日別アーカイブ: 2022-01-27

人生を愉しむための大人のオペラ講座

昨夜は津久居アルスプラザのカルチャーボックス「人生を愉しむための大人のオペラ講座」に参加しました。換気がコントロールされた会場に限られた人数、そして、声楽家もマスクを着用して歌うという感染対策が取られていました。そのどれもが講座を楽しむことの大きな妨げにはならず堪能しました。

モーツァルトのオペラ「フィガロの結婚」が生まれた社会背景と歌詞との関連などたいへん興味深いものでした。ただ、私にとっては「モーツァルトが襲ってきた」という学生の頃のあの感覚がかなり薄められてはいましたが戻ってきました。正しくは「モーツァルトの音楽が」と言うべきですが、モーツァルトと彼の音楽との一体感はぬぐい切れないものがあります。小林英雄の『モオツァルト』の冒頭「モオツァルトは歩き方の達人であった。」とはまさに言い得て妙です。ハイデガーばりに言うと「モーツァルトの音楽が襲ってくる」のです。昨夜はオーケストラがカール・ベーム指揮のウィーンフィルで、音も録音も当然ながら当時のものだったのでこちらからのインパクトもありました。ただただ懐かしく、当時、全身全霊を傾けて聴き入った音楽、音でした。

音楽は歴史において遅れてやってくる。そう考えた一時期がありました。フランス革命前夜の「フィガロの結婚」、ロマノフ王朝末期のチャイコフスキーのバレエ音楽、等々、いわゆる社会史とはすぐには結びつかない印象があります。また、ショスタコーヴィッチの音楽は政治によってどれだけ創造性が削がれてしまったのだろうと考えることがあります。作曲家の「本意」はどれだけ作品として表現されているのか。資本主義においては売れるか売れないかによって影響を受けるのは想像に難くないしそれにまつわるエピソードが裏話として話題になる。事は音楽と政治、社会体制との関係です。「人生を愉しむための大人のオペラ講座」シリーズは全3回であと2回が予定されています。コロナが落ち着いて予定通り開催されることを切に願うばかりです。

ところで、こうしたイベントの開催にあたっては音楽はじめ文化的な様々なリソースが一定そろうことが必要条件となってきます。プロデューサー、キュレーター、講師、演奏家、MC、ディレクター、会場、等々です。昨夜の関係者は何役も担って進行していることが一目瞭然でした。「人はなぜそれをするのか」と時々思うことがあります。社会活動然り、笑える行動然りです。昨夜は地方都市ではなかなかふれる機会のない文化的なイベントでした。