ポコ・ア・ポコとケアリングの教育

今年最後の12月の日曜日のポコ・ア・ポコは10家族のみなさんに来ていただきました。ポコ・ア・ポコが初めてのお子さんもみえましたが、地元の療育センターでミュージック・ケアの文脈を大切にした毎日の活動を経験していて伸び伸びと参加していただきました。私からのメッセージをきちんと受け止めてくれる子どもたちのなんと素敵な感性かと心を打たれました。初めてポコ・ア・ポコに来てくださる保護者の方の決心は相当なものと思います。私も1回1回を大切にして1か月に1回のポコ・ア・ポコが至高のひとときであるようにベストを尽くしていきます。
昨日と今日の午前中は法事で実家に行っていました。今日は朝から墓のお参りを済ませて法事の後片付けを終えたとき、ちょうどNHK-ETVの「新日曜美術館」が始まりました。「日々、いのち新たに〜日本画家堀文子 89歳の鮮烈〜」でした。どの日本画のグループにも所属せず、ひとりでアトリエで創作をしているとのこと。彼女の絵の印象を言葉にしたいと思いましたが、これは私には経験のないことで難しくて断念です。ただ、彼女の毎日の発見と驚きは画家ならずとも生きていくことに潤いを与えてくれる大切な営みだと思いました。夫を亡くして40歳を過ぎてから海外を放浪、70歳を超えてからのイタリア移住と、歩みを止めず、瑞々しい作品を生み出していく姿に私の目は釘付けになりました。インタビュアーの壇ふみとのやりとりも機微に富んで密度の高い番組となっています。80歳の母は毎週この番組を楽しみにしているとのこと。私もこれから観ることになるのかも知れません。
昨夜、思うところがあって大瀬敏昭『輝け!いのちの授業』(小学館 2004)の冒頭を読み返しました。第一部第一章は「ケアリングの教育と『いのちの授業』」で、その第二章にはこうあります。長くなりますが引用します。
「子どもたちが学校が大好きで、朝起きると早く行きたくてしかたがないような、発表を間違えても誰も笑わない、みんなが聞いてくれる、わからないときには『わからない』と言える、そんな雰囲気の学校をつくりたいのである。つまり、『人生最高の6年間』を過ごさせてあげたいと願うのである。したがって、指導内容や方法など、いわゆる目に見えるカリキュラムより、目に見えない、さりげない優しさや信頼関係など、いわゆる目に見えないカリキュラム(ヒドュンカリキュラム)のほうが、どちらかというと大事であると考える。そのための取り組みの一つとして『明るく元気を標榜しない』ということがある。浜之郷小学校では、「明るく元気」な子どもを求めない。子どもたちは本来、元気でたくましく未来に向かって伸びていくものである。しかし、現実の子どもたちの中に、「明るく元気に」に耐えられる子どもたちが何人いるのだろうか。ほとんどの子どもたちが何らかの『傷』を抱えて学校に来ている。そういう状況の中で、あまりに『明るく元気』を求めすぎると、その陰の部分が生じてしまい、そこに入ってしまう子どもたちをつくってしまうことになりかねない。それよりも、『しっとり』とした環境の中で『さりげない優しさ』をもった子どもたちを育てたいと願っている。そのための重要な役割を果たすのが、本校が開校以来取り組んでいる『朝の読書』である。朝の15分間の読書から浜之郷小学校の一日は始まる。浜之郷小学校では、『朝の読書』を『ひとりの時間』として位置づけている。子どもたちがひとりになって、自分を見つめる時間である。浜之郷小学校では管理棟と校舎棟が分かれた建築になっているので、子どもたちの声もほとんど聞こえない。ただ、雨が降り続いたときや、運動会などの学校行事が近づくと子どもたちのテンションが上がり、いわゆる『キンキン声』が気になる。子どものテンションが高くなると、けがなどの事故も多くなる。そういうことが予想されると、私は教職員に集まってもらい、とにかく朝の読書の充実をお願いするようにしている。このことでほとんどが収まっている。信じられないことであるが、ぜひ一度試してもらいたいものである。子どもたちのテンションが高くなるときには、教師のテンションも高くなっている。したがって、教師のテンションをいかに上げないかも重要なことである。このような学校づくりに位置づけられて、『いのちの授業』が行われている。」
冒頭からこうしたどこまでも引用したくなる言葉が続きます。「ケアリングの教育」という言葉も心強い。これからの教育を語る新しい言葉ですが、教育だけの言葉ではないと思います。子どもたちの育ちを支えるすべての事象が備えるべき理念です。
金曜日夜のドリカムのDWLツアーの特集番組を観て歌も演奏も演出も圧倒的なレベルで身体中が覚醒した感覚があります。ひとつの音を聴いて“すべて”がわかるときがあります。わずか一音で“すべて”を知ることがあります。すばらしい音楽はどの音、どの一瞬もすばらしいのだ。一音一音を磨かずして曲はいのちを宿すことはない。ものごとは考えただけ伝わるものだ。

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