門脇厚司『大正自由教育が育てた力 「池袋児童の村小学校」と子どもたちの軌跡』

門脇厚司著『大正新教育が育てた力 「池袋児童の村小学校」と子どもたちの軌跡』(岩波書店 2022)は浅井幸子著『教師の語りと新教育―「児童の村」の1920年代』(東京大学出版会 2008)を読んでいてそのタイトルから気になって取り寄せたところ驚くべき内容でした。「まえがき」は次の冒頭から始まります。

本書は端的に言えば、今からほぼ100年前の1924(大正12)年の4月、大正大震災(関東大震災)の翌年、現在のJR池袋駅の近くに創設者の一人であった野口援太郎の自宅を校舎に開校した「池袋児童の村小学校」(正式名・池袋児童の村尋常小学校)」という一風変わった名前の小学校に学び卒業した児童たちが、その後どのような人間として育ち、どのような人生を辿り、どのような晩年を送ることになったかを検証した結果を報告するものです。(同書 P.ⅶ)

そして、「まえがき」の終わり際にはこうあります。

あるべき教育についての研究は数多く行われてきました。そして、その中の多くの人たちが個性を重視する教育の大事さと必要性について語ってきました。しかし、実際にそのような教育を行ったらどのような結果をもたらすのか。肝心要のそのことについて実際に検証することなく終わってしまっていたことが、個性教育に舵を切れなかったことの大きな理由と言っていいでしょう。

実際、この314ページの本書のうちおよそ三分の一の112ページは在校した元児童のアンケートとインタビューの報告に充てられていてこれが不謹慎な言い方ですがめっぽう面白いのです。にわかには信じられない回想や感想などが率直に語られています。

児童の村で身に付いたことは、自分で考えて納得しなければ承知できない人間に育ててくれたこと。また、学習は楽しい実践であることを体得した。児童の村で学べたことは幸いであった。(中略)児童の村は完全な無秩序なんですよ。個人的には児童の村でものすごくよかったと思います。何よりも子どもの時に充実した生活ができたということなんですね。(同書 P.250)

54人のアンケートやインタビュー、故人となった元在校生の家族の回想が異口同音にほぼこうした方向で語られているのです。

時間に追われることなく外で遊んだり自然観察をしたり、観劇に出向いたり、異年齢の子どもたちが一つの教室でそれぞれに算数などに取り組むなどしたりしていたことが伝わってきます。習字をしなかったので皆字が下手だったり中学校に進んたとき「回れ右」ができなかったりしたようです。全国学力学習状況調査や進学校の「実績」で云々される今日とはまるでちがう学校であったことがわかります。

そのような学校に子どもを通わせることに不安になった親が転校させることも少なくなかったようです。しかし、同校に在籍した子どもたちのその後、そして、おとなになってから池袋児童の村小学校で過ごした子どもの頃とそこで育まれた自分自身をどう思っているかの語りは今日においては尚更注目するべき示唆に富んでいると言えるでしょう。

あまりたくさん引用すると著作権侵害になりそうですが54人の元在校生の声はそのすべてをここで紹介したいくらいの貴重な「証言」だと考えています。

なお、著者の門脇厚司氏がアンケートとインタビューを行ったのは1982年で、この本の上梓は昨年2022年なのでその間40年の年月が過ぎたことになります。著者は「池袋児童の村小学校の卒業生たちと元教師たちの存命中に本書を目にしていただけなかったこと」に「申し訳なさと同時に慙愧の念が募ります」と「あとがき」に記しています。氏は今年83歳になります。そこかしこの書きぶりに渾身の思いが感じられてなりません。そして、50人を越える元在校生の率直な語りをこうしてまとめて世に送り出していただいたことに敬服し感謝しています。このブログをここまで読んでくださったらぜひこの本を手にしていただきたいと切に願うばかりです。

※この記事は後日修正します。(2023.10.14)

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