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「ハイラム氏の大冒険」

「コヨーテ」No.66 2019冬号で映画「LIFE」のストーリーを読んでポール・ギャリコの「ハイラム氏の大冒険」(高松二郎訳 ハヤカワ文庫 1976)を思い出しました。ハヤカワ文庫の同書のカバーのには次のようにあります。

「ハイラム・ホリデイはニューヨークの新聞社のベテラン原稿整理係だった。15年間、冒険を夢みてコツコツとお金を貯めていた彼に、おもわぬ幸運が舞い込んだのだ。彼の打ったコンマが新聞社の威信を救ったとして、彼は一千ドルのボーナスと一ヵ月の有給休暇をあたえられた。欧州航路の船内、その一見風来のあがらないハイラム氏が射撃、フェンシングなど何をやっても一番になるので、船客たちの注目を集めるのだった。さて、ロンドンに着いたハイラム氏がくりひろげる痛快無比な大冒険とは? 奇想天外な<大人の童話>の傑作!」

今回この本をよく見ると細く薄い鉛筆の字で「1981.1.22 京都」とあって、大学卒業の2ヵ月前に買い求めていたことがわかりました。私は就職が決まらないまま大学を卒業をしようとしていました。次のページをめくるのがもったいなくらい、ハイラム氏の「大冒険」はほんとに愉快でした。彼のように「一千ドルのコンマ」が打てるようなセンスをもちたいと思いました。そして、今回、やはり鉛筆で書かれた傍線を見つけました。

「しかしともかくこの二人は、これから先お互いに、もう二度とけっして会わない人たちのような、しとやかな気安さで自由に話し合った。」

私がこの3行になぜ鉛筆の傍線を付けたのか、それは思い出せませんが、このフレーズが描き出すのは、「風来のあがらない」ハイラム氏と若い女性が名乗らないままコーヒーやリキュールを飲みながら話し合う、その空間の非日常感と少し華やかなわくわくする空気感です。表記もとてもいい。漢字と平仮名、そして句読点のコンビネーションも語りの息遣いが感じられるようです。当時の私は新聞社で仕事をするハイラム氏と自分とを重ねていたにちがいない。自分にもこうしたひとときがいつか訪れると淡い希望を感じていたように思います。以来、この本はずっと身近に置いてきました。訳者の高松二郎は明治35年生まれで、この文庫本が出版されたときは78歳ということになります。翻訳の時期はわかりませんが、この本の瑞々しいやわらかな語り口調はハイラム氏の時間のしなやかな豊かさを描き出し、伝えているように思うのです。ちなみにこの本が出版された1939年当時、ポール・ギャリコは42歳でした。

映画「アイガー・サンクション」

1975年の映画です。初めて観たのは大学生のときで、入れ替えなしのオールナイト上映で何度も観た記憶があります。今夜、たぶん40年ぶりに観ました。当時、登山の本をたくさん読みました。山岳文学というより山で死んだ登山家の登攀を描いた本です。読めば読むほど自分には縁遠いものと思っていたのですが惹かれるものがあって、登山の雑誌や文部省の登山の「教科書」なども読んでなまかじりの知識だけはありました。当時は大学の山岳部が競うように山に入り、遭難も少なくありませんでした。合唱組曲「山に祈る」(作詞作曲:清水 脩)を知ったのもその頃でした。「昭和34年秋、長野県警察本部では、山での遭難の頻発に業をにやして、 遭難者の遺族たちの手記を集めた「山に祈る」という小冊子を発行して遭難防止を訴えました。ダーク・ダックスは、その巻頭に載った、上智大学山岳部の飯塚陽一君の遭難を、同君の残した日誌と、 同君の母親の手記によって一遍の合唱組曲につくる企画を立て、作詞作曲を清水脩氏に依頼しました。」(引用元)という経緯があるとのことです。この中で歌われる「なぜ山へ登るのか」という問いはいつしか影を潜め、今日の百名山ブームの中ではむしろ「なぜ山に登らないのか」と問いかけられているかのようです。アイガー北壁登攀のためのエギーユ・デュ・ミディでの訓練の映像は厳しくも美しい。「なぜ登るのか」というピュアな問いを思い浮かばせる。

この映画をあらためて観て気づいたことのひとつが装備の進歩でした。衣類はウールからゴアテックスに代表される化学繊維主体の高機能素材となりました。靴も革と合成樹脂や合成繊維のハイブリッドです。下着も化学繊維で汗をかいても肌はさらさらで冷える汗に悩まされることはない。装備の進歩が安全な登山に大きく寄与しています。今日訪れた登山用品の国内メーカー直営店は客足が絶えることがなくレジもしばしば列ができるほどでした。

約30年後の2011年夏、書店に平積みしてあった加藤則芳の「メインの森をめざして-アパラチアン・トレイル3500キロを歩く」(平凡社 2011)と出会っていつかロングトレイルと思って今日に至っています。少しずつ集めた装備も一定揃ってきました。今日は軽アイゼンなどを調達して年末の登山の準備をしています。スタンスはロングトレイルですが装備は万全を期したいということです。

三重自立活動研究会にて

三重自立活動研究会の研修会でした。講師は地元大学の理学療法士で、講師の一言一言にうなずく参加者の姿がとても頼もしく思いました。どうして彼ら彼女らはそうしてうなずくのか。講師の言葉に思い当たることがあるからだと思います。学校や病院、事業所などで子どもたちと過ごす日々の中で人の心は動く。感動や驚き、時には落胆してため息をもらすこともある。子どもたちとの様々な応答の連続が関係性を高め、さらに濃密な時間を迎える。そうした経験は、しかし、個人のもので留まっていることが少なくない。誰かに伝え、説明する必要があることが多々ある。言語化という作業だ。このとき欠かせないのは言葉である。自分自身が納得する言葉を用いない限り他の人に真意を伝えることはできない。そのためには「言葉を知り、自分の言葉をもち、言語化する」というステップは欠かせない。今日の講演は参加者たちの日々の営みを言語化する言葉を授けたと考える。自分たちの日々の営みの意味や価値が言葉としてわかったとも言えるだろう。講師の一言一言にうなずく姿は彼ら彼女らの日々の実践の質の高さを物語っている。三重自立活動研究会は発足4年目、8回の研修会を開催してきました。名前こそ自立活動ですが、今後も多機関他職種の有志たちがが「交流」と「共有」を重ねて誰もが「向上」していける場を提供していくことに微力ながらかかわっていきたいと思っています。