京都札ノ辻下宿の「圭子の夢は夜ひらく」

朝からずっと掃除をしていました。この年末の大掃除は押し入れのビデオテープの整理がいちばんの山でした。余裕を見て段ボール箱を8個買って来たのですが、7個がいっぱいになって8個目も底が埋まるほどありました。1箱に79本なので計600本余! 押し入れはずいぶんすっきりしました。床の水拭きもして手はがさがさです。
かつて、私が学生の頃、どおくまんが描いた『京都札ノ辻下宿』というマンガがありました。あのマンガの舞台と登場する人と犬は実在のモデルがいて、友人が住まう「京都札ノ辻下宿」を時々訪れた私は築100年と思しき空間の隅々に興味津々でした。ある日、その一室で、哲学科の先輩が藤圭子の「圭子の夢は夜ひらく」を聴かせてくれました。この歌はただでさえ薄暗い札ノ辻下宿をどっと重苦しい空間にしてしまいました。私の音楽の好みから180度の対極にある歌ですが、「恐いもの見たさ」の気になる歌でもあります。その意味で音楽療法について話をするときに引き合いに出したいのですが、CDのレンタルもなくてなかなか入手できませんでした。ところが、昨日、実家の母と伊勢のイオンに出かけたときに手頃な値段で見つけました。これを聴くと落ち込むという母、どうしてこんなものを買うのかというネガティブなサインに、いやいや、音楽療法について話をするときに必要だからとレジに向かいました。私にキース・ジャレットの「ケルン・コンサート」を教えてくれた先輩が同じSANSUIのステレオでどうしてこの歌を聴かせてくれたのか、その理由は今もわかりません。その歌を四半世紀ぶりに聴きました。呆気ないほど暗くはありませんでした。それは藤圭子というキャラクターよりも音楽作りの当時の技術からくるものでしょう。今ならもっと“暗い”音楽にすることができます。わざわざ買うまでもなかったかも知れませんが、私が出会って来た音楽は身近に置いておきたいのでライブラリーのひとつとしてiTunesに入れておきました。
年末年始休暇の6日間はスケジュールが詰まっていてまとまって自分の時間がとれないのですが、Kiss Digital-Xはいつも持ち歩いていつでも写真が撮れるようにしています。昼過ぎに雪まじりの雨が降って銀世界を期待してしまいます。

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