手話の文化、14年後の再び

今年5月に放送されたNHKのETV特集「静かで、にぎやかな世界 ~手話で生きる子どもたち~」は日本手話で教育を行う唯一の学校、東京・品川にある明晴学園と子どもたちの日常を記録した番組です。子どもたちの生き生きとした姿から障害のあるなしを超えて子どもの自己の育ちの大切さを考えさせられます。日本手話を使うことがその営みの大切な部分を支えていると考えています。この番組の子どもたちの姿から想起されることは少なからずあって、今回、ブログとホームページの記事の集約を進める中でそのひとつを書き留めていたことがわかりました。

[blockquote text=’手話の文化 2004-07-30
■三重県立盲・聾・養護学校教育実践研究大会で有限会社手話文化村代表取締役米内山明宏さんの講演を聴いて胸のすく思いがしました。ぼやっとしていたことがすっきりした感があります。演題は「理想の教育とは?~現実とのギャップをどう考えているのか~」です。
■2月にシンボルコミュニケーションのブックを作っていて、シンボルの選択と配置に文法のちがいを感じました。日本語の文法とはちがう文法があるのではないかということです。やはり視覚によるコミュニケーションである手話はどうなのだろうと考えてしまい、インターネットで検索して龍の子学園を知りました。そう、龍の子学園は米内山さんが設立したフリースクールだったのです。
■文法がちがうということは意思決定のプロセスと背景、文脈がちがうということです。文化がちがうのです。文化のちがいを知ることは自分の文化を知るということ。自分の文化を知って愛することはちがいを認めることにつながる。セルフ・エスティームの育ちが大切なのだ。聴者の文化を自ら愛する者が聾の人の文化も尊厳も認め得るのではないだろうか。自閉症スペクトラム障害も同じです。
■米内山さんが描く「理想の教育」へのプロセスは「教育はみんなのもの、オープンにみんなで語り合えるものであってほしい」ということ。学校は壁を作っている…そのことをまた指摘された。’]

米内山さんはホールのステージの中央やや前よりに立ち、PowerPointなどの映像を使わずに手話で話をされました。手話通訳はそのステージの真下中央にマイクを前に座って米内山さんの手話を見上げるようにして見つめていました。米内山さんがやや顔を上げて手話で話をされるときの躍動感と存在感、その手話通訳の饒舌さは見事にシンクロしていて私は引き込まれてしまいました。90分枠で組まれた講演中、米内山さんはステージの真ん中に同じ姿勢ですっくと立たれ、手話通訳はたったひとりの女性が担当されました。ふたりの間にあるものはいったい何だったのだろう。今思えばそれは応答による文化の共有のようなものでした。私はその文化に直に触れて心が揺さぶられた感がありました。言語としての手話の核心を目の当たりにしたと思いました。

今日、米内山さんが明晴学園の前身の龍の子学園の創設にかかわられたことを知ってETV特集の番組での子どもたちの姿が腑に落ちました。つながりました。そして、日本手話が言語として聾の子どもたちの自己の育ちにいかに重要な役割を果たしているかということをあらためて思い知りました。

あらためてETV特集「静かで、にぎやかな世界 ~手話で生きる子どもたち~」について考えます。NHKのプロデューサーが語ったこととして冒頭に「初めてこの学校の子どもたちを見たときに、考えさせられたこと。それは、子どもの育ちに必要なことってなんだろう…ということでした。」とあるのは私も同様に考えたことです。特別支援教育のフレームは外せないのですが、この番組の子どもたちの姿はどの子どもにとっても大切であるはずだと思わせるものがあります。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です