交流及び共同学習について

今年度は思いがけず特別支援学校と近隣の通常の学校との学校間交流、そして、特別支援学校に在籍する子どもが居住する地域の学校に出向く居住地校交流について助言することになり、私にとっては研究の機会となりました。

私が小学校から養護学校(当時)に転任したのが1998年(平成10年)で、転任早々交流担当となって学校内外の調整や企画に当たることになりました。交流について、特別支援学校と通常の学校との“温度差”を実感しましたが、今回、交流及び共同学習にかかる論文等々を調べたところ、その教育目標が不明確だったり曖昧だったりという課題が明らかになっているという記述がありました。また、国立特別支援教育総合研究所の直近の調査研究では、全国の特別支援学校を対象としたアンケート調査結果で理念の共有がいちばんの課題であると明らかにされています。その詳細はわかりませんが、今回の助言の準備を進めるなかで、交流及び共同学習は交流は他の教育活動と比べて情報量が圧倒的に多く、理論面の研究が進んでいないのもそのためではないかと考えました。つまり、交流で子どもたちは想像をはるかに超える経験をしているわけで、それを表面的な評価のみで矮小化してはならないことを交流をいくつか参観して思い知りました。

評価という視点だけでなく、交流場面で一体何が起こっているのかという現象学的視点からも今回は考える機会となっています。交流のみならず学校では日々豊かな営みが繰り広げられていますが、その豊穣を語ったり研究したりする言語化のための言葉や概念は日頃の学校や教育実践研究の中から見出すことが難しいことがあります。交流場面を描くに際しても然りと考えます。今回の資料作成にあたり、他分野の言葉や概念を用いて交流場面の子どもたちの中で何が起こっていてそれはどういうことなのかについて言語化を試みています。とりわけ、保育・幼児教育、哲学、教育哲学の言葉や概念を援用することになりました。「自発/自発性」「子どもを“よくなろう”としている存在として信頼」「ケア/ケアリング」「個別具体的なその人を知る」「相互性/相互関係性」「夢中/没頭」「生成としての教育」などです。これらの全てを直接引用したり援用したりしているわけではありませんがこれらの言葉や概念なくして今回の準備はここまで進められなかったことは確かです。

また、「フォーマルな交流」と「インフォーマルな交流」という言葉も久しぶりに、ほんとに何年かぶりに思い出すことができました。

コロナ禍のために対面交流が困難になってオンライン交流が行われるようになりました。オンライン交流はまだまだ始まったばかりでインフラの課題もあります。対面交流と同じことはできませんが病弱教育では入院中の子どもと学校とをインターネット接続でつなぐ取り組みが10年以上も前から行われて教育的な成果を上げています。いつまでもコロナ禍が続くわけではないと思いますがオンラインの教育活用はハード、ソフトともに研究が加速的に進むことを願っています。

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