アメリカ文学

■水曜木曜と勤務先の養護学校の勉強会で音楽療法と自閉症の支援について話をする機会がありました。終わってほっと一息、古本屋に寄ってしばし本と過ごしました。『私は「うつ依存症」の女~プロザック・コンプレックス~』(エリザベス・ワーツェル 湯沢千陽訳 講談社 2001)と『アルジャーノン、チャーリィ、そして私』(ダニエル・キイス 小尾芙佐訳 早川書房 2000)を買いました。英語圏の翻訳文学によく感じる文体のテンポが心地いいダニエル・キイスです。その文体へと続く文脈の深さと長さを思わずにはいられません。こんなハードカヴァーをショルダーにほりこんでマフラーを巻いて街を歩きたいと思うのです。
■私は英語圏の文学が好きです。1989年、平成元年3月発行の『小説新潮臨時増刊 アメリカ青春小説特集』(新潮社)は3回の引っ越しとたぶん30回の大掃除にも生き延びて、今夜も本棚から出してパラパラとページをめくりました。この本にはアメリカの作家たちの仕事場の映像もたくさんあってその空間に惹かれます。広くて明るくて窓から見える木立も摩天楼も私の目を惹きつける。
■今日は映画「小説家を見つけたら」をレンタルしました。ショーン・コネリーもいいけどブロンクスで生きる人たちの“個”の存在感がたまらない。そして、言葉の存在感がすごい。“腹芸”ではなく“文芸”の世界だ。今今を生きる言葉たちがそこにあるように思う。自分を探し求めている人たちの言葉が詰まっている。ショーン・コネリーは言う。「君は迷いを書きつけていた “人生をどう生きるか”」 その君がバスケットの名選手であること、身体をしっかり使っているところもいい。
■昨日の勉強会で自閉症の支援について話をするためにスライドを作っていてあらためて思ったのは、TEACCHやペアレント・トレーニングのパラダイムがやはり私にはしっくりくるということです。アメリカらしいプログラティズム、現実的でわかりやすい、そして、本人の意思を大切にするサポートの考え方とシステムです。“You can !”と後押ししてくれるポジティブなところがいい。言葉たちが生き生きとしている。ダニエル・キイスを読んで感じたことでもあるが、アメリカの社会における言葉の存在は日本のそれとはちがうように思う。言葉に確かな存在感を感じる。そこが私を惹きつけるところなのでしょう。

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