知について

2週続けて知について心に刻まれる体験をしました。先週は上野の森美術館で開催の金沢工業大学所蔵「世界を変えた書物展」と東洋文庫で古い分厚い洋書の壁に囲まれました。「知の壁」と銘打たれたそれらの書物は見上げる高さの本棚に納まっていて意匠が凝らされた巧みな照明によって静かに眠る情念の塊のように感じました。凄みがありました。見入ってしまいました。人間が書を著し、上梓し、それらの書物を継承するという営みに向かおうとする意思は生まれながらにして人間の根源の奥深くに宿っているものにちがいないのではないかとさえ思わずにいられない。ものすごいエネルギーが伝わってきました。

今日はODNJP(オープンダイアローグ・ネットワーク・ジャパン)のシンポジウム「オープンダイアローグと中動態の世界」に行ってきました。会場は東京大学駒場キャンパスで初めて訪れてここでも知の壁を体感した思いがありました。古い洋館風の建物と直線を基調としたガラス張りの建物が同居していて広い石畳の並木道があり・・・その佇まいが醸し出す非日常感もまた先週の書物の知の壁を彷彿とさせました。これからさらに混迷の深みに入っていこうとする日本社会は日常から離れたこうした空間からみ出されようする知なくしては明日が見えないのではないかと考えてしまう。私自身3年後には教員となる学生を教えるポジションなので志を高くもって仕事をしたいとあらためて思いました。

オープンダイアローグはフィンランドで統合失調症の早期介入(正確には統合失調症の診断前の前駆症状時)として始まりましたが、オープンダイアローグ自体は今の混迷をともに生きていくための知恵のひとつと思っています。その混迷を中動態という切り口で話をされたのは國分功一郎先生(東京工業大学・哲学)で、目の前の霞が紙を1枚ずつ剥がされてクリアになっていくようでした。同じく哲学者の石原孝二先生、精神科医の斎藤環先生と高木俊介先生の話もたいへん腑に落ちるものでした。ここに自分の言葉で多くを書けるまで消化できていませんが、今日は大きなフェイズの真っ只中にいるような体験でした。身体をもってして知ったといえるでしょうか。

昨日は京都だったので夜行バスで直接東京に向かいました。朝6時30分開店の東京駅のカフェなどをはしごして午前中は来月から始まる大学の講義の資料を延々と作っていました。1週間に1回90分、15回分の講義の準備はたいへんだと思っていましたが15回分のコンテンツのキーワードを入れていくと全く時間が足りないことがわかってきました。また、この作業は15回の講義全体を俯瞰することにもなって実り多い半日でした。一段落したは東大駒場駅前のマクドでとなりました。古い店舗で淡々と対応するスタッフとまばらな客、そして冷めたポテト・・・これはこれでどこか“非日常”感があっておかしくもありました。

シンポジウムの会場を出ると駒場キャンパスの旧制第一高等学校本館の時計台がうっすらと雲がかかった淡い青空の下で傾きかけた陽をうけていました。秋の近いことを感じました。

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