ケアリング・クラウンの文脈

■もう10月です。月日が過ぎることのなんという早さ! 今週来週と出張続きで、来週は1日しか勤務校にいません。かといって行かないと決済が遅れるので夜に出勤です。「こんな週もあるさ」とクールにいきたい…というものの、車に乗ると音楽をガンガン鳴らして頭はすでに仕事モードだ。昨日の朝はいつになく早く仕事モードに入ってしまって考え事ばかりで、ETCカードをセットするのを忘れてそのままゲートへ! 見事にバーをはねてしまいました。ハザードを出して車を止めるとJHの職員が来てチケットをくれました。ぺこりと謝って車をスタートさせると落ち込むゆとり?もなく通勤モードに戻る自分が不思議ですらありました。
■夜は名古屋に行ってケアリング・クラウン研究会の学習会に出ました。中部地区第2回の学習会はパッチ・アダムスの「クラウン・イン・カブール」の鑑賞とグループディスカッションでの「感想」と「ケアリングクラウンの可能性、今私たちができること」でした。スクリーンの映像は戦争の悲惨さをストレートに伝えるものでした。そこにクラウンがどう在るのか。その空間でどう在るのか。私はクラウンたちの寄り添う姿勢に感銘を受けました。ケアリング・クラウンと教育は本来同じ文脈を持つものではないのだろうか。
■会場は名古屋国際センターの研修室でした。灯りを消した部屋の窓からブラインド越しに夜景が見えました。スクリーンとは対照的な光景でしたが、そのミスマッチが却って映画の内容の重さを知らしめているように思い、映画が終わって1枚撮りました。中央右のビルはタワーズです。(FUJIFILM FinePix4800Z ManualMode DayLight -1.5EV)
■今日は地元のムーブメントのセッションのアシストに行きました。私のお気に入りは「歩く・走る」です。子どもたちと円を描くように歩くととても気持ちがいい。見かけ上はただ歩くだけだけど身体の隅々まで一気に目覚めるような感覚になります。そうして歩くおとなの姿はその空間の意味を子どもたちに伝える。ヒューマン環境の影響はとても大きい。

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