歩んできた日々の思いは障害のない人には想像できないくらい深く重いものがあります。一言で伝えられるものではありません。交流でともに過ごしたこと、感じたこと、思ったこと、考えたことは、交流が終わってから自分の力であたためなくてはならないものです。そうして時間をかけて深く考えながら子どもたち一人一人が答を見つけてゆきます。その過程で身近にいるのはそれぞれの学校の先生であり、子どもたちの家族です。いっしょに考えてあげてください。交流を行う学校の子どもたちへの指導をそれぞれの学校で責任をもって行う理由はそこにあります。
■交流学習をいっしょに育てていきましょう
ここまでお読みいただくと、交流学習の基本的な考え方は通常の小学校、中学校、高等学校での人権教育と同じだとお気づきだと思います。そう、それがノーマライゼーションの基本原理ではないのでしょうか。さあ、いっしょに交流学習を育てていきましょう。