月別アーカイブ: 2011年10月

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今日の1枚です。ゆっくりセッティングをする間もなく限られた時間で急いで撮ったので真上から水平に撮れなくて机などが歪んでいます。それは仕方のないこと。今日はこれが撮れただけでもよしとします。機材はOLYMPUS E-P1+14-42mmでISOはオート設定で1600、ノイズノイズです。

MacBook Pro HDD 換装

思い立ったが吉日という諺は、思い立ったことはすぐにしないとやろうという気持ちがうすれてしまって先送りになるという意味かもしれないと思うことがあります。パソコンの改造はまさしくそれです。今日は朝からMacBook ProのHDDのクローンを作って夜にはHDDの換装まで一気にすませました。新HDDはWestern Digital WD5700BPVTです。このHDDはMacとの相性もお墨付きで静粛性もいいとか。容量は250GBから750GBへと3倍になりました。空き領域は500GB余となって、これまでのやりくりは何だったのかと思いました。クローン作成はCarbon Copy Clonerというソフトを使いました。250GBで15時間かかったという情報もあってその半分近くはかかるかと思っていましたが、5時間余の外出の間に終わっていました。魔法のようなソフトです。
ところで、このMacBook Proはキーボードを外さないとHDDにアプローチできないいわくつきのモデルです。キーボードは一部を文字通りこじ開けて外すわけです。ネジを取ってキーボードを外しにかかったところ、やっぱりなかなか外れない。ところが、いちばん外しにくいはずの光学ドライプのところが外れてもキーボードが本体と離れない部分があるではないか。よく見ると、なんと、バッテリー手前のネジ2個を外すのを忘れてキーボードをこじ開けようとしてしまい、パーツがゆがんでしまっていました。ここはアルミ板のことゆえ、曲がった反対方向に慎重に曲げてなんとか戻しました。光学ドライブのところのツメは、しかし、はめるのも難しい。いろいろ試して、また、電灯で照らしてよく見ると、樹脂部分から数ミリ内側のところを押すとパチッとはまることがわかりました。このことは私が参考にしたいくつかのサイトには情報がありませんでした。作業が終わってみると、本体手前のラインはわずかに上下に波打っているのですが、程度こそ確かではないものの以前から少しずつ波打ちはありました。長年の使用でパームレストの部分が凹んできていました。現行のMacBookはアルミの塊からの削り出しなので高い剛性がありますが、旧モデルは薄いアルミ板を多数のネジで留めて相乗的に強度を上げる仕組みなのでゆがみが出やすいと考えられます。車のボディパネルがゆがんでくるのもこれです。でも、旧モデルのMacBook Proはキーボードまでシルバーの最終モデル(Mid 2007)で愛着があります。早くLionまでアップデートしてあげたいと思う。

10月の日曜日のポコ・ア・ポコ

10月の日曜日のポコ・ア・ポコは8家族のみなさまのご参加をいただきました。1か月に1回のポコ・ア・ポコですが、回を重ねることでプログラムの見通しや自分なりの過ごし方を見つけていくのが子どもの力のすごいところです。今日は絵に描いたように整然とセッションが進みましたが、これも参加のみんなで作り上げていくものなのです。ポコ・ア・ポコにゆったりと付き合っていただく保護者のみなさまに感謝しています。
今日届いたDVDは「グース」です。色がすごくきれい。フィルムはコダック、それとも富士フィルム? フィルム回帰を始めたこのタイミングにコダックが破産申告かとのニュースがあって驚いています。

「千の風になって」の文脈

今日は緩和ケア病棟で亡くなった人の家族の会でした。そこでみんなで歌われた歌は2曲、「千の風になって」と「やさしさに包まれて」でした。死後の世界は誰も知りませんが、大切な人を亡くした人たちにとっての考え方というのか思いとして、私は四季折々の風に大切な人を身近に感じるように思っています。「千の風になって」の歌詞は言葉や国、時代によって異なる部分があるとのこと。(こちら)少なくとも大切な人の死について書かれているのでその違いはあって当たり前のことのように思います。最後にスタッフからこの選曲の文脈を聞いて私も共感するところでした。
ところで、緩和ケアを行っている病院は少なくないと思いますが、緩和ケア病棟となると県内には4か所で100床足らずしかありません。子どものホスピスは開設に向けて準備が始まったところです。本人はもちろんのこと、家族にとっても最期の大切な時間をともに過ごす所となります。男性の2人に1人が、女性の3人に1人ががんになるとのこと。もちろん、がんだけではなく、最期の時間をともにどう過ごすかという視点はもっと大事にされるべきと思います。
昨夜はiPhoneとiPadのiOS5へのアップデートをしました。iPhoneはちょうど復元の真っ最中にMacBookがシャットダウンしてしまってiPhoneそのものが起動しなくなるという最悪の事態になって慌てました。最終的に手動で「復元」をして戻りましたが音楽などのデータが膨大で要した時間は4時間余り。32GのHDDは空きが8.3Gとなって少々心もとなく、64Gの4Sの影がちらつきます。ところで、MacBookのシャットダウンの原因はACアダプターとコンセントの間をつないでいた30cmほどの延長コードでした。これは不覚!
肝心のiOS5は同じ3GSなのにiOS4の時と比べて画面の印象が一皮むけたようなクリア感と立体感があって驚きました。日本語入力も変換候補の文字が大きくなってねらった部分をしっかりタップできるようになったばかりでなく、QWERTキーそのもののミスタッチも少なくなったように思います。ソフトのアップデートで2年も前のハードが最新モデルの使い勝手になるのは驚くばかり。また、良心的だと思う。
iPadのiOSのアップデートは母艦のMacBookの電源を確保したおかげで順調に進みましたがそれでも2時間近くかかって完了となりました。こちらの使い勝手はSafariがタブ式になったことくらいで大きな変化はなさそうです。
アップデートの途中でMac OSのバージョンを最新のLionにしなければ使えない機能があることがわかって、このMacBookの処遇もいよいよ考えなくてはならなくなってきました。HDDを大容量のものに換装後、Mac OSをLeopardからSnow Leopardに、そしてLionへと順にインストールした後でWindows XPをBoot Campでインストールするという作業になります。半日では終わらないだろうな、と思う。HDDのクローン作成にも3〜4時間はかかろうというもの。一体いつになったらできるものやら・・・

Apple

“信者”でない私にもスティーブ・ジョブズが亡くなったことはビッグニュースです。かつてMacは仕事で時々触る程度でしたが自宅でMacを使い始めてからかれこれ8年近くになります。今はG4のMacBook Pro12インチに続いてインテルプロセッサの15インチを使っています。Appleの製品は他にもiPodやiPhone、iPadと、いつの間にか一通りのアイテムが揃うまでになっています。仕事で1日Windowsを使って帰ってMacの画面を見るとほっとするものがあります。革新といえば革新ですが、触れた途端に「これだ」と直感せしめるデザインや使い勝手の妙故でしょうか。彼の死に際して寄せられたメッセージの中で私がいちばん共感したのはディズニーのロバート・アイガーCEOの「あれだけのことを成し遂げたが、彼がまだ何かを始めたばかりのような気がしてならない」という声明です。Appleの製品には何かしら先に続くものがいつも感じられるように思います。そして、とても強いアフォーダンスがある。学ぶべきことは多々ある。
ところで、auがキャリアに加わって何かと話題になっているiPhone4Sは今回も見送りです。モニタやバッテリーなどの改良点はちょっと見過ごせないほどと思っていますが、基本的に3GSで十分だからです。2年使って何ら不具合はなく、外装の傷みも最小限というのはすごい。まるでおもちゃでどこか華奢な印象は今も変わりませんが実は丈夫であと2年くらいは使えるのではないだろうか。

トラベラーズノート in 京都

昨日は“トラベラーズノート in 京都”へ。早く着いたので京都駅のオープンカフェに寄って温かいコーヒーとアップルパイで遅くなった朝食としました。いきなりの秋の到来にジャケットがちょうどよくて、クールビズにもかかわらず大汗をかいていた金曜日はいったい何だったのかというくらいでした。
恵文社のギャラリーでは早くからたくさんの人がカスタムシールを自分のノートに貼っていたり、スタッフと情報交換をしたりしていました。「いい光沢ですね」「フランクリン・コヴィーを使っていたときのモウレヴィークリームを塗っていますがもう1年以上塗ってません」「これはラパナーです」という具合です。ほどなく中目黒にオープンする“ファクトリー”限定のスタンプなどの品定めをしてたら中央のテーブルから驚きの声が上がりました。パンパンに膨らんだパスポートサイズで、厚さは4cmはあろうというもの。しかも2冊。ツィッターではまるでメガバーガーと評されて言い得て妙だと感心。レギュラーサイズに3冊で重いと言っていてはまだまだ初心者だと思いました。
たかが手帳、されど手帳です。モレスキン使いもかなりの猛者がいますが、トラベラーズノートはカスタムに熱を上げるアプローチの方法もあって、発売5年にしてその周辺には熱心なファンを集めています。私もすでに3冊持ちで、5周年記念のキャメルは名入れをしてもらって温存しています。帰りのバスでカスタム用のシールを入れ直していると後ろの席から「行って来はったんですね」とうれしそうに声をかけられました。夫婦でトラベラーズノート使いのようすでした。
恵文社一乗寺店は京都左京区の町中にあって、本や雑貨のセレクトショップといえばいいのだろうか。音楽CDも置いています。店内はちょっと前の本屋さんの佇まいで、店の基調色はダークブラウンです。天井はたしか黒塗りの鉄骨で、ギャラリーの床は傷んだ板張りです。客層はその店内の雰囲気そのままのような人が多くて、自分がここで何を求めようとしているのかがはっきりわかっているような落ち着きを感じました。京都だからそこにあると思えてきました。
昼過ぎには帰路につくという慌ただしい京都行でしたが絡んだ思考回路を解きほぐすにはほどよいトラップでした。電車だったのでマンウォッチングもたくさんできて思うところも多々ありました。この年になって初めてわかることの何と多いことかと思います。
帰りに昨年京都駅前にオープンした大型カメラ店に寄ったら女の人が熱心に店員に質問していたり、ストラップ売り場ではいかにも女性をターゲットにしたデザインのものが多くを占めていたりと、地方にいてはなかなかわかりませんが女の人のカメラ熱も相当なものと目の当たりにしました。そういえば恵文社のギャラリーにも首にかけた一眼レフでトラベラーズノートの展示を写真に撮っていた女の人がいました。
夜は録画したNHK「世界ふれあい街歩き〜パリ オペラ座界わい」を観て、おしゃれとか身だしなみとか、語るべき自分をもつことの大切さについて考える。「音楽とは語るべき自分をつくり、持たせ、守らせるもの」という大阪の“街のピアノの先生”の北村智恵の言葉を思い出しました。日本は誇れるものがたくさんありますが、何か欠けているものがあるように思えてしまうのは私だけではないでしょう。これも昨日録画したNHK「らいじんぐ産」でのホストの佐藤可士和の言葉がひとつの示唆をくれています。「僕の仕事はいろんな企業を通して日本の物作りを世界にプレゼンテーション、コミュニケーションする機会が多いのですが、日本人は自分たちの強みに気づいてないことがたくさんあって、横串でみることがなかなかで(きなくて)、それは西洋の人がうまいと思っていて、わりとコンテンツがあるのにコンテクストがつくれなくて、そういう文脈がつくれると今まであるコンテンツがいきなり輝きだす、光輝くとすごく思う。」 この言葉に私はなるほどと思ってしまいました。“外の目”を持つことは大切だ。自分で持てなかったらそういう場に自分をさらすこと。飛躍するようだが教育の役割もそこにあるのだと思う。